第六十話「決着」
「司令、お客様です」
「あん?」
ソウアー総司令官オートミール・オートバーンがその声を聞いたのは、彼の居るアメリカ大陸から遠く離れたオーストラリア大陸にて二機のジャケットが相争っていたまさにその時であった。この時彼は自分の執務室にて書類整理に明け暮れており、彼の座っていたデスクには彼の顔が隠れてしまうほど堆く積まれた書類の山がいくつも建てられていた。
「お客様? 俺に?」
そう言いながら、彼はまず目の前のデスクの上に山積みになっていた書類の山を、静かに倒れないように左右にどかして前方の視界を確保した。そして開けた視界の向こう、デスクを挟んで直立不動で敬礼の姿勢を取っていた一人の女性の姿をじっと見つめた。その顔を見た瞬間、オートミールはその女性の名前と肩書きが瞬時に脳裏に浮かび上がってきた。
ベラ・ベラドンナ。ソウアーニューヨーク本部の受付嬢兼ニューヨークシティ警備部隊隊長である。
「はい。司令に直接お目通りを願いたいそうで」
『真っ平ら』としか表現しようが無い胸とすらりと伸びた長い四肢。それら女体としては悲しいほどに引き締まった肉体をカッチリ包み込む灰色のビジネススーツ。男性と間違われても仕方無い――というか基地内でもしょっちゅう男性と間違われるほどの凜々しく整った顔立ち。跳ねっ返りの強い金髪のショートヘア。それらのパーツが一つに合わさったその容姿には、本当に一片の隙も無かった。
そう、彼女はまさに美の女神の申し子。それこそぱっと見では『彫像』と取られても可笑しくないほどの冷徹にして完璧な美貌、完全無欠の美しさを備えていたのだった――その両方の鼻の穴にねじったティッシュを突っ込んでさえいなければ。
「……また鼻血がでたのか?」
「はい、申し訳ありません」
ベラの鼻の穴に深々からはみ出していたティッシュを見て、オートミールが実に残念そうな顔をする。そんな司令の目の前で敬礼を崩さないまま平然と鼻を啜ってから、改めてベラが口を開いた。
「そのお客様がとても可愛かったので、つい」
「そうか、可愛かったのか」
「はい。可愛かったです」
このベラ、可愛い物を見ると無意識のうちに鼻血を出すと言う奇妙な癖があった。そしてまた彼女は、あまり他人の目に頓着する事も無かった。であるからして、いざ自分が『可愛い』と思えるような物を前にした時、彼女はそこに自分以外の誰かがいようがお構いなしに、本能の赴くままに己の感情を静かに爆発させるのだった。
「とても可愛かったです。小さくて可愛かったです」
「小さい? 子供か?」
「はい」
ベラの言葉に、オートミールが首を傾げる。そして彼はすぐに、ソウアー本部が建っているこの町『ニューヨークシティ』――アメリカ大陸で唯一存在する『人の住む町』である――からやって来た志願兵か何かか、と思った。
「いえ、それは違うと思います」
そんなオートミールの問いに、ベラはそう冷静に返した。鼻の穴に突っ込んでいたティッシュを抜き取り、腰のポケットからポケットティッシュを取り出して一枚取り出し、それをよじって出来た物を再び鼻の穴に突っ込みながら。
「……せめてそれ見えないようにしてやりなよ」
「何がですか?」
「もういい」
オートミールがそう面倒くさそうに言い捨てて頭を掻く。そしてなおも頭に「?」マークを浮かべて怪訝な表情を見せるベラに対して、オートミールが改めて尋ねた。
「それで、客って言うのは誰なんだ?」
「はい。小さくて可愛い子です」
「それはもうわかったから」
「チョベリグです」
「うるせえよ、首引っこ抜くぞ」
「ギムレットです」
「そうだよ最初からちゃんと名前を言えば良いんだよ。そうかギムレッ――」
そこまで言って、オートミールが言葉を無くした。
「……ギムレット?」
ありえない。その名前を口にして、信じられないとばかりに顔を驚きで満たした。
口を半開きにしたまま顔面を硬直させ、だがその脳内ではたった今耳にした人物の名前や経歴が忙しく駆け巡っていた。
