一話 シーン14『敗戦』
「・・・・ティ!・・・・・か、い!」
深い洞穴の底のような暗黒の世界へ浸されていた彼の脳内に、微かな声が
響いて来る。
「か・・てぃ・・・だ・・じょぶ?」
〈誰かが俺を呼んでいる?〉
その声は徐々に鮮明に聞こえてくるようになってくる。
「カティ!生きてる?・・・起きて!カティ!」
今度ははっきりと聞こえてきた。
カティルは重い水たまりに体を沈められているのかと思うほどに重く感じる体に
フンと全力で力を込めてみる。
少しだけ指先と瞼が揺れた。
それをきっかけにしてもう一度フンと力を込める。
じわりじわりと指先が動き、グーパーできた。
自然と瞼も開いていく。重たい水たまりの世界からの覚醒だ。
「カティ、目覚めた!」
頭上からカティルのことを見下ろしていたイツカは顔をグッと寄せてくる。
その視界は彼女の顔でいっぱいになる。
イツカは不安げにカティルの顔を覗き込むと、
二度三度と優しく彼の頬を叩いて刺激した。
「だいじょうぶだよ・・・イツカ。生きてる」
「ホントに?」
何とも酷い返答だと思った。
だがカティルは彼女を安心させたくて、首の辺りにグッと力を込めて
頭を上下に振ってみせる。
この程度の動作さえやっとの思いでないと行えない辺り、
彼の体のダメージは相当なもののようだ。
「他の、みんな・・は?」
「心配ありません。ほら」
カティルの傍では、イツカ以外にもレルが寄り添ってくれていた。
レルはカティルの意識が戻ったのを確認すると、
その首の下に腕を通して肩を支え、
体をヨイセ、ヨイセと起き上がらせてくれた。
そうして起きてみて初めて、カティルは現状を認識することができた。
ここは先ほどまで戦っていた戦場と同じ場所だ。
もう夕暮れ時で、カティルが思っていたよりも、気絶していた時間が
驚くほど短かったことが分かった。
それなのにもう兵士達が何十人も駆けつけてきており、カティル達を避けながら、現場の事後処理を行ってくれているらしい。
ある兵士はエッグ孵化による爆発に巻き込まれた死体を運び出して、
袋に納めていた。
ある兵士は瀕死で呻いている怪我人をタンカに乗せて運んでいた。
そして、カティルよりも先に目覚めていた仲間達が、こちらへ向けて近づいてくるのが見えた。
「カティ・・・カティイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!」
ズドーン!!
本来ならば起きないほどの大爆発音を高鳴らせて、
ベロニカがカティルに突撃した。
「おぶぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!??!??!?!?!??!」
まだ痛みの引ききらない腹部に直撃を食らい、吐しゃ物をまき散らせつつ
押し倒されるカティル。
それにも構わず、ベロニカは彼の腰に手を回してホールドし、その腹に顔面を押し付けてくる。
「もう心配したんだからああああああああああああああああああ!!!」
ぐお、待てー。タップタップ(tap out)!
どうやら未だ腹部の負傷が治りきっていないようで、黙っているだけでも
鈍い痛みがあるのだ。
そこへ重厚な鉄球を押し付けられるが如くグリグリと、新手な拷問か!
カティルは顔を引きつらせて身をよじらせる。
「よお!カティ、お前も無事だったか!」
「傷もレルさんのリジェネレーションのおかげで回復が進んでるみたいだし、もう安心だね」
「ロック、ユリ・・・どうなった?あの後どうなった?」
「・・・先ずは落ち着け。俺達も目覚めたのは少し前なんだよ。お前と大差ない。
バルズタースの野郎にぶちのめされて気を失って、
これ死んだわーって思ったんだがな。
気が付いたらイツカとレルさんに起こされて目が覚めた」
「そしたらこの通り、兵士の人達も駆けつけてくれて。
私達も色々と手伝おうとしてたの」
「!?・・起きて直ぐに?怪我は?」
〈俺はこんなにボロボロで立つこともできないのに、その差は何処で?〉
「んー・・・・しらん」
「なんでか私たち、カティ以外の全員、目が覚めたら全回復しててー」
「全回復!?」
「いえす あい どぅー」
ユリが親指を立ててグッと拳を突き出す。
「運が良かったのかもな」
呆気らかんとそう口にするロック。
運だけで説明つくか普通?
