第八十四話「すれ違い」
ライチ達が地上に戻ってマクラーレン姉妹の父親から事情を聞いていたのと同じ頃、地下にあるニューヨークシティに一人の男が立っていた。その男は紺のシャツと裾の長いズボンを身につけていただけでネックレスや指輪といった光り物はつけてはいなかったものの、ここに元から住んでいた『田舎者』とは見るからに雰囲気が違っていた。富める者が持つ気配、精神的余裕から来るどっしりとした態度を保っていた。
「おかしい」
だがその表情は余裕とはほど遠い、曇った顔色を浮かべていた。彼は自分の目の前にあるシティ内で最も大きな一軒家を見上げながら、苦々しい声で呟いた。
「どこにいったんだ? やはり事前に会う約束を取り付けてくるべきだったか……」
地球に墜落した火星人を巡る一件を調査するために地球へ降下していった査察官、彼らが乗るシャトルに強権を発動して無理矢理乗り込んだはいいが、やはり下策だったか。男はそう思いながらノブを掴み、室内に足を踏み入れた。この家に入り込むのはこれで二度目だった。
「何度入っても同じか」
がらんどうの室内を見て、溜息交じりに落胆した声を出す。そして外に出てドアを閉め、前方に広がる牧歌的な光景に思いを馳せる。
「発信元は確かにここの筈なんだが……どこか別の所にいるっていうのか? 通信機も見当たらない……」
彼はニューヨーク本部の見取り図を事前に手に入れていた。地下の都市の存在も知っていたし、そこへの行き方も知っていた。しかし彼が地下に行ったのは、彼が会いたがっていた目標が既に地上に戻った後であった。そのすれ違いの事実に彼は気づくことが無かった。
しかし、アポ無しでここに来た彼は、今ここには存在していない事になっている。無闇に本部施設内をうろついてここの職員に見つかろうものなら不法侵入者として処理され、その後の対応が非常に面倒な物になる。それはそれで避けたい展開であった。
ならここでじっと待つか?
いや。
「駄目だ」
時間が無い。そう、こちらにはもう猶予が残されていない。ここに降りてきたのは簡単に言えば『催促』のためだ。部下に指示を出すだけで無く、自ら直接動くことも大事だ。偉大な経営者である父もそのような事を言っていた。先人の知恵に倣うのは決して無駄なことでは無い。
リスクを冒してこそ得られる物があるとも。
「よし」
そう考えて、男は自身に活を入れるように呟いて歩き出した。その足取りの先には、地上へと続くエレベーターを内に収めた、天へと伸びる柱状の建物があった。ちなみにライチ達も帰りの際にこのエレベーターを使用しており、なぜ行きの際にこれを使わなかったのかという問いかけに対し、ベラは「焦らした方がありがたみが増しますから」という答えを返していた。
閑話休題。
「上がるぞ」
男がドアノブを掴み、中に入る。中には人が十数人も入るくらいの大きなエレベーターがあり、男はそこまで歩いて脇にある上昇ボタンを押した。
「……」
この時、男の頭の中では目標に会うのとは別に、ある一つの思いが立ちこめる霧のように蠢いていた。その靄は次第にハッキリとした形を取っていき、やがて一人の人間がそこに現れた。
それは女性――自分よりも年上の少女の姿だった。男はその少女を知っていた。その女性の事を誰よりも詳しく知っていると自負していた。
「姉さんもここにいるのか、今も無事なんだろうか?」
カリン・ウィートフラワーの顔を脳裏に思い浮かべながら男が心配そうに呟く。その少女の姿は彼の中でみるみる存在感を増していき、それまで心中の大半を占めていた『ある目標との接触』という目的が風船のように萎んでいき、あっという間にその存在感が霞んでしまう程であった。
「ああ、姉さん、大丈夫だよね? ここの連中に酷い事されてないよね? 襲われたりしてないよね?」
エレベーターの中で男が不安げに呟く。そんな男を乗せながら、金属で出来た箱は真っ直ぐに地上を目指して動いていった。
「火星の企業群が地球を利用していたというのを知ったのは、その時だった。最初はただの好奇心からだった。何の話か知りたくて、それで『お前の探している男は既に死んで、自分はその男の部下だ』とこっちが答えたら、向こうから全部教えてくれたんだ」
