表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/134

第三十九話「期せずして再会」

 地球降下直前、火星宇宙港に留めてあったシャトルの一つに他のクラスメイトと一緒に乗り込んでいたカリン・ウィートフラワーは腐りきっていた。その日の朝、自分が教室に入るなり、自分がロウアーの人間と恋仲にあると言う事を他のクラスメイトにバラされてしまったのだ。


「あのカリンって奴、モグラの連中の一人と付き合ってるらしいぜ!」


 もちろん自分から公表した事など一度も無い。自分以外の他のハイヤー共が、ロウアーの人間の事をどれだけ見下し蔑んでいるのかを嫌と言うほど知っているからだ。

 休み時間中に平然とロウアーの悪口を叩くのは日常茶飯事。居住区の井戸端会議の席で、主婦達が脇に置いた子供達の前で彼らを引き合いに出し、平然と罵倒するのもまた日常風景だ。小綺麗な服を着てデスクワークを主にこなす彼ら上流階級の人間にとって、薄汚い場所で汗だくになりながら肉体労働にいそしむロウアーは、もはや自分達の持つ価値観とは最も遠くかけ離れた存在であったのだ。

 彼らはもはや人間では無い。臭く汚いただのモグラ、もしくは働き蟻でしかない。下位の者に対する上位者の差別――火星社会の発展と生産活動を追及した結果として採用された階級制度がもたらした負の側面の発露である。そしてその発露の条件に善人か悪人かは関係なかった。その考えは、善悪問わず彼らの心の土台を等しく形成していた物だったからだ。

 そんなモグラと――汚らしい人非人と親しくしている。それだけで、彼らにとっては排斥の対象となった。


「お前最低だな」

「やめてよ。そんな近寄らないで」

「馴れ馴れしくすんな! ドブネズミ!」


 なぜあの男子はそれを知っていたのか? 自分はあの男子とはなんの繋がりも無い。違うクラスの初めて見る顔だった。

 バラされた最初の頃は、それについて真剣に悩んだりもした。しかし今は、それについて悩む余裕はどこにも無かった。それがバラされてからと言うもの、彼女の同級生達はその『上流階級の特権』を我が物顔で行使し始めたのだ。だがそんな彼らの活動も、担任の教師が入ってきてホームルームを始めると同時にぱたりと収まった。

 しかし、目は口ほどにものを言う。ホームルーム後からここに来るまで、カリンは周囲からの好奇と嘲笑、嫌悪の視線に曝され続けてきた。教師がいる手前、狡猾な彼らは口に出して彼女を非難しなかったが、しかしその無言の圧力は彼女の精神をじわじわと、そして確実に削り落としていった。

 よって席に着いた時、彼女は何をするでもなく目を閉じた。耳も塞ぎたかったが、それはなんだか奴らに全面的に負けを認めたような気がして嫌だった。この話は彼らが一方的に囃し立てているだけであって、彼らにとってその話題はまだ噂話の域を出ていなかったのだ。カリンはまだうんともすんとも言っていない――事実だが、それを公表する気も無かった。

 だがここで耳を塞げば、彼らの好奇心の火に更に油を注ぐことになってしまう。それだけは駄目だ。増長させるのはもっと駄目だ。

 だから彼女は目だけを閉じて背を丸め、アルマジロやダンゴムシ――かつて学園内の図書室にある地球絶滅動物図鑑で見た、「丸まって身を守る生物」の一種である――のように頑なに心を閉ざそうと決めた。地球に降り、皆の興味が自分からそちらに移るまで、じっと我慢を続けよう。カリンは固く閉じた唇の裏で強く歯を食いしばりながら、そうあろうと強く心に持った。

 だがそんな彼女の努力も、火星を離れ航行を続けた後、地球の成層圏に突入する前に船の下方から激突してきたレーザー光によって、全て水の泡となったのだが。





「駄目だ、入り口がひしゃげてやがる! スイッチ押してもうんともすんとも言わねえ!」

「トーチを! それを使って焼き切るんだ!」

「そうは言うがな、向こう側に人間がへばりついてるって可能性もあるだろ?」

「なら、切る前に一度注意を呼びかけましょう。 大声で叫べば何とかなるはずです」

「アタシ、拡声器取ってくる!」

「……艦橋のスピーカーを使った方が早いと思う……」

「そこまで時間かける余裕は無えだろ!」


 そして今現在、カリンはそれまで無線を使って救援を請うために留まっていた操縦席から離れてその船に三つある内の中央の出入り口にもたれかかり、不安げな表情を浮かべてその扉一枚隔てた外から微かに聞こえてくる数人の口論に耳を傾けていた。ちなみに機密性の高い密閉扉越しに人の声が聞こえたのは、着水時の衝撃によってその扉と外枠の間に歪みが生まれ、そこに僅かに外と通じる隙間が出来たからである。そこからバール等を使ってこじ開けることは不可能に近かったが。


