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第四十話「告白大会」

「つまり君達は、火星から社会見学のために地球に降りてきたと?」


 それまで自分が寝かされていた部屋――全面を鉄板で拵えられた無骨な空間の中、持ち込まれたテーブルを挟んでそう尋ねてきたアロワナに対し、カリンは警戒混じりに緊張した面持ちで小さく頷いた。カリンが目を覚ましてから二十分後の事であり、彼女がこうして質問を受けていたのは、ゴーゴンプラントに収容された人間の中でこの時まともに動くことが出来たのが彼女だけであったからだ。

 そしてこの時のカリンが若干渋い顔つきをしていたのは、目の前に座る、今まで生きてきた人生の中で初めて見るアンドロイドと言う存在に、無意識のうちに警戒心を抱いていたからだ。


「……火星にはアンドロイドみたいな奴はおらへんかったんか?」

「お手伝い程度のAIとかドロイドはいくつかいたけど、感情を持ったロボットはいなかったよ」


 そう言葉を交わすアカシアとライチを後ろにやりながら、アロワナがカリンをじっと見据えた。この時の彼はいつもと同じように黒いスーツと帽子を身につけており、結果として露出は最大限抑えられていたのだが、さすがに顔面だけはどうしようもできなかった。

 結果として、カリンはその鈍い銀色に染まる顔面と正対せざるを得なくなり、そんな未知の物に対する畏怖を抱かずにいられなかったのだ。


「さすがにこれは怖かったか……?」

「まあ、どう見ても普通の顔色じゃねえからなあ」

「フルフェイスマスクでもつけてくるべきだったか」

「それは余計怖えだろうが」


 傍から見てもガチガチに固まっているカリンを前にして、アロワナが首を回して横にいたリリーに尋ねる。そんなアロワナに対してリリーが言葉を返していると、不意にカリンが声を放った。


「あ、あの、そこまで気を遣わなくてもいいので、お気になさらず……」

「む、そうか?」

「けどさー、本当に大丈夫なのー? さっきから体固まりっぱなしじゃん。絶対無理してるってそれー」

「うう、それは、その」


 無理している事をあっさりスバシリに見破られ、カリンが再び言葉を失う。彼女はこの時、スバシリの過剰なくらいにフレンドリーな態度だけでなく、アウェーであるこの場の雰囲気そのものに完全に気圧されていた。


「ああ、あかん。完全に呑まれてしもてるわ」

「まずはこの場は、彼女の気をほぐす方が先決かと思われますが」

「ならさ、一つ考えがあるんだけど」


 と、そこでエムジーが言葉を発し、その場にいた全員が一斉に彼女を見つめる。その中で、カリンだけが遠慮がちにエムジーの方を見つめてきていた。


「いや、そんな一斉に見ないでよ。怖い」

「いきなり声出してくるんだから、気になっても仕方無いよ」

「ああ、そう言うこと。まあ、そうよね、うん。ごめん」

「いや、別に責めてるわけじゃないから」


 言葉を返してきたライチに向けて申し訳なさそうに――ばかにしおらしく謝った後、エムジーが一つ咳払いをした後で再び言葉を放った。


「あー、ごほん、つまり私が考えてるのはね、彼女の応接役をライチ一人がやればいいって事なんだけど」

「僕が?」

「ライチ様がお一人で? それはなぜなのでしょうかー?」


 きょとんとするライチに次いで、レモンがそう言葉を漏らす。その言葉を受けて、エムジーは最初にカリンの顔――ライチ一人と言うフレーズに反応したのか、その瞳の中には戸惑いと共に期待の光が見え隠れしていた――を見て、次いで不思議そうに首を捻るレモンの方を見やり、ニヤリと笑って言った。


