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007~008

[7]


 イザナミ。

 またの名を黄泉津大神、道敷大神と呼ばれる。

 日本神話のカミサマといえば、と訊ねられればこの名前かイザナギの何れかが出る――それくらい有名なカミサマである。

 日本神話における最初の夫婦とイザナギとともに呼ばれていることはあまりにも有名で――神道に詳しくない者でも知っていることだろう。

 イザナミが亡くなったあと、イザナギは彼女に会いにいくために黄泉の世界へ行った。

 そこで会ったイザナミの姿は現世で会った姿とはあまりにもかけ離れたものであった。

 イザナミは見られたことを憤怒し、逃げるイザナギを追った。

 千引の石で封じ込められたイザナミは血の涙を流しながら、離別の時を迎えたときに、こう言ったという。


「愛しい我が夫がそのようなことをするのならば、私はあなたの国にいる人間を一日千人絞め殺しましょう」


 対して、イザナギ曰く、


「愛しい我が妻がそのようなことをするのならば、私は一日に千五百の産屋を建ててみせよう」


 こうして、人間には寿命という概念が生まれた。

 そういう、昔話――いや、神話があった。

 それだけの話だった。






[8]


「イザナミ……だって?」


 その言葉に驚愕の表情を顕にしたのは彰二だけだった。他の人間は気付いていたのか、もしくはひどく落ち着いていただけなのか、その何れかは知らないが、その表情を変えることはなかった。


「そう。イザナミ。人の死を操るとも言われるカミサマのことよ。こんなカミサマがまさか人間に憑いているだなんて、まったく思いもしなかった」

「流石。いつ気が付いた?」


 イザナミは顔だけを彰二の方に動かして、呟く。


「正確には、タケミカヅチにその事実を言われて直ぐ」

「なるほど。ミカヅチ、やはりあなたが邪魔だった、と」


 イザナミは小さく呟く。


「……とはいえ、そう簡単に倒すこともできないわね。なにせあなたは鹿島神宮のカミサマ。祀られている存在なのだから。そう簡単に消せることも難しくないけれど、まず違和感は残ってしまう」

「カミを……消す?」

「カミサマというのは、信仰によってその存在を支えられている、ということよ。人間がカミサマの存在を知らなかったら、カミサマはカミサマで無くなってしまう。歴史だってそうでしょう? 例えば東洲斎写楽が発見されていなかった現代で、東洲斎写楽の話をしたらどう思う? それはおかしな存在だと認識してしまう。そしてそれを探そうと思う人もいるでしょうけれど、証拠が出ない限りは出鱈目だと思う。それが人間の性というもの」


 イザナミの言っている言葉は、心にとって理解しがたいものであった。当然といえば当然である。カミサマと人間の思考があまりにも違いすぎるということが、顕著として出ているのだ――と考えれば。


「ともかく、このことは消してもらうぞ」


 心はそう言って拳を握る。


「人間風情がどう戦うという?」

「少なくとも今ここにいるのは人間風情だけじゃあないさ。カミサマだっている」

「私と比べれば、格下の部類に入るカミサマが叶うと、でも?」

「やってみなければ解らないだろう」


 その言葉にイザナミは笑って、


「そうだ。それも道理だ」


 そして両者はお互いの方に駆け出した。






 戦闘が始まったとしても、心は想定内だった。寧ろこの展開を望んでいたのだった。

 この展開に入れば必ずイザナミを行動不能に陥らせることが出来る――そう確信していたからだ。

 では、どうすればいいのか?

 単純明快だ。答えはすぐそばに隠れていたのだから。


「……なあ、イザナミ」


 心はイザナミに問いかける。イザナミは疑問に思い首を傾げる。


「どうして、イザナミ、あなたはこの世界にいてられるのでしょうね? だってあなたは『よもつへぐい』をしたはずなのに」


 よもつへぐい。

 黄泉の国にある竈で煮炊きしたものを食することをいう。当時はこれを食べると現世に戻れないなどと言われており、実際問題、現世に戻ってきている者がいないのだから、これは正しいのではないかと言われている。

 だが、しかし。

 イザナミはここにいる。

 どうしてだろうか?