「このままプラントの中に入れて、そこでこじ開けるのは……無理か。さすがに要塞の中に船を二隻収容するのは無理があるな」

「カサブランカを横半分に切れば何とかなるんやないか? スペース的に」

「やめてもらえますかー? そんな事したら、私が総司令に怒られますのでー」


 この時、照明の死んだ薄暗い船内でまともに行動出来ていたのは彼女だけで、他の人間――同級生や教師、そして宇宙キャビンアテンダントは揃って地面や椅子に倒れ込み、体のあちこちを変な方向に曲げて大なり小なりうめき声を上げていた。操縦席に二人いた操縦士は目を閉じたままピクリともしなかった。

 そんな他の者と同様に、カリンも体に多少なり傷を負っていたが、それは打ち身や切り傷程度の軽い物であり、外の会話が聞こえる程度にはっきりと意識を保ち五体満足でいられたのは彼女だけだった。それは当然ながら彼女だけが神に愛され、偶然と言う名の運命に助けられたからでは無い。そこにはしっかりとした理由があり、それを知るには現在よりもかなり前に遡る必要があった。





「よっし、きた! 俺のあがりだ!」

「でさあ、さっきの話なんだけどさあ……」

「なにー? またモグラの話ー?」

「おい見ろよ! 流れ星だぜ!」

「お前、そんな陣形で勝負するのか? 戦争なめてるだろ?」


 船が地球に『着陸』するよりも前の事。前触れも無しに船が大きく揺れる直前――地上から放たれたレーザー光が船底に激突する直前。

 その船の中は自由極まりない状況にあった。全員が座席に体を固定させるベルトを外し、内部を浮遊しながら仲良し同士でそれぞれの代表の席に固まってグループを作り、そこで思い思いに暇を潰していた。

 トランプや磁石固定型のチェス――人間が地球にいた頃から興じられてきた昔ながらの遊びをする者。窓の傍に集まって外の光景を一心に見つめる者。ただ単に集まってくだらない話に花を咲かせる者。宇宙空間での艦隊戦争をテーマにした対戦ゲームを集団でプレイする者。

 手段こそ違え、この時客室内では文字通り平和な、やかましくも弛緩しきった空気が漂っていた。最前列と最後列に居座っていた教師達も、席を離れる事こそ無かったが同じようにベルトを外してのびのびとしていた。注意するのも諦めていた。

 また、この時代には――火星社会の上流階級にのみ言えることだが――宇宙航行も日常的な物となっており、わざわざ宇宙服を着込むのは過剰に過ぎると考えられていたので、もしもの時に備えて宇宙服を着ていたのは一人もいなかった。操縦士も同様だった。

 そんな警戒の微塵も無い楽しげな雰囲気の中で、カリンだけは頭を抱え背を丸めたまま、じっと身をうずくまらせていた。ベルトも着用したままで、席に座ったまま一人心を閉ざしていた。

 このベルトが明暗を分けた。レーザーが激突して船が大きく揺れた時、船内でベルトを外してのんびりしていた連中は一人残らずスーパーボールと化した。レーザーの直撃によって船体が激しく上下に揺れ、その天井と床――そして椅子に激しく叩きつけられたのだ。

 操縦席にいた二人はカリンと同じようにベルトを身につけていたのだが、最初から頭を抱えて身を丸め、結果的に身を守る姿勢になっていたカリンに対し、その頭を無防備に曝していたのが仇となった。彼らは機体が揺れた時、背後から飛んで来たバッグ――自分達が持ち込んだ際に船体に固定する事を怠っていたビジネスバッグが後頭部に激突するのに備えられなかった。