「ギムレット・ザザ」
そんな動かなくなったオートミールに代わって、ベラがその『お客様』の本名と正体を淡々と述べた。
「ドーンズの現首領が、お目通りを願いたいとの事です」
同じ頃、オーストラリア大陸中央部にある衛星破壊砲台近辺では、二機のジャケットがなおも戦闘を続けていた。
「ふん!」
パイン・ジュールの乗るジャケット『マーカス』が敵である黒いジャケットに肉迫し、右手に装着したチェーンソーを振り下ろす。対して黒いジャケットは勢いよく後ろに飛び退き、その勢いを殺す事なく両手を左右に広げる。
「死ね」
後ろに振りかぶり、大きく前へと振り下ろす。手から射出されたワイヤーカッターが大きくしなり、空気を裂きながら『マーカス』の頭上へと迫る。
「まだだッ!」
だがワイヤーが到達するよりも速く、パインは『マーカス』を急停止させた。その場で足を踏みとどまらせ、更にそこから小休止も挟まずに後ろにジャンプさせる。膝にかかる負荷はかなりのものだったが、それでも『マーカス』のモニター隅に拡大表示されたダメージコントロール図――『マーカス』を正面から描いた線図は、その全体が無傷を示す無色であった。
「カスタム機をなめるな」
それまで自分が立っていた所をワイヤーが素通りしていく。その様を見て宙に浮いていたパインがニヤリと笑う。そして『マーカス』が膝を曲げて着地した直後、即座に右にステップ移動をさせる。衝撃をしっかり和らげようとは微塵も思っていない強引な挙動だったが、その脚は悲鳴一つあげなかった。
「ちょこざいな」
黒いジャケットに乗った男が舌打ちをする。そして今度は左手をだらりと下げ、右手だけを横に広げてそののっぺらぼうの顔を『マーカス』の方へ向けた。
「時間差で来る気か」
パインが言い放ち、左手側の人差し指にかかったトリガーを引く。『マーカス』の左手に付いていた円柱の一本のロックが外れ、その状態のまま黒いジャケットの方を向いて左手を垂直に振り上げる。
その動作を見た男が目を見開く。心の中で悪態をついたが、既にこちらの行動パターンは開始されている。キャンセルは出来ない。
「貴様――」
「これでも切ってろ!」
パイロットの思いとは裏腹に、黒いジャケットが容赦なく右手を振り下ろす。しかしこれまでと同様、そのワイヤーは『マーカス』よりも先にその機体の投げた円柱に命中し、溶けたバターを切るようにそれを苦も無く両断していく。『目標』に『命中』したと誤認し、一仕事終えたワイヤーが満足げに腕の中へと戻っていく。
そして次の瞬間、中に濃縮されて溜め込まれていた大量の除草剤が辺りに解放され、その異常なまでの密度によって擬似的な煙幕が形成されていく。そのうちの一部は風に煽られ、どこへ行くとも知れずに気紛れに周囲へ拡散していく。
『マーカス』がその中に消えていく。これでは攻撃出来ない。
「くそっ――!」
男が毒づき、左手に込められていた力を抜いて一旦距離を離す。
「ごほっ、ごほっ!」
「くそっ、もうだめだ、目が開けられねえ!」
「ま、まずい! 関節に粉が入って、う、動けねえ!」
そしてそのまき散らされた除草剤の影響を受けるのはジャケットだけでは無かった。それまで行っていた戦闘を放棄して新たに始まった戦闘から距離を取り、放心したようにその戦いを注視していた人間とアンドロイドの両者も、その風に煽られて方々へ四散する除草剤の被害を食らっていた。寧ろその除草剤は『重い物質』であったために『低い位置』へと降下しやすく、そのために低い位置に――しかも生身でいた彼らの受ける被害はジャケットよりも甚大であった。人間は目や喉に痛みを訴え、アンドロイドは関節に粉が詰まって動作不良を起こしていたのだ。
もはや観戦も忘れ、多くの人間とアンドロイドが地面にうずくまって苦痛にのたうち回っていた。だがそんな足下での騒ぎなど、ジャケット乗りの二人にとってはとても些細な事であった。
「まだだ」
