第九十八話「おしまい」
ベラは自分の目が信じられなかった。
戦艦――本来なら海の上を進むべき物であるはずの存在――が、眼前で陸地を進んでいたのだ。地面を抉り取り、瓦礫と砂埃を左右にかき分けながら、海岸からこちらへ驀進してきていたのだ。
「こっちに来るぞ!」
「逃げろ! 逃げろ!」
悲痛な声に気づいて前方に目をやれば、件の火星人達もあれに気づいたのか、蟻の子を散らすように逃げていく。逃げない方がおかしかったが――いや。
「あれは……」
おかしい奴が一人いた。そいつは肩に麻袋を担ぎ、なおも起動状態を保っていたワープ装置へ向かって歩き続けていた。
まさか。いや、そうとしか思えない。
逃げる気だ。
「させるか……!」
嫌な予感に侵されて全身に鳥肌が立つ前から、既にベラは駆け出していた。彼我の距離は二百メートル。追いつけない距離ではない。そう考えると同時に最初の一歩を踏み出し、地面に接地した瞬間からその足に渾身の力を込める。あとはそこに溜め込んだパワーを解き放ち、そこから生まれる爆発的な力に身を任せて一気に走り抜けるだけだ。
だが踏み込みから実際に力を解放するまでの一瞬、まさにその時。
「カリィィィィィィン!」
上空からマイク越しのノイズにまみれた、けたたましい声が聞こえてきた。思わぬ所から飛んできた衝撃によってベラは出鼻をくじかれ、力の解放が不発に終わって思いっきり前につんのめってしまう。
「うおっ、おうっ、おおっ!」
が、首の皮一枚の所でなんとか踏みとどまる。そして片足つま先立ちの体勢から二本足で立ち直る事に成功したベラは、ついで先程の声はいったい誰の物なのかと考えた。といってもそれを考えた次の瞬間には、その声の主について既に予測がついていたのだが。
しかし未知の物に対しては自制できないほど強い好奇心が働くというのは人としての性なのか、ベラは結局頭上へ目を向けた。
「そこか! カリン! カリィィィィン!」
そこにいたのは上空から落ちてくる一機のジャケット――そしてそこから朗々と聞こえてくるライチの声だった。
戦艦で直接陸地を進む。
艦内放送を通してイナからそのプランBを聞かされた時、エムジーは驚くよりも前に呆れた表情を見せた。
「相変わらず滅茶苦茶考えるわよね、あなた」
「前にも申しましたが、わたくしは百パーセント確実に成功する作戦しか採用しません。そして現段階において、百パーセント確実に成功するプランとして最も適切であると判断したのが先に述べた作戦なのです」
「ただのゴリ押しじゃない」
「小細工を弄するよりも力で押していく方が有効な場合もあるのです」
どこか得意げな声でイナが答える。それを聞いてエムジーは改めて肩を竦めたが、そこでふとライチの様子が気になって、自分の横へと目を向けた。
「……」
ライチは顔を俯かせたまま何事かを呟いていた。イナの話も聞こえていたと思われるが、それに対するリアクションも特に見せてこなかった。
「ライチ?」
なんだか途端に不安になって、エムジーがライチに近づいて様子を尋ねる。ライチは身動ぎ一つしない。
「ねえ、ちょっと」
エムジーが再度言葉をかけ、ライチの肩を掴む。それでもライチは微動だにしない。エムジーは段々不安になってきた。
「ちょっと、ねえ?」
「そうだ!」
だがエムジーが三度声をかけた直後、弾かれたようにライチが顔を上げた。突然のことにぎょっとするエムジーを尻目に、ライチは躊躇いもなく踵を返して通路の向こうへと走り去っていく。
彼が走っていった時点でーー正確には彼が背を向けた時点で、エムジーは何か嫌な物を感じていた。すぐさまイナに通信を繋ぎ、彼がどこに行ったのかを確認する。
「イナ、ライチはどこに向かったかわかる?」
「お、お待ちを」
