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挨拶

この話はこの一話だけで終わりますので、どうぞ時間があるときに

 八月十三日


 それは盆の休みの日のことでした。私は祖母が一人で住んでいる山の麓にあります半世紀より前に建てられた家へと向かいまして、そこで一泊する予定でありましたので、幾らかの漫画と三冊の小説(檸檬と雪国、それから津軽)、ついでに二冊ほど勉強本を持っていきました。勿論私は現代人ですのでスマートフォンとイヤフォンも忘れずに。

 それで、昼の弁当を食べ終えてから三時間弱が流れた時、私は元来ゆっくりできない性分でしたので、先程述べました本の内からギリシャ神話についての本を選んで、昔に曾祖母が使っておりました部屋の一角に置かれている机の上にノートと一緒に広げまして、多色ボールペンでノートをとっておりました。するとそこに「お墓参りに行くよ」と祖母だか母親だかが声をかけてきまして、あゝ、丁度一区切りついたのだから、それに、近頃は行けていないものだから行こうと思いまして、玄関を開けますと、どうやら記録的な大雨が九州を中心に降っているようでして、その影響でしょうか、此方でもザァザァと鳴る程ではないにしても降っておりまして、ビニール傘を差して向かいました。

 コンクリートから石と土むき出しへと変わる階段を上りまして、一本道の左右の方に墓が並んでいまして、その最奥に一人の老いた男性が紺の傘を差して前かがみで何某かのお墓の前に居りましたものですから、私は盆という時分というのと、雨の降る俗世と隔離された空間というのも相まって、何か霊であったり仏であったりと、私の外には見えないものだとさえ思って、見るのをためらわれてしまって、もう眼前の私の祖先の墓に集中しようとした時、母親が「こんにちは」と声をかけてしまいまして、彼方も会釈をしてしまったものですから、あゝ、あの人は生きている人なのか、と落胆のようなものが胸中に生まれてしまったのです。

 ちゃっちゃと私の祖先へ手を合わせまして、何を言えばよいか分からなかったものですから、というよりこの家に来た時分に挨拶を済ませてしまったものですから、さっさと済ませて、それから祖母が「南無阿弥陀~」と言い終えるのを待ってから、未だその場に男性が留まっておりましたので、ほんの少しだけ会釈をして戻っていきました。


 今思えば稀な空間に呑まれていたのやも知れませんが、あの時母が挨拶をしなければ、あの人が会釈をしなければ、あの人は屹度神聖な、将又不可思議な存在であったのになと思ってしまうのでした。





 八月十四日


 先日のこともありまして、先刻より窓の外に見えます山に霧がサァとかかっているのもありまして、外に出ようにも雨は一向に止みませんし、私の従兄弟が来たのもあってにぎやかになったものですから檸檬も先刻、本当に半時間程前に買ってきましたラヴクラフトの詩集(インスマスの云々とやら)を読む気にもなれなかったものですから、こうして再会を嬉しむ女性達の声なんぞを聞きながら先日と同じペンでこうして文字を書いている訳なのですが、どうしてこう、田舎というのは面白いところなのでしょう。いつもの自分でしたら動画であったりゲームをしていたりとするものですから、娯楽にも物にも困ってはおりませんし、何なら今でもフッとあの小汚い、情報や娯楽だらけの今書いております部屋より幾分か狭い空間が恋しく思いますが、それでも右をふと見れば今も姿を変えます自然が見える部屋が、と言いますかこの辺り一帯が、私という人間の一種の故郷であるように感ぜられまして、何とマァペンが進むものですから、若しこの家に誰も住まなくなりましたら私が奪ってやろうかしらと思うのですけれど、十余年とインターネットのある、充実した場に身を置いていたものですから、中々に踏ん切りがつきませんし、ここ五年程度は今住んでいます祖母も此処を離れないでしょうから、奪うには相当頑張らなければならないのでしょうか。

 先程行ってました本屋にての話なのですが、私の探していた漫画ですとか小説の類は見つかりませんでしたので、一冊の漫画だけ買って帰ろうとしておりました。そこでいつもの私の習慣のようなもので最後にと本棚を一通りぐるりと見て回っていましたところ、夏の特集のようなことをやっていました本棚にて見覚えのある単語がパッと目に入ったものでして、「ん?インスマス?聞いたことあるぞ?」と一種のデジャビュを感じまして手に取ったところ、それが先程言いましたH.P.ラヴクラフトのインスマスの影であったのです。

 これは良い出会いだ。と買いましたところ、思ったより値が張ったものですから捻出して、そうして買ったのですけれど、これでまた部屋に見ていない本が増えると思うと少し気が病んでしまいますが、ここは一つ、私の愛情と言いましょうか、そのようなものが上回りまして、嬉しさが零れているのです。

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