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【エッセイ】

コンテンポラリーな病


ベッドの上で横になってみるも、眠れる気配はまるでない。



自然と脳が生み出したる電気信号が、辿り着いたニューロン同士の結合たるや。自身に本日降りかかった災事について頭を巡らせてみたり、自らの行動の反省点を洗い出してみたりなどという、さして必要とは思えない自満の時間に浸る。



眠れないに、脳はフル稼働し、日中の業務中よりも頭冴えたるは妙なりと評価する。



夜眠ることが出来ないのは、弛んだ顔立ちを気にするが故の、若気を至りに至ってしまった男の悲しき性から生まれた【夜はご飯を食べない】なる、気合を資源とするダイエット法のせいであるからして、頭冴えたるもこれが原因の一である。




さて、話は変わるが、本日は春の心地よい外温と、桜の八分ほど咲きたる趣きで、非常に稀な【善き一日】を演出するに十分であった。



しかし、そんな春の兆しには一瞥を返すのみで、会社へ向かう道中も、会社からの帰り道とて、好きな音楽をヘッドフォンから摂取して、スマートフォンの画面をじっと見つめながら、お天気様がせっかく我々にお与えになった【ご褒美】を無下 にしてしまう男がいたのだ。



そう、私だ。



春らしい陽気には一切そぐわぬ、現代社会の闇。コンテンポラリーな病を抱えたる、欠陥した人間。感性などと言うものをこれっぽっちも持ち合わせぬ獣以下の存在。



そう、私だ。



しかし、すこしばかり自分に対して言い過ぎてしまった。これでは自己への夢想的な期待心が崩れ、日々を生きるのがより苦しくなってしまうだろう。大丈夫、心配するな私よ。君には良いところが沢山あるぞ。



何故なにゆえに私は、本日の春らしい陽気を享受することなく、一日を終えてしまったか。精神的な老いを疑うも、考えてみれば、昔から美しい風景や、季節感の見える様態に興味をさほど示したという記憶はない。



寧ろ現在、自らで少なからずも窮屈な思考を巡らせたるは、新鮮な類の恐れを源としているのであり、また、社会とのズレを認識することで、自分が他より劣っているのではないかという焦りを覚えてしまっている訳で、これはもしかすると僥倖と言えるものかもしれない。



これは、成長痛。狭い鳥巣の中に鎮座し、素晴らしき外界へと飛び立つことを知らなかった雛鳥が、

ようやくその小さな翼を忙しく動かして、大空を翔る。



そう、この雛鳥が私だ。




こんなくだらないことを考えているうちに頭は心地よい疲労感に包まれてきた。



そろそろ眠れそうだ。








それでは、皆さま。また明日。









コンテンポラリーな病 -終-


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