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第五十八話「黒く染まれ」

 ライチに転機が訪れたのは、テーブルを挟んでジャム・ジョジーと目を合わせた次の瞬間だった。


「――うわっ!」


 互いの視線が交錯した直後、その部屋を四度目の振動が襲ったのだ。この時ライチはしがみついていたテーブルから振り落とされ、床に尻餅をついただけに留まった。だが、対するジャムは大きく体勢を崩してその場でよろめき、そのままテーブルの上に自身の額をしたたかに打ち付けてしまったのだった。


「……え?」


 そして振動が止み、何とか起き上がったライチの視界に飛び込んできたのは、テーブルの上に上体を乗せ上げたままぴくりとも動かなくなっていた小太りの男の姿だった。


「……」


 チャンスだ。ライチはその様子を見てすぐにそう確信した。しかし同時に、あの男をこのまま放置して置いていいのだろうか、とも考えた。

 普通に考えれば、彼を見捨てて逃げてしまうのが一番楽だろう。手荷物は少ないほどいい。だが彼を助ければ、青空の会について何か重要な情報が手に入るかも知れない。上手く行けば、あの組織を一網打尽に出来る事に繋がるかも知れない。それに何より、敵とは言えまだ息のある人間を見捨てて逃げるのは気持ちよくない。

 考える時間は残されていなかった。ライチは感情に従った。


「……よし」


 生唾を飲み込んでから、恐る恐る、ゆっくりと彼の元へと近づいてみる。真横に立ってもジャムが起きる気配は無い。


「……」


 一度呼吸を整えた後、彼の手に握られていた拳銃へとライチが慎重に手を伸ばす。両手を使い、震えを抑えながら、その太い指を一本一本解いていく。

 最初に親指。次に小指。次の瞬間、目の前の男が起き上がって自分の眉間に銃口を突きつけてくるんじゃ無いか。作業をしている間、ライチの頭の中ではそうしたイメージが絶えずリピート再生されていた。最悪のビジョンが脳裏に焼き付き、その恐怖が指先から冷静さを奪おうと執拗に心を責め立てる。額から汗が止めどなく溢れ出してくるが、それを拭う余裕は無かった。

 まるで爆弾を解体しているかのような気分だった。そんな押し潰されそうなプレッシャーの中でライチは必死に作業を続け、やがて四本の指を全てグリップから引き離す事に成功した。そして最後に残った人差し指――トリガーに引っかけられていたその指を真っ直ぐに伸ばし、その後で銃を垂直に持ち上げる。

 完全に手から銃が離れる。ジャムの体は石のように動かない。


「ふう――」


 大きく息を吐き、奪った銃を急いでズボンと地肌の間に挿す。そして休む間もなく銃を挿したのとは反対側の側面でジャムの体を支え、自らの首に彼の手を回し、ライチは早足でその部屋を後にした。





「そんな事して来たの?」

「おぼろげにしか覚えてないんだけどね。あの時は必死で」

「へえ――」


 ジャムを担ぎながらカリンと一緒に施設内を駆ける最中、ライチは彼女と合流するまでの経緯を説明していた。そしてその話を聞き終えて、カリンはまずため息を吐いた。


「まさか、こんな所でジャム・ジョジーの名前を聞く事になるなんてね。予想外だったわ」

「まあ、火星の大企業のトップが地球に居るなんて、普通は考えないもんなあ」


 呆然としたカリンの言葉に合わせて、ライチも小さく肩を落とした。ジャム・ジョジーの名を知らない火星人はいない。だが同じ名前を火星と縁遠い地球で聞く事になるとは、ライチにもカリンにも予想しようのない事であった。


