第八十二話「修羅場」
「司令、メールが届いています」
「メール? どこから?」
「火星からです」
火星から。二つ折りにされた紙束を片手に握ったまま執務室に入ってきたショーのその言葉を受けて、木製のデスクに腰掛けて事務仕事をしていたオートミールはあからさまにしかめっ面を浮かべた。
「そんな嫌そうな顔しないでください。これも仕事の内ですよ」
「読まなくてもわかるよ。多分あれだろ? 地球に落っこちてきた子供達の安否確認だろ? それなら今日中に送るから心配するなって返信しておいてくれ」
にべもなく返してからオートミールが再び手元の書類に目を落とす。ショーはその司令官の下へと大股で近づき、オートミールが目を通していた書類の上に被せるようにして自分の持ってきた紙束を彼に見せながら言った。
「推測で話を進めないでください。ひょっとしたら中身が違うかも知れないでしょう? ほら、まずは読んで」
「そんな分厚い物を読めっていうのか?」
「たったの四ページ、B5サイズですよ」
「枚数の問題じゃない、密度の問題だ。どうせノミみたいに小さい文字でびっしり書いてあるんだろ?」
「なんでそんなに嫌がるんですか」
「成金は嫌いなんだよ」
「あなただって元々は火星人でしょうに」
「地球の暮らしに慣れると、火星の生活に嫌気が差してくる物なのさ。閉塞感からの解放というか、火星での生活の中で心の中にこびりついた汚い物を、地球の澄んだ空気が洗い流してくれると言うべきか……君だって自覚はあるだろう?」
「……」
否定出来なかった。ショーも元々は火星の生まれだが、こうして地球に降下してここで生活をしていく内に、それまで送っていた火星での生活が全て重圧と欺瞞に満ちた息苦しい物であったと思うようになっていた。地球での牧歌的な生活は火星社会を取り巻く資本主義と階級制という二つのシステムから彼を解放し、精神的な意味での自由を彼にもたらしたのだった。
「なんだか、火星の連中は生き急いでいる印象がしてならないんだよ。かつての栄光、地球で花開いていた栄華を取り戻そうと死にものぐるいで生きている……そんな感じがするんだ」
「確かに、滅びる前の地球の文化は凄かったらしいですからね。確か、その時の地球には長距離ワープ装置が世界中どこにでも置いてあって、それを缶ジュース一本買うのと同じ値段で誰でも使えたとか」
「そうそう。あったねそんなの。確か、転送対象の物体を一度『情報』に置き換えて『データ』として転送して、そして送った先で再び『物体』に還元するとか、そんな感じだったっけ」
「そんな詳しい所まで覚えてませんよ。量子が絡んでるとか何とか言う話は聞いた事ありますけど」
ショーが肩を竦めて力なく返す。オートミールが言った。
「まあとにかく、そんなかつての素晴らしい文明を再現しようと、今の火星人達は必死になっているという訳さ。火星に居た時はそんなの考えた事もなかったけど、地球に降りて外側から火星の社会を見て、初めてそう思えるようになった」
「まあ、それに関しては私も同じ意見です。地球のゆっくりした生活に慣れたら、もう火星には戻りたくなくなりますね。心情的な意味でも」
「母なる星か」
オートミールがゆっくり呟く。そしてショーが目の前に提示していた資料を受け取り、その中身を読み進めていく。
「どういう心境の変化で?」
「単に観念しただけだよ」
疲れた声でオートミールが答え、そして一ページ目を読み終えた段階でそれをショーに突きつけながら言った。
「これはなんだ。嫌がらせか?」
そこにはオートミールの読み通り、白い紙の上を小さな文字がびっしりと埋め尽くしていた。しかもその中身はソウアーへの誹謗中傷だけで構成されていた。
「のろま。役立たず。税金泥棒。人殺し……言いたい放題だな。証拠も何もないって言うのに」
「とりあえず最後まで読んでくださいね」
「うるさいな。わかってるよ」
ショーからの催促に、苛立ち混じりにオートミールが返す。そのやる気の無さそうな風体からは少し想像出来ないが、オートミールの沸点は高くない。本当ならば今ここで火星人からの一方的な迷惑メールを破り捨て、酒を浴びるようにかっ食らいたい所だった。だが部下の手前、それは我慢。