「ち・・ちなみに、俺の体ってどれぐらい傷ついてたんだ?」
カティルが恐る恐るそう口にすると、抱きついて離さなかったベロニカがガバッと顔を上げる。
その顔は涙と鼻水でクチャクチャに汚れていた。
「本当に酷かったんだよ!?・・・エグッ、頭は原型も留めないほどに腫れて、
汚いイチゴみたいになって、体中の骨で折られてない所がないくらい
グニャグニャで。血もいっぱい出てて、一人だけ赤いプールに沈んで
溺死しかかってたんだから!!」
〈ヒエッなにそれ怖い〉
つい想像してしまった。
〈よくそんな状態からここまで回復できたもんだ〉
安心しきれず胸がバクバクする。
「全く、助けられたのは奇跡だったと思いますよ本当に。
あの神獣達を討伐して、主神から送られたギフトが
回復に直結するスキルだったお陰です」
解放されたのはハイリジェネレーションであった。
一秒辺りの回復量はリジェネレーションを凌駕する。
だが開放されたのがこれだけだった辺り、どうやら土蜘蛛は本当に神獣ですらない、ただの神のペット生物だったようだ。
「じゃ、じゃああの虫みたいな神獣は?」
カティルは顔を大きく振り、イツカとレルの顔を交互に見比べた。
イツカは静かに親指を立てる。
「・・・うん、あの程度、造作もなし。レルさん、最強。頼りになった」
「ま、まじで!?」
レルの顔を見つめる。
だが、こちらはわずかに目を泳がせたり、そわそわと落ち着かない動きを見せた。
「あ、ああ・・・その・・一応、な。
カティくん達が来るのを待とうと思っていたのですがね。
やはり、あの二体は連携を取って戦う前提の神獣だったようですね。
ええ・・・私とイツカの二人で力を合わせて、ね」
倒せた、と言いきらなくてもその戦いの結果はおのずと感じ取ることができた。
そうか、まさか二人だけで撃破できたのか。
「さすがはレルさん!亀の甲より年の甲ってやつですか!」
「え、ああ、うん、そんな所・・・だね」
何故か自信なさげに顔を伏せる。
その間際、レルはチラリとイツカの顔を見るのだが、
彼女は自分の人差し指を口元に当てた。
〈秘密で〉
「そうか・・・」
〈でも・・・〉
カティルの脳内でフラッシュバック。
倒せたと思った土蜘蛛。
その内部から現れた人型の怪物。
あまたの伝説で語り継がれてきた戦神。
ただの一手も届かず、ただの一手も響かなかった。
カティルの最高の技さえも指一本動かすこともなく容易く弾かれた。
そうしてベロニカが一撃で吹き飛ばされ、ユリが叩き伏せられ、
ロックが打ち砕かれ、徹底的に打ちのめされた。
わずかに意識を保っていた時間があった気もするが、その間に何をされたか、
どんな言葉を投げかけられたか。
『どういうことだ?答えろお前』
『今まで何人も勇者を見てきたけどよ。
こ・ん・な・くそ弱い勇者見たことねえ!』
他にも言葉を投げかけられたような気もするが、今は上手く思いだせない。
だがそのどれを思いだしたとしても、自分達の完敗だったと、相手と自分とでは
くつがえしようのない力の差を見せつけられたことだけ思い知る。
ぐっと胸の内が苦しくなった。
「・・・・・・・・・・」
無意識にその奥歯をぐっと嚙みしめていた。
そんなカティルの顔を見下ろすユリがふいに口を開く。
「・・・ほんと、一人だけ怪我の具合も酷いし目覚めないし。
死んだかと思ったんだけどなぁ。いやあ残念残念」
「ちょっと!ひどいこと言わないでよぉ!」
ユリの心無い言葉に、ベロニカは顔を上げて抗議する。
「いやーだってさ。
ここでカティが死ぬまで行かなくても、再起不能になってくれたらぁ、
ベルとイツカは私のものになるかもだしー」