「彼女、ライチの初恋の人だから」


 刹那。場の空気が凍り付いた。


「……え?」


 不意の爆弾投下。理解するのに数瞬の猶予を要した。


「それって……」

「……ああ」

「……そう言うこと」


 そして沈黙の後、それまで止まっていた分のやかましさを伴って、凍った時間が再び動き出した。


「なんだよなんだよ、お前彼女持ちだったのかよ? ええ? しっかりしてるじゃねえかこの野郎!」

「ま、まさか、このような展開が待っていようとは……そうだ、赤飯! お赤飯炊きましょう! おめでたいことこの上ないです! 疾く、疾く赤飯を!」

「うわー、最近の若者はお盛んで困るわー。ほんま困るわー」


 そこにいたほぼ全員が納得したように頷き、嬉々として囃し立て、そしてライチとカリンに対してそれまでとは全く異なる視線――祝福と冷やかしの視線を浴びせた。クチメは無表情ながら僅かに頬を上気させ、スバシリは人目も憚らずに爆笑していた。


「マジで!? えーうそマジで!? すげーありえねー! 超ウケるー!」

「――あ、いや、ちょ」


 だがそのスバシリの大声が、いきなり話の中心人物となって茫然自失していた二人の意識を覚醒させた。


「な、なんで、なんでそんな――」


 最初に言葉を発したのはカリンだった。今までで一番の大声を出しつつ、まっすぐにエムジーを見やった。この時、未知の存在――銀色のボディを持つアンドロイドに対する恐怖心は、秘密を暴露された事に対する動揺と衝撃に、完全に塗りつぶされていた。


「なんで!? なんで知ってんの!?」

「だって、ライチから直接聞いたんだもん」

「は――」


 エムジーの返答を聞いて、すぐさま視線をライチに向ける。その鬼気迫るカリンの顔を前に、ライチは反射的に目を逸らした。


「……どうしてバラすのよ?」


 低く、静かに、怒りの念を滲ませながらカリンがライチに尋ねる。そんなカリンと修羅場を期待する周囲のニヤついた視線を前に、額から嫌な汗を流しながらライチが言った。


「い、いや、それは……」

「それは?」

「聞かれたから」

「誰に?」


 問い詰められ、ライチが無言で、目線でエムジーを指さす。すぐさま標的をその銀色のアンドロイドに変え、カリンが言った。


「あの、どうしてそんなこと」

「じゃ、後はよろしくー!」


 しかし言いかけた直後、スバシリが大声で横槍を入れ、彼女の発言を完全に叩き潰した。


「え、あの、それは」

「うまくやってよねー、『恋人』さん?」


 またしてもカリンの言を潰しながら、軽い足取りで扉をまたぐ。その時のスバシリの顔は、してやったりと言わんばかりの憎たらしい笑みを浮かべていた。


「じゃあライチ、後は任せたぞ」

「わたくし達は先に例の場所に戻って、今後の事について協議を行っておりますので。よろしくお願いしますね」

「ライチ様、押して駄目なら引いてみろ、ですよー」

「……男ライチ、ついに一線を越える……」


 更にその他のクルーも『空気を読んで』、言いたいだけ言ってさっさと部屋から出て行ったスバシリに続いて、目を丸くするライチとカリンを残して続々と退出していった。引き留めの言葉に耳を貸す気配はまるでなかった。


「え、ちょ」

「若いってええなー。青春やなー」

「いや、その」

「じゃあ、後はよろしく」


 最後の一人となったアロワナがそう言い残し、しっかりと扉を閉める。これでその室内には二人だけしかいない事になった。


「……」

「……」


 気まずかった。

 言いたい事、聞きたい事は山ほどあったし、二人きりで話したい事もたくさんあった。しかし今回はそのシチュエーションの形成があまりにも強引で、しかも他人から『譲られた』形の物であった――自分達の本意ではなかったので、心の準備が出来ていなかったのだ。


