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第九十七話「吶喊」

 ワシントンD.C.

かつてこの大陸に『アメリカ合衆国』と呼ばれる国が存在していた時、その国の首都として発展した街である。首都と言っても摩天楼が乱立するような事は無く、特別迫力のある所では無い。しかし至る所に歴史の重みを感じさせる建築物――スミソニアン博物館やワシントン記念塔、コロンブス像等々――が存在し、まさにアメリカという国の辿ってきた歴史――栄光と衰退と血に塗れた歴史を凝縮させた場所であった。

 しかし国の無くなった現在では、そこにはワシントンと言う首都も歴史の重みも存在せず、ただ瓦礫と廃墟と、空虚な気配を残すのみであった。そんなかつて建物があったと思わしき廃墟の一角に、ベラ・ベラドンナは息を潜めて隠れていた。





 カサブランカが来る。

 その報を受けてから今に至るまで、ベラはその増援の到着を今か今かと待ち続けていた。今岩陰に隠れていた彼女の前方二百メートル地点にはそれまで見た事の無いくらい巨大な円形のワープ装置――なぜ見た事も無いのにそれがワープ装置とわかるのかについては、それが彼女の知るワープ装置を単に相似拡大させた形をしていたからだ――と、それを背景にして左右に挟むようにして二つのグループがあった。グループの片方は先程まで彼女が追いかけていた一団――足下に転がっている麻袋で判別出来た――であり、もう片方はそんな彼らをここで待ち構えていた一団であった。

 そのここで待っていた一団はこちらから見える限り十人程度で構成された小集団であり、全員が黒ずくめのスーツに身を包んでいた。そしてその先頭に立っていた者はベラが追っていた一団の中にいた少年達と同じ背丈をしていた。おそらく彼もまた『少年』なのだろう。『少女』ではない。全体の体つきからベラはそう推測した。


「……」


 麻袋を足下に置いた一団の一人が何か言いながら前へ一歩踏みだす。あいにくとベラのいる位置では誰が何を話しているのか正確にはわからなかったが、その後でもう一方の一団を率いていた黒ずくめの少年が言い放った言葉は何とか聞き取る事が出来た。それだけ大きく、感情のこもった声だった。


「ふざけるな! こっちの用件が先だ!」


 こっちの用件? ベラは小首を傾げると同時に脳をフル回転させてその言葉の意味を把握しようとした。しかしその一方で、件の少年はなおも声を荒げて続けた。


「いい加減にしろよ。今はお前達が下なんだ。今のお前達は僕の言う事を黙って従う以外に道は無いんだよ。わかってるのか? ええ?」


 どうやら、この場の主導権はあの少年の方にあるようだ。遠目からなのでハッキリとは見えないが、彼の前に立っていた者達がしきりに――子供も大人も関係なく一斉に頭を下げているのが見て取れた。

 まさか、あの少年がカリンの誘拐を指示したのか?

 ベラがそう思ったその時だった。


「――」


 少年が後ろに向けて手招きし、そして傍らに素早く近づいてきた一人の男の耳元でベラには聞こえない程の声量でもって何かを囁く。それを聞いた男は少年に向けて無言で頷くと、彼らの奥にあったワープ装置へ駆け出した。

 その一連の動きを見て、ベラは額から嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。

 男がワープ装置の元に――巨大な円の縁に到達する。直後、その円の中から青白い光が迸り始めた。


「あ、まず」


 目の前の光景を前にして思わず声が漏れかけて、慌てて両手で口を塞ぐ。しかし自分の立ち位置も忘れて声を出してしまうほどに、この状況は非常にまずかった。

 ワープ装置が起動したのだ。そしてその動き出した装置の元へ、件の少年が例の麻袋を担ぎ上げ、一人でゆっくりとその装置の元へ向かっていっていた。





 カサブランカが出港してからワシントンに着くまでの間、ライチは艦橋に行かずに船体側面にある搭乗ハッチの前をグルグルと歩き回っていた。そこにはカサブランカが港ないし陸地と横向きに着港した際にタラップが降りて搭乗員の上陸を可能とする機能がついており、ライチはその機能が作動するのを今か今かと待ち構えていた。


「ライチ、少し落ち着いたら?」


 そんなライチの隣に立ったエムジーが、腕を組んで壁により掛かりながら窘める。窘められたライチは歩みこそ止めたが、代わりに苛立たしげに踵を床に付けたまま爪先で地面を叩き始める。


「ライチ」

「わかってるよ」


 なおも言及しようとしたエムジーを制するように、ライチが投げやりに言葉を返す。それを見たエムジーは呆れるようにため息を吐いた。


「全然わかってない」

「わかってるって言ってるだろ!」

「じゃあまずは力を抜きなさい」


 怒声を受けてもまったく動じないエムジーの言葉に若干怯んだ素振りを見せたライチが、やがて言われるままに息を吐き、いからせていた肩から力を抜く。


「ここで私達が焦ったって、どうにもならないわ」


 そんなライチの肩に手を置きながらエムジーが告げる。ライチはそれを黙って、しかし顔を俯かせて目は合わせずに聞き続けた。


「到着するのを待ちましょう。全力を出すのはそれからよ。ね?」

「それはそうだけど、だけどさ」

「待ちきれないって言うの? じゃあ今から向こうまで自分で泳いでいく?」

「む――」


 無理だよ、と言いかけて、ライチがしかめ面で口を噤む。なんだか自分の負けを認めたみたいで嫌だったからだ。するとそれを見たエムジーが口元に手を当ててクスクスと笑い、勝ち誇ったような調子でライチに言った。


