第九十一話「司令官」
「どこへ行く」
シドがオートミールを呼び止める。オートミールの傍らには数名の白衣を身に着けた職員がついており、彼らはシップ内に留まっている他の職員とは明らかに異なる雰囲気を纏っていた。
ある種の決意を秘めた雰囲気だった。そして実際、彼らは今まさにハッチから外へと出ようとており、シドはそこにある種の危なっかしさを感じて彼らを呼び止めたのだった。
「今は非常事態のまっただ中だ。民間人と組織のトップが軽々しく外に出てはいかん」
「別に散歩しに行く訳じゃないですよ。ちょっとやる事がありまして」
詰問する調子のシドに対し、オートミールは相変わらず気の抜けた声で返す。彼の周りに立つ職員は何か見えない物を前に怯えた態度を取っていたが、それが泰然自若としたオートミールの姿を一層際立たせる事に繋がっていた。
「何をしに行くつもりだ」
「だから言ったじゃないですか。ちょっとやる事があるんですよ」
ドックの外から爆発音が響く。以前に比べてその回数も音量もずっと小さくなっていたが、それでもここに避難していた者達の肝を冷やすのには十分すぎる効果を発揮していた。
味方の全ジャケットを繋ぐ無線リンクの中から悲鳴が聞こえてきたのは、ライチ達とベラが合流する直前の事だった。恐怖に満ちた悲鳴を上げたのは港湾部にある艦船用ドックの制圧に向かった部隊に属していた者であり、それを受け取った全ジャケットを統率するリーダー格の男は突然の事に怪訝な表情を見せた。
「どうした。何があった?」
リーダーの男が無線で呼びかける。だが応答は無い。
「どうした。返事をしろ。おい」
再度交信を試みるが変化は無い。そこで男は連絡先を悲鳴を発したジャケットから、そのジャケットが所属していた部隊の全員に変更して呼びかけた。
「何があった? 何か掴んでいるか」
「な、何があったとは、先程の悲鳴のことでしょうか?」
繋がった隊員の声は怯えるように震えていた。咎める事をせずにリーダーの男が言った。
「そうだ。そちらの部隊に所属している機体の一つから聞こえてきた。何があったんだ」
「わ、わかりません。叫んだのはどうやら正面を警護している者のようですので」
「お前は? 今どこにいるんだ?」
「はっ、自分はドックの内部を」
刹那、重い物が激突する音と金属片でガラスを擦ったような甲高い音が男の耳をつんざいた。そして件の甲高い音が人間の上げる悲鳴であると気づいた時には、そこからはノイズだけが不気味にざわめく音を立てていた。
「おい! どうした! おい!」
声を荒げて応答を求めるが反応が無い。嫌な汗が額から流れ落ち、男は弾かれたようにその部隊にいる他のジャケットにも無線を繋げて応答を求めた。
ノイズだけが返ってきた。
「まさか……!」
最悪の予想が彼の脳裏をよぎる。それが事実であるか否か確認を取るよりも前に、彼は全回線をオープンにしてあらん限りの声で叫んだ。
「場所は本部施設付近の艦船用ドック! ソウアーが動いた! 奴らは戦艦とそこに搭載されているジャケットを奪取し、我々に反撃を試みている! 動ける機体は調査を中止、すぐにドックに向かえ! 繰り返す、敵が反撃を開始した!」
他の全ジャケットは色めき立ち、興奮のままにそこに向かった。
それから数分後。
ライチ、ジンジャー、リリーが降りたった場所は、彼らにとって文字通りの地獄であった。
「奴らだ! 本当に来やがった!」
「戦闘開始! 一機たりとも生かして返すな!」
「あいつは俺の獲物だ! お前ら、邪魔するんじゃねえぞ!」
「ただの制圧任務で退屈してたんだ、楽しませてもらうぜえ!」
勢いよく出撃し着陸した目の前には十一機のカスタムジャケットが立っていた。これを地獄と言わずしてなんといおうか。
「やべ」
そして彼らには降伏も交渉も許されなかった。リリーが顔を引きつらせてそう呟いた直後、十一機のジャケットは彼らに銃口を向け一斉にサブマシンガンの引き金を引いた。
「うわっ、うわっ!」
「逃げろ!」
ジンジャー機がそう叫ぶと同時に左へと走り出し、ライチ機が目に見えて浮き足立ちながらもすぐその後へ続く。
「俺はこっちだ!」
リリー機は地を行く二機にそう告げるや否や背中の飛行ユニットを展開し、膝を曲げて垂直に飛び上がった。空と地上で逃避行が同時に始まる。