男が叫び、両手を横に広げる。そしてモニター越しに、煙で視界の利かなくなった前方に狙いを定める。一方の『マーカス』もまた、チェーンソーのスイッチを一旦切って煙の中に身を潜め、相手が出てくるのをじっと待った。
「どこだ……」
この時、パインはスキャンモードを使うつもりは無かった。向こうも既に使っているかも知れないし、こちらの位置を割られているかも知れないからだ。こちらが隙を晒せば、その次の瞬間には五体バラバラにされているかもしれない。
「どこから来る……?」
だから動けなかった。次にチェーンソーのスイッチを入れるのは、奴の頭を見つけた時だ。パインはそう考えながら、唾を飲み込んで緊張でカラカラに乾いた喉を潤す。操縦桿を握る右手に思わず力がこもり、速くトリガーを引きたくて人差し指がムズムズしてくる。しかしパインはその衝動を必死に抑えつけ、全神経を集中させて敵の出現を必死に待った。
「……」
だがそうして『マーカス』が手ぐすね引いて獲物を待ち構えている間、黒いジャケットは左手を広げたままぴくりとも動こうとはしなかった。正確には動けなかったのだ。煙の中で『マーカス』がこちらの動きを待っているのは目に見えていたし、それにこちらの武器が制限された視界の中で役に立つ代物では無かったからだ。
黒いカスタムジャケットの武器は、その両手から打ち出されるワイヤーカッターだった。だがこれは射程が大きく隠密性にも優れる代わりに、一発一発の隙が大きく射角も狭かった。この射角の狭さこそが、この状況で黒いジャケットに先攻を躊躇わせている一番の理由であった。
敵の見えない中ででたらめに振り回しても、まず当たらないだろう。それどころかその攻撃からこちらの位置を割り出され、更にその攻撃の隙を突いて向こうからの反撃をまともにくらうかもしれない。
スキャンモードを使うか? それとも今この場で攻撃モーションを変更するか? 男はどちらも否定した。向こうもスキャンモードを使っているかも知れないし、既にこちらの位置を割り出して隙を窺っているのかも知れない。そんなときにこちらがその隙を晒してしまえば向こうの思うつぼだ。
「……」
男はじっと待っていた。そして同様に、パインもまた相手の出方を待っていた。だんだんと煙が晴れる。晴れた時、相手は自分の後ろに立っているかも知れない。だから一瞬たりとも気が抜けなかった。
レーダーに敵の光点は見えなかった。自分の周囲が真っ白に染められ、周囲の情報が何もわからなかったのだ。この除草剤め、何を混ぜているんだ? 自分で使っておいて、パインはその白い粉の塊に毒づいた。
「……来い」
そして意識をこちらに戻し、静かに呟く。緊張で額から汗がどっと噴き出してくる。
「来い、来るなら来い」
頭に力を込めすぎて、耳鳴りが聞こえてきた。久しく瞬きをしていなかったからか、目が乾いて痛くなってきた。だがパインは耳鳴りを治める気も瞬きをする気も無かった。それをするのは敵を倒した後だ。
五感を研ぎ澄ませ。特に耳を研ぎ澄ませ。集中しすぎて耳の周りに血管が浮き上がってくるくらいに集中するんだ。集音マイクが拾ってくる音に意識を集中させるんだ。
耳鳴りが頂点に達する。視界が段々と揺らいでいく。集中。集中。集中。
その時。
「――!」
聞いた。
確かに聞いた。
左。鉄の塊の揺れる音。
ジャケットの足音。
まだ煙は晴れていない。構うものか。パインはその方向へ向き直り、一目散に掛け出した。
パインが叫ぶ。
「もら――」
「そこだぁッ!」
女の声が被って響いた。
「な……」
煙が晴れて目の前に広がる光景を目の当たりにした時、男は一瞬何が起きているのかわからなかった。
「お、おい、お前、なんのつもりだ!」
「ええい、大人しくしろ! こっちは目が見えないんだ、暴れるんじゃない!」
