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「温泉へ入る前に、必ず全身綺麗に洗ってください。あちらの小部屋が体を洗うお部屋です。それと」
地下の温泉に着いて、その荘厳な雰囲気に目を見張っている影三人に向けて、エマは立て続けに説明を始めた。
「温泉に入る際は髪は結い上げて、水に浸からないようにしてください。あ、衣服など、何も身につけてはいけません。中で泳いだり潜ったりするのも駄目です。神域ですからね、あまり大声でお喋りも止めてくださいね」
説明しながら、タオルや石鹸をどこからともなく出してくる。
「湯浴みの際、普通は、お体を洗う世話係が付くものなのですけど……公女殿下に影武者がいることは、以前より極秘情報になっています」
それなのに今、五人もいるので……通常のお世話だけで手一杯で……、と困ったように首をすくめる。
影その4がニッコリ微笑んだ。
「大丈夫よ。私、湯屋はよく利用するから、入り方も作法もしっかり分かっているわ。あとの二人にも教えるから、気にせず、他のお仕事に回って?別に貴族じゃないから、手伝ってもらわなくて平気。ていうか、手伝ってもらう方が落ち着かないもの」
その言葉に、エマはホッとしたようだった。
「では、お言葉に甘えて、他の仕事を片付けて参ります。一時間…いえ、一時間半後に、またお迎えにあがります」
遠い東の国では、“裸の付き合い”なるものがあると聞いたことがある。何も身にまとわず、裸同士であれば、本音で話せるということらしい。別にわざわざ裸になる必要はないと思うが、そもそも、ヴァレンティナは人前で裸になったことがないので、分からない。(庶民が身を清めるなら、タオルで全身を拭くか、川で水浴びをするくらいだ)まあ、幼少期なら、人前で裸になって水浴びはしたかも知れないけれど。
でも、確かに、裸の付き合いは本音が飛び出すらしい。
「あ、やっぱり女だったのね」
服を脱いで適当に籠へ放りこんでいたら、影その4がにこやかに失礼なことを言ってきた。
「……最初のときに、そう言ったじゃないか」
憮然と答えると、彼女は艶然と笑う。
「だって、あまりにも絶壁だったから~。でもまあ、全く無いワケでもないのね」
「デカけりゃいいってもんでもないだろ。それに、まだ十五になったばかりだかんな。これから成長するんだよ」
「えっ、君、十五なの?!」
横で聞いてた影その3が、目を丸くする。
「あたしと五つも違うんだ?!」
「え??二十!?」
今度は、ヴァレンティナと影その4が声を揃えて驚く。影その3は、雰囲気では影その4より幼く見える。
「………」
「………」
三人は、しばらく無言で顔を見合わせた。
「んんっ……じゃあ、まずはあの、お互いに自己紹介しない?ワケが分からないまま、訓練が始まっちゃって、みんなのことも、どう呼べばいいか、分からなくて」
影その3は、苦笑しつつ、至極真っ当な提案をした。
洗い場で丁寧に身を清めた後、温泉に浸かりながら、三人はそれぞれ自己紹介を始めた。どうやらこの場で一番年長らしい、影その3が口火を切る。
「あたしはリナ・マイヤー。公都リヒトブルグでパン屋をしてるの。さっきも言った通り、二十歳で、二歳の息子がいるわ」
「二歳の息子ぉ?!」
二十歳発言よりも大きな衝撃を受け、ヴァレンティナが思わず大声を出す。
「しーーーっ!大きな声を出しちゃダメって言われてたでしょ」
「あっ、うん、分かってる。分かってるけど……」
「それと…モチロン、既婚よ。十二年上の、カッコイイ旦那さまがいるわ」
「なんか、自分とすげー似てるのに、色々違いすぎて言葉もないよ……」
呆然と呟くと、リナはにんまり笑った。
「そうかなぁ?あんまりそっくりってワケでもないと思うわぁ。化粧でだいぶ公女様に寄せたもの。今はホラ、ちょっと目、小さいでしょ?その上、一重だしさー。コンプレックスなの。あ、あと、髪も染めてるしね」
つんつんと自身の頭を突く。
確かに、化粧を落としたリナは、最初ほど公女様(の影武者)そっくりには見えなかった。ちょっと美人で評判な町娘という感じの、素朴な印象を受ける。
リナが言うには……“二ヶ月限定の良い仕事がある、第一の条件は髪を金色にすること”――店に来た男はそう言ったそうだ。ちょうど前年、店を改装するなり夫のケガや両親の病気などのゴタゴタが続いて家計は厳しい状況だった。なので、一もニもなくこの仕事を引き受けたのだと語る。幼い息子と二ヶ月も離れることが、一番辛いけどね……という言葉に、影その4が感心したように溜め息をついた。
「小さい子供を抱えて頑張るのね、貴女……」
首を振りつつ、続いて、自身の名を告げる。
「私は、グレッチェン。グレッチェン・ミュラーよ。十八歳……」
「グレッチェン?!あの、緑梢亭の??」
グレッチェンの台詞の途中で、今度はリナが素っ頓狂な声を出す。
ヴァレンティナは、首を傾げた。
