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混乱の隙を縫って、ヴァレンティナは離宮の左翼棟に忍び込んだ。
ヴァレンティナが二ヶ月近く過ごしている右翼棟と違い、左翼棟にはまずティールームがある。ティールームを抜けた先に客室や浴室があるらしい。
どの部屋に誰がいるか分からないので、適当に扉を叩いて回ろうかと思っていたら、ティールームにテオドルフ、ロルフ、エッカルトの三人がいた。
「ティー……ウルラ様」
ロルフが真っ先に気付いて、いつものように大股で近付いてきた。
すっと身を屈め、耳元で囁く。
「公国側には」
「気付かれないよう、こっそり来た」
同じく小さく囁き返すと、頷いてテオドルフとエッカルトを促す。
「カイの部屋へ行くぞ」
カイは青い顔で静かに眠っていた。
扉を閉めたロルフは、部屋の四隅に石のような物を置いていく。黒いそれが、音消しの魔道具だろう。
「サーラ様が刺されたと聞いたけど」
石が置かれたのを見て、テオドルフが強張った声で尋ねてきた。顔色が良くない。
ヴァレンティナは事実だけを述べる。
「傷口は塞いでもらったけど、血を失いすぎて意識はまだ戻らない。公国の医師団が手を尽くしているけど、厳しい状態らしい」
「………」
異物を飲み込んだように、端正な顔が歪んだ。
サーラの……ヨハナの心配は確かに尽きないが、今はその話をしていても埒が明かない。ヴァレンティナは薄情と知りつつも、用件を優先させた。
「サーラ様が倒れていたそばに、こんなものを見つけたんだ。これ、見覚えはない?」
取り出したのは、飾りボタン。サーラの部屋に医師団が入ってきたときに血溜まりのそばで見つけたものだった。誰かが気付く前に、咄嗟に隠していた。
エッカルトが驚いたように手を伸ばす。
「これは……私の服のボタンのようです」
「それが、現場に落ちていたと?」
低い声で確認してきたのはロルフだ。ヴァレンティナは頷いた。
「そんな。私はそちら側へ行ったことはない……!」
色を失ってエッカルトが訴える。落ち着け、とロルフが背を叩いた。
「分かっているから、ティーナは公国に隠してこちらへ持ってきたんだろう」
「そうだよ。誰かが帝国を嵌めようとしている。帝国と、公国の間に亀裂を入れておきたいんだ」
「帝国を嵌める?」
エッカルトが理解出来ないとばかりに目を見張る。
ヴァレンティナは飾りボタンを彼に返した。
「つまり、帝国には病の原因は公国にあると思わせ、公国には帝国が公女を害したように思わせたいってわけ。誰かが」
「そんな……」
「俺達が公女暗殺を企んでわざわざこんな七面倒臭い計画を立てるか?という疑問は出るが、まあ、全く荒唐無稽とも言えんか。帝国は、以前より公国の謀略を疑っている。なんらかの報復を考えていると思われても仕方がない」
ロルフが説明するが、暗殺者疑惑をかけられたエッカルトは納得がいかない様子だ。
ヴァレンティナは肩をすくめた。
「オレとしては、このボタンは、どちらかといえば保険の要素が強いかな?と思ってるよ。犯人探しの際、目くらましになるように」
「なるほどな」
腑に落ちたようにロルフが呟いた。
「犯人は、公国側の人間か。それも、この離宮内の」
「ええっ!?」
エッカルトが驚愕の叫びを上げた。
一方、テオドルフの目に剣呑な光が宿る。
「犯人、誰なんだい?」
「実行犯の予測はついてる。でも、まだ後ろに手を引く黒幕がいると思うんだ。計画が大規模だからね」
「だからといって、実行犯を見逃すのは……」
「見逃さないよ。泳がせるだけ。で、ちょっとカイに相談があったんだけど……回復までまだ時間が掛かるかな?」
ベッドの青白い顔を覗き込む。呼吸は浅く、眉間にシワが寄っていて苦しそうだ。
しかし、横からロルフが遠慮なくカイの体を揺すった。
「カイ!起きろ、ティーナがお前に聞きたいことがあるらしい」
「ロ、ロルフ!そんな強引に……」
「あとで好きなだけ寝ればいい。死ぬわけじゃないから、大丈夫だ」
全然、大丈夫ではないだろう。だが、ロルフの呼び掛けにうっすらとカイが目を開けたので、申し訳ないと思いつつも慌ててヴァレンティナは相談内容を告げた。
明け方近くになって、サーラの部屋から医師の一人が力無く出てきた。
「手を……尽くしたのですが………」
眠れず、談話室に集まっていたラウラやコンラート、ベルタ、リナやグレッチェン達は言葉もなく彫像のように固まる。
やがて表情をなくしたままのラウラが静かに立ち上がった。
「お顔を見に行ってもよろしいかしら」
「どうぞ。今は、穏やかな顔をされております」
頭を下げる医師の横を、ラウラを筆頭に談話室の全員が沈痛な表情で続く。
サーラの部屋に入ると、部屋にはアロイスだけが立っていた。
「お守り出来ず……無念です……」
顔を背け低く唸る護衛騎士に、ベルタが覚束ない足取りでベッドへ向かう。
「姫…さま……?そんな……姫様!!」
ベッドに横たわる少女は青白い顔色だった。ただ、それだけなので、寝ているようにしか見えない。
いつも鉄面皮を崩さないベルタが、唇をわななかせ震える手でその頬を優しく触れる。
「つめたい……」
呆然と呟くと、横からコンラートが縋り付いた。
「姫様!何故……!!」
それ以上、何も言えずに年老いた執事は少女の白い手を握りしめる。
扉で立ち尽くしていたリナとグレッチェンは、室内の少女と同じくらい青ざめて、互いに顔を見合わせた。
密かな嗚咽が漏れる部屋の後ろで。
そっと離れる人影が一つ。
誰も注視していないと確認すると、その影は素早く一階へ下り、裏口から公宮の方へと駆け出して行った―――。
残り4話ほどの予定です。今週中に終わり!!な、長かった……。
10万字を超える話は書いたことがなかったので、本当に感無量です。
その後、本編に落としこめなかったエピソードも投稿できたらいいなーと考えています。