「なにっ!?」
どちらを狙うべきか。目標がいきなり二手に分かれた事でジャケット軍団の動きが一瞬鈍る。敵方のジャケットの一機がカスタムタイプ――しかも単体で空を飛べる――事も彼らの動きを鈍らせる一因だった。
その隙を突くようにして、ライチ達は一気に彼我の距離を離していった。しかしそれで逃げ切れるほど、彼らの置かれた状況は簡単では無かった。
「ひいっ、来た!」
「走れ! 走り続けろ!」
地上に五、空に六の割合でジャケット軍団がばらけ、それぞれ狙った標的に容赦なく弾丸の雨をお見舞いしていく。ジャケットの持つその銃は人間が扱う物と同じ形をしていたが、その威力は人間の扱うそれとは違い簡単に同じジャケットの装甲に穴を空ける事が出来る。一発二発ならともかく、蜂の巣になる事は絶対に避けるべき事であった。
「これどこまで逃げればいいの!?」
「知るか! とにかく逃げろ!」
整地された岸壁から白波が押し寄せる海岸線へ背景が変化する中、それらの背景と並行になるようにライチとジンジャーの機体が死にものぐるいで駆け抜ける。その後方から五機の黒いジャケットが追いすがり、それと同時にマシンガンを片手で前方に突きだして乱射する。
「撃て撃て! 撃ちまくれ!」
「このまま続けろ! 攻撃の手を緩めるな!」
そして空中にいるリリーに対しても同じ光景が繰り広げられていた。六機の黒いジャケットが一斉に銃を上方に突きだし、自分達の頭上で飛び回るカスタムジャケットに向けて弾丸の嵐を浴びせていた。
「ヒャッハー! 当たるかよぉー!」
しかし地上を走るライチ達に比べてリリーが取れる行動の幅は非常に広く、狙いを付けて当てる事は地上の的を射るより困難な事だった。リリーもその事を把握しており、その上で外部スピーカーから挑発する声を大音量で流し相手を煽りながら空中を縦横無尽に泳ぎ回り、下方から迫る弾丸の雨を余裕でかいくぐっていた。
「おらおら、どうしたどうした! お前らの腕はそんなもんか!?」
「くそ、撃て撃て! 撃ちまくれ!」
足下から雨が降ってくる。そんな天地逆転した状況の中で、リリーはとても楽しげだった。例えその雨水が自分の寿命を縮める物であったとしても、彼女が物怖じする様子は無かった。
「ハハハッ、ちょろいぜ!」
「くそっ、増援を寄越せ! 他の所に回っている地上部隊もだ!」
だがその態度がまずかった。業を煮やしたジャケット乗りの一人がそう叫び、もう一人がそれに答えた。
「他の所の奴もか? 探索が遅れる事になるぞ?」
「敵を倒す方がずっと先だ!」
「歩兵の武器はジャケットに効かないぞ。それはどうするんだよ」
「足止めくらいは出来るだろ。いいから早く呼べ!」
「よ、よしわかった!」
尋ねたパイロットが攻撃を止め、一歩下がって全隊に無線通信をかける。
「こちらアルファルファ! 現在港湾部にて敵ジャケットと交戦中! 敵はこちらと同じくカスタムタイプ、単独で空を飛べる! 動きが速すぎて我々だけでは対処しきれない! 至急応援を請う!」
しかし肝心のリリーがそれを把握する事は無かった。
「ほれほれ、どうしたどうしたァ? 的にも当てらんねえのかー? へたっぴどもがぁ!」
いつプログラムを組んだのか、ハピネスが空中に滞空しながら顔の両隣でダブルピースを作り、その体勢のまま体を左右にくねらせて足下の敵を全力で煽りまくる。
それが自身の状況を悪化させている事に、リリーはまだ気づいていなかった。
「おかしいな」
壁沿いに道を行くオートミールが不思議そうに声を上げて立ち止まる。中腰の姿勢でおっかなびっくり彼の後をついていた白衣姿の職員達もそれにつられるようにして立ち止まり、そして先頭に立つ自分達の司令官を訝しげに見つめた。
「な、何かあったんですか?」
「アレを見てみろ」
部下の言葉にそう答えてからオートミールが前方を指す。それを受けて顔を上げた職員の目線の先には、どこかへ向けて全力で走り去っていくジャケットの姿があった。
「あれがどうかしたんですか?」
「全力で走ってるだろ」
「……それが何か?」
「なんというか必死というか、まるで緊急の用事が出来たみたいな感じがしたんだ。彼らにだって任務があったろうに、まるでそれを投げ出してまで遂行しなければならない事があるかのような感じだ」
