第七十四話「いざニューヨークへ」
「なんだこれは?」
リリーが下層に押し込まれていた火星人達の様子を見に行ってから数分後、そのリリーがテーブルの上に放り投げた物を見てアロワナは首を傾げた。
「奴らが使ってたモンだ」
二人だけしかいない、使われた事の無い個室。その天井にある豆電球一個だけが弱々しい青白い光を放つ狭い室内で発せられたアロワナの問いに、リリーが憮然として答える。その掌に収まるサイズをした箱のような物体を手に取りながら、アロワナは目の前に立つ不機嫌極まりないと言った風のリリーに対して慎重に言葉を選んで言った。
「火星人達は、これを使って何をしていたんだ?」
「何をしていたと思う?」
だがアロワナの問いに対し、リリーが薄ら笑いを浮かべたまま逆に問いかけてくる。判断がつかず口を噤んだアロワナに、リリーが答えた。
「火星のパパとママに連絡取ってたんだよ」
「火星に?」
「星間通信さ。個人サイズのな」
そう言ってリリーが星間通信技術について説明を始めた。
現在において異なる星同士で連絡を取り合う際に使われる星間通信の技術自体は、それほど珍しい物ではない。むしろ通信料など諸々を含めたコストをちゃんと支払えるのなら、誰でも気軽に利用出来るほどポピュラーな物であった。もっともその発生コストは、五分会話しただけで一等地にあるマンションが丸ごと買えてしまえる程の額になるのだが。
しかもそれは公共施設などに設置されている専用の装置――旧世界に存在した『公衆電話』のような物である――をクレジットカードなどで使用した場合である。このうえ個人で持ち運びが出来る代物――こちらは『携帯電話』と言う物に近い――で星間通信を行おうものなら、使用技術が最新の物であるがために同じ時間で会話をしてもそれの数倍はかかってしまう。
ようは携帯式の星間通信機器を持つと言う事は、金持ちの中でも更に超絶金持ちだけが使える、金持ちのステイタスのような物であったのだ。
「ライチとカリンから聞いたんだが、あいつらの殆どは自分の親が大企業の重役やってる、エリート中のエリート共なんだってな。まあつまり、これぐらいのブツを持っててもおかしくは無かったって事だ。根性無しのボンボン共は大金持ちでいらっしゃるって訳だ」
「お前、あいつらにひがんでるのか?」
説明を終えてから皮肉と嘲笑をべったり上乗せした自分の結論を述べたリリーに対し、アロワナが呆れたように返す。だがリリーは黙って首を横に振り、更に機嫌の悪そうな顔つきで言った。
「そんな訳ねえだろ。アホか」
「はいはいアホで結構。メインの話に戻るぞ」
何が原因でそんなに機嫌を悪くしているんだ。
そのアロワナの問いに対してリリーは暫くの間黙って俯いていただけだったが、やがて顔を上げて見るからに嫌そうな口ぶりで言った。
「嘘八百」
「あ?」
「あいつら、自分の両親にある事無い事吹き込んでたんだよ」
曰く、自分達は社会見学のつもり出来たはずなのに、今は地球に住みついている野蛮人達に囚われてしまっている。野蛮人はカサブランカという戦艦をメインに三隻の船を所有している。カサブランカとか言う船はソウアーとか言う組織と繋がっているらしい。この船には我々と同じ価値観を有する者が一人もいない。野蛮人は自分達がどれだけ高貴な存在かを全く理解出来ない愚か者の集まりである。地球にはなんの魅力もない。野蛮人共は早い内に消毒を済ませ、地球とは手を切るべきである。
「ふざけやがって」
自身がその場で聞いた罵詈雑言の一部を話し終えたリリーが苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、躊躇う事なく唾を床に吐き捨てた。アロワナはそれを咎めなかった。彼女と同じ気持ちだったからだ。
「誰のお陰でこうして無事に生活出来てると思ってやがるんだ。地球の事も知ろうともしないで。恩知らずもここまで来ると清々しいぜ」
「……とにかく、これで火星の企業に対する、こちらの印象は最悪になったと言う事か」
なおも怒り心頭と言った体で息巻くリリーに対して、ため息交じりにアロワナが言った。そしてアロワナはゆっくりとリリーに近づき、その肩に手を置いて言った。
「あんまりイライラするな。起きてしまった事は仕方無い。いちいち気に病んでいても意味ないだろ?」
優しく、ゆったりとした口調でリリーに語りかける。その姿は利かん坊な娘を静かに諭す父親のように見えた。
「今考えるべきは、これからどうすべきかだ。全員を集めて会議を行う必要があるな」
「……」