「まさか、そいつが例の青空なんとか言う奴の黒幕なの?」


 道すがら、その丸々とした背中を見つめながらカリンが尋ねた。しっかり前を見たままライチが答える。


「どうかな。詳しい事はまだ何もわからないよ。こういうのは本人に直接聞いた方がいいからさ」

「ああ、やっぱり?」

「うん。でも、今の段階で判ってる事もある」

「それはなに?」


 カリンの問いにライチが答える。


「青空の会は、やっぱり火星の人間と繋がってた」


 その顔は笑っていた。


「やっぱり、青空の会は思っていたよりも大きな組織だったんだよ」


 途方も無い何か――危険で壮大な謎を前に、ライチの心は躍っていた。胸の内の好奇心を刺激され、何が何でもそれを知りたいと子供の様に純粋に思うようになっていた。その喜色と興奮の様は彼の声色にも現れていた。


「こうなったら、早く皆の所に戻らないと。こんな場所じゃ質問も出来ない」

「……やっぱり凄いわね」


 一方で、そんな風に快活な声を上げるライチの姿を見て、カリンはどこか諦めにも似た調子の声を放った。その声を受けてライチは歩くペースを落とし、首を回して彼女を見つつ尋ねた。


「どうかしたの?」

「ううん。ただちょっと、凄いなって思っただけ」

「なにが?」

「あなたの根性が」


 悪戯っぽく笑ってカリンが続けた。


「こんな状況でそのモチベーションでいられるなんて、私には到底絶対出来ない事だわ。だから凄いなって思ってね」

「そうかな? 僕は凄いとかは思わないけど」


 歩調を元に戻してライチが答える。その後ろに必死に食いつきながらカリンが言った。


「いいえ、あなたは強いわ。芯が強いのよ。それを自覚してないだけ」

「芯が強いねえ……でもそれを言うなら、カリンも同じだって。君も十分強いよ」


 T字路に出た辺りで一度立ち止まり、そこでカリンがライチの隣に立つ。そして不機嫌そうに目を細めてその横顔を見た。


「本気で言ってるの?」

「僕は嘘はつかない」

「でも」

「君は強いよ。君だって気づいてないだけ」


 そう言ってライチが笑う。そんな顔を見せられたらカリンとしては何も言えなくなる。頬を赤らめながらもバツの悪い表情を浮かべるカリンを尻目に、ライチはその角を右に曲がった。


「道わかるの?」

「壁に沿って歩けばいつかは出口に辿り着くって言わない?」

「……はあ」


 なんたる事。その適当さ加減を受けて再びカリンはため息を漏らしたが、道筋は自分も知らなかったので口には出さずにいた。そして力強く一歩を踏み出したライチの後に従い、どこに通じているかも判らない道を再び歩き出した。





 モブリスとパインは――二体のジャケット『ストーム』と『マーカス』は、その巨体を揺らしながら眼前の戦場へと飛び込んでいった。そして地面を揺らしながら両足でどっしり着地したその二体の巨人を前にして、それまでそこで戦っていた人間とアンドロイドの双方は揃って我が目を疑った。

当然だ。ジャケットを引っ提げての第三軍の乱入など、互いの頭の中には存在しないファクターだったからだ。


「おーおー、驚いてる驚いてる」


 腕を四本生やしたカスタムジャケット『ストーム』に乗っていたモブリスが、モニターに映るその光景を前にしてほくそ笑む。その一方で、『ストーム』の隣に立っていた『マーカス』は黙々と背中のバックパックをパージして地面に降ろし、上部の蓋が自動で開いていくのを見守っていた。


「それで、この後の計画は? どうするの?」

「全滅させるしかないだろ。どっちも敵なんだ」


 モブリスの質問にパインが淡々と返す。


「時間が惜しい。さっさと潰して助けに行くぞ」

「で、それ相手に『それ』使うの?」


 『マーカス』が降ろしたバックパックの中身を見るように『ストーム』の顔をそちらに向けながら、モブリスが訝しむように尋ねる。


「それ、人間に向ける武器じゃ無いよ」

「さっきも言ったはずだ、時間が惜しいと。それに、念には念を入れてもバチは当たらんだろう」

「念には念をねえ……」


 そう言って『ストーム』が頭の向きを正面に直し、足下に広がる光景を見つめる。そこに見える人間とアンドロイドはそのどれもが恐怖と諦観に満ちた表情を浮かべており、完全に戦意を喪失しているように見えた。中にはそれと確認するまでも無く、自分から手にした武器を捨てて跪いている者もいた。だがそれは、この場においては至極当然の反応であった。

