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拝啓、未来の母へ 〜冬ちゃんの贈り物〜

作者: いつみゆう



「お母さん、今日も遅いな」


 冬美は雪化粧した岩手山が見える滝沢市の小学校に通う女の子で、来年小学4年生になります。

 冬に産まれたから、冬美。みんなからは"(ふゆ)ちゃん"と呼ばれています。


 冬ちゃんは家で一人、お母さんが作り置きしていた夕御飯をレンジでチンして、それを食べ終えて、暖房が効いた暖かい部屋でお母さんを待っていました。


 お父さんはいません。なので、冬ちゃんはお母さんと二人で暮らしています。

 お母さんは、お父さんは遠い所に行ってしまったと小さい頃から冬ちゃんに言い聞かせていたけれど、冬ちゃんはお父さんは帰って来ない事を知っていて、それでいてお母さんにワケを聞く事もありませんでした。


 いつも、慣れなきゃいけないことだから、と自分に言い聞かせて、寂しい気持ちを抑えて今日もお母さんを一人で待ち続けます。


 今日は、いつもと違っていて、寂しい気持ちと共に期待で胸を膨らませていました。


「お母さん、喜んでくれるといいな」


 今日はお母さんの誕生日で、冬ちゃんはお母さんに贈り物を用意していました。

 お母さんは老人ホームで介護士として働いていて、忙しい日々を送っていました。

 そんなお母さんの手は、乾燥していて、"アカギレ"の傷が指のシワに沿って数本出来ていました。


 冬ちゃんはこの日の為に少ない小遣いを貯めて、薬局の商品の中でも一番高い、お花の匂いのするハンドクリームを用意していました。


 早く渡したくて、渡したくて、両手に包むように握っていたので、ハンドクリームは冬ちゃんの体と同じ位に暖められていました。

 今か今かと待っていたその時、玄関の鍵とドアが開く音が聞こえました。


「お母さんだ!」


 冬ちゃんは玄関に向かって冷たい廊下を裸足で走っていくと、玄関にはクタクタに疲れた顔をしたお母さんがいました。

 それは、いつも通りの事でした。ですが、今日はいつもと違う事があったのです。


「お母さんお帰りなさい!あのね……」

「ごめん、後で、ね」


 お母さんはいつもだったら、どんなに疲れていても帰って来たらすぐに学校での出来事を笑顔で聞いてくれるし、今日1日頑張ったごほうびに冬ちゃんの頭を撫でてあげていたのですが、今日は"何かが"あって疲れているようで、それが抜けていたのです。


 それでも、冬ちゃんはプレゼントを渡したい一心でお母さんに話しかけます。

「お母さん!」

「……だから後で……あ、こら!冬ちゃん!どうしてお皿を洗っていないの!?」


 お母さんの表情が怒ったキツネの様になりました。自分で食べた分の食器は自分で洗う、というのが冬ちゃんの家のルールでした。

 冬ちゃんはプレゼントを渡す事にすっかり気をとられてしまっていて、テーブルの上に食器を出しっぱなしにしてしまっていました。

 お母さんは冬ちゃんの様子を見るなりまだ続けます。


「あと冬ちゃん、宿題は済ませたの!?お風呂は!?」

「ま……まだだけど……でも聞いて!」

「もう!何やってるのよ!いつもだったらちゃんとやるのに今日はどうしたの!?」


 お母さんは冬ちゃんの言う事を無視して冬ちゃんを叱り続けました。冬ちゃんはお母さんの誕生日を祝うつもりでずっと待っていたのに、怒られてしまって悲しくなってしまいました。


