第五十四話「泣きっ面に蜂」
「それ、本当なんだね?」
「ああ。どうやら本当の事らしい」
そんなアロワナの返答を、テーブルの上に浮かぶ彼の顔を映した平面ディスプレイ越しに聞いて、オルカはその端正な眉を不快そうに歪めた。スバシリがエムジーからライチとカリンが攫われた報を聞き、それを更にスバシリからアロワナが受け取った後の事――実際に二人が攫われてから一分後の事である。
「誰がどうやったのか、とか、わかるのかい?」
「誰がやったのかについては、エムジーの方から情報が届いている」
そこまで言って口を閉じ、アロワナが斜め下を向きながら顔をしかめた。その姿をディスプレイ越しに見て、手元に置かれたカップを手に取りながらオルカが尋ねた。
「どうしたんだい、そんな顔をして? 何か不都合な事でも?」
「ああ、いや、まあな……不愉快としか言いようがないんだが……」
帽子を被り直し、しかし表情は渋らせたまま、オルカの方に向き直ってアロワナが言った。
「首謀者、例の火星人連中らしい」
「火星人?」
「カリン・ウィートフラワーの同級生。制服でわかったらしい」
オルカが目を閉じ、はっきりわかるほどに肩を落として大きく息を吐く。アロワナが続けた。
「現在、エムジーが一人で行方を追っている。彼女自体をビーコンにして、我々も火星人の行く先を捜索中だ」
「行く先? 町の外に出たのかい?」
「そうらしい」
「やれやれ」
飲むこともしないで音を立てずにカップを皿の上に戻し、テーブルの上に肘を置いて重ね合わせた両手の上に顎を乗せてオルカが言った。
「パイン・ジュールとモブリスも向かわせるよ。ジャケット込みでね」
「大事になると思うか?」
「転ばぬ先の杖だよ」
そう言いながら、オルカはその今まであったディスプレイの隣にそれとは別の一回り小さなディスプレイを表示させた。そしてそこに映された周波数域を数字で表したダイヤルを指で回しながら、顔だけは元あるアロワナの顔を映したディスプレイに向けて言った。
「他の面々にはこの事は? ボクからは誰かに伝えた方がいいかい?」
「いや、それは今からこちらで行う。増援の件はそちらが伝えてほしいんだが、大丈夫か?」
「そうするよ。今繋がった所だしね」
「はい、こちらモブリス。なんか用?」
「ほらね」
オルカが小さく笑い、それを聞いたアロワナもつられて苦笑する。そしていきなり呼び出されたモブリスは先方からの応答がないことに対して不満そうに言葉を漏らした。
「ちょっとー、なんなのよー。こっち今露店の応急修理とかで忙しいんですけどー」
「ああ、済まない。少し緊急の用事が出来てね。君の力を貸して欲しいんだ」
「緊急? どっかでゴミの壁が崩落したとか?」
そんな内容だったらどんなに良かったか。しかしそんな自身の心情は口には出さず、オルカがそれとは別の言葉をモブリスに伝えた。
「いいかい。落ち着いて聞いて欲しい。実は――」
同じ頃、カリンは小刻みに揺れるバギーの上で、眠ったように目を瞑っていたライチの頭を大事そうに胸の中に抱き留めていた。その両目は怒りに震え、自分の前に座っていた二人の男の背中を射殺すように睨みつけていた。
「ふん。本当に仲が良いんだな」
自分の真横から不意に声がかかり、カリンがその声のした方へ視線を向ける。そこには前に座る男二人と同じ格好をした三人目の男が、勝ち誇ったような嫌みったらしい笑みを浮かべて自分を見つめていた。
かつて自分と同じ学園に通っていた男。同級生の一人だった。
「お前、そんなにそのモグラの事が大事なんだな。馬鹿な奴だ」
「……」
そしてその男は懲りもせずに罵声を飛ばしてくる。だがカリンは睨みの利いた目つきを保ったまま、何も言わずに――何のアクションも起こさずに顔を逸らし、周囲の気配も気にせずに未だ起きないライチの頭を優しく撫でた。
大局的に見て、人間とは諦めの早い生き物である。どんな環境下に置かれても結局は遅かれ早かれそれを受け入れ、それに慣れてしまう。最初の内は反発もするが、やがてそれもしなくなって無反応を貫き通す。そしてそれは、物理的な環境でも精神的な環境でも同じ事である。
自分や自分の周りの事を他人に痛罵されて最初は酷く不愉快な思いを味わったとしても、それと同じ事を何度も何度も聞かされていくうちに、やがては段々とそれを言われること自体に慣れてしまう。言われて不快な気分にはなるが、少なくとも爆発してしまうほどの怒りや嫌悪感は沸かなくなる。爆発するだけ無駄だと悟り、心がまったく動かなくなるのだ。
今のカリンもまさにその状態だった。カリンは火星にいた頃からそれと似たような内容の言葉を言われ続けてきたために、もう彼女はそれにいちいち対応することに疲れ切っていた。心の底にはしっかりと怒りや恨み辛みが蓄積していってはいるが、それを外に発散させる事を無駄と考えていた。そしてそうなったのには、今の自分達の置かれた状況による精神的疲労も関わっていた。
「おい、何か言ったらどうなんだよ? え? びびってんのか?」
