その5
「た……助けてくれたの……? 盗賊のあなたが……どうして……?」
呆然とつぶやくロザリィに向かって、マッスルXは右手で瓦礫を支えたままの状態で重々しく口を開いた。
「《マッスル・オブリージュ》という言葉を知っているな?」
「……は?」
「『筋肉のある者には、か弱き者を守る義務がある』という有名な言葉だ」
(いや……初めて聞いたんですけど……)
内心突っ込みを入れるロザリィだったが、マッスルXは我ながら良いことを言ったとばかりに満足げにうなずくと、まるで筋トレをするかのように巨大な瓦礫を上下させた後、フン!と軽く部屋の片隅に放り投げた。
しかもその間、左腕が手持ちぶたさだったのか、せっせとダンベルカールをしている程の余裕っぷりである。
「それに俺は『盗賊』などではない」
そしてマッスルXは大胸筋を見せつけるかのように胸を反らすと、腰に手を当て昂然と言い切った!
「俺は『怪盗』! 物は盗っても人は傷つけぬ!!」
(……!)
それはダガーと称した大ナタを振り回していた男の言うセリフではないような気もしたが、しかし良く見てみれば衛兵達も吹き飛ばされはしたものの、実際に切り傷を負っている者は一人もいなかった。
そして自分もまた3度敗れたものの、直接的には何の危害も加えられていない。まぁ2回ほど酷いセクハラはされたけど……でも何より、自分のことを本気で殺そうとしていた私を、この男は身体を張って守ってくれた--
しばらくの間、昂然と胸を張るマッスルXの姿を無言で見上げていたロザリィの口から、やがてぽつりとつぶやきが漏れた。
「私のお父さんは盗賊に殺されたの……」
そう言うと、ロザリィは口にくわえたパイプを外し、悲しげな視線を向ける。
「人間の戦士だったお父さんは、お母さんの暮らすエルフの村を守るために盗賊団と闘って……。このパイプはお父さんの形見……だから私は父親の意志を継いで《盗賊殺し(シーフ・ハンター)》になったの……」
そしてロザリィは再び顔を上げると、マスクに覆われたマッスルXの顔をじっと見上げて言った
「ねぇ教えてマッスルX。あなたはどうして『怪盗』になったの……?」
「知りたいか? なら教えてやろう」
マッスルXは大仰にうなずくと、マスク越しの視線をどこか遠くに向けながら、おもむろに語り始めた。
「昔、あるところに一人の虚弱体質の男がいた……その男はとにかくひ弱で、ひょろひょろの身体はいつももやしのようだと周りから馬鹿にされていた。だが、男は力も弱かったので、悔しくても何も言い返すことさえできなかった……」
(え? ま、まさかその男って……?)
マッスルXの口から漏れる意外な過去に、思わず息を飲むロザリィ。
「……まぁ俺はそんな情けない男の姿を見ながら『あんな風にはなりたくない』と、せっせと筋トレに励んでいたのだが……」
「「「別人かい!」」」
ロザリィだけでなく、聞き耳を立てていたホフマン達まで一斉に突っ込みを入れたが、全く気にする様子もなく続けるマッスルX。
「そんな中、俺は伝説の《健康魔具》の存在を知った。全世界に8個あるというこの宝を全て手にした者は、素晴らしく健康な肉体を手に入れることができると言う。まだ俺が手にしたのは3個のみだが、いつの日かそれを全て我が物とし、『究極の肉体』を目指してみたい。それは筋肉の美を愛する全ての人間の夢なのだ……」
(いや、もう十分、アホみたいに健康だと思うケド……)
『究極の肉体』とやらをイメージして、思わずげんなりとするロザリィ。それにこんなアホなアイテムがまだ5個もあることも驚きだった。
「……だが安心するがいい、探偵よ。俺は何も自分一人のためだけに闘っているわけではない!」
「……え?」
戸惑うロザリィの前で、力強い口調で続けるマッスルX。
「もう一つの俺の夢は、世界の全人類を健康体にすること! 《健康魔具》の全てを手に入れた暁には、それを人々に強制使用もとい無料開放して……」
(ま、まさか……!?)
