第七十九話「ニューヨークシティ」
ニューヨークシティで行われている開墾作業に合流、それに協力せよ。
それがカサブランカ以下戦艦三隻に属していたメンバーに下された指示であった。ライチ達該当者は個室ごとに運ばれてきた朝食――ふっくら焼けたロールパンとオムレツ――を食べ終わった後で昨日集会を行ったのと同じ場所に集まり、そこでオートミールからその旨を聞くことになった。この時オートミールの両隣にはそれぞれショーとベラが控えており、ショーの目の下にはうっすらとクマが、ベラの鼻の穴には丸まったティッシュが詰められていた。
「質問いいかな?」
普段と同じ格好をした義体を使ってこの場にいたオルカが片手を挙げて言った。オートミールが「どうぞ」と促すと彼女は手を下ろし、そのまま腕を組んで言った。
「ニューヨークシティはどこにあるのかな?」
あっ、とどこからか呆気に取られたような声が上がった。かつて遠洋からニューヨークを見た時、そこには本部施設と小麦畑以外に何もなかったのを思い出したからだ。
「ボクの記憶によると、この近辺にはソウアーの本部と小麦畑しか無かった筈なんだ。少なくともこの周囲にシティと呼べるような場所は影も形もなかった」
「……」
「勿体ぶらないで教えてくれ。町はどこにあるんだい? もしかして、ここからもっと遠い所にあるのかい?」
「……遠いと言ったら遠いかな」
それまで黙ってオルカの言葉を聞いていたオートミールがそこで欠伸を噛み殺しつつ答えた。無責任というか無防備というか、やる気の感じられないその態度を前に、オルカは怒りを通り越して呆れてしまった。
「うん。まあ言いようによっては遠い。でもそれは、ある意味ではとても近い」
「謎かけに付き合うつもりはないよ」
のんびりした声で答えるオートミールの言葉をオルカが一蹴する。肩を竦めてオートミールが答える。
「わかった。正直に話す」
「最初からそうしてくれれば良かったのに」
「こっちも書類仕事ばかりで退屈だったんだよ。一応の総司令官だからここを離れて畑仕事に行く訳にも行かないし。ちょっとくらい遊んでもバチは当たらないと思うんだが。ねえベラ、君もそう思うだろ?」
「そうですね。それも一理あるかと」
「えっ」
オルカと、彼女の反対側に立っていたショーが驚きの視線を向ける。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。人間には癒しも必要なのですよ」
ベラはそんな二人の眼差しを受けて、一心不乱にギムレットの顔を凝視しながら言った。
「癒しって必要ですよね」
そして唇の端を吊り上げ凶悪な笑みを浮かべる。自分を貫くような視線と気配に気づいたギムレットが見るからに怯えた表情を浮かべ、そのギムレットの異変に気づいたエムジーが彼を自分の背後に隠すようにして素早く前に立つ。
「どきなさい」
「いやよ」
愛しい人を遮られ苛立たしげに目を細めたベラと無垢な子供を淫婦の魔手から救い出し誇らしげな顔を見せるエムジーが、互いに気配だけで言葉を交わす。当のギムレットは迷子になりかけた子供の様にエムジーの着ている服の裾を両手で必死に掴み、彼女の背後に隠れながら伏し目がちにベラを見つめていた。
まるで自分が悪役のようではないか。それがベラの神経を更に逆撫でした。
「なぜ? なぜそのような目をするの? あんなにも愛しあったじゃないですか」
「……そうだったのね。お前がこの子をあんな目に遭わせたのね。なんて酷い事を。大人として恥ずかしくないの?」
「……そうですか。あなたが彼に余計な事を吹き込んだのですか。私と彼の仲を裂くのがそんなに楽しいのですか?」
「彼はあなたの性欲を発散させるための道具ではないのよ。何か勘違いしていないかしら?」
「そういうあなたこそ、なぜ彼の肩を持つのですか? これは私と彼の問題。横から首を突っ込むのはやめてもらえないでしょうか?」
ベラとエムジーが視線を合わせ、目で言葉を交わしながら激しく火花を散らす。互いに退く気は微塵も無かった。ギムレットはそんな水面下で繰り広げられる戦いの空気を肌で感じ背筋が寒くなるのを覚えたが、それでもエムジーの裾を離すことはしなかった。
「ニューヨークシティへはショーが案内してくれる。赴く際は彼の指示に従ってくれ。まあ、徒歩で片道十分もかからない所だから、そんなに迷いはしないだろうが」