オートミールは司令官として――いや人間として最低限の常識は守れる男であった。
「結局このノリで終わるみたいだな……」
そうして二ページ、三ページと読み進めていったオートミールだったが、その一枚の白紙が真っ黒に染まるほどぎっしり詰め込まれた罵詈雑言の山は、彼の精神を確実にすり減らしていった。現に彼が三枚目を読み終える頃には、うんざりした表情でそう疲れ切った声を放つ始末であった。
「あん?」
そんなオートミールがそれまでの流れに似つかわしくない素っ頓狂な声を上げたのは、彼が四枚目を読み始めた直後だった。彼の態度の変化に気づいたショーが心配そうに尋ねる。
「何かあったんですか?」
「……」
しかしオートミールはそれに答えず、うんざりしたように顔を歪めながら四枚目の紙を黙ってショーに差し出した。
「ええ?」
読めというのか。それを受け取ってショーが中身を読み進めていく。読んでいく内に、彼の顔もオートミールと同じようにぐんぐん歪んでいく。
「……これはどう言う意味ですか?」
「どうもこうもしないよ」
ショーの問いかけにオートミールが苦々しく吐き捨てる。
「そうするんだってさ」
「どうしろと?」
「どうにも出来ないよ」
総司令官とその部下は、四枚目の紙を前に揃って昏い溜息を吐いた。
リリーの実家にはそれまでたむろしていた家から歩いて数分の所にあった。自分達がいた所よりも一回り大きな切妻屋根の家であった。
「うわ、二階もあるんだ」
「屋根裏部屋もあるぜ」
上部にある窓を見てライチが驚き、リリーが得意げに答える。そしてリリーが先頭に立ち、木製のドアをノックする。
「あれ? 反応しねえ?」
叩かれた木のドアは快い音を立てたが、内側から反応は無かった。試しにリリーがドアノブを掴んで捻る。
鍵は掛かってなかった。
「……泥棒?」
「まさか、そんな事は」
リリーの横からそれを見ていたカリンが不安げに呟き、ベラが信じられないと言いたげに返す。
「いくら何でも不用心すぎるだろ。何やってんだよあいつら」
当のリリーはカリンの懸念を全く気にする事無く、呆れたようにそう言いながら外開きのドアを開けた。
開けた瞬間、リリーがその場で固まった。
「……リリー?」
石のように固まったリリーの気配の変化を察したライチが心配そうにその背中に声を掛ける。リリーはそれに応えず、視線を部屋の中に向けたままぴくりとも動かなかった。
「どうかしたの?」
「マジでなにやってんだよ……」
ライチの言葉には耳を貸さず、リリーがうわごとのように呟く。そんな彼女の横をすり抜けるようにして、オルカが我先に家の中へと足を踏み入れた。
「ちょっと、なにしてんの?」
「このままじゃ埒が明かないからね。お先に失礼させてもらうよ」
口を尖らせるスバシリに笑みを浮かべて答えた後、オルカが視線を家の中へ向ける。そしてそこに見える光景を前に、オルカは体を石のように硬直させた。
「……レモン」
「レモン?」
オルカの呟きをオウム返ししたライチは、次の瞬間、いわゆる『嫌な予感』と言う物が自分の背筋を這い上ってくるのを感じた。ライチはいてもたってもいられなくなり、オルカが通った反対側をすり抜けて家の中に踏み込む。スバシリとベラ、そしてカリンもそれに続く。
その直後、彼らもまた石像と化した。
「えっ?」
家の中を視界に映してまず一番に見えたのは、彼らのよく知る少女――レモン・マクラーレンの姿だった。癖の無い、シルクのように滑らかな腰まで届く赤い髪。しなやかな肢体を包む黄色いワンピース。その外見はまさに彼らのよく知るレモンその人であった。外見はいつもと同じで、驚く要素はそこにはどこにも無い。
彼らが身を強張らせたのは、その肝心のレモンが普段からは想像も出来ないほど怒りに顔を歪め、一人の人間の胸ぐらを片手で掴んで持ち上げていた事だった。一方母親は部屋の隅ですすり泣いており、彼らの視界には収まっていたものの注目されることは無かった。
「お前、そいつ俺達の親父だぞ? なにやってんだよ?」
リリーが苦しげに声を漏らす。それを聞いてやっとこちらの存在に気づいたのか、レモンがハッとしたように顔から怒りを消し、そのまま錆び付いたブリキ人形のように首をゆっくりと回してこちらに視線を向けた。
「来ちゃったんですね……」
