第九十四話「追撃」
『落ちてきた』火星人達がその報せを受け取ったのは、青空の会が襲ってきた後、ニューヨークシティの住民共々彼らと同じ『避難場所』に押し込まれた後の事だった。ちなみにこの時火星人とシティの住民はそれぞれ別の場所に送られており、両者が接触する事は無かった。
「これは……」
それは彼ら持っていた通信機――星間通信の可能な、カサブランカのクルーから没収を免れた物からもたらされた物だった。それは自由も尊厳も奪われ完全に腐り果てていた彼らにとって、最初はなんの価値も無い物だった。
「これを聞いている者達に告げる。俺……私は、君達と同じ火星からやって来た者だ。君達の存在は、この放送を送る前に把握している。君達の装置に通信を送れている事が何よりの証拠だ」
装置越しの声は、声量は小さいがひどく熱意に満ちあふれたものだった。だがそんな力強い声とは裏腹に、それを受け取る側の心根は氷河期の如く冷え切っていた。
火星で持っていた権力も発言力もここで価値が無い。ここで『いつものように』生きていく事はもはや出来ない。もうどうにでもしてくれ。そんな諦めの境地にあった彼らだったが、装置越しに続けて放たれた声が状況を変えた。
「私は火星に帰れる手段を持っている。ここの組織、君達を捕らえている組織の手を借りずに帰れる手段だ。そしてそれは、君達全員を連れて帰れるだけのサイズを持った巨大なものだ」
最後の言葉が彼らの心を打ち響かせた。凍り付いた心の奥底に点いた灯火がその氷を溶かし、体に活力を、心に野望の炎を再び現出させた。そしてそんな彼らの意志を目覚めさせた通信機からの声はなおも続いた。
「私はそれを君達に提供したいと思う。ここの者達に救出されてから今に至るまで君達が経験した屈辱……火星の上位層が受け取ってしかるべき尊厳を全く与えられなかった屈辱を知る私としては、同じ火星人として救いの手を差し伸べずにはいられないのだ」
「そ、そうだ、俺達はこんな所で腐っていていい訳が無い」
「俺達はハイヤーなんだ。それにふさわしい地位と待遇を持つべきなんだ!」
完全に息を吹き返した火星人達が口々に叫ぶ。彼らは結局、地球の環境に順応しようとは欠片も考えなかった。彼らはどこまでいっても『金持ちのボンボン』だったのだ。
「ただし、君達が私の手を掴むためには条件がある」
しかし、通信機から聞こえてきたその声が、半ば舞い上がっていた彼らを再び黙らせた。そして彼らが完全に黙ったのを見計らうようにして、暫しの沈黙を経た後で通信機から声が聞こえてきた。
「私が君達に送る条件はただ一つ、ある人物を連れてきてもらいたい」
「ある人物?」
「私達と同じ、火星人だ」
ハイヤーの坊ちゃんの相槌に合わせるように、声が通信機から聞こえてきた。更にその声に対して数人の生徒が反応する。
「火星人?」
「誰なんだ?」
「容姿や特徴など、詳しい事は今から説明する。一度しか言わないので十分注意するように」
またしても絶妙のタイミングで声が返ってくる。それを聞いたボンボンの火星人達は、まるで自分達とこの声の主が向かい合って話しているような錯覚を覚えた。
「ターゲットは女性。女の子だ。年齢は君達と同じくらい。君達と同じ学園に通っていて、茶色い紙をサイドテールに纏めている。背丈はやや低い。性格は気丈だが実際はとても優しくて、誰とでも分け隔て無く接して……」
そこで言葉が途切れ、代わりに咳払いが一つ聞こえてくる。その後に沈黙が続き、それが暫く続いた後で再び声が聞こえてきた。
「とにかく、茶髪のサイドテールだ。あの中でその髪型をしている者は一人しかいない。いいな? その女性を連れてくるんだ。決して傷付けてはいけない。言っている事がわかるな? 決して傷付けてはいけないぞ?」
「茶色い髪……」
「サイドテール……?」
生徒達が顔を合わせ、通信機越しに手に入れた『目標』の特徴を口に出しあう。そしてその特徴を忘れまいと、何度も呟きながら頭の中に刻みつける。
茶髪のサイドテール。
茶髪のサイドテール。
「茶髪のサイドテールの女。こいつを捕まえればいいんだな」
「彼女はまだここ……ニューヨークにいる。私は準備のために動く事が出来ない。君達が彼女を保護し、私の所まで連れてきて欲しいのだ。頼む」