 人間の武器でジャケットは破壊出来ない。つまりこのまま向こうがジャケットかそれに類する兵器を出してこない限り、向こうの負けは確定しているのである。そして敵方のジャケットが出てくる気配は無い。絶望に打ちひしがれるのも当然であった。


「これ、ひょっとしたら戦わずして終わるってパターンなのかしら……?」


 『ストーム』のそののっぺらぼうの顔を動かして周囲の光景を見渡しながらモブリスが呟く。そうなってくれたらどれだけ楽か。


「やっぱり、面倒な事はしないに限るわよねえ。早く帰って風呂入りたいわー」


 更に操縦桿から手を離し、もう戦闘が終わったかのように背筋を伸ばし、欠伸を噛み殺しながら文句を垂れる。その様を見たパインは『マーカス』の体を『ストーム』に向け、口を尖らせて横から言葉を挟んだ。


「……少しだらけすぎじゃないか?」

「いいじゃん別にー。もう終わったようなもんだしさー」


 態度を全く改めようとしないモブリスを前に、パインは頭痛を覚え始めた。保護者になるつもりは無かったが、それでもこの女の態度は気にくわない。そして気づけば、パインはモブリスに向けて咎め口を開いていた。


「まったく、少しは警戒しろ。敵はまだいるんだぞ」

「敵って言ったって、もう殆ど戦意喪失してるじゃん。怖くも何とも無いわよ」

「それで敵の不意打ちを受けたらどうするんだ?」

「その時はその時よ。あんたに全部任すからそのつもりで」

「全く……お前はいい加減に」


 刹那、パインの目の前で『ストーム』の首が音も無く飛んだ。


「――!」


 何が起きたのか一瞬判らなかった。驚愕に目を見開くパインの視界には、流線型で構成された首無しの巨体が後ろに倒れていく姿がはっきりと映っていた。

 首を狩られた『ストーム』が仰向けに地面に倒れ、周囲に轟音と振動と砂煙をまき散らす。突然の事にパイン同様に放心していた人間とアンドロイドも、それらをまともに受けて蟻の子を散らすように方々へと散っていく。更にそれから数拍遅れて、跳ね飛ばされた『ストーム』の首がその体のすぐ傍に落下する。

 一方でその体が倒れた際の音と振動で我に返ったパインは、真っ先に通信のスイッチを入れて声の限りに叫んだ。


「おい! モブリス! 大丈夫か! しっかりしろ!」


 返事は無い。ノイズしか聞こえてこない。


「おい! 返事をしろと言っているんだ! おい!」

「次はお前だ」


 外部集音装置がその声を拾い上げた。感情を押し殺したような、ぞっとするほど冷たい男の声だった。『マーカス』がその声のする方へと体を向ける。


「お前は……」


 そこには一体の黒いジャケットが立っていた。手足は細く、全体的に華奢な印象を与える。マリアモデルの機体だ。そしてその黒いジャケットは、武器の類を一つも有していなかった。