 冬ちゃんの眼にはどんどん涙が貯まっていきます。そしてとうとう……。


「お母さんひどい!ずっと待ってたのに!もうお母さんなんか知らない!」

「……"いけない"。"違うの"」


 お母さんはそう呟きました。しかし、冬ちゃんはお母さんの顔を見ることもなく、自分の部屋のドアを勢いよく開けて、自分のベッドに飛び込んで布団に潜り込みました。

 冷たい布団の中には暗い闇があり、そこにあるのは自分の頬をつたっていく暖かい感触があるだけ。


 冬ちゃんは暫くの間、布団の中で丸くなっていました。どれ程の時間がたった事でしょうか。

 布団の外から声が聞こえます。それは、小さな男の子の声。


「お母さん起きて!お腹空いたよ!」

「え……」


 布団から起きると、既に朝になっていました。窓の外には雪が積もっていて、雪が朝陽を反射させていて、冬ちゃんの眼に射し込みます。


 眩しさで手で目を覆おうとした時、妙な事に気が付きました。


「"手が大きい"?え!?私、大きくなってる!?」


 大きな手と大きな体。冬ちゃんは大人になっていたのです。

 何が起きているのか冬ちゃんは理解できません。男の子はため息をつくと、冬ちゃんに言いました。


「何言ってるの?お母さんは最初から大きかったじゃないか。寝ぼけてないで、朝御飯作ってよ!お父さんも待ってるよ!」


 男の子はそう言うとお母さんの部屋から出ていきます。

 男の子が出ていった時、冬ちゃんの記憶がよみがえりました。


 自分の年齢。自分の生い立ち。自分の人生。


 そして時計を見るなり、"冬美さん"の血の気が一気に引きました。


「いけない!大寝坊だ!」


 冬美さんは飛び起きて、朝御飯の支度を始めます。


 お父さんはスーツに着替え終わっていて、朝御飯を待っていました。そして、男の子と同じように言います。


「おい。朝御飯はまだか」

「はいはい。今作るから!」


 男の子も一緒に。


「お腹すいたーー!!」

「ごめんね!今急いで作るから!」


 冬美さんは朝御飯を作りながら、自分の身支度も整えなければいけません。

 もー大変。朝からとても大忙し。お母さんの1日が始まります。


 朝御飯の準備、男の子の幼稚園の準備。これだけでは終わりません。

 その後に急いでお茶碗とお皿を洗ってお父さんを見送った後に、今度は自分が仕事に行く為の準備を済ませた上に、男の子を幼稚園まで車で送っていかなければなりませんでした。


 その間、男の子はまだかまだかと催促を促すばかりで、冬美さんの心は休まる暇もありません。


 そして時間が過ぎていき、気が付けば冬美さんは男の子が通う幼稚園の前にいました。

 男の子は幼稚園の先生に笑顔でかけよっていきました。その姿を見て安心したのも束の間、今度は自分の番です。


「あー忙しい!今度は病院にお仕事に行かなきゃ!」


 冬美さんは病院で看護師のお仕事をしていました。病院には先生の診察と冬美さんのお注射を待っている患者さん達が大勢いるはず。冬美さんは急いで自分の車に戻って仕事に向かいました。


 冬美さんの予想通り、病院は大忙し。冬の寒さのせいで風邪をひいた人たちが待ち合い室を埋めつくしていて、その内半分は子供連れの親子でした。


「痛くないよー平気だよー」


 チクリ。


「……うわーーん!!おばさんなんか大嫌い!!」

「おばさん……ご、ごめんねー!痛かったねー!よく頑張ったねー!」


 子供は皆、お注射が大嫌い。皆、泣き叫んで冬美さんの顔を鬼を見るかの様に泣きながらにらみます。そしてその度に、冬美さんの耳と心がちぎれ落ちそうになりますが、それでも冬美さんは子供達の為に笑顔を絶やしません。


 今日は夕方までこの調子。冬美さんはクタクタに疲れていました。


 しかし、仕事はまだまだあります。今度は帰りにスーパーによって買い物をした後、幼稚園に男の子を迎えに行って、お風呂を沸かして、晩御飯を作った後に、家族の明日の準備をしなければなりません。