通信機から最後に聞こえてきた懇願の言葉は、もはや彼らの頭の中には入ってこなかった。今彼ら火星人の頭の中を支配していたのは、自分達が故郷に帰るための『チケット』――その『チケット』の持つ特徴であった。
「茶色い髪のサイドテールの女だ。探しに行くぞ」
「でも、あそこに戻るのか? 俺はごめんだぞ」
「ここで一生過ごす方が俺はごめんだ! 俺は行くからな!」
勇敢な――蛮勇な一人がスライド式のドアを開けて鼠色の通路に飛び出す。そんな彼に触発され、一人、また一人と通路へ出て行く。
彼らが目指すのはただ一つ。そして彼らの求める物もただ一つだった。
「茶色い髪のサイドテール。茶色い髪のサイドテールだ!」
「それがあれば火星に帰れるんだな? こんな所で馬鹿にされなくて済むんだな?」
「ああそうだ。茶色い髪のサイドテールだ!」
茶色い髪のサイドテールの女の子。
それがベラ・ベラドンナが抱いた、目の前にあった麻袋の中から出てきた少女の第一印象だった。
「茶色いサイドテール……」
この少女には見覚えがある。忘れるはずも無い。
直接会った事は無いが、少し前まで一緒にいたからだ。
まるで恋人のようにライチ・ライフィールドの近くに寄り添うようにいた女の子。茶色い髪の、サイドテールの女の子。
「カリン・ウィートフラワー」
ベラの言葉に反応するかのように、猿ぐつわのようにスカーフを噛まされたカリンが涙目で唸り声を上げ、陸揚げされた魚のように大きくのたうち回る。彼女はまだ猿ぐつわの他に両手足を縛られていて、体の自由を完全に奪われていた。それによく見れば、カリンを挟むようにして両脇に座っているのはカサブランカのクルー達が救出した火星人だった。
あまりにも完成された――それでいて非常識で残酷なシチュエーションだった。
「……」
何これ? 誘拐? 火星人が彼女を? こんな酷い目に?
予想外の出来事の連続に、さしものベラも呆然として目の前の光景を注視する。それは計画の半ばで彼女に発見された火星の学生達も同じで、突然起こった出来事を前に脳が思考を放棄してフリーズし、体を一人残らず石のように固まらせてしまった。
「よし! かかった!」
その時、それまでいきなり止まったワゴン車と格闘していたドライバーが歓喜の声を上げた。それがベラの茫然自失した神経を覚醒へと導いたが、やはり同胞の声だからだろうか、火星人の目覚めは彼女のそれよりも早かった。
「この野郎!」
ベラが意識を覚醒させた直後、一番手前に座っていた火星人の生徒の一人が彼女の腹を容赦なく蹴り飛ばした。ベラは避ける事も受け身を取る事も出来ず、背中から地面に激突した。
「つうっ……!」
「今だ! 出せ!」
ベラを蹴り飛ばした少年が前を向いて叫ぶ。直後、開けっ放しだったドアが勢いよく閉められ、猛々しいエンジンの音を轟かせながらワゴン車が走り出した。
「しまった!」
逃げられる! そう考えるよりも前にベラの体は動いていた。背筋の力だけで飛び起きて着込んでいたタイトスカートの裾を縦に引き裂く。そして目の前のワゴン車を見据え、それ目指して一直線に走り出す。駆け出すと同時に懐から耳穴に嵌め込むタイプのインカム型無線機を取り出し、周波数をオートミールの持っている物に合わせてから耳に嵌めて口を開いた。
「メーデーメーデー! こちら『ロンサム』! 本部より二百メートル地点にて人攫いに遭遇! 繰り返す、人攫いに遭遇! こちらは先行して彼らを追う! 至急応援を請う! 繰り返す、本部より二百メートル地点!」
沿う言葉を紡ぐ間にも、ベラは走るスピードをぐんぐん上げていく。しかし、この時ワゴン車は時速百キロほどで走行していたが、対するベラのスピードは時速九十キロ程度。みるみる内に離されていく。
「逃がすかァ!」
しかしベラは諦めなかった。剥き出しになった歯を食いしばって前だけを見据え、両腕を大きく前後に振ってワゴン車を目指す。彼女の無線機には発信器も取り付けられており、これを使えばベラの居場所が――そして人攫いの居場所もわかるのだ。逃げられる訳にはいかなかった。
「な、なんだあいつ!」
「走ってる! 食いついてくるぞ!」
その一方、前を行く火星人達は走って車に追いつこうとするベラの姿を見て大いに戦慄していたのだが、その事にベラが気づく事は無かった。