「ふて腐れる気持ちもわかる。だが今は抑えるんだ。下手に暴れてあいつらを傷つけでもしてみろ。奴らはますます思い上がるだけだぞ」
「……わかってるよ」
そっぽを向き、ヤケクソ気味にリリーが呟く。理屈として理解はしているが、心で納得はしていない様子だった。
「クソが」
「やれやれ」
そんなリリーの態度を見てアロワナが疲れた様にため息を漏らす。その後彼はリリーから離れると懐からパッドをB5ノートサイズのパッドを取り出してその表面で指を滑らせ、液晶画面の中で重なり合うように展開された複数のウインドウに向けておもむろに口を開いた。
「イナ、オルカ、少し話したい事がある。皆を集めてくれないか」
緊急ミーティングという体で各艦船の艦橋に集められたクルー達がモニター越しに見えるリリーからの報告を受けた後に見せた反応は、まったくアロワナの予想通りだった。
「マジかよ」
「いくらなんでもそれは……」
「もう海に捨てた方がいいんじゃない?」
唖然とする者、呆然とする者、露骨に顔を嫌悪や憎悪で歪める者。彼らの反応は十人十色だったが、その中に好意的な感情を浮かべている者は皆無だった。場の空気は鉛のように重く、濁っていた。
「なんかもう、相手すんの疲れた」
「同感」
スクリーン越しに見えるモブリスの呟きにエムジーが同意する。後を継ぐようにパインが言った。
「早い所、ニューヨークの本部に押しつけた方がいいんじゃないか? これ以上船の中に閉じ込めておくのは流石にまずいと思うが」
「ですねー。姉様の見つけた物以外に、彼らが星間通信装置をまだ隠し持っているとも限りませんからねー」
「ああ、あそこにいるのって全員金持ちのエリートなんだったね」
レモンの言葉にライチが応える。本人としては嫌味や嘲りの色は出さないよう極力抑えたつもりだったのだが、それを聞いたカリンはビクリと目に見えて肩を震わせていた。
「誰が持っててもおかしくない、か」
「いいや、全員持ってるかもしれないよ。聞くに彼らはエリート中のエリートだそうじゃないか。エリートになるために幼い頃から英才教育を受けて、言い換えるなら多額の費用を投じられて育てられたと考えられてもおかしくない」
そこまで言ってからオルカが言葉を一旦閉ざし、モンブランの乗った皿を片手で持ち上げる。そしてもう片方の手に持つフォークでそれを切り分けながら、再び言葉を紡いだ。
「そんな彼らをむざむざ失うのは、色々な面でまずいと思うのが普通だよ。きっと非常事態に備えて、何らかの防衛ないし外部との連絡手段を持っていても不思議じゃない」
「そのために全員装置を持たされていると?」
「あくまで仮定の話さ。事実がどうかはわからないよ」
そこで言葉を切り、フォークを使って切り分けたモンブランを口の中に運び入れる。そして風船が膨らむように口の中に広がっていく栗の風味と甘さを前にオルカが極上の笑みを浮かべるのを横目で見ながら、イナが「一つ提案が」と前置きした上で口を開いた。
「わたくしとしましては、まず一刻も早くニューヨーク本部に到着し、彼らを安全な所に降ろすのが先決だと考えます」
「アタシもアタシもー! アタシも姉ちゃんにさんせーい!」
「……私も、姉様に賛成……」
スバシリとクチメが揃って三世の声を上げる。更にそれに合わせて、ドーンズ代表としてゴーゴンプラント中層部から連れてこられたギムレットがおずおずと手を上げた。
「あ、あの、僕もその、イナさんの意見に賛成です。このまま放置してもマイナスの要因しか働かないと思うので」
「ウチも同じ意見やな。やっぱり地に足着けられるって安心出来る事やで。さっさとアメリカ行った方がええと思うで」
結局、このギムレットとアカシアの言葉がきっかけとなって、彼らの行動方針が決定された。曰く。
「では我々はこれより、全速前進でアメリカ大陸、ソウアーニューヨーク本部へ向かう。各員持ち場へ着くように」
ニューヨーク本部への道は至って平坦な物であった。
特に何が起きるでもなく、順調に、しかし気を抜く事無く最大戦速でカサブランカ以下三隻の戦艦はニューヨークへと向かっていた。
その道中、クルーの面々は交代で、ゴーゴンプラント下層に集められている火星人達の監視を行っていた。これ以上下手に事を荒立てられるとやってられないので、何らかの装置を使っている所を見た場合はすぐさま没収する事になっていた。しかし監視を行ってからニューヨークに着くまでの間、火星人達が不審な行動を起こす事は無かった。
「つまらねえな」
リリーが口を尖らせてそう言ったが、それを咎めたり苦言を呈したりする者はいなかった。他の面々も彼女と同様、火星人の落ち度を求めていたのだった。