「お前がやったのか?」


 外部マイクを通じてパインが話しかける。それを受けて黒いジャケットは微動だにせず、ただ低くくぐもった声だけが返ってきた。


「そうだ、と言ったら、どうする?」

「……」


 決まっている。パインは目を細め、眼前の獲物をまっすぐに見据えた。


「倒すだけだ」

「即答か」

「他に何か期待していたのか?」

「いや――」


 男のくぐもった声がそこで途切れ、黒いジャケットが両手を大きく広げた。そして両の掌をこちらに見せてくる。

 再び冷たい声がこだました。


「上等だ」


 黒いジャケットが両手を勢いよく振り下ろす。しかしそれが振り下ろされるよりも前に、『マーカス』はバックパックを抱えたまま真横に飛んでいた。

 『マーカス』のすぐ隣で、空気を切り裂くような鋭い音が響いた。それに続けて、それまで『マーカス』が立っていた砂の地面の上に二筋の細い線が刻まれていた。


「お前、何か仕込んでいるな?」

「仕込んでいるのはお前も同じだろうが」


 威圧するような調子のパインの問いかけに、男が同じく脅すように無感動な――無感動の仮面を被った静かな声で返す。そして再び両手を水平に広げながら、男が以前と変わらぬ調子で言った。


「その箱、中身はなんだ?」

「……」


 男の質問を受けて、パインが不敵な笑みを浮かべた。少し突っついてやるか。そう考え、そして声の中にわざと嘲りの色を加えてパインが返した。


「なんだ、知りたいのか? いやしんぼめ」

「――ッ」


 その時、『マーカス』の集音装置は確かに黒いジャケットの中から出てきた舌打ちの音を拾い上げた。思っていたより短気な男のようだ。それはパインにとっても、半ば想定外の事であった。

 ダメ元で煽ってみたのだが、思ってたより簡単に引っかかってくれた。挑発が成功した事を受けてパインはその想定外の結果にほくそ笑み、そして追撃の手を加えた。


「そんなに知りたいなら、私を倒してからゆっくり調べれば良いだろう。それともお前は、そんな事も出来ない腰抜けなのか?」

「……上等だよ」


 男の声が返ってくる。僅かに怒りを滲ませた、静かながらもメッキが剥がれかけた声だった。

 その男はどうやら想定した以上に肝っ玉の小さい奴らしい。そう思いつつ、パインは平然と『マーカス』に片膝をつかせ、完全に開かれたバックパックの中に両手を突っ込ませた。


「まあ待て、待て」


 そして声だけで黒いジャケットを制止させつつ、パインが言葉を続けた。


「さっき、この中が何か見たがっていたな」

「それがどうした?」

「それを今見せてやるよ。見たいんだろ?」


 それまで動かしていた手を止め、『マーカス』がその顔を黒いジャケットに向ける。そして改めてそのジャケットの顔――のっぺらぼうの顔を視界に収めたその時、パインの脳裏にはモブリスの顔と『ストーム』の首が飛ぶ光景、そして言いようのない怒りの炎が、走馬燈のように駆け巡っていた。


「……」


 敵討ちとか言うのは好きでは無かった。そう言った物を格好いいと思った事は一度も無かった。戦場に立って相手を倒している以上、相手に倒されるのも当然の事、恨んだり恨まれたりする道理はどこにも無い。だがそれでも、あいつのために一矢報いたいと言う気持ちは、その心の中に確かに存在していた。

 あんな奴でも、ほんの僅かの時間ながら行動を共にした仲間――仲間なのだ。


「――だから」


 そこで思考を打ち切り、目の前の敵に集中する。眼前のジャケットに――そしてその中に乗り込んでいる男に向け、自分でも聞いた事の無いほどのドスの利いた声で言葉を吐いた。


「だからあとちょっと待ってろ」


 待ってろ、モブリス。





 同じ頃。


「……あー、これは駄目ですわ」


 照明が切れて薄暗くなった『ストーム』のコクピットの中で、モブリスはそれまで計器類を弄っていた手の動きを止めた。


「完全に死んでるなー。やばいなー、再起動は無理そうかなー」


 外の状況に気をやる事もせず、焦る気配も見せずに首を回しながらさらりと言ってのける。それから両手を頭の後ろで組み、危機感の欠片も見せずに大きく欠伸をした。


「ま、パインも居る事だし、一時離脱と言う事で。私は私で休憩休憩と」


 そして暢気にそう漏らした数分後、そのコクピットの中でモブリスは心地よさそうに寝息を立て始めた。


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