第三十話「パレード準備」
「姉さん、随分と楽しそうだね」
背中からそう声をかけられ、それまで自室の中で窓越しに夜の星空を眺めていたカリン・ウィートフラワーは反射的に後ろを振り返った。
「ごめんね。ノックもしないで入り込んで。だけど、どうしても気になったからさ」
左に学習机、右に衣装タンス、上方に小振りなシャンデリア、下方に赤い絨毯と前方にクリーム色の壁が映る視界の中央、開け放たれたドアの縁にもたれかかるようにしてジェイクがそこに立っていた。
「今日は一日中ニコニコしていたし、いつもより上機嫌だったよね。明日の地球降下、そんなに楽しみなのかな?」
「それを聞くためだけに、わざわざ私の部屋に入ってきたの?」
自身の水色の髪をいじりつつ、嘲るように言ったジェイクに対し、カリンが露骨に顔をしかめて返す。その反応を意に介す事無く、ジェイクが肩を竦めてそれに答える。
「ああ、もちろんそうだよ。だって僕の只一人の姉なんだから、気にするのは当たり前じゃ無いか」
「いくら姉弟だからって、人のプライベートに首を突っ込むのは止めた方がいいと思うけど?」
「それはいけない事だと思っているさ。でも、僕は姉さんのためを思ってやってるんだって事を判って欲しいな。もし僕の知らない所で姉さんに何かあったらと思うと、気が気でないからね」
「通学の時にべったり後ろに張り付いたり、休み時間になる度に私のいる教室に来て、ドア越しに私をじっと見つめてくるのもそうだって言うの?」
「もちろんさ。僕はいつも姉さんを見守っている。僕には姉さんを見守るという使命があるんだ」
「やめて」
眉間の皺を一本増やしてカリンが突き放す。ジェイクは気にする事無く室内に足を一歩踏み入れる。
赤い絨毯をジェイクの靴が踏みしめる。無許可に自分の心を侵された――純血を踏みにじられたような気がして、カリンは酷い嫌悪を覚えた。
ジェイクがもう一歩足を踏み出す。『守る』という使命感と『守ってやっている』という優越感にどっぷり浸かり、口の端を醜く吊り上げながらジェイクが不思議そうに言った。
「やめて? なんで躊躇うんだい? 別にいