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異世界転生できない異能者たち(仮)  作者: 影月深夜のパパ(仮)
5/5

5抱擁

 

 石段を下りたところで、先に出たはずの播磨さんが、黒いワゴン車に寄りかかって煙草を吸っていた。


「鏡花ちゃん大丈夫だったか?」と彼は聞いた。


「うん。もうなんともないみたい。今、霧島さんのとこでシャワー借りてるよ」


「霧島のとこって、ああ、そういやあいつ今はここの神主やってるんだっけか。こんなところに暮らしてたら浮世離れしそうなもんだけどな」

 まあ、俺たちが言えた義理でもないか。吸った煙草をアスファルトに落として、靴で踏みつける。

「周りの人間からすりゃあ、こんなところで変なことやってる俺らも、大差ないだろうな」



 俺はさっき出来事を思い出す。鏡花になんら声をかけることなく、天照院は本殿から出て行いき、霧島さんは慌ててその後を追った。それはイレギュラーな出来事だったのだろう。その場にいる誰一人として、状況を飲み込めていないようだった。重苦しい空気が後に残る。

 それで儀式は終わりとなった。係長は霧島と話をしてくると言って立ち上がり、播磨さんは俺に鏡花のことを任せて本殿を後にした。

 立てるか、と俺は鏡花に聞いた。

 鏡花はなんとか頷く。

 巫女装束は汗でぐっしょりと濡れていた。肩を貸して外に出たものの、それ以上は動けそうもなく、一度手洗い場の横の日陰に座って、落ち着くのを待った。鏡花は俺に抱きつく格好で、しばらくじっとしてした。彼女の熱い吐息が俺の首元を湿らせた。ときたまどこかから吹いた風が俺たちの身体を撫でていった。その間、お互い無言だった。なにをするべきか分からず、彼女を抱き寄せることしかできなかった。彼女の身体を抱きしめるのは、そのときが初めてだった。抱きしめてみると、その身体は俺が思っているよりもずっと小さく、痩せていた。

「なあ、大丈夫か?」

 途端に不安に襲われて、俺はそう聞いた。

 鏡花は顔を上げる。そこには今にも泣き出しそうな女の子の顔があった。いや違う。それはどう見ても鏡花の顔なのだが、あまりにも見慣れない表情は俺を混乱させた。

 鏡花は顔を寄せると、俺の頬に自分の頬をくっつけた。

 囃し立てるような蝉の声が絶え間なく降り注ぐ。太陽と土と鏡花の匂いがした。それは起き抜けに見る夢のように儚く、抽象的だった。

 どれくらいの時間そうしていたのだろう。分からない。十分かもしれない。一時間かもしれない。非現実的な出来事と、くらくらするほどの暑さが時間の感覚を奪ってしまったのだ。

 やがて鏡花は一人で立ち上がった。柄杓を使って手を洗い、口をすすいだ。


「立っても平気なのか?」と俺は聞いた。


「かおるは私の心配ばかりしていますね」

 いつの間のか、その顔には笑みが浮かんでいた。もちろん、それは相当無理して作ったものだろうけど、彼女の笑顔は俺を安心させる。


「鏡花が心配ばっかさせんじゃん」


「私はなにがあっても大丈夫ですよ。絶対に大丈夫。いつもそう言っているでしょ?」

 その通りだ。鏡花はなにがあっても折れないし、弱音を吐くこともない。彼女は強いのだ。俺なんか比べ物にならないぐらい。そのことは、一番そばにいる俺がよく知っている。



「とりあえず、鏡花ちゃんが下りてくるまでは車の中で待ってろよ。こんなとこに突っ立ってたら熱中症になっちまう」

 播磨さんにかけられた声で、はっと我に帰る。


「あれ? 俺、鏡花と用事あるって言わなかったっけ?」


「聞いたよ。だから、タクシー代わりになってやるって言ってんだよ。どこへでも運んでやる」


「いいの?」と俺は驚いて聞いた。「だって、早く帰りたいんじゃないの?」


「いいんだよ。どうせ帰っても、やることなんてないんだ」


 ありがとう、と俺が言うと、やめろよと面倒臭そうに手を振る。

 俺たちはしばらく待っていたが、鏡花はなかなか戻って来なかった。その間、播磨さんはガムを噛みながらラジオを聞き、俺はスマホでぽちぽちとゲームをしていた。しかし、それにもすぐ飽きてしまい、車内に流れるラジオに耳を傾ける。コメンテーターは送られてきた手紙を一つ一つ読み上げていた。送り主は学生が多く、その内容は恋人についてや、勉強についてばかりだった。その一つにこんなものがあった。


『今年、高校に入学し三か月が過ぎようとしています。しかし、うまく話ができない僕は友だちを作ることができません。八月の上旬には夏祭りもあります。秋には学園祭も控えています。それまでにはなんとしても友だちを作りたいのですが、何か良い方法はないでしょうか?』

 俺は小さく笑う。まったく贅沢な悩みだ。


 三十分ほどして、私服に着替えた鏡花が、小走りに階段を下ってくるのが見えた。

 窓から身を乗り出した播磨さんが声をかける。

「よぉ、結城のお嬢さん。いやあ、長いこと待たされたぜ」


 鏡花は足を止めて、不愉快そうに目を細める。

「久しぶりですね。播磨」

 聞こえてくる彼女の声はそっけない。

「別にあなたは待ってなくても良かったんですよ。それとも、何か用事ですか? それなら手短にしてくださいね。私、これからかおると買い物があるんですけど」

 鏡花はその場で周りを見渡して俺の姿を探す。


「話は聞いてるって。ほら、車に乗れよ。かおるも待ってるぜ」


 車内にチラリと向けられた視線に、俺は手を振る。しばらく考えた後に、彼女は何故かがっくりと肩を落とす。

「あぁ、そういうことですか」


「なんだよ。それとも、この暑い中歩きたかったのか?」


「お礼を言うべきなのでしょうね」と鏡花は不満気に言う。


「なぁに、気にすんなよ」


 隣に乗り込んできた鏡花は、播磨さんに聞こえない声で呟いた。

「おせっかい」


「なにが?」と俺は聞く。

 なんでもない、というように鏡花は首を振った。


 ワゴン車は市街へ向かって走り出す。

 鏡花は窓ガラスに頭を預けて、ぼんやりと移り変わる街の風景を眺めていた。その姿からは、本殿のときに感じた張り詰めた空気はすっかり抜け落ちていた。そこにいるのは真面目で、無愛想で、よくうとうと普段の鏡花で、俺は胸を撫で下ろす。


 交差点で赤信号につかまり、ゴキゴキと首を鳴らした播磨さんの視線が、ミラー越しに鏡花へ向く。鏡花はずっと、うとうとしたままだ。

「眠かったら寝てて良いんだぞ。着いたら起こしてやるからよ」


「こんなガタガタ揺れる車で眠れるわけないじゃないですか」と冷ややかに答える。

 ついさっきもそうだったが、鏡花の言葉はどこか素っ気ない。鏡花は播磨さんが苦手だっただろうか。二人が話しているところを思い出そうとするが、うまくいかない。カゲウチの家系同士だからと言って、必ずしも交流があるわけではないのだ。


「可愛げがないよなぁ」と播磨さんは肩をすくめる。


「余計なお世話です」


「なんだよ、ちょっとは成長したかと思ったけど。変わったのは見た目だけか」


「播磨だって変わりませんよ」


「俺が?」


「服から煙草の臭いがしますよ。禁煙するって、ずっと言ってるのに変われないじゃないですか。私、十回は耳にしましたけど」


「そのうちやめるさ」と播磨さんは快活に笑った。

 信号が変わり、車は動き出す。


 駅についた俺たちは駐車場に車を止めて、まず食事を取ることにした。

 播磨さんはラーメンを食べたいと言い、鏡花はラーメン以外ならいいと言い、結局、近場にあったファミリーレストランに入ることになった。休日の昼時ということもあって、店はだいぶ混み合っていた。部活帰りの学生と、子供連れの家族が目立った。ウェイトレスに席まで案内されながら、果たして俺たちは周りからどういう風に見えているのか考えた。しかし、うまくいかない。友達同士にしても、家族にしても、俺たちはアンバランスだ。


