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世の中には、自分に似た顔が三人いると聞いたことがある。
だが、まさか本当に、こうもそっくりな顔を目の前に並べて見ることが実際にあるなんて、想像もしなかった。それも、三人ではなく、四人も。
ヴァレンティナは不思議な感動を胸に抱きながら、眼前の一種異様な光景をとっくりと眺める。
(いや…でもきちんと見比べてみると、見分けはつくかな)
全員、長く緩やかに巻いた金髪だが、やや濃淡が違う。瞳の色も明るい翠色から濃緑色まである。そして化粧で判りにくくなっているが、やや吊り目だったり、頬がふっくらしていたり……ああ、一人、明らかに豊満な胸の持ち主がいる。思わず自分の薄い胸に手をやり、一瞬、殺意が芽生えた。
「……リッター殿。まさか、殿方まで加わるというのですか。いくら殿下そっくりとはいえ」
(ん?)
黒いお仕着せを着た、黒髪に白いものが混じり始めている細身の年配女性の言葉に、ヴァレンティナの眉が小さく寄る。
「いえ、ランゲ女官長。この方は、女性です」
「ええええ?!ホ、ホントですか、リッター様。なんてゆーか、佇まいからして女っぽさがあんまり……」
年配女性の横にいた、同じく黒いお仕着せの赤髪の少女が仰天した様子で叫ぶ。と同時に、自分に似た顔の二人ほども、目を丸くしてこちらを凝視してきた。
ヴァレンティナは軽くため息をつく。女かと疑われるのは、いつものことだ。女性は皆、肩よりも長い髪が当たり前の世の中で、男と同じ短髪にしていることが主な原因だが、そもそも、自分は普段の振る舞いも男性然としている。仕方がない話だ。これは、幼少の時分に故郷を追われ、過酷な旅をする過程で“少年”の振りを続けた結果ではあるのだけれど。
とはいえ、ヴァイスベルグで落ち着いた暮らしを始めてもう数年経つ。もはや男の振りをする必要は無い。無いのだが、長年の習慣は簡単に抜けないし、長ったらしい髪やヒラヒラした女物の服で生活するより、男物の服を着る方が楽なのでなかなか変えられない。住んでいる村でも、恐らく親しい人間以外には男だと思われている……のではないだろうか。
「確認されますか?」
男と勘違いされることに対して仕方ないという気持ちがあるので、さして気にせずさっさと上着を脱ごうとしたら、女官長と呼ばれていた女性が「結構です」と冷ややかに告げた。
「リッター殿の言を疑いはしません。それより、貴方。女性だと言うならば、男性のいる前で軽々しく肌を晒そうとしてはなりません!」
怒られてしまった。
「はあ。あの、すみません」
「謝る必要はないでしょう。……さあ、時間は有限です。さっさと話を進めますよ」
* * *
ヴァイスベルク公国の外れにある小さな村役場に、立派な身なりの騎士が訪れたのは、昨日のことだ。
臨時職員補佐のヴァレンティナ・アルバ・ディアスは、奥の机で予算案の修正を行っていたのだが、騎士と何やらやり取りをしていた村役場唯一の職員・ボリスから「おーい、ティーナ!こっちに来てくれ」と呼ばれて立ち上がった。
ボリスは職員だが、計算が少々苦手だ。そのせいで、数字が絡んだ申請のたびにヴァレンティナが呼ばれる。
なので、(この村には不釣り合いな)騎士の用件も、そういった類なのだろうかと思ったのだが……受付窓口に行くと、厳しい視線で騎士から睨まれた。悪事を働いた覚えはないが、もしかして、牢屋にでも引っ張られる案件だろうか。不安が胸をよぎる。
「君が……ヴァレンティナ・アルバ・ディアスか」
「はぁ。そうっすけど」
容疑は分からないけれど、とりあえず、悪いヤツじゃないですよ?というように、愛想良く微笑んでみせる。
騎士は、ますます眉を寄せて、ヴァレンティナを上から下までじっくり眺めた。
ヴァレンティナも、無礼にならない程度に騎士を観察する。かなり背が高い。赤鋼色の髪、銀灰色の鋭い瞳。右眼の横には古い傷があって、端正な整った顔立ちに一筋の不穏な気配を宿している。動きにスキがなく、かなり腕も立つようだ。
騎士は、ふう…と息を吐いた。
「私は、アロイス・リッター。貴殿でなければ出来ない仕事がある。一緒に、公都まで来てもらおう」
「は?」
「期間は二ヶ月。報酬はきちんと出すので、今すぐ支度をしなさい」
* * *
ヴァイスベルク公国の、公宮の片隅。色とりどりの花が咲き乱れる東庭園の中に、美しい造りをしている小さな離宮がある。その中の一室で、奇妙な企みが今、始まろうとしていた。