こんな奴とは付き合うだけ無駄だ。無駄な労力は使わないに限る。カリンは顔を逸らしてこの男の存在を意識の外へと追い出し、代わりに何か別の事を考えて気持ちを紛らわせようとした。
自分の同級生が車を乗り回している事に関しては、彼女はさして驚かなかった。ハイヤーの間では十五歳から免許を取ることが可能だからだ。自分も両親からいい加減免許を取れと散々言われていたっけ、とカリンはそう昔の記憶を思い出していた。
「お、おい、これからどうするんだよ? なにかあてでもあるのかよ?」
「そんな事知るかよ。とにかく今は、あの町から少しでも離れるんだよ。こいつらの仲間に見つかったらただじゃすまねえ」
「でも、このまま走り続けたってどうしようもないだろ。何かアイデアを練って」
「うるせえ! じゃあお前らが何か考えろ! こっちは運転で忙しいんだよ!」
続いてライチから目を離し、外の光景に目やる。男達の声はカリンの意識に入ってこなかった。ただ乾いた風を切る冷たい音だけが、カリンの鼓膜を震わせ続けた。
その景色は一面砂と荒野が広がっており、町の外に出てしまっているのは明らかであった。町の外に出ていったい何をしようというのか? どこかあてでもあるのだろうか?
そこまで考えて、カリンは無言で首を横に振った。こいつらに計画なんてないのだろう。ただカリンとライチの仲間から逃げたいがために、何の考えも無しに町の外へと飛び出したのだろう。
カリンはそう考え、そして計画も立てずに自分達を攫った浅薄な三人に対して嘲笑の念を抱き、同時にこの後の展開に対して一抹の不安を抱いた。
カリンが視線をライチに戻す。そして、なぜこいつらは自分達を襲ったのだろうか? と、今の状況を作ったそもそもの理由について意識を巡らせた。
なぜ自分達は襲われたのか?
なぜライチは殴られなければならなかったのか?
そんな事を考えながら、カリンはその時の光景を頭の中に思い浮かべ始めた。
それは突然の事だった。
「おい、待てよ」
気がつけばライチ達は自分と同い年くらいに見える男三人に辺りを取り囲まれ、逃げ場を失っていたのだ。その三人の格好を見てライチが声を上げるよりも早く、カリンが前に立つ男に食い下がった。
「ちょっと、なんのつもりよ?」
自分と同じ学園の生徒であると言う事をその身につけている制服から知ったカリンが、この時はまだ攻撃的な口調で男に詰め寄った。だがそのカリンとライチより一回り背の高いリーダー格の男もそれに怖じ気づく事無く、カリンの前に立って軽蔑の色を隠さずに言葉を返した。
「ふん、人の目も気にしないでいちゃつきやがって」
「なによ、好きな人と一緒に居るのに、誰かの許可がいるって言うの?」
「ああそうだよ。俺達の許可がいるんだよ」
滅茶苦茶だった。カリンが顔をしかめてそれに噛みつく。
「ここは火星じゃないのよ。そもそも、火星でもそんなルールが通用するわけ」
だがそこまでカリンが言いかけたその時、カリンの真横から短い呻き声が聞こえた。驚いてそちらに顔を向けると、そこには腹に手を当ててうずくまるライチの姿があった。
「ライチ!」
「動くな!」
カリンがその傍らにつこうとした瞬間、それまで彼女と張り合っていたリーダー格の男がそのカリンの後ろ髪を鷲掴みにして強引に立たせたままにする。
カリンの口から悲痛な声が漏れる。そして不意の痛みと自分の髪をぞんざいに扱われた怒りで後ろを睨みつけんとするカリンだったが、その視線に気づくことなく髪を掴んだ男が言った。
「動くんじゃねえ。これからちょっと、俺達に付き合ってもらうからな」
「どういうこと……!?」
そこまで言って、カリンは二人の男が動かなくなったライチの肩を両側から背負い上げ、どこかへと運んでいくのに気がついた。それを見てその顔を絶望に染め上げていくカリンに、男が勝ち誇った声を上げて答えた。
「いいから、俺達の言う事に従ってもらうぞ。もし嫌だって言うなら……」
「ライチに何する気!?」
「お前が何もしないんなら、俺達も何もしねえよ」
ライチを担ぎ上げた男の一人がそう言った。それに合わせて、カリンの髪を掴んだ男が彼女に言った。
「好きなんだろ? あのモグラがよお」
リーダー格の男がひくついた笑い声を上げる。それに続いて、前の男二人もつられて人を小馬鹿にしたような笑い声を上げる。そしてひとしきり笑った後で前の二人はゆっくりと歩き始め、リーダー格の男もまたカリンの髪を掴んだまま、引きずるようにして前を行く男二人の後へ続いて歩き出す。
「おら、いいから来い。来いってんだよ!」
抵抗しても無駄だ。カリンの防衛本能が理性に対してそう訴えてきた。目の前を行くライチの背中を――いつもよりずっと小さく見えたその背中を凝視しながら、カリンはその訴えを受け入れる事に決めた。
それから今に至るまでの間、カリンは考える事を止めた。
「……」
冷静になった頭で改めてその時の事を思い返し、それら一つ一つを吟味し、そしてカリンはすぐに一つの結論を頭の中で弾き出した。
「むかついたから?」
平然といちゃついている自分達を見て、むかっ腹に来たから?