ハワイ島への停泊中にある程度済ませていたため、ジャケットの修理や整備は最低限の物で済んだ。その代わり、受け入れたアンドロイド達の整備に多くの時間を割くことになった。彼らは自力で自分達の整備修復は出来たが、ここにある道具はどれも見慣れない物ばかりで悪戦苦闘していた。それを助けるために、機械に明るい者が彼らに指導する事になったのだった。
ニューヨークへは旧時代に陸地部分が海の底に沈んだ中米を通過して向かった。その周囲は真っ青な海が一面に広がり、旧時代の頃に一般的に認知されていた世界地図に記載されていたような陸地は欠片も見つからなかった。メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアは揃って水の底に沈み、キューバやジャマイカ、ドミニカもそれと同様の運命を辿っていた。
「中米一帯がなぜそうなったのか。それは誰にもわかりません」
この一体が海の底に沈んだ事に疑問を呈したライチに対し、イナはそう答えた。
「地球温暖化が原因なのか。それとも地盤沈下によるものなのか、地下を流れるマントルに何らかの非常識な変化が起きて海の底に沈んだのか。いくつか説は提唱されていますが、どれが真実かはわかりません」
「どうして?」
「当時の情報も少なく、一から調べるにしてもそれだけの設備も資金も手元にはありませんから」
しかし不謹慎ながら、中米一帯が丸ごと沈んでいたのは彼らにとっては好都合であった。もしここら一帯に陸地がまだ残っていた場合、彼らは南米を海岸線に沿ってに大きく迂回せざるを得ず、多大な時間をロスする事になるからだ。
「前方に大陸を確認。モニターに表示します」
そして航海から一週間後、彼らはようやく――本当にようやくニューヨークへと辿り着く事が出来たのだった。
「前方に大陸を確認。モニターに表示します」
北米大陸を視認した後でイナがそう告げ、正面にある巨大モニターにニューヨーク近辺の拡大映像を映す。そしてそこに映る世界を目の当たりにして、彼らは揃って言葉を失った。
「なにこれ」
「綺麗……」
ライチが唖然として呟き、カリンがうっとりと言葉を漏らす。そして他の面々もまた、それぞれ彼らと同じリアクションを取っていた。
その平坦な大地は一面が黄金色に輝いていた。ニューヨーク本部と思われる巨大な白い施設を中心にして、地平線の果てまで黄金が広がっていた。黄金は風に煽られるとその方向に沿って波打ち、牧歌的な光景を生み出していた。
「小麦ですね」
イナが静かに、その風に揺らめく黄金の正体を告げた。そして「小麦って何?」とイナに答えを求めようとカリンが言った直後、カサブランカの艦橋に一つの無線通信が入ってきた。
「こちら、ソウアーニューヨーク本部。カサブランカ、ゴーゴンプラント、『S.O.H』の三隻に告げる。今から入港地点へ誘導するので、こちらの指示に従ってもらいたい。繰り返す。こちら……」
「……本部からの通信ね……」
クチメがぼそぼそと呟き、しじしに従う旨を返信する。
やっとゴールだ。なおも繰り返し聞こえてくる無線通信の音声に混じって、そんな誰かの呟きが艦橋の中に響いた。
まったくその通りだ。カサブランカの艦橋内から張り詰めた空気が萎んでいくのが誰にでも知覚出来た。
ニューヨーク本部の港は、やはり本部と言うだけあって、オキナワやオーストラリアのそれに比べると雲泥の差があった。例えるなら片隅にひっそりと建つ民宿とVIP御用達の超高級ホテルくらいの差があった。少なくともライチ達は天井が高く開放的で、床一面に絨毯が敷き詰められふかふかのソファが規則正しく配置された清潔な港内ホールを見たことがなかった。
「カサブランカ以下三隻のクルーの皆さんですね。それとゴーゴンプラント内部に火星の人間とアンドロイドが数十名と」
そのホールの中で、イナとアロワナを先頭とした面々は正面に立つパリッとした紺色のスーツに身を包んだ男の言葉を黙って聞いていた。
「さて、入港していきなりで恐縮なのですが、実はあなた方がここに着く数日前に、火星にある複数の大企業からそちらに関してのよろしくない情報を幾つか受け取っておりまして。先方はどうやらあなた方の『何か』について大きく憤っているのですが、それについての説明をしていただきたいのです。ご同行願えますか?」
そしてライチは自分達を取り囲む防弾チョッキとショットガンで完全武装した隊員を自分の目線だけ動かして見渡しながら、「どうしてこうなった」と激しい頭痛を覚えた。