「公女殿下の影武者ですか……?」
五つ並ぶ同じ顔のうちの一人が、戸惑ったように呟く。
女官長のベルタ・ランゲだと名乗った年配のお仕着せ女性が、「そうです」と短く答えた。
「え、でも五人も?」
「出来るならば、十人ほど集めたいところですが、とても無理ですので」
そりゃ、年齢的に近い同じ顔を十人も集めるのは、ほぼ不可能だろう、とヴァレンティナはこっそり一人ごちる。そもそも五人も集められたこと自体、奇跡ではないかと思う。
「ともかく、貴方達には、まず一ヶ月半で、完璧な公女殿下の影になって頂きます」
女官長のきっぱりとした宣言に、ヴァレンティナは、隣の自分と似た顔と、同じように眉をひそめて互いに見合わせた。
―――ヴァイスベルク公国公王ライモンド・ワルデン・ヴァイスベルクの長女、ソフィア・シャルロッテ・ヴァイスベルクは、今年、十七歳だ。美しい金の髪と神秘的な翡翠色の瞳を持つ。
公王には、正妃と側妃二人がおり、子供は十人。全員、娘である。なので、ソフィアが婿をとり、次代の公王となることが決まっている。
が。
十日ほど前、隣国のグランバルト帝国が、そのソフィアを皇太子の正妃に、と突然要求してきたのだという。
「なんでも帝国お抱えの魔導師が、公女殿下は皇太子の運命の相手だと言い出したらしく」
ヴァイスベルク側へ事前の打診無く、“赤の月の始めに迎えを行かせる”と一方的に通告してきたそうである。あまりにも強引な話だ。一応、二ヶ月弱ほどの準備期間は設けてくれたようだが、それでも国と国の婚姻としては(そもそも打診すら無いのだから)、圧倒的に短かすぎる。
とはいえ、ヴァイスベルク公国は小さい。巨大な帝国に逆らうのは、無理だ。否と返答すれば簡単に潰されてしまう。
しかし、このやりようは、帝国の威光を笠に着た、余りにも傲慢な行為である。
特に、当事者の公女殿下は、腹に据えかねたようだった。
「わたくしが、皇太子の運命の相手ですって?そういうのならば、是非、その証を見せて頂かなければ」
そう言って、即座に自分の影武者を集め始めた。
“運命の相手”というならば、影武者の中から自分を見分けてみせろ、という訳である……。
公女殿下の気持ちは分かる。分かるが……そんな喧嘩を売って、大丈夫なのだろうか。しかも……公女は、影武者にすべてを任せることにして、自身は雲隠れしたのだという。はっきり言って、それは、帝国相手に詐欺を働くようなものである。そんなことをするくらいなら、普通にお断りする方が断然マシな気がする。
「あのー、公女様がおられないと、公女様がどんな方か、全然わからないのですが」
説明を聞き終え、ヴァレンティナの隣に座る影武者の一人が、おずおずと手を挙げて尋ねた。
すると、その隣の影武者が答える。
「わたくしと、この者(と言って、更にその隣を指す)は、元々、殿下の影を務めています。わたくし達を見本にすれば、問題ありません」
なるほど。
公女殿下には、すでに影武者が二人、存在していたらしい。
「でも……、帝国の皇太子様相手に本物の公女様のふりだなんて、不敬だと処罰されないのでしょうか」
「大丈夫です」
この質問には、女官長が答えた。
「そもそも、帝国側が了解していなければ、この計画は実行出来ません」
「あ、了解しているんですか……」
「公女殿下のお輿入れ前に、皇太子殿下本人が我が国にきて、公女殿下を見分けるそうです。このやり取りのおかげで、お輿入れ予定が当初より一月遅れることになりましたが」
静かに説明する声は、しかし低く、微妙に険がある。女官長も、帝国には思うところがあるらしい。
しかし、一方的に婚姻を進めた帝国側が、この計画を承諾しているとは意外だ。公国側が多少は納得出来るよう配慮したのか、それとも“運命の相手”は簡単に分かるということか。
それ以前に、王侯貴族は政略結婚が当然の世界で、“運命の相手”とは、一体どういうことなのだろう。いわゆる、恋愛的な意味ではなく、国の問題や危機を救うような、何か大きな運命とやらを指しているのだろうか。
帝国側の意図は分からぬままも。
以上のような次第で。
高額の良い仕事だと有無を言わさず公宮へ連れて来られたヴァレンティナは、ヴァイスベルク公国の公女の影武者を務めることになったのだった。
完璧な公女の影武者になるための修行に一ヶ月半。そして、皇子の“運命の相手”探しに二週間。計二ヶ月の“お仕事”だ。
少々強引な設定で話が展開しましたが、このあと、少しずつ、その辺についての理由も明らかになっていく…予定です。