 その操縦士二人が揃って気を失ったのが最大の痛手だった。異変を察知したAIが自動操縦モードに切り替えたのは海面に激突する五分前だった。ここまで来たらもうどうしようもなかったのだが、それでも姿勢を制御し、着水の際に船体がバラバラにならないよう最善の体勢を取らせた点については彼らを称えるべき所であった。

 また、同時に重力制御装置を起動させてあえて無重力状態を作り、最後の衝突のショックによって死体が出る事を防いだのも功績の一つであった。





 そして今に至る。血の臭いとうめき声の充満する船内の中で、カリンは拡声器を使って外から聞こえてくる人間の声に耳を傾けていた。


「中にいる生存者に告げる! これから扉と思われる所を一つずつ焼き切っていくので、そこの近くにいる者は直ちに退去するように! 繰り返す! 今から扉を焼き切って中に入る! ……」

「……ああ……」


 そしてカリンの精神にも限界が訪れた。助けが来るという安心感から、彼女は事故の起こる前――登校直後からずっと張り詰め続けていた神経の手綱をようやく手放し、同時にその意識までも手放していった。


「もう……無理……」


 まだしっかりとした足取りで四辺が僅かに歪んだ入り口から離れ、まだ無事な椅子の一つに来た所で糸が切れた人形のようにそこの肘掛けに倒れ込む。そして急速に無音の暗黒領域に落ち込んでいく意識の中で、カリンは最後の言葉を漏らした。


「……ライチ……」





 そんなカリンが再び自意識を取り戻した時、意識と共に開かれていった彼女の視界には、青白い光に照らされた無機質な金属の板がいっぱいに収まっていた。そしてそれが天井であり、自分が体の上から何か柔らかい物をかけられ、同じく柔らかく暖かい物の上に寝かされていたのだと気づくのに、そこから暫くの時間を要した。


「おお、気づきおったで」


 そうカリンが自分置かれた状況を確認し終えた時、不意に横から声がした。火星ではとんと聞かない、不思議な訛りの残る口調だった。


「まあ、他の連中と違って大した傷でもあらへんかったし、起きるんも早い思っとったけどな。気分はどや?」


 そしてその声は自分の事を気遣っているというのが、その声の調子からわかった。その穏やかな言葉が、疲労と突然の環境の変化でただでさえ薄まっていた警戒心を更に無為な物にしていった。

 誰が話しかけているのだろう? カリンがそう不思議に思い声のする方に首を回そうとしたが、その行動よりも早くに件の声の主と同じ方向から――しかし声の主とは別の何者かが、寝込んでいた彼女の元に駆け足で駆け寄ってきた。


「カリン!」


 それは急な覚醒の直後の、あまりにも急な接近であった。故にカリンはその姿を視認しようと、ぼやけた視界を元通りにしようとピントを調節しようと試みたのだが、それにはかなり難儀した。だがそれ以前に、その影を明確な物にしようと瞳を動かすよりも前に、カリンはその影の存在が何者であるかを既に理解していた。


「カリン! カリン! 大丈夫? 僕がわかる?」


 声。もう二度と聞けないんじゃないかとさえ思っていた暖かく懐かしい声。その声だけでカリンは相手の素性を完全に理解し、理解すると同時に、その両の瞳から静かに涙を流した。