「有名人なのか?」
「ウフッ、公女様そっくりの歌姫で有名かな」
グレッチェンは、また、艶然と笑った。
緑梢亭は、公都では繁盛していて有名な居酒屋だ。値段はそんなに高くないのに、酒も肴も旨い。公都に来たならば、一度はそこで食べてみるべし!と言われる店である。
そして、そこの看板娘として名高いのが、グレッチェン・ミュラーだ。
「私も、髪は染めているのよ。目も少し、吊り目。でも、小さい時から公女様に似てるって言われてたから、それを売りにしようと思って、毎年肖像画を買って、似せる努力をしてきたの」
その上、歌と踊りも得意だから、うちの店、お客様が引きも切らずで~、と微笑む。
ヴァレンティナは「スゴイな」と素直に感嘆した声を上げた。
「その顔と体で、歌も踊りも上手かったら無敵じゃないか」
「ありがとう!最高の誉め言葉だわ」
「オレ、歌も踊りもサッパリだし、何よりその胸……、三分の一でいいから分けて欲しい……!」
ブフッ。
ヴァレンティナの心からの叫びに、リナとグレッチェンは吹き出した。
グレッチェンの両の手に余るほどの大きさの胸と比べると、ヴァレンティナの胸は、確かに無いに等しいからだ。
ジト目で二人を睨むヴァレンティナ。
コホン、とわざとらしい咳をして、リナは「それで、あなたの名前は?」と、白々しく話を替えた。
ヴァレンティナは、低く唸りつつ、それでも律儀に自己紹介を始める。
「ヴァレンティナ・アルバ・ディアス。十五歳」
「あら。貴女、いい所の出なの?」
ヴァレンティナの名を聞いて、グレッチェンが目を見張る。
ヴァレンティナは首を振った。
「違うよ、オレは西のグリスアレナの出身なんだ。グリスアレナでは、両親の姓が名前の後に続く。お貴族様みたいなセカンドネームじゃなくて、オレの場合はアルバが母親の姓、ディアスが父親の姓なんだよ」
「へぇ、じゃあ親子で姓が違うってこと?」
「うん」
そういう国もあるんだー、とリナがふむふむ頷く。
一方で、グレッチェンが少し眉をひそめた。
「……もしかして、戦争孤児だったりする?」
居酒屋で、他国から来る客の話を聞くからだろうか。グリスアレナの名を聞いただけでそう連想したグレッチェンに、ヴァレンティナは肩をすくめてみせる。そう、グリスアレナを含む西の国々は、未だ戦火が収まらない。
「ああ。国境付近に住んでたせいで、七つの時に焼け出されて、命からがら親父と逃げ出した。金髪の女の子は目立つからね。オレは、あんた達二人とは反対に、目立たない色に染めて、男の子のフリをしてた」
「そう……」
「ホントはもう、普通に女らしくすればいいんだろうけど……神父様にも言われるんだけど、男の方が面倒な絡まれ方をしないからさ」
三年、あちこちの国を彷徨った。ヴァイスベルク公国に着いた頃には、父親は病み衰えていて、ほどなく亡くなった。保護者を失い、言葉も習慣も違う国で途方に暮れていたら、親切な村人が孤児院のある教会へ連れて行ってくれた。
「………」
ヴァレンティナの語る過去の話に、リナが目を潤ませて何か言いかけ……結局、何も言えず俯く。
ヴァレンティナは、再び軽く肩をすくめた。
「気にしないでくれよ。孤児院では、もっと辛い境遇にいた子が何人もいる。オレは、結構、恵まれている」
なにせ外国とも手広く取引する商家育ちだったせいか、幼い頃から他言語に触れていて、三カ国語くらいは元々話せた。その素地があるからだろう、ヴァイスベルクの言葉(ほぼ、帝国語)を覚えるのにも時間は掛からなかった。
更に、富で得たものは簡単に失われてしまうが、知識は失われないと、父親が各地を転々としながらも、折に触れ、算術や地理、植物の知識等々、多くのことを教えてくれていた。おかげで、今は孤児院や孤児院のある村の経理や事務仕事を手伝い、多少なりとも報酬を貰って、蓄えが出来つつある。現状、そんなに悪い身の上ではないと思う。
ちなみに、もう少し貯められたら、挑戦してみたい夢があるのだが……ちょうどそこへ、今回の影武者の話が来た。示されたのがビックリするほどの高報酬なので、これなら夢を叶えるついでに、世話になった教会へ恩を返すことも出来る。ということで、勇んで引き受けたのだが。
が。
「まー、とりあえずさー、ちょっとやそっとの仕事で音は上げない自信あったけど……一日目で心折れそうになってるよ……」
ポツリと弱音を吐くと、リナもうんうんと頷いた。
「お貴族様って、のんびり食べて踊って遊んでるだけかと思ってたけど、立ったり座ったり歩いたりするのも、あんなに気を遣ってるのね。ビックリだわあ」
「言っておくけど、今日のはたぶん、まだ序の口よ?コルセット締めてダンスとか……正直、ヴァレンティナには耐えられないかも?」
「え?コルセットって何だ?」
グレッチェンの不安げな声音に、よく分からないまでも本能的な恐怖が襲ってきて、ヴァレンティナは、このままこっそり逃げ出した方がいいのかも知れない……と真剣に考え始めた。