「……あの、さ」


 しかし、黙り続けているわけにもいかない。それまでアロワナが座っていた席に腰掛けながら、意を決してライチが話しかける。


「え?」

「あー、その、そういうわけだからさ……色々話してくれないかな? あのとき何があったのか」


 恥ずかしげに頭を掻き、そっぽを向かせた顔を真っ赤にしながらライチが言った。


「言いたくない事があったら無理に言わなくてもいいからさ。無理強いはしないよ。でも……その時の事、できる限り、教えて欲しいんだ」

「……それだけ?」


 不意に帰ってきた言葉に、思わずライチがその方を向く。

 カリンは小さく笑みを浮かべていた。完全に晴れてはいなかったが、幾分か緊張がほぐれているようだった。


「それだけ、って?」

「だから、ライチが聞きたいのはそれだけなの?」


 二人きりになったからか、カリンがそれまでよりも勢いのある語調で話しかけてくる。言葉を受けて戸惑うライチを尻目に、カリンが続けた。


「もちろん、あの時の事は全部話すわ。助けてくれた恩もあるからね……でもね」

「でも?」


 カリンをまっすぐ見つめながらライチが聞き返す。今度はカリンが視線を逸らして顔を背ける。


「……足りない」


 頬を赤らめてカリンが言った。


「足りないの」

「たりない?」

「それだけじゃ足りない。私満足出来ない」

「満足って……」


 ライチが尋ねる。


「じゃあ、どうすれば満足してくれるの?」

「……」


 暫しの沈黙。

 やがてカリンが、再びライチを見る。

 この時、既に顔から赤色は消え失せ、そしてその瞳には確固たる強さの意志が――頑固とも取れる鋭い意志の光があった。


「私、全部話したい。あなたが地球に行ってから今までの、私の全部」

「君の?」

「そう。全部。それと私、あなたの全部も知りたい」

「……僕の」


 ライチが聞き返す。カリンが頷く。


「地球に降りてから今までの、あなたの全部」

「ここで僕が何してたか、って事?」

「そう。それと、あと出来れば今の地球の状況とかも知りたい」

「……ちょっと見ない間に欲張りになった?」


 『いつも通り』に戻ったカリンの迫力に中てられて本来の調子を取り戻したライチの言葉に対し、カリンがクスクス笑って答える。


「ハイヤーは知識人の集まりだから、知識には貪欲なのよ?」

「そうなの? それは初めて聞くけど」

「もう知ってるものだと思ってたから、言わなかっただけ」

「言ってくれるとよかったんだけど」

「ごめんなさい。次からちゃんと言うようにするわ」


 そう言って、再びカリンがクスクス笑う。今度はそれに釣られて、ライチも遠慮無く笑みをこぼす。

 やがて二人の笑い声は一つに絡み合い、際限なくその勢いを強めていった。最初は口元を緩める程度の笑みが、やがて大口を開けて爆笑するまでに達するのにさして時間はかからなかった。

この時、二人とも緊張とは無縁の所にいた。


「じゃ、何から話そうか?」


 ひとしきり笑い合った後、爽やかな顔でライチが言った。笑いすぎて多少咳き込んだ後、カリンが目尻の涙を指の背で拭いながらそれに答えた。


「そうね。じゃあまずは私から。あの時何が起きたのか、最初から全部話すわ」

「お楽しみはその後で、だね」

「ええ。そう言うこと」

 ライチに向けてカリンがウインクを飛ばす。

「メインディッシュは最後まで取っておかないとね」





 その後、二人はまず今に至るまでのお互いの状況を話し合い、次いでライチがカリンに現在の地球の状況をかいつまんで説明した。


「そんな物騒な事になってたなんて……」


 そしてライチから全てを聞き終えた後、カリンはそう呆然と呟いた。それを聞いて唖然としたライチが、おずおずと彼女に尋ねた。


「……何も知らないで降りてきたの?」

「違うわ。全然逆の事言われたのよ」


 勢いよく首を横に振って全力で否定しながらカリンが答えた。


「あそこは大丈夫だって。地球は火星のハイヤー居住区と同じくらい安全だから心配するなー、て、出発前の全体説明会の時に言われたのよ」

「そんな訳ないじゃん。なんでそんな事……」

「おおかた、ろくすっぽ調べもしないで適当に言葉を繋げ合わせただけなんでしょうよ。歳食った昔のハイヤーは、地球の事なんかどうでもいいって考えてる連中の方が多いから」