男が地上に戻ろうとしていた時、リリー姉妹の父親は独白を続けていた。この時彼の頭の中には全ての過ちの始まりの光景――浜辺に打ち上げられた前首領の死体とその横で揺らめくゴムボート、そして通信機から聞こえてくる研ぎ澄まされた刃物のように冷徹な声とそれを聞き取る自分の姿がある光景――が鮮明に浮かび上がっていた。
「……話を聞き終えた時はショックで頭が回らなかった。それと同時に怒りを覚えた。地球にいながら何も知らずにぬくぬく生活していた自分にも怒りを覚えた」
「世界から置いてけぼりにされたような気がした?」
「そうだ。それが悔しかった」
そこで一つ溜息を吐き、その後再び父親が話し始める。
「だから今考えてみれば、自分があんな行動を取ったのは好奇心と、ほんの対抗心からだと思う。それにこっちの状況を向こうは把握していない事も、自分の気持ちを後押ししたと思う。だから――」
「身分を偽って相手を騙した」
「そうだ。実は自分はこの男の右腕的存在であり、生存者は自分以外にいないと言った。後半部分は本当の事だったが、それでも向こうを騙したのは本当の事だ」
「余計なことを」
父親の告白にリリーが露骨に苦い顔を浮かべ、それより前にリリーの父親に相槌を打ったオルカが困ったような表情を浮かべる。彼女がリリーと同じ気持ちを抱いていたのはその顔から十分察する事が出来た。
「しかし、それがまずかった」
そして気づけば父親もオルカと同じ顔をしていた。しかし顔に刻まれた翳りの色はオルカよりも濃く、皺の刻まれた顔から活力が無くなり見た目相応に老け込んでしまったかのような雰囲気を見る者に与えた。
「向こうはこちらの言い分を完全に信じてしまった。いや、連中にとっては誰が相手でも良かったんだろうな。個人の地位やスキルは関係ない。武器のテストが出来ればそれでいいんだから」
「……とにかく、その時からあなたは青空の会を束ねる存在になってしまったと言う訳ですね」
イナが問いかける。父親が首を縦に振る。
「そうだ。通信機は星間通信だけで無く地球内での通信にも利用出来た。だからそれを利用してお前が青空の会の指揮を取れと向こうから言われたんだ」
「そこで断んなかったのそれ? やっぱり自分は違うんだとかなんとか言ってさ」
「もちろん言おうとした。だが自分が断るよりも速く、各支部からの安否を伺う通信がひっきりなし送られてきた……その時だ。もう後戻りは出来ないと悟ったよ」
疑問提起したモブリスに父親が答える。
「青空の会は世界中に存在していた。それは通信機から聞こえてくる支部の名前を聞くだけでわかった。そして彼らが地上に上がる前に潜伏していた地下通路やシェルター同士の連絡通路はどこに繋がっているか把握し切れていない。だからいつ、どこから報復されるかわからなかった。進むしか無かったんだ」
「しかし、あなたは途中からでもそれを止める事も出来たはずだ。いや、それ以前に自分の立場を利用して、青空の会を一網打尽に出来たはずだ。そうすれば報復を恐れる心配もない。なぜそれをしなかった?」
「それは……」
植物の根のように縮れた白髪を弄りながら問いかけたパインに父親が答える。
「……最初はそれも考えた。いや、そうするべきだと思った。私はマクラーレンの人間だ、こんな事に手を貸すべきでは無いと。だが……」
「だが?」
オートミールが追及する。父親が苦い顔で言った。
「その時、私はまだ若かった。代わり映えのしない毎日に退屈していたんだ。そんな時に、目の前にとんでもない物が転がり込んできた。まさに格好のオモチャだ」
「まさか」
「……それを無碍にするなど、その時の私には考えられなかった」
イナが唖然とした顔で父親を見る。
「そんな理由で?」
「そうだ。馬鹿馬鹿しいにも程があるだろう? だが当時の私にとって、それはとても魅力的な物に見えたんだ」
「それで、そのオモチャとそれを使ったゲームに手を出した?」
「そうだ、私の両親にも内緒でな。味方に内緒で敵と内通する。途轍もないスリルだ。私はあっという間にそれの虜になった。そして両親が年老いてこの世を去ってからも、私と奴らの関係は続いた。その時には私も若い頃の情熱をすっかり無くし、半ば惰性で続けていた」
「信じられない」
カリンがその顔を嫌悪に歪めて苦々しく呟く。