レモンがリリーたちを視界に収めながら言った。とても悲しく、寂しげな声だった。しかし男――レモン達の父親を締め上げる力は緩めなかった。
「まあ、来るとは思っていましたが……出来る事なら、もう少し後になって来て欲しかったですねー……」
「どうかしたのかよ、おい。なんでお前、そんな事してるんだよ……?」
喉からひねり出すように発せられたリリーの問いに、今にも泣き出しそうな感じの笑みを浮かべてレモンが答える。
「少し、ショックな事がありまして」
「ショック? それが今の状況と何か関係するって言うのか」
「はい。とっても」
小さく頷いてからレモンがリリーに言った。
「お姉さま」
「お、おう。なんだよ」
「聞きたいですか?」
「なにを」
「全部を」
軽く突いただけで崩れてしまいそうなくらいに弱々しい笑みを浮かべて言ったレモンを前に、リリーが生唾を飲み込む。彼女にとってレモン・マクラーレンとはいつも明るい太陽のような少女であり、こんな怒りと悲しみでボロボロになった妹の姿を見るのは生まれて初めてだからだ。
「ねえ、お姉さま。聞いてみたいですか?」
むしろ聞いて欲しい。話をさせて、自分を楽にさせて欲しい。レモンがそう言外に懇願しているのが、リリーには手に取るようにわかった。相手は血の繋がった妹である。わかって当然だ。
そして目の前で苦しんでいる妹に対して自分は何をするべきか。それもリリーにはわかっていた。
「……ああ。聞かせてくれ」
短くリリーが告げる。次の瞬間、レモンは僅かにその顔を嬉しそうに輝かせ、彼女の両親は顔に浮かぶ絶望の色をより濃くしていった。
「お前が抱えちまった事、俺達に――こいつらにも話してやってくれ。最初から最後までな。いいか?」
「はい。全部、包み隠さず、お話しさせてください。よろしいですか?」
「任せろ。妹を支えてやるのも姉の仕事だからな」
リリーが笑って答える。レモンもその笑顔に釣られて、目尻に涙を溜めつつも笑みを浮かべた。家に踏み込んだその他大勢は半ば話に取り残されていたような形になっていたが、姉妹の決定に異を唱える者はいなかった。
両親だけが気まずい顔をしていたが、それを気に留める者もいなかった。
同じ頃、カリンは彼らとは別の物を見ていた。彼女はそれだけを視界に収めつつ、またそれから聞こえてくる音声に聴覚の全てを傾けていた。彼女にとってレモンとリリーの問答は完全に蚊帳の外だった。
「くそ、誰も聞いていないのか! おい! 返事をしろ!」
それは通信機だった。星間通信を可能にする最新の機械。火星でしか開発されていない超高級品。カリンは通信機そのものでは無く、その通信機から聞こえてくる声に釘付けになっていた。
「いい加減にしろ! こっちも暇じゃ無いんだぞ! おい! さっさと返事しろ!」
「ジェイク……?」
そこから聞こえてきたのは弟の声だった。
久しぶりに聞く弟の声。
だがそれを聞いて、今のカリンに懐かしさや嬉しさは微塵も湧いてこなかった。代わりに「なぜこんな所でジェイクの声が聞こえてくるのか?」という疑問が頭の中を駆け巡った。
なぜこの状況で?
「あの……っ」
そして気がついた時には、彼女は無意識のうちにレモン達を視界に収めて声を発していた。レモンと彼女に吊し上げられていた男が同時にカリンの方を見やる。一瞬驚いて僅かに後ろに退がるもすぐに踏みとどまり、か細い声で疑念を口にした。
「これ、この通信機」
カリンの言葉に合わせて、その場にいた全員が一斉に床に転がっている機械を見据えた。自身はレモン達の方へ視線を固定しながらカリンが続ける。
「どこと……誰と繋がってるんですか?」
今度はレモンの両親以外の全員が一斉にレモンの父親へ目を向ける。突き刺さるような視線の山を受けてレモンの父は咄嗟に首を回したが、どこにも逃げ場は無かった。
秒刻みで空気が張り詰めていく。ライチ達はレモンに掴まれた父親へ向ける視線に込める力をますます強め、そしてそれまで四方八方へ顔を向けて脱出の算段を組み立てていた父親も次第に強まっていく自分への無言の圧力を受け、やがて全てを諦めたかのようにがっくりと項垂れた。
ベラの懐に入っていた通信機がけたたましく音を鳴らしたのは、まさにその時であった。