 そう不機嫌そうに口を尖らせたカリンだったが、ライチと目を合わせるや否やすぐにその表情をほぐし、


「ごめん、辛気くさくしちゃって」と申し訳なさそうに微笑みながら言った。

「気にしてないよ。それよりさ、そろそろ――」

「ああ、そうね。そろそろメインディッシュの時間ね」


 ライチの言葉にカリンが頷く。そしてテーブルに肘を置き、重ねた両手の甲の上に顎を載せつつカリンが言った。


「じゃ、まずはライチから。危険な地球に降りてから今までの事、全部教えて欲しいな」

「全部?」

「全部」


 カリンの瞳は期待に輝いている。未知の物に対する好奇心と、恋人と時間を気にせず二人きりで話せる幸福とが同居した、まぶしく優しい輝きだった。


「――そうだね。じゃあ、全部話すよ」


 その輝きを前に、ライチの顔にも『幸せ』が宿る。頬を紅潮させ、目を興奮に奮わせながら、ライチは逸る気持ちを抑えるようにこれまでの自分が経験した全てをカリンに話し始めた。


「まずは、シンジュク。ニホンのシンジュクって所に僕は降ろされたんだ」

「一人で?」

「ううん。同じ船に乗った人がいてさ。その人と一緒に降りたんだ。でもこのシンジュク行き、本当はソウアーの考えてたルートとは全然違ってさ……」


 ライチが自ら体験した物語を紡ぎ、それを聞くカリンがその物語の節目節目に驚き、怯え、戸惑い、楽しそうに笑みをこぼす。実の所とても短い大冒険を余す所なく聞いていようと、カリンは全身を耳にしてライチの言葉に意識を傾ける。


「それで頼みを引き受けてその部屋に入ったらさ、そこに一匹のコアラがいたんだよ」

「コアラ? コアラってあの、もこもこした鼠色の奴?」

「そうそう、それそれ。実は修理してくれって頼まれたのはそのコアラでさ……」

「すごい! ライチって、コアラも直せるんだ! ……」


 この瞬間、二人は今までの中で一番の幸せを感じていた。





「ああ、ちょっと待って」


 エムジーがそう言ってカリンを呼び止めたのは、そんな彼女がライチと二人きりでの情報交換を終えて部屋から出た時であった。そして自分のくぐったドアの向かい側の壁にもたれかかり、腕を組みながらそう言ってきたエムジーに対して、カリンは怪訝そうな目つきを向けた。


「……あ、あの、なんですか?」


 まだライチ以外の人間とアンドロイドには、一定の警戒心が芽生えているようだった。それまでの明るさがウソのように距離を取ろうとするカリンを見て、エムジーが困った顔で彼女に言った。


「そんなに警戒しないでよ。ちょっと話がしたいだけなんだから」

「話、ですか?」

「そ。話。……ああ、でもその前に、私に敬語は使わなくても良いから」

「はあ……」


 どこか控えめにカリンが返す。謙虚さの表れでは無い。単純に相手を警戒し、距離を取ろうと身構えていたのだ。


「あー……やっぱりアンドロイドって、怖いとか思う?」

「え? いや、その、それは」


 それを指摘され、カリンがたじろぐ。一方でエムジーはその事に対して不快に思うことは無く、寧ろ自分からカリンの元へと歩み寄り、互いの鼻先がくっつかんほどにまで接近する。


「え……?」

「うーん……」


 怯えたように目を見開き、唾を飲み込むカリンの姿を、エムジーは無表情にのぞき込む。そしてエムジーは相手の反応を待つこともなく、首を動かしてその耳やうなじ、首筋や鎖骨へと次々に視線をぶつけていく。