そんな真横で修羅場を展開させているベラを努めて視界の外に置きながら、オートミールが疲れた声で言った。それを聞いたショーが無言で頭を下げる。徒歩十分? 一方でエムジー以外のクルー達は、オートミールの放った言葉の意味がわからず複雑な顔を見せていた。そしてショーが顔を上げた後で「何か質問は?」とオートミールが気怠げに問いかける。
誰よりも早く、レモンがその細腕を高々と突き上げた。
「そのニューヨークシティには、今から行くことになってるんですかー?」
「いや、そこには午後に向かってもらう。一度こっちで昼食を摂ってからだ」
「なるほど。わかりましたー」
オートミールがあっさり返し、それを聞いたレモンがあっさり身を退く。すると今度はリリーが我慢しきれなかったと言わんばかりの勢いで手を挙げた。
「いい加減、ニューヨークシティって所の詳しい情報を教えてくれてもいいと思うんだが。どうなんだよ?」
「それは見てのお楽しみだ」
またもオートミールがあっさり返す。リリーはまだ何か言いたそうに口を開けたが、その後すぐに『どうせはぐらかされるのがオチだ』という考えが脳裏をよぎり、結局渋々と言った形で黙り込んだ。
「さて、他に質問は?」
改めてオートミールが口を開く。そしてどこからも手が挙がらないのを見て、頷きながら言った。
「なら、今日の所はこれでお開きだ。それぞれの部屋で昼食を食べ終わったら、一階北東端にある保管室に集まってくれ。そこからショーに誘導してもらう。それじゃ」
昼食は魚の切り身を揚げた物とポテトサラダだった。サラダの中には生のタマネギも入っており、その舌をひりつかせるような辛みがライチの不興を買った。
「あんなもの二度と食べるもんか」
そう不満げにぶつくさ言うライチが昼食後に向かった保管室は殺風景で窮屈な場所であった。室内には鉄製の三段構えの棚が規則的に置かれており、その上に全て同じ大きさの段ボール箱が隙間なく置かれていた。棚と棚の間は人一人通るのがやっとという程度の広さだった。
「こっちです」
その中の一角、唯一棚の置かれていない広いスペースにショーがクルー達を案内した。全員揃ったのを確認したショーはその場に腰を下ろし、おもむろに床に手を這わせ始めた。
「何を?」
不思議に思ったイナがそう疑問を口に出すが、ショーはそれに応える事無く床をまさぐり続ける。イナと他の面々の視線がその手に向けられるが、それでもショーは自分の動作を止めなかった。
「ここだ」
やがてショーが手の動きを止めた。そして手を止めた所を何度か叩いて上蓋を露わにし、それをずらしてから奥に隠れていた取っ手を掴み、奥の方へ押し込んでいく。
「うそ……」
「うわあ……」
カリンとレモンが揃って感嘆の声を上げた。ショーが押していくと同時に地面の一部が奥へとスライドし、そこから地下へと続く階段が現れたからだ。大人二人が横並びになって進める程度の広さを持ったそれを前にして、他の面々も声にこそ出さなかったが、その顔に驚きの色を露わにしていた。
「階段は狭いので、一列になって進みます。私が先頭になりますのでついてきてください」
「お、おい」
スライド動作を止めて階段へ向かおうとしたショーにリリーが声をかける。そして首だけ回してこちらの方を見たショーにリリーが言った。
「お前、これからどこに行くつもりだよ」
「どこって」
そこまで言って、苦笑してからショーが続ける。
「行けばわかりますよ」
地下へと続く階段はある程度下った所で直角に折れ曲がり、また暫く降りた所で再び折れ曲がるというのを繰り返す、カクカクとした螺旋状の作りをしていた。また壁面には照明が規則的に備え付けられ、反対側には腰ほどの高さを持つ手すりがあった。そのどちらにも埃がうっすらと溜まっていた。
「これ、どこまで続いてるんだ?」
「地獄まで?」
「やめてよ、縁起でも無い」
パインの疑問にスバシリがおちゃらけて答え、エムジーが露骨に嫌な顔を見せる。ギムレットは『地獄』という言葉に反応したのか、前を行くエムジーの服の裾をきゅっと掴んだまま離さなかった。まるで小動物のようだった。
「もっと照明の数減らした方がいいんじゃない? 電気代的にさあ」