 冬美さんは自分の頬を両手で叩くと、雪の中を歩いて駐車場まで向かうのでした。


 家に帰り暫くの時間が経ちました。男の子は元気に家の走り回り、お父さんはビールを飲んでいます。

 冬美さんは"アカギレ"の痛みをこらえてお茶碗を洗います。


 お茶碗を洗い終えてふりかえると、部屋は男の子が散らかしたおもちゃでいっぱいになっていました。


 その時、冬美さんの我慢は限界を迎えてしまったのです。


「こら!なんでいつもおもちゃを出しっぱなしなの!」

「いーじゃん!お母さんはうるさいなあ!」


 わんぱくな男の子はおもちゃを冬美さんに投げつけました。冬美さんは更にかんかんになり、お部屋のなかは冬美さんの怒鳴り声と男の子の大声で妖怪大戦争となっています。

 お父さんはただ、その様子を笑って見ているだけでした。


 冬美さんはとうとう、男の子に向かってこんな事を言ってしまったのです。


「もう!あなたなんか大嫌い!!」


 男の子の顔が一気に赤くなりました。目に涙を貯めて叫びます。


「うわーーーん!!」


 冬美さんは、はっとしました。そして、心の中に浮かんだのは、あの言葉。

 冬美さんのお母さんが呟いたあの言葉。


『いけない。違うの』


 それを言おうとした時には男の子は大声で泣き叫んでお父さんの胸に飛び込んでいました。お父さんは男の子の頭を撫でて、冬美さんに優しい笑顔を向けてこう言いました。


「冬美お母さん、今日もお疲れ様。俺とこの子の明日の準備は自分でやるから、今日はもう休んでいいよ」


 冬美さんはクタクタに疲れて寝室に向かい、倒れ込むように布団に入った後に、布団に潜って考えていました。


 どうしてあんな事を言ってしまったのだろうか。

 疲れてつい、言葉に出してしまって言ってしまったこと。


 冬美さんは、本当は男の子の事がとても大好きで、いつも立派に大きくなってくれる事を考えていました。

 いつか我が子が大きくなって一人の立派な大人になることをいつも夢見ていました。

 冬美さんは、一人の大人であり、一人のお母さんです。


 我が子の事が嫌いな親なんて、一人もいないのです。


 冬美さんは泣いていました。そして、自分のお母さんの事を思い出して、呟きました。


「……あの日、お母さんも、こんな気持ちだったのかもしれないな」


 その時、冬美さんはパジャマのポケットに何かが入っているのに気が付きました。

 それはポケットの中には冬ちゃんが買った、あの、お花の匂いのするハンドクリームでした。

 冬美さんは思い出しました。まだ、やっていない仕事がありました。


「いけない。まだ、お母さんにありがとうって言ってない。"贈り物"、渡してない!」


 その時、布団の中がまばゆい光でいっぱいになり、冬美さんは目も開けていられなくなりました。

 そして、体が光にぐんぐんと吸い寄せられていくのが分かります。


「……お母さん!」


 冬美さんは吸い寄せられる光に向かって大きな声で叫びました。

 そして光がどんどん小さくなっていき、また、暗闇の世界に戻りました。


 暗闇の世界には、ほのかに味噌汁の匂いがしました。

 匂いに気付いて飛び起きると、そこはいつもの朝でした。窓の外には雪が積もっていて、雪が朝陽を反射させていて眼に射し込みます。


 眩しさで目を覆おうとした時、気が付きました。

 自分の手と体が小さくなっていたのです。冬美さんは、冬ちゃんに戻っていました。


 冬ちゃんは暫く誰もいない部屋の中をぼーっと見渡して、自分がどんな夢を見ていたのかを忘れてしまった頃にようやくベッドから起きました。


 ダイニングに向かうと、お母さんはもう仕事に出掛けていましたが、テーブルの上には朝御飯。そしてストーブの横にはランドセルと今日の分の着替えが置いてありました。

 そして、着替えの上には一枚の手紙があります。


 手紙には、『昨日はごめんなさい。お母さんは冬ちゃんの事が大好きだよ』とだけ、書かれていました。


 冬ちゃんは時計を見て、血の気が引きました。


「あ!いけない!大寝坊だ!」


 冬ちゃんは急いで食事と学校に行く支度を済ませました。


 準備が出来て、ストーブを消して学校に行こうとした時に、また思い出しました。


「今度は忘れちゃいけない!」


 急いでテーブルの上に手紙を書いて、手紙の上にお花の匂いのするハンドクリームを置いて冬ちゃんは家を飛び出していきました。


 手紙には『誕生日おめでとう。あと私、ちゃんと大きくなるから。時間はかかるけど、それまで待っててね』 


 大人になること。大きくなること。幸せになること。

 これが、冬ちゃんの現在と、未来への、お母さんへの贈り物。



 お母さんは毎日疲れているはず。キレられても、当たられても、分かってあげよう。ちゃんと親の為に大きくなろう。


 と、昔の自分に言いたい。20年越しにやっと分かった親の気持ち。遅すぎました(笑)。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ほっこりしました! [一言] 素敵なお話を読ませていただきありがとうございます。
2023/07/29 21:42 退会済み
管理
[一言] 冬美ちゃんの気持ちも、冬美ちゃんのお母さんの気持ちも、大人になった冬美さんの気持ちも、全部わかるぞ〜と叫びたくなってしまいました。みんなそれぞれの事情でいっぱいいっぱいなんですよね。 子ど…
[一言] 同じ立場になってみないとわからないことってありますもんね。 自分が子を持ってようやく親の気持ちがわかってもいいと思いますの。 これから親孝行するのも、昔話に花を咲かすのも、楽しそうですよね…
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