ユリはわざとらしく上唇をペロリと舐める。
「そんなのイヤよ!」
ベロニカがギリリと目を吊り上げ、野獣の如く鋭い眼光を放ってユリを睨む。
「そう冷たいこと言わないでぇ。一晩たっぷり可愛がってあげるからー」
「だからイヤだって!」
「私、上手いって評判なんだよー?」
ユリは右手で胸を愛撫する仕草を見せ、左手で足の付け根に触れる真似をした。
人差し指と薬指でクパァしつつ親指と中指を巧みに使う動作がやけに卑猥だ。
「ほんと、お前、下品、おっさん臭い、サイテー」
見せつけられ、イツカに至ってはもう名前を呼ぶのも嫌気がさしているというように冷たい視線を送っている。
「ちぇ・・・絶対私の方が気持ちよくしてあげられるのになー」
頬を膨らませてブーたれるユリ。
すると、横にいたロックが、ふいにその頭部に軽くチョップした。
「ほら、場を盛り上げようとしてお道化るのはその辺にしとけよ。
お前、自分が思っている以上にそういうの向いてないぞ?」
「え?なんのこと?」
ロックの言葉を受けても、意味が分からないというようにユリは頭を傾けた。
〈あ、コイツ、素だ。
もしかして本気で俺が死ねばベロニカ達を攻略できる
糸口になると思ってたんじゃ?〉
「ユリくん、すまないけど、ぼくはね、きみをほんきで かいこしたいと
おもえてきたよ」
カティルはつい感情の一切籠らないデジタル音声素材のような口調で、そう告げる。
「な、なんでよ!私はただ、世界中の可愛い女の子達と良い出会いをして、
手に入れるために日夜戦わないといけないのにぃ!!」
ユリはワタワタと慌てだした。
実際のところ、けして短くない付き合いを続けてきた彼女を手放すか、と聞かれると困る。
カティルとしても今の言葉は本心からではない。
きっと、多分、そう、ユリはロックのいう通り、
非常に高度にお道化てくれたのだと思った。
実際、こうして言葉を交わして、少しは気が晴れた気がした。
そしてゆっくりと、じわじわとカティルは受け入れられていく。
そう、自分たちは負けたのだ。
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そこは、どこまでも何も見えない。
真っ暗な空間が広がっていた。
上下の感覚も曖昧で、起きているのか倒れているのか、浮いているのか沈んでいるのかさえ確かめようがなく、暖かさも冷たさもない。
そんな一見、果てしなく暗黒が広がっている、墨汁を重ね塗りしたような世界。
そこに、たった一つのガラス玉が浮いていた。
そのガラス玉だけがほんのり明るくて、暖かさを持っている。
その世界で最も価値あるモノで、唯一の形あるモノだ。
そんな透明な玉の中には、何かが入っている。
女だ。だが明らかに人間ではない。
女神だ。その証拠に五枚の不揃いな黒羽を生やしている。
その髪は炭のように真っ黒で、その眼には黒い瞳がなく全体が鶏卵のように白い。
そして整った顔立ちをしている。体は細長く、肉付きはそれほどよろしくない。
だがけっして不健康そうに見えることはなく、彼女はそういう体系が普通なのだと一目でわかった。
そんな女神がガラス玉の中で、胎児のように体を丸めてうずくまっている。
その手には、黒い卵のような玉を抱きかかえていた。
そしてその卵を食い入るように見つめている。
ここには、それしか見る価値のあるものが無いと言うように、
その存在は卵が映し出す、どこかの世界のどこかの誰かさんをジーっと見守っていたのであった。
「うぅうううううう・・・・・・カティルきゅん、君はなんてなんて・・・・・」
その真っ白な眼がウルウルと潤いが増していく。
「あんのク●イカレ●ンチの玉無しガイ●チ!!