思わず息を飲むロザリィに向かって、マッスルXが豪快に言い放った。
「世界中の人間に俺と同じ筋肉美を与えてやるのだ!!」
「ぜ、ぜっっっったい嫌だぁぁぁぁ!!!!!」
ロザリィがあらん限りの声で絶叫した、まさにその時!
ファンファンファンファン、突然サイレンの音が鳴り響いたかと思うと、たくさんの足音が屋敷に迫るのが感じられた。おそらく屋敷の度重なる爆発や中から聞こえる絶叫を受けて、周辺の住人の誰かが通報したのだろう。
「ぬう、王立警察の者どもか……囲まれたらチト面倒だな。それではそろそろお暇させてもらうとしよう」
マッスルXはそうつぶやくやいなや、フン!とその巨体に似合わぬ跳躍力で、天井に開いた大穴から上の階に飛び上がると、呆然と魂が抜けたようになっているロザリィを見下ろして、力強く断言した。
「安心しろ。俺は実際にその虚弱体質な友人に試してみたが、俺の指導のもと魔具を使用したら、わずか一週間でボディービル大会で優勝できるレベルにまで到達した! まして恵まれた資質を持ったお前なら必ずなれる!」
「だからなりなくないってばぁぁぁぁっ!!!」
そんな悲痛な絶叫をまるで気にもとめず、マッスルXは最後に再びその筋肉美を見せつけるかのように決めポーズを取ると、豪快に笑いながら別れを告げた。
「さらばだ、探偵! 次に会った時は俺が専属コーチとして、お前の筋肉を育て上げてやろう! 楽しみに待っているがいい! わはははははは!」
そしてマッスルXはそのまま高らかに笑いつつ、マントを翻して去って行った。
後に警官隊の怒号といくつかの爆発音、そして「無駄無駄無駄無駄ぁ!」との豪快な叫び声を残して--
「あ、悪魔だわ……まさに筋肉の悪魔……」
それらの音が次第に遠くなり、やがて辺りを静寂が支配した時、それまで完全に固まっていたロザリィはがっくりと膝をつくと、震える声で言った。
「止めなきゃ……そんな恐ろしい未来は……」
自分はもちろん、全世界の人間があんな筋肉ダルマになるなんていう、悪夢の未来だけは、もう本気で絶対に心の底から嫌だ!
--やがて、ロザリィの震えが止まった。そして決意を固めたロザリィは静かに顔を上げると、視線の先に浮かぶマッスルXの幻をキッ!とにらみつけた。
「そちらこそ待っていなさい、マッスルX! あなたの野望は絶対にこの私が止めてみせる! いつの日か……必ず!」
もう迷わない。悪夢の未来は自分の手で必ず阻んで見せる……誇り高き父の魂と、《盗賊殺し(シーフ・ハンター)》の名にかけて--
そう父の形見のパイプに誓うと、ロザリィはそのままいつまでも、マッスルXの去った方角の夜空を見つめ続けるのだった。
※ ※
--かくして、問答無用の筋肉を誇る《超人怪盗》マッスルXと、《盗賊殺し》の美少女探偵ロザリィの長きに渡る宿命の対決が始まった。
そして第4の《健康魔具》を巡り、この二人が再び火花を散らすのは、また別の話である--
「……って、その前に屋敷をぶっ壊した分の弁償をしてもらわないとなぁ」
「ま、待ってなさいよ、マッスルX~!!」
報酬どころか莫大な借金を背負ってしまい、その返済のためにコスプレクラブで必死にバイトしながら、今日も空に向かって叫ぶロザリィであった。
--『超人怪盗マッスルX』おしまい!