「だったら大人しくしてなさい。もうすぐ着くでしょうし」

「そうは言っても」

「今慌てても意味ないでしょ。力は後に取っておきなさい。肝心な時にガス欠起こしたら目も当てられないわよ」

「……うん」


 そこまで来てやっと冷静になれたのか、ライチが力なく頷く。それをみてエムジーが今度は安堵の溜息を漏らしたその時、けたたましいブザーの音と共に艦内放送が流れてきた。


「ライチ、エムジー、今どこにいますか?」

「え、えっ」

「第二搭乗ハッチの前だけど。どうかしたの?」


 イナの緊迫した声が艦内に響く。突然の事に動揺するライチに代わってエムジーがこめかみに手を押し当てて――彼女の体内には無線通信機能が搭載されていたのだ――応答する。直後、それまでと同じ調子のイナの声が再び響き渡った。


「ワシントンにいるミス・ベラより報告が。とてもマズい事になっているようです」

「まずいって、何がどうしたのよ?」

「ワープ装置が起動したとのこと」


 ライチとエムジーが顔を見合わせる。直後、二人はそれがどのような結果を引き起こすのかを同時に悟った。


「カリンが連れ去られる!」

「ちょっと! もっと早く動けないの!?」

「今やってます! それに追いつけるだけのプランも考えてあります!」


 イナが二人に叫び返す。どう言う意味だ、と問いかけた二人に対し、イナは若干冷静さを取り戻した声で言った。


「それまでわたくし達が考えていたのは、まず近場の岸壁に船をつけて、そこから陸へと降りてわたくし達だけで目的地に向かうと言うものでした。しかしそんな事をやっている暇はない」

「それはそうだよ。で、どうするの?」


 ライチが再度問いかける。イナが静かに、しかし力強い口調で言った。

「直接乗り込みます」





 最悪だ。あいつの言う事に従うんじゃ無かった。

 たった今、目の前の男――自分と同じ歳に見える黒ずくめの少年――に眼前で吐かれた言葉を思い出し、カリンを攫ったグループの一人であるその男子生徒は屈辱のあまり唇を噛みしめた。せっかく苦労してターゲットを傷付ける事無く攫ったというのに――ターゲットがあのモグラとイチャついてる女だとわかった時、怒りや憎しみにも似た自分の感情を抑えるのには非常に苦労した――目の前にいた男はそんな自分達の苦労を欠片も汲み取らずに、冷ややかにこう吐き捨てたのだ。


「別にお前らなんかどうでもいいんだよ。それさえ無事ならどうでもいいんだ」


 なんなんだあいつは! 他人にお礼を言う事も出来ないのか! その男生徒は心の中だけで大いに憤ったが、自分もまた他人への配慮が出来ていない存在であると理解するには至らなかった。

 他人への思いやりを忘れ、どこまでも自分本位であろうとする。これはもはや上流階級の者、特に産まれた頃から勝者の地位を獲得していた者の中で蔓延し、平等に発症する悪癖、悪性の病気のような物であった。


「ほら、どけよ。お前達も後で送り返してやるから、それまで暫くここで待ってるんだな」


 そしてこの男生徒と同じ病気を発症していた黒ずくめの少年は、自分のために体を張った者達を無造作に押しのけ、足下に転がっている麻袋の近くに立って片膝をついた。麻袋は最早ぴくりとも動かなくなっていたが、その膨らんだ袋を見て少年は満足そうに歪んだ笑みを浮かべた。


「さあ、ようやく会えたね。あと少しの辛抱だから、待っててね」


 その声が聞こえたのか、麻袋が一瞬びくりとのたうつ。その反応を見て少年は更に愉快そうに笑みを浮かべ、そして麻袋を両手で持ち上げ、俗に言う『お姫様だっこ』の体勢に持って行く。


「な、なんだあれ!」


 麻袋を持ってきた一団の方からそんな驚愕に満ちた声が聞こえてきたのは、彼が今まさに麻袋を抱きかかえた時だった。


「う、うそだろ、なんだよそれ!」

「まさか、あれはあいつの仲間なのか? 追っかけて来たってのか?」

「やべえ! 逃げろ! あんなのに勝てっこねえ!」


 その驚愕はすぐに恐怖を伴って、そこにいた全員に等しく伝播する。それは少年がわざわざ護衛用に連れてきた部下達にも広まっていた。

 少年は最初それを無視するつもりだった。他にやらねばならない事が彼にはあったからだ。しかしそれまで相対していた赤の他人共はもとより自分の部下までもを恐れおののかせている事を知って、彼の仲にほんの少し興味が湧いた。


「……」


 彼らは護衛に関してはプロ中のプロだ。ハイヤーの人間を守る者として、軍人も顔負けの過酷なトレーニングを積んでいる。ちょっとやそっとでビビるほどヤワじゃないのだ。

 そんな鋼の意志を持った彼らが、今はまるで子供のように恐怖の叫びを上げている。いったいそこに何があるのか。少年はまっすぐワープ装置に向かう中で、そんな抗いがたい欲求と心の中で戦っていた。

 だが結局、彼は欲望に負けた。装置に向かう足を止め、首を捻って後ろの光景を肩越しに見る。


「な」


 直後、彼は見なければ良かったと心の底から後悔した。だが後悔するよりも前に、彼は他の者達と同じく、その心を恐怖と驚愕に支配された。

 だがそれは、ある意味では仕方の無い事だった。


「どうして、船が……?」


 人間が豆粒に見えるほどの大きさを持った巨大戦艦――形状的にどう見ても海に浮かぶタイプの巨大戦艦が、接地した地面を抉り取り砂埃と瓦礫を左右に掻き分けながらこちらへ驀進していたのだ。

驚くなという方がおかしかった。


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