せっかく!せっかく私が数百年の時間をかけて見つけだしたサイコーの『素体』たるカティルきゅんに対してよくも!よくもよくもよくもよくもよくも!!」
その黒い卵状の球体は、カティルを映し出していた。
その球体は彼の全てを映し出す。
彼の周囲、彼の心の内、ステータス、スキル、健康状態に至るまで全てである。
特に女神が腹を立てている事情は二つ。
一つは心
「ああああん!!カティルきゅん、こんなに落ち込んでぇ。辛いよね?苦しいよね!
分かるよ!平気を装ってるけどショックよね!甘えられなくて辛いよね!
私が現界してサポートできればあんな脳みそ空っぽな駄犬なんかに
一方的にやられなかったのに!
大丈夫よ!貴方にはまだ未来があるの!落ち込まないで!
あああああああああああああああああああああああ!!
傍にいって抱きしめてあげたいようおうおうおうおうおうおうおうおう!!」
そしてもう一つ。ステータス
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!バルズタース!!
あんにゃろ、創造された頃に、おしめ換えてやった恩も忘れやがって!
半万年も生きてないガキんちょのくせに!
よくも私のカティルきゅんにいいいいいいいいいいいい!!」
食い入るように見つめる球体には、カティルのステータスが表示されているのだが、バルズタースとの戦い以後、それは大きく書き換えられていた。
基本ステータスのHP、MPから基本攻撃力魔法力、防御、魔法耐性まで、ドドンとビックに五割増しだ。
その上、ライトニングエッジの効力にも影響があるらしい。
内心、自分だけの補助で成長してほしかった。
自分だけが支えとして、カティルを勇者として導いていく腹積もりでいたというのに。
これは、バルズタースの個人的な嫌がらせだと女神は思った。
彼女にしてみれば、餃子を分け合って食べている時、酢は体に良いからと無断で
こちらの醤油皿に酢を足されたようなというべきか。
自分が描いていた絵画や漫画に、無断で通行人や猫を描き足されたのを
見つけた時のようなといえばいいだろうか。
そのぐらい言いようのない怒りが、女神ビシュメルガの心を焦がしていく。
「馬鹿ばかばかばかばか!この子は私のなの!
私だけの加護で、私だけを頼ってほしいのにぃ!!
主神様も、なんでアイツの提案なんかにOK出してくれやがるんですかぁ!!」
どうにも奇妙なことだが、彼女は主神への敬意や忠誠心というものを失ってはいなかった。
彼女の勇者への執着と愛情は一見、過剰なようにも思われる。
だが、まるで神への忠誠と勇者への肩入れは矛盾しないというかのようで。
はたはた疑問である。
「その上、なんなんですかこのスキル!
あの野郎、最終極大消滅魔法なみのバクダンぶちこみやがってクソがぁ!!」
女神は食い入るように、カティルのステータスの端、習得スキル欄を見つめる。
『ちょー優秀でちょーイカした神の祝福』
〈期限:特定の神との決戦、またはスキル******習得まで〉
効果:ライトニングエッジの使用回数増 威力増
デメリット:発動一度ごとに〈まだ見せられないよ〉する
「ぢぐじょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
彼女はダラダラと血の涙を流した。
狭い殻の中を飛び越え、何もない真っ黒な世界に、女神の咆哮が響き渡っていく。
とりあえず今日一日使って更新。
次回更新で第一話終わらせて、二話に移れたらと思いますが、実力もないくせに書きたいシーンは無駄に多いという困った事態にありまして。
では運が良ければ土曜更新〈予定〉でお会いしましょう
バーイ