イナの困惑した声が返ってくる。そしてイナがそう言ってから暫く経った後、エムジーの脳裏に再びイナの言葉が聞こえて来た。その声はそれまでの物と打って変わって、酷く緊迫していた。
「ど、ドックです! 彼は今、ドックへまっすぐ走っています!」
「まさか!」
それを知った直後のイナと同じく、エムジーもまたライチのやろうとしていた事を瞬時に理解した。
「ドックの出入り口は! ロックはかけたの!?」
「かける前に侵入されました! あの人あんなに足速いの!?」
「ああもう!」
本気で驚愕するイナの一方で、叫ぶと同時にエムジーが駆け出す。目指す目的地はライチが向かった所と一緒だ。そして走る傍ら、エムジーはイナと会話を続けた。
「ドックのハッチはどう? ロックできる?」
「出来る事は出来ます。ですが力ずくでこじ開けられるかと」
「どっちにしろ、もう止められないって訳ね」
諦めた調子でエムジーが呟いたが、それでも彼女は歩みを止めなかった。途中で諦めるのがなんだか負けたみたいで嫌だったからだ。
「もう下手に止めるより、先に行かせた方が良さそうね」
「そのようですね」
ドックに向かう道すがら、エムジーとイナが無線越しに嘆息しあう。その中でライチがここまでアクティブな人間だとは思わなかったと、二人は自分たちの認識の甘さを反省していた。
あの子も全く無茶をする。
空からライチがジャケット――陸海空汎用カスタムジャケット「ハピネス」である――に乗って落ちてきたのを知った時、ベラはむしろやんちゃな弟を見守る姉が浮かべるような、困惑しながらもどこか楽しげな表情を浮かべていた。誰かのためにここまで必死になれるその気概に好感を抱いたからだ。
その一方で、麻袋を担いでいた少年の方はその足を止めて呆然と立ち尽くしていた。いきなり空から巨大な人の形をした鉄の塊が絶叫しながら降ってきたら、そうなるのも当然といえた。
「なんだよ、なんだよそれ。そんなの聞いてないぞ」
やっとこさ意識を取り戻した少年が弱々しく呟き、視線を巨人に固定しながら後ずさる。あまりにそれがショックだったのか、それまで自分が担いでいた麻袋を取り落としていた事にも気づいていない有様だった。
「カリン! カリン! どこなの!? ねえ! 返事して!」
その一方で、ライチは両足で無事着地したジャケットの中からなおも叫び続けていた。のっぺらぼうの首だけを回してーー恐らく無闇に動き回ると誤って踏んづけてしまうと考えたからだろうーー方々を見渡しながら声をかけ続けていた。
恋人を求めて叫び続ける。今のライチにはカリンしか見えていなかった。
必死さがありありと伝わると共に、それはとても痛々しい姿だった。それを見たベラは考えるよりも先に体が動いていた。少年の許まで一瞬で距離を詰めるのは容易いことであり、事実、ベラは少年が反応するよりも前に地面に落ちていた麻袋を手にする事に成功していた。
「ライチ!」
麻袋の封を解きながら、ジャケットに向けてベラが叫ぶ。
「ライチ! こちらです! 彼女はここにいます!」
その声を聞いたライチが自機の首を回して声のする方をモニターに納める。そしてそこに映る光景を目の当たりにした時、彼は喜びに頬を綻ばせた。
「カリン!」
「ライチ……?」
ライチの乗るハピネスが四つん這いの姿勢を取り、のっぺらぼうの顔をカリンに肉薄させる。カリンもまた猿ぐつわと拘束を解かれた状態で、その眼前にある無貌の顔を――その向こうにあるライチの顔を注視していた。
「ライチ? ライチ、そこにいるの?」
「うん、ここだよ。僕はここにいるよ」
「本当に? 嘘じゃないよね?」
「本当だって。今出て行くからちょっと待ってて」
不安げなカリンを安心させようと、コクピットハッチを開けてライチがその姿を露わにする。その彼の姿を実際に見た瞬間、それまで浮かべていたカリンの悲痛な表情が一気に明るい物へと変わっていった。