 ラーメン食いたかったなぁ、などとブツクサ文句を言いながら、播磨さんはハンバーグステーキを頼んだ。俺はペペロンチーノを頼み、鏡花はかなり迷った末に俺と同じものを頼んだ。

「そんなにラーメンが食べたいなら、一人で食べてくればいいじゃないですか」と鏡花は睨み、怖いねぇと播磨さんは身を引く。


「鏡花ちゃんしばらく見ないうちに冷徹な人間になったのか? それじゃあ、かおるも気苦労が絶えないだろうなぁ」

 播磨さんの視線をそっと受け流す。


「さあ、どうでしょうね」


 ちょっとお手洗いに、と鏡花は席を立ち、その後ろ姿を眺めながら、播磨さんは聞く。

「俺、なんか悪いこと言ったか?」


 しばらく考えるが、まったく答えは出てこない。


「播磨さんが煙草やめてないからとか」


「まさか」


 播磨さんはすぐにハンバーグステーキを食べきり、それでも足りないからともう一つ頼んだ。鏡花はパスタを半分残した。俺は自分の分と鏡花の残した分を食べ、いっぱいになった腹を撫でる。デザートを食べる気にもならない。播磨さんと学校のことやら、勉強のことやら、そういうどうでもいい話をしているうちに、店の前で並ぶ人が増え始めた。あまり長居するのも気が引けて、俺たちはすぐ店を後にした。代金は播磨さんが全て出してくれた。

「まあ、俺は働いてるからな」

 ありがとうございます、と鏡花は言う。どれだけ不機嫌でも、そういうところは礼儀正しいのだ。


 それから、鏡花の要望通り服屋に行き、俺と播磨さんもしばらくついて回ったが、やがて下着売り場に差し掛かり、俺たちは店の前で鏡花を待つことにした。また荷物を持つことになるのだろうな、と頭の中で考える。鏡花が買い物に出る頻度は少ないが、一度に両手で持ちきれない量を買う。そしてそのほとんどを素知らぬ顔で俺に押し付けて、自分は二軒目にくりだすのだ。彼女はある部分では気遣いができるのだが、ある部分ではとことん自分勝手でもある。覚悟して待っていたのだが、しかし出てきた鏡花は何も手にしてなかった。


「いいのか?」と俺は聞く。


「それほど気に入ったのがなかったんですよ」

 珍しいこともあるものだ。


「そんなら、さっさと帰るか」と播磨さんが言った。


 俺たちは商店街を駅に向かって歩く。先頭に播磨さんが立ち、俺と鏡花はその後ろに並んだ。鏡花は何も言わなかったし、その足取りもどことなく重かった。

「もしかして、具合悪い」と俺は聞く。


「え?」


「もしかして、さっきの舞の後のあれ」

 彼女の身体が刀に貫かれる光景がよぎる。胸を押さえて倒れる鏡花。鳴り響く蝉の声。立ち上がろうとする俺を止める霧島さん。そして、告げられる天照院の言葉。

 俺の深刻そうな顔を見て、鏡花は吹き出した。


「大丈夫ですよ。もうなんともないんです」と鏡花は笑う。「ただ、ちょっと拗ねてただけですから」


「拗ねる?」


 鏡花はふと、あるものに目を留め駆け出す。そして店の前のガラス張りのショーケースの中身を見つめた。背中越しに覗きこむと、そこには色とりどりのアクセサリーが並んでいた。鏡花は興味津々と言った具合だ。