 そして涙を流しながらゆっくりと上体を起こし、体から毛布がずり落ちるのにも構わずに自分の寝ているベッドの傍に寄り添っていたその影に相対した。


「カリン……!」


 彼女が自力で身を起こしたのを見た影が、泣きそうな声で相手の名前を呼びかける。カリンは涙でぼやけた視界の中に、声の主の姿をはっきりと写していた。


「ライチ……?」

「カリン!」


 自分の呼びかけに答えてくれた。心の中に残っていた僅かな疑念が完全に吹き飛んだ。


「ライチ……ライチなの……?」

「カリン、そうだよ、カリン、僕だよ」


 ぼやけた影が――ライチがカリンの体を優しく抱きしめる。


「カリン……会いたかった……ずっと、会いたかった……!」

「ライチ……ああ……」


 カリンは戸惑うこと無く、そのライチの背中に手を回してその身を抱き返す。


「私も、私も、会いたかった……ライチに、会いたかった!」

「カリン! ああ、カリン!」


 それまでの言葉に加え、かつてと変わらぬライチの体温と臭いを。そして初めて嗅ぐ砂と太陽と海の臭い――地球の臭いを全身で感じる。

 これ以上の証明はもはや不要だった。


「カリンなんだよね? この感じ、本当にカリンなんだよね?」

「うん! うん! 私だよ! カリン! カリンだよ! あなたは!? あなたはライチだよね!?」

「ライチだよ! 僕はライチだ!」


 『再会』。二人して固く心に誓っていながら、同時に心の片隅でどこか諦めていた、叶わぬ物と心半ばに思っていた一つの思い。

 その諦めかけていた感情が、地の星にて期せず出会えた事によって心の底から再び溢れ出し、濁流の如き流れとなって心の平衡――一切の正気を押し潰す。


「寂しかった! ずっと寂しかった! ライチに会えなくて、ずっと寂しかった!」

「僕もだよ! 僕も会いたかった! 僕も君と……君と……!」


 誰にも邪魔されず。誰の目も気にする事無く。


「うわあ……これは……」

「お熱いねえ……」

「すまんけど、暫くこのままにしておいてくれへんかな?」


 二人はそのまま二人だけの世界に落ちて行き、憚ること無く互いに互いを抱きしめ合い、再会の奇跡を喜び合っていた。





「なんであの船を撃ち落としたんだ!」


 同時刻。ライチとカリンがいる所よりずっと遠く離れたとある場所にて。


「僕はこんな事命令した覚えはないぞ! 要求に従う限り好きにしても良いと言ったが、これはいくらなんでもやりすぎだ! こちらの命令に従うつもりはないと言うのか!」


 薄暗闇に包まれたその狭苦しい空間の中で、一人の男の怒号が響き渡っていた。その声は若く迫力に溢れた物であり、同時に怒りや焦りのような物も含まれていた。


「いいか! お前達の手綱を握っているのはこっちなんだぞ! こちらの言う事を聞けないのなら、それ相応の手段を取らせてもらうからな!」

「……何度も言うが、あの時攻撃を仕掛けてきたのは我々では無い」


 と、男の怒りの声に続いて、ノイズ混じりの別の男の声が聞こえてきた。その声にはもう一方の声に比べて歳を重ねたような渋みがあり、また冷静さと思慮深さを兼ね備えていた。二つの声は何もかもが正反対だった。


「あれは我々とは別の……だが我々と似たような思想を持った者達による攻撃だ。我々が行った物ではない」

「それは信用出来るのか? それがただのブラフではないと、どうやって証明出来るというんだ?」


 静かな声に、怒りに猛る声が猛然と噛みつく。だがその静かな声は、自分のペースを崩すこと無く言葉を返した。


「そんなに信用出来ないというのなら、オーストラリア周辺を調べてみろ」

「オーストラリアだと?」

「そうだ。正確には、かつてオーストラリアと呼ばれた場所をだ。そこを調べれば、例の攻撃の正体と、我々の身の潔白を知る事が出来ると思う」

「……」


 スタンスを崩さない静かな声の意見に、怒りの声が黙りこくる。静かになった闇の中で、追い打ちとばかりに静かな声が催促をかける。


「さあ、どうする? 調べてみた方がいいんじゃないか?」

「……ふん」


 いくらか勢いの無くなった語調で、怒りの声の主が鼻を鳴らす。静かな声の主は黙ってそれを聞いている。怒りの声が再び放たれた。


「いいだろう。そこまで言うのなら、お前の意見を取り入れてやる。こちらは野蛮人ではないからな」

「承諾、感謝する」


 あくまで高圧的に接する怒りの声に対し、静かな声は最初と変わらぬ調子で返す。それが怒りの声の主は気に入らなかった。


「ただし、少しでもお前達の意見に誤りがあったのなら、その時はこちらも厳正なる態度で事に当たらせて貰う。その事を、肝に銘じておくんだな」

「それもわかっている。好きなようにすればいい」


 それを最後に、静かな声がプツリと途絶えた。そして何も言葉を返さなくなった無線装置を前にして、怒りに震える声の主が握り拳を震わせながらゆっくりと呟いた。


「……忘れるなよ」


 自分よりもずっと下に位置する連中に舐められた事に対する怒りと屈辱で、その声は無線を交わした時よりもずっと激情に震えていた。


「空は……貴様らの青空は……僕達が握っているんだからな……!」


 星間無線装置は何も言葉を返さなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