「……ッ」
くだらない。ありえない。
馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
そのあまりにも低俗な理由を前に、カリンは外に目を向けたまま顔をしかめ、固く結んだ口の中で強く歯ぎしりをした。
「ん……」
その時、カリンは自分の胸元で何かが蠢くのを感じ取った。そこから立つ音とむずがゆい感覚に驚いて視線をそちらに向けると、それまで気を失っていたライチが窮屈そうに顔をしかめながらゆっくりと目を開け始めていた。
「ライチ?」
「ふん、ようやくお目覚めか」
「うん……あれ……」
隣に座っていた男を無視してカリンが抱きしめていた手を解いてライチの頭を解放し、ライチが上体を起こしてカリンの横に座り直す。そして小さく頭を振って目をこすった後、ライチは改めてカリンに向き直った。
「カリン……あれ、ここは?」
寝ぼけた口調でライチが尋ねる。その暢気な台詞を聞いて安心しつつも苦笑をこぼし、他の男には目もくれずにライチだけを視界に収めてカリンが言った。
「そうね、話せば長くなるけど、なんて言ったら良いか――」
だがカリンがそこまで言った直後、彼女らの乗っていたバギーが突如急停止した。そのいきなりの事を前にカリンとライチは無防備なまま椅子から投げ出され、互いに短い悲鳴を上げながら全部座席に激突した。
「うっ……」
「ライチ? ライチ? ……ああもう」
やがてライチよりも早く頭を抱えて起き上がりつつ、取り戻した意識の中で『これは自分達を誘拐した同級生連中によって話を中断させられたのだ』と思い込んだカリンは、堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりにその顔に怒りの表情を貼り付けて立ち上がり前を見た。
「ちょっと、あんた達! いい加減に」
だがカリンの言葉はそこで再度途切れた。前に座っていた火星人二人は自分達に対して嫌味の籠もった目を向けてはいなかったからだ。それどころか逆にじっと前方を見上げたまま、その顔に恐怖の色をありありと浮かべていた。そしてその姿は、それまでカリンの隣に座っていた男も同様だった。
「なんだよ……」
その隣に座っていた男が、顔を上げたまま弱々しく呟く。
「なんだよ、あれ、あんなの聞いてねえよ……」
「……?」
なんだ、こいつは何を言っている?
人間、自分に対して隠されている物を見つけると、ついついそれを見たくなってしまうものだ。その男の言葉とその視線の先に映る物が気になって、カリンもまた上を見上げた。
そして口を開けたまま絶句した。
「か、カリン? まったくなんなんだよさっきから……」
そして最後に残ったライチが、現状を全く把握出来ない事に対する不満を露わにしながら立ち上がる。そしてカリンやその他三人の人間が揃って上を見上げたまま硬直している姿を目の当たりにし、不思議に思いながら彼らの視線の先を追った。
「あ」
そしてそこにある光景を見て、ライチもまた絶句した。だが以前から『それ』を見慣れていた彼は、その光景を前にしても放心する事は無かった。
「なんだ、貴様らは? 観光客ではないようだが?」
黒一色に染められた流線型の巨体。細く長い手足。のっぺらぼうの顔。
「まあ、何者であろうと構わん。我々の縄張りに入った者を、やすやすと逃す訳にはいかんな」
マリアモデルのジャケットが、こちらにマシンガンの銃口を突きつけたまま目の前に立ちはだかっていた。