「はあ……」
オートミールの返答を今ひとつ理解しきれず――理解するだけの余裕が全く無かった――職員達が揃って泣きそうな顔を浮かべながら首を傾げる。戦場という物をこれまで体験した事のなかった彼らに、そこまでの精神的余裕を持てというのは非常に酷な事であった。
そんな彼らの眼前では、他のジャケットや歩兵達が最初に走って行った機体と同じ方向へ向かって駆けだしていた。時々何か指示を飛ばすような叫び声もハッキリ聞こえてきたが、何を言っているのかを判別する事は彼らには出来なかった。
「あいつら、何をしようとしているんだ?」
「そうは言われても、我々にはなんとも……」
その光景を見ながらオートミールが眉間に皺を寄せる。完全頭脳畑出身の一人の職員が忍び足でオートミールに近づき、控えめな声でそれに答えた。眉を八の字に垂れ下げて小動物のように身を縮こませるその職員とは対照的に、オートミールは堂々と二本の足で直立していた。
「彼らに直接聞くのが一番なんだが、そうもいかんからな」
「正気ですか?」
「冗談だよ」
「ですよね。本当にしませんよね」
「それよりも、これ、チャンスですよね」
別の職員がオートミールの横に駆け寄って、まるで縋るような目を向けながら話しかける。『戦場』そのものが放つプレッシャーによって極度の緊張と不安にかられ、誰かとコミュニケーションを取って気を紛らわせないと『それ』に押し潰されてしまいそうだったからだ。それを察してこちらを向いたオートミールに、その職員が一抹の安心を覚えながら続けた。
「ここにいたジャケットや歩兵が他の場所に向かったと言う事は、それだけこちらが手薄になったという事です。こちらが付け入る隙も出来ているかも」
「その通りだ」
オートミールが頷いて答える。そして後ろに控えていた職員達に向き直り、声を潜めて言った。
「少し早足で向かうぞ。絶対に私の後ろにつくこと。はぐれるんじゃないぞ」
職員全員が必死に首を縦に振る。オートミールはその中の一人に視線を向け、より一層声を潜めて言った。
「起動にどれくらいかかる?」
「ご、五分ほどです、サー。プログラムが完全に残っていればの話ですが」
「破壊されていたら?」
「じ、十分くらいです、サー」
「なら十分だ」
いきなり話を振られたからか、彼に尋ねられた眼鏡を掛けた若い女性職員が慌てながら答える。しかし直後の悠然としたオートミールの言葉を聞き、「遅い」とどやされると思ったその女性や他の職員達も皆呆気に取られた顔でオートミールを見つめた。
「家を取り返すんだ。我々の家だ」
オートミールは怒る代わりに、職員達の顔を順番に見つめながら小さく、しかし力強い声で言った。口だけでは無い。目で、全身で、心で、オートミールはなおも怯える職員達に身から溢れ出さんとする己の思いを伝えた。
「カサブランカやシドの部隊には悪いが、我々にも意地がある。プライドがある。そうだろう、兄弟達よ」
乾いた大地に水が染み渡るが如く、彼の一言一句が心の奥底へ確実に染み込んでいく。オートミールは言葉を紡ぎながら背を向け、一歩前へ踏み出す。その背中はとても大きく映り、後ろにつく職員達もそれを感じ、同時に絶対的な安心感――闇の中に一筋の光明を見たような感覚――を覚えながらオートミールの後を追った。
ああ、偉大な指導者よ!
道を示す者よ!
我らが司令官よ!
「我々は我々のやり方で家を守らせてもらう。我々が守らないで、誰が我々の家を守ると言うのだ。ここは我々と我々の祖先が育んできた地だ。そんな地を、余所者に荒らされていい道理はない。我々の手で守るんだ、兄弟達よ」
オートミールの言葉が次第に大きく、力強い口調の物へと変わっていく。そしてそれを引き金にして、他の職員達の目にも意志の炎が灯る。それまで怯えるように丸めていた背がいつの間にか真っ直ぐ伸ばされ、その顔つきも自信と気迫に満ちた凜々しい物へと変わっていく。
「今から、奴らに踏みつぶされた家と先祖の思い、そして我々の誇りを取り戻す。誇りだ。今から我々の誇りを、あの侵略者どもから取り返す! 行くぞ!」
体の内側から力を漲らせた白衣の一団が、ゆっくりと、しかし堂々と、半分瓦礫の中に埋もれた本部施設へと向かっていった。