「やる気がなくなったんなら、もうその段階で止めればいいのに。どうしてそうしなかったの?」
「その時にはこの関係を始めてからもう十年以上も経っていたんだ。十年以上も隠してきた。味方にも家族にもだ。今更喋れる訳無いだろう」
「それ本気で言ってるのかよ」
リリーが父親を睨みつける。レモンは血の気の抜け落ちた顔で父親を見つめている。
「みんな騙してて、何とも思わなかったのかよ?」
「申し訳ないとはいつも思っていた。しかしどれだけ悔い改めようと思っても……私は怖かった。一歩が踏み出せなかった」
「怖いだと?」
「報復が怖かった」
「ふざけんな!」
怒りを爆発させたリリーが吼え、大股で父親に詰め寄らんとする。その体をモブリスとアロワナが左右から押さえ付ける。
「おい! 落ち着け!」
「まだ話終わってないでしょ!?」
「うるせえ! どけ! 行かせろ!」
「やかましい! ライチ、お前も手伝え!」
「う、うん! だめだよリリー!」
ジンジャーとライチも先発隊に続くようにしてリリーに組み付いて彼女の突撃を阻む。しかしリリーはそれでも怯むこと無く、その視界に父親だけを収めて前へ進もうとする。
「あなたもマクラーレンの人間でしょう! はしたない真似はやめなさい!」
「いいからどけ! 一回殴らせろ! あのクソ野郎ほっとけるわけねえだろ!」
「落ち着いてください! 後でなんでも言う事聞きますから落ち着いてください!」
ベラが後ろから羽交い締めにし、ショーがリリーの体を正面から受け止めた。しかしどれだけ人垣を築こうが、今のリリーはそれで止まる程容易な存在では無くなっていた。自分を止めようとあがく連中を丸ごと引っ張るように靴裏と床を擦りあわせるようにして、一歩一歩確実に前へとにじり寄る。
今やその場はリリーを中心として回っていた。攻防に参加していなかった者達はその全員が、拘束されてなおも声を荒げて暴れ回るリリーと彼女の全身に纏わり付くように貼り付く者達によって作られた不思議なオブジェへとその意識と視線を向けていた。その中でも『地球入り』を果たしたばかりの監査官三人組は一様に呆然とした表情を浮かべ、目の前の原始的な闘争を見つめていた。
「ライチ……素敵……」
一方でカリンは必死にリリーに食い下がるライチの勇敢な姿を視界に収め、白馬の王子に憧れる乙女のように頬を赤らめていた。
「やっぱりライチは世界で一番の人ね。ああ、もう素敵すぎ!」
「お前って本当にライチの事になると何も見えなくなるんだな」
そんな訳で、そこにいた者達はそれ以外の物体や事象については完全に意識の外へと追いやっていた。ただひたすらに驚愕と幻滅とほんの少しの興奮を覚えながら、猛り狂うリリーとその取り巻きのやり取りを眺めていた。
だから、この時誰も気づくことは無かった。
彼らがいた部屋の外で聞き耳を立てていた者がいたことに。
「……」
地下から上へと戻って来た男はその部屋の中で行われている事を把握しようとドアに耳を押し当て、そしてそこから聞こえてくる罵声や床を力任せに踏みならす音を聞いて顔をしかめていた。この罵声――気品の欠片も無いリリーの声が彼が盗聴を始めてから一番最初に聞き取ることの出来た音であったというのも、彼の心象を悪くするのに一役買っていた。
「何をしているんだいったい」
男はドアから耳を離し、呆れた声で呟いた。自分の思っていた通り、地球の人間は短慮で野蛮な連中なのか? そう思わずにはいられなかった。
「……やれやれ」
そして幻滅した声を漏らした時には、それまで抱いていた『人の多い所に行けばカリンに会えるかも知れない』という淡い希望も既に霧散していた。聡明で美しい姉があんな奇声を発する野蛮人共と一緒に行動しているなどあり得ないと考えたからだ。
「他の所も探してみるか。ひょっとしたら姉さんに会えるかも知れないし」
もう完全にここに来た目的の優先順位をはき違えていた。頭の中に愛する姉の姿を思い浮かべながら、男は飛び跳ねんとする足取りでそこを離れていった。
この時、男は自分が身につけていたズボンのポケットの中に赤く点滅する豆粒ほどの大きさのボタン型の物体が転がっていた事に、最後まで気づくことは無かった。
彼もまた、一つの事柄に意識を全て傾けていたがために、それ以外の事象に気が回らずにいたのであった。