モブリスは一人資金繰りを気にしていた。場違いにも程があった。しかし彼女はそれを意に介する事無く、「君はどう思う?」と隣にいたライチに当然のように話を振る。まともに答えを用意していなかったライチはそれを聞いて苦笑を漏らし、彼の後ろを行くカリンは顔から表情を消し、ハイライトの消えた瞳でその恋人のうなじを凝視していた。
「……疲れてきた……」
「頑張れ。背負っていける余裕はないぞ」
「くっ、このまま終わる訳には……!」
クチメがうんざりした声で漏らし、ジンジャーが彼女の後ろから発破を掛ける。クチメの横に立つイナも妹同様に疲れの色を見せていたが、ジンジャーの言葉を受けて力を無くしかけていた表情を引き締めた。
「随分と長い道のりだな」
「あかん、もうカツカツや。動きとうないでござる」
アロワナは疲れの色を見せなかったが、アカシアはアンドロイドのくせに肩で息をしていた。ショーのすぐ後ろにいたオルカは終始余裕の態度を崩さなかった。
「着きました」
やがてショーが一つの扉の前で立ち止まる。それは青色に塗られた鉄製の扉で、ドアノブが出っ張りのようにつけられていた。
「その先に何があるんだ?」
ジンジャーの言葉を無視してショーがノブを掴み、軽く捻ってドアを押し開ける。鉄で出来たドアは重々しく、しかし音を微塵も立てずに静かに開かれていった。
「……え?」
その先に広がる光景を前にして、ライチが素っ頓狂な声を上げた。
「ええ?」
一番最初にドアの向こうへ足を踏み入れたライチに続いてその中へ進んだ者達もまた、一様に彼と同じ反応を示した。口を力なく開き、周囲の景色を呆然と見つめていく。
「うわあ」
「へえ……」
「うそ……」
その口からはただ驚きの声しかあがらなかった。自分の置かれた状況に思考が追いつかず、考える事を放棄してしまっていたからだ。
「なんだ?」
その中にあって、パインが初めて驚き以外の感情を込めた声を口に出した。
「なんだこれは?」
疑念。疑いに満ちた声。
それも『なぜ自分の目の前にこんな世界が広がっているのか』というような物では無い。『自分はいつの間にか眠っていて、夢の世界に旅立ってしまっているのでは無いか』という類の、内的な疑いの念を抱いていたのだ。
一歩前に進み、両目をかっと見開いて眼前の世界を見据えながらパインが再び呟く。
「……なんだこれは?」
パインの――彼女達の目の前には農村が広がっていた。頭上には青空が広がり、太陽が燦々と輝いて綿のような雲が浮かんでいた。穏やかな風が頬を撫で、日光が土を焼いて焦げたような匂いが鼻をくすぐる。
平坦かつ広大なその空間の地面は全て乾いた土で出来ており、方々を蛇のようにくねりながら走る道路も、コンクリートではなく土の地面を押し固めて歩きやすいように舗装されたものだった。道路の下には土を削って作られた川や水路が縦横に走り、石畳の橋が至る所に見られた。
その道路に沿うようにして木造の一軒家がいくつも建てられ、それぞれが全て異なる形をしていた。家の数はパッと見えただけでも三十はあった。
一軒家のすぐ傍には畑があり、その大きさもまた様々であった。また畑と家は全て腰ほどの高さを持つ白い柵で囲まれており、柵の一角にはその家と畑の所有者の名前が刻まれていた。
科学が文明を食いつぶすずっと前に存在していた、質素で素朴な空気がそこに存在していた。
「ここ、地下でしょ?」
常識外れな光景を前にしてカリンが息をのむ。
「ねえ、地下よねここ?」
「確かにここは地下ですよー。不思議で素晴らしい所ですねー。」
レモンは興奮に目を輝かせ、リリーは理解不能とばかりに頭を抱えた。他の面子はリリーと同じ表情をしていた。
「さて、ここが今日から皆さんの働いてもらう所です」
と、彼らの前に立ったショーが両手を広げて言った。
ここで? はたらく? クルー達がその顔に浮かべていた苦悩の色をより色濃くしていった。
「質問してもいいでしょうか?」
すかさずイナが手を挙げて質問の許可を求める。ショーが彼女の方を向いて答える。
「はい、なんでしょうか?」
「わたくしたちはニューヨークシティに向かうと聞いていたのですが」
「ええ。そうですよ」
イナの言葉にショーが苦笑を浮かべる。納得出来ないとイナが眉をひそめる。
「シティはどこに?」
イナと、他の面々の視線が一斉にショーに突き刺さる。しかしショーは身じろぎもしなかった。そして親指を立てて背後に広がる世界を肩越しに指差し、不敵な笑みを浮かべて言った。
「これがニューヨークシティです」