「ほしいの?」と俺は聞いた。


「いや、別にそういうわけなじゃないんですけど」


 鏡花がそれでも離れずにいると、店の中から小太りの女性店員が出てきて、どんなものをお探しでしょうかと聞いた。言葉遣いの割には気さく口調だった。接客に慣れているのだろう。


「良かったら、店の中も見てみませんか? 要望に合ったものをお探ししますよ」


 鏡花がどうしようかと決めかねていると、戻ってきた播磨さんが見てこいよと彼女に言う。

「何にも買ってねえんだからよ」


 鏡花は素直に頷く。小太りのおばさんに「プレゼント用?」だとか、「じゃあどんな相手に渡すの?」だとか聞かれながら店内に入っていった。


「なんだかんだ言っても女の子なんだな」

 播磨さんは近くの自販機で缶コーラを二つ買い、片方を俺に手渡した。

 ひんやりと冷たい。俺は店の前で、商店街を歩く色々な人たちを眺めながら、ぼんやりとした気持ちでプルタブを開けた。きつい炭酸が喉を通り抜ける感覚が、熱い体には心地よかった。


「あのよ、ちょっと気になったんだけど」

 不意に播磨さんは聞く。


「ん?」


「もしかして、お前と鏡花ちゃんって付き合ってんのか?」


 俺はおもわずゴホゴホと咳き込む。

 俺と鏡花が付き合っている?


「なに言ってんの?」


「俺はお前たちが昔から二人で遊んでるのを見てきてるからなんとも思わなかったけどよ、でも二人とももう高校生じゃねえか。高校生の男女が一緒に買い物に行ってるのを見たら、普通の奴はカップルだって思うだろう」


「そんなんじゃないよ」

 俺は口元を拭いなが答える。

「別に鏡花とはそういう関係じゃないよ。幼馴染ってだけで、こうやって俺が買い物に付き合ってるのは、昔から遊んでた名残みたいなものだよ」


「俺には幼馴染とかいなかったからよくわかんねえけどさ」


「それにね、鏡花あれでも結構モテるんだよ。俺と同じで、友だちは全然いないけど、でも何度か告白されたって話も聞いたしさ。そういう気配がしないだけで、好きな相手ぐらいいるだろうし、もしかしたら他の誰かと付き合ってるのかもしれないし。俺が知らないだけで」


 ゴクゴクと、コーラを飲み干す。


「お前は鏡花ちゃんと付き合いたいとか思わないのか?」


 俺と鏡花が付き合う?

 そう言われて俺は考える。付き合いたいと思ったことはない。付き合っているところを想像しようとしてもうまくいかない。ただ、言われてみれば、混雑する電車に乗り込んでしまいドアのそばで身体をくっつけるときとか、傘を忘れた雨降りの日に鏡花に入れてもらうとき、そのせいで制服越しに透けた下着が見えたとき、俺は彼女を一人の女性として意識する。そうして決まって横顔に見とれてしまうのだ。ほっそりとした美しい顔。大きく形の良い胸。雨に濡れた姿は、息をのむほど艶っぽい。しかしながら、それに今更気付いたところで、すでに形作られた関係性を変えようという気持ちのにはなれない。


「一緒に長く居すぎたのかもしれない」と俺は答える。「確かにさ、女の子としてはすごい魅力的なんだけど、それ以上に俺にとっては大事な幼馴染なんだよ」


 播磨さんはしばらく考え込んだ後に、ぽりぽりと頭を掻いた。


「なんか鏡花ちゃんに悪いことしちまったな」


「どういう意味?」


「あの子はあの子なりに苦労してるってことだよ」


 播磨さんは一人で駅の方に向かって歩き出す。


「どこ行くの?」


「今日は暑いからなぁ。俺は先に車に戻ってるわ。お前、鏡花ちゃんとその辺ぶらぶらしてこいよ」

 俺が呼び止める間もなく、手を振りながら播磨さんは人混みの中に消えていった。

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