それまで自分が相対していたチェーンソーを持ったジャケットの上に覆い被さるようにして、首の無い四本腕のジャケットが倒れ込んでいたのだ。そしてその首無しのジャケット――自分が潰したジャケットは四本の腕をめいっぱい広げ、自分の下で暴れもがくもう一体の『味方であるはず』のジャケットを、なぜか必死で抑えつけていた。そして首無しのジャケットは外部スピーカーをオンにしっぱなしだったからか、この時の会話も筒抜けであった。
「よ、よし、とにかく暴れるんじゃいよ。二対一になった時点でそっちに勝ち目はないんだからさ!」
「おい、お前、モブリス! どういうつもりだ! 寝返ったのか!」
「寝返った!? 何よそれ、意味がわからないわ!」
「――ああ」
ジャケット乗り二人の口論を前にして、ここに来て男は今の状況をようやく理解した。あの首無しのジャケットは、自分が敵を抑え込んだと誤解しているのだ。頭が吹っ飛んだからモニターやレーダーの類が完全に死亡し、敵味方を判別する事が出来なかったのだ。
「だいたい、あんた何変な声出してんのよ! まるでパインみたいな声出してさあ! それで私を騙せるとでも思ったの!?」
「馬鹿かお前は! 私は本物だ! お前は敵味方を間違えているんだよ!」
「――えっ?」
そこで向こうも気づいたらしい。上に覆い被さっていたジャケットの動きがぴたりと止まる。
「……まじ? パイン?」
「ああそうだよ。 マーカスのパインだよ」
「その機体の名前を知っている、てことは……」
「そう言う事だ」
そこで男が横槍を入れた。下にいた『マーカス』が、そののっぺらぼうの頭をこちらに歩み寄ってくる黒いジャケットに向けた。
「まさか、こんな形で終わる事になるなんてな」
「え、いや、ちょ」
下側のジャケットのパイロットが目に見えて狼狽する。そして上に乗っかっているジャケットはなおも動かない。いや、それに動いた所で間に合いはしないだろう。
そんな様子を見てほくそ笑みながら、男は無言で両方の操縦桿のトリガーを引いた。黒いジャケットが左右の手を大きく横に広げる。
「悪いな。こっちは倒れた相手にも攻撃が出来るんだ」
「いや、手加減とか情けとか、そういうのは無いのか?」
「無い」
男が無情に言い放つ。
「大人しく死んでおけ」
ジャケットが両手を後ろに振りかぶる。もう終わりだ。
パインは諦めたように、その両目を閉じた。
「終わりだ」
……。
……。
……。
「……?」
おかしい。
いつまで経っても何も来ない。
恐る恐る、パインが目を見開く。この時上に乗っかっていた『ストーム』は、既に自分の脇に仰向けになって寝転んでいた。その『ストーム』も、そして『マーカス』も、共に無傷だった。
「どういう事だ?」
全身無色のダメージコントロール図を確認しながら、パインが『マーカス』の上体を起こす。そして改めて件の黒いジャケットに目をやった時、パインはその我が目を疑った。
「え――」
止まっていた。
両腕を真上に伸ばしたままの上体で、その黒いジャケットは動きを止めていたのだ。
「いや、なんだこれは」
突然の事にパインは大いに戸惑った。自分はとっくに死んでいて、夢を見ているんじゃ無いのかとさえ思った。
「なんだこれは、なにがどうなっているんだ」
「……電池切れ?」
そのパインの言葉に合わせるようにして、ジャケットから降りてその腰の上に立っていたモブリスがぽつりと呟いた。
「あいつ、充電してなかったとか?」
「なんだそれ」
「ここに充電施設とか無かったのかな?」
「……ははっ」
信じられなかった。あまりにも非常識な終わり方だった。その言葉を集音マイク越しに聞いた時、パインは思わず乾いた笑い後を上げていた。
心が一気に萎んでいく。熱意を失い、不毛に渇いていく。こんなふざけた終わり方があるのか?
「……」
そう思いながら、パインはおもむろに自分の頬を思いっきりつねってみた。本当に自分は夢の中にいるのかもしれない、そう思ったからだ。
「――い、いたっ、いたたた」
痛かった。残念な事に、それは痛かった。
「……いやあ、奇跡ってあるんだね」
ぼんやりと呟いたモブリスの言葉が、中途半端に燃え尽きた心に虚しく響いた。