「あ、あの、いったい……?」


 カリンが声を絞り出したが、エムジーは観察を止めなかった。鎖骨に目をやった所で首を固定し、カバー内のカメラだけを動かしてそのままカリンの顔をじっと見上げる。

 カリンが慎重に、恐る恐ると言った風にそのカメラに目を向ける。


「……特に変わらないのね。他の人間と一緒」


 二人の視線が交錯した時、不意にエムジーが呟いた。耳聡くそれを聞きつけたカリンが、その怯えた表情の中に少しだけ怪訝の色を加えていく。


「あの、それはどういう……?」

「いや、ちょっと気になってね。ライチの恋人がどういう人なのか、興味があってさ」

「ライチの?」

「そ」


 そう返し、エムジーが小さく笑って体を離す。そのエムジーに対して、カリンが本格的に不審の色を顔に出しながら尋ねた。


「ライチが、どうかしたんですか?」

「敬語」

「あっ、ごめんなさい。じゃあ……あなた、ライチがどうかしたの?」

「ううん、どうかしたっていうと、それは……」


 一瞬ハッとしてから再度聞き直したカリンに対し、悩ましく、勿体ぶるようにエムジーが唸る。

カリンの眉間の皺が一本増えた。


「何かあったの? ライチに、ライチに何か問題でもあったって言うの?」

「ま、待って。そんな命に関わるほど深刻な事じゃ無いから、ちょっと落ち着いてって」


 真剣な表情で詰め寄るカリンを両手で制しながら、エムジーが慌てて答える。そして「ごめん。ちゃんと答えるから」と前置きした後、一呼吸おいてエムジーが言った。


「あのね、落ち着いて聞いて欲しいの」

「な、なに? なんなの?」

「だから、彼にとって危険な話じゃ無いから、そんな怖い顔しないで……いい? 落ち着いて、落ち着いて聞いて」


 カリンが頷く。エムジーが続ける。


「あ、あのね、その」

「うん」

「私、私ね、ライチの……ね、ことね」

「ライチが?」





「好きになっちゃったの」





 カリンの顔から表情が抜け落ちる。


「……いや」


 いや、これも既にライチから聞いていた。もう経験済みである。

 しかしこうして何度も聞かれようとも、慣れない物は慣れない物である。

 とにかく、その言葉はカリンの自制心を根本からぐらつかせるのに十分すぎる破壊力を有していた。

 エムジーが唇を引きつらせ、本気で怯えた顔を作る。


「……なんて?」


 抑揚の無い声でカリンが尋ねる。慎重に、言葉を選びながらエムジーが答える。


「だから、その、地球で最初にあって、一緒に行動してて、それで……」

「それで……?」

「……惚れちゃった」

「……」


 カリンが小さく――とても小さく引きつった声を出す。エムジーが慌てたように声を張り上げた。


「あ、でも! でも! こっちの件はちゃんとカタついてるから! 私から告白して、向こうがキッチリ断ったから! だから、心配しないで! 私はもうなんとも思ってないから!」

「そう言えば確か、ライチの方から断ったって言ってたっけ」

「ええ。そう、そうよ。僕にはもう好きな人がいるって言ってさ。バッサリ断られちゃった。で、そんなライチが大好きな人がどんなのか気になって」

「ここで待ってた?」

「そういうこと。まあ結論から言うと、体系的には特に何の変異もなかったんだけどね」


 言い終えて、エムジーが大きく肩を動かして一息つく。そしてなおも怪訝そうな目つきを見せるカリンに対し、背を向けながら言った。


「じゃあ、そういうわけだから。私の用事はこれでおしまい。引き留めちゃってごめんなさいね」

「え、それだけ――」

「本当にそれだけ! じゃあね!」


 カリンを置いて、そう言ってエムジーが一直線に駆けだしていく。一人取り残されたカリンは、何をするでもなくその場に立ち尽くしていた。





 身体的特徴は無し。

 特異なフェロモンの反応も無し。

 組成パターンはごく一般的な人間と殆ど同じ。


「……」


 通路を走りながら、エムジーは必死に考えていた。

 なぜカリンが好かれたのか。その理由を考えていた。


「……」


 考えても無駄な事くらい、エムジーには判っていた。

 ライチがカリンを選んだ理由。その理由は彼の『心』にあるからだ。

 測定不能な代物。持ち主の精神状態によって常にその形を変える、まったく信用ならない不安定な物。

 エムジーは――物事を常に論理的に考えるアンドロイド全般は、心という不安定な物について思考を巡らせる事が苦手だったのだ。


「……心、か」


 立ち止まり、肩で息をすることも無くエムジーが呟く。


「心」


 全ての人間が普通に持っている物。自分には理解出来ないもの。人間が人間である象徴。


「心かあ」


 ライチのことはとうに諦めたはずなのに、エムジーはこの時、彼がカリンを選んだことについて、なぜか劣等感を――悔しいという気持ちを覚えていた。

 いや、それはカリンに向けられた物ではない。

 それは。


「心」





 心のバカヤロー。


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