「ああ、ライチ! あいたかった!」
「僕も! 僕もだよカリン!」
器用にジャケットの上を飛び移り、頭頂部を蹴ってライチがカリンの真正面に降り立つ。カリンはそうして目の前に立ったライチにこれと言ったアクションを返さず、ただ黙ってその全身像を目に焼き付けていた。
「あ、あの……」
「なに?」
「そんな見つめられると、その、困る……」
「あ……」
二人が別れていたのは実際はほんの数十分。しかし今の二人にとってこの再会は、十年越しのそれにも等しい物であった。
しかし待ちこがれていた相手をいざ目の前にしてどのような反応を返していいのか、どうすれば自分の気持ちを余すことなく表現できるのか、まるでわからなかったのだ。
「いや、その……ごめん。せっかく会えたのに何を言っていいのかわからなくて」
「あ、ううん」
「こういう時って……き、き、キスとかした方が、いいのかな……?」
「ぶっ!?」
カリンの言葉にライチが勢いよく噴き出す。そしてその後も激しくむせるライチの姿を見て、カリンはいつの間にか笑みをこぼしていた。
「ふっ、ふふふっ」
「……ははっ」
口に手を当てて噛み殺すように笑うカリンを見て、ライチも自然と笑みをこぼす。二人の笑いは相乗効果を生み、やがて二人して大口を開けて爆笑するまでに至った。
「……」
ベラはそんな二人の様子を、あえて距離を取って遠くから見つめていた。その顔はにこやかで、とてもリラックスした物だった。しかしそれは一つの事件が一件落着した事への反動、油断ともいえた。
「――えっ?」
だから件の少年が背後からいきなりカリンの手を引っ張ったとき、誰もそれを止めることが出来なかった。
「来い!」
「カリン!」
少年がカリンを引きずるように引っ張っていく。カリンも抵抗を試みていたが、靴が地面を滑るだけで徒労に終わった。
「抵抗するな! こっちに従え!」
「嫌ぁ! 離して! ライチ助けて!」
「――まずい!」
「カリン!」
ライチとベラが走り出したのは同時だったが、反応が完全に遅れていた。特にベラは三歩も踏み込みが遅れていた。一生の不覚だった。
既に装置は完全に起動を始めていた。腹の底に溜まる重苦しい音が鳴り響き、装置全体が小刻みに振動を始める。
そして少年とカリンが装置の中央に入ったその時、ライチはその装置の縁に、ベラは装置の前にたどり着いたばかりだった。
「ライチ! ライチ!」
「カリン!」
カリンと少年の足下が青白く輝き、雪のような青い粒子が天へと昇っていく。しかしライチはその薄気味悪さすら感じる領域の中へ、躊躇うことなく足を踏み入れた。
「まさか、お前!」
「カリィィィィン!」
少年が言葉を漏らすが、今の彼に聞こえるのは助けを求めるカリンの悲鳴、彼に見えるのは悲しみと恐怖に満ちたカリンの顔だけだった。
「嫌ッ! ライチ!」
「待ってて! 今助ける!」
ライチが叫び、カリンめがけて飛びかかる。
宙を飛びながらライチが手を伸ばす。カリンもまた掴まれてない方の手を伸ばし、ライチの手を掴もうとする。
「あと少し! あと……ッ!」
「ライチ……!」
二人の指が触れ合う。絡み合い、手と手が重なり合う。
刹那。
足下から青白い光の柱が立ち上り、三人を飲み込んだ。そして光の柱が消えたとき、そこに人の影はなかった。
「行け行け行け! 逃がすな!」
「大人しくしろ! ぶっ殺されたいのか!」
数分後、ベラの背後では停止したカサブランカから続々とクルーが降り立ち、カリンをさらった連中を一人残さず拿捕して回っていた。
「……」
その罵声と騒音が、ベラにはとても遠く聞こえた。ベラは一人拳を握りしめながら、動かなくなった装置をじっと見つめていた。