「ずっとあなたがどうしてこの世界に居られるのかが解らなかった。そして裏を返せばそれさえ解れば、何とかなると思っていた。それさえ解ってしまえばその鎖を断ち切ってあなたを解放することだって可能だったのだから」


 解放。

 無力化、ではなく。

 敢えて彼女はそう言った。


「解放、ね。それが出来ると思っているのか。私が、この私が、解放されるとでも?」

「その要因さえ特定出来ればもうあとは問題無いのだけれどね……さっきまでは」


 その言葉を聞いて、イザナミは眉をひそめた。


「簡単だったのよ。呆気なく、ここまでも呆気なく簡単すぎると思うと、もう笑いが止まらなくなってくる」


 そして、心はクスクス笑い始める。

 痺れを切らしたイザナミは訊ねる。


「それがどうしたっていうの? 私の弱点を見つけた、それは大いに結構。だが、本当にそれが私の弱点だと言えるのだろうかね」


 イザナミはまだ余裕を持っていた。

 その反応を待っていた。

 心は、そう呟き手を掲げる。

 しかし、何も起こらない。


「……何をしたというの?」

「まだ、気がついていないのかしら? あなた、自分の身体をよく見てみたら?」


 そう言われてイザナミは自らの身体を改めて見直した。

 そして、すぐにそれを理解した。

 彼女の指――正確には第一関節から先が消えていたのだった。そしてそれは侵食しつつあり、このままでは手が消えかねない状況となっていた。


「塩……!」


 イザナミは理解し、呟く。


「私はどうしてか知らないけれど、こういうものを寄せつけちゃう体質にあってね」


 心はそう言って、袋を取り出す。


「お陰でお清めの塩まで持ち歩いているくらいよ。それが役立つのはあまりにも少ない機会になっているけれど、まさか今回役立つだなんて夢にも思わなかった」


 わざとらしく、両手を上げる。

 イザナミは諦めたのだろうか、それは心には解らなかった。


「そうも言われてしまったら、私はどうすることも出来ない。まさか、ここまで効果のある塩を持ち歩いているとはね」


 ただの普通の塩なんだけれどね、とは言わなかった。

 ブラシーボ効果というものを知っているだろうか。

 例えば『この薬を飲めばどんな病気でも治る』という薬(実際はそんなことなどなく、ただの風邪薬などである)を服用させ続ける。このときただ服用させるのではなく、何でも治るという嘘の情報を真と信じ込ませて服用させなくてはならない。そういうことで本当に病状が快方へと向かってしまう。思い込みの力が状態を変化させてしまう――そんな意味である。

 今彼女が投げた塩はただの塩だ。

 お清めの塩など、何でもない。

 だが、『塩』というワードは実体無き者からすれば浄化作用のある『薬』である。

 さらにそれがお清めのためとなれば効果は倍増だ。

 彼女はそれを利用した。そうすることでブラシーボ効果を使う――いわばハッタリを咬ます考えだった。


「……こうなれば仕方あるまい。私はここを脱する。そして彼女は記憶を何もかも失っているだろう。流石に死んだ人間を生き返らせることは出来ないが……、どうにかしてもらうしかないな」

「それはこちらで何とかしよう」


 対して、それに答えたのはタケミカヅチだった。


「彼女……天地には非常に申し訳ないことをした。謝っても謝りきれないだろう。だが、私は私だ。私のしたことは正しくないことではないと、私自身が思っていない」

「確かに人間は増えすぎているからそういう作用も必要かもしれないけれど……唐突に『明日死ぬ』などとか言わせてしまうのは、夢見が悪い」


 心の言葉を聞いてイザナミは笑う。

 その表情はとても妖艶で、生前の姿はとても美しかったのだろうと思わせるほどだった。


「……まあ、いい。ともかく私は私のすることをやった迄だよ。そして彼女はいい身体として活躍してもらったに過ぎない」

「イザナミ」


 タケミカヅチが訊ねる。


「どうした?」

「もしイザナミが嫌でなければいいのだけれど……神界へ向かうのはどうだ?」


 神界。

 名前のとおりカミサマが住んでいる世界だ。天国とも地獄とも違う場所にあるとされており、カミサマのほかにカミサマに許された人間もいくらか住んでいるとされている、そんな場所だ。

 かつてイザナミもそこに住んでいたが、彼女が亡くなったことで黄泉の国へと向かい、そこで『よもつへぐい』を行ったことで現世へ戻ることもままならなくなってしまったのだ。


「……私は『よもつへぐい』をしてしまい、黄泉の国から旅立つこともままならないのだぞ?」

「だが、今あなたはここにいる。それは紛れのない事実だ」


 タケミカヅチの言葉に、イザナミは息を呑む。


「つまりだ。とっくにあなたの『よもつへぐい』の効果は薄れていたということだよ。もしかしたら未だダメなのかもしれないが……何れ神界へと戻ることも可能だろう。イザナギには僕の方から話を通しておく」


 対してイザナミは小さく頷く。


「本当に、申し訳ない」


 そう言って。

 イザナミはすう、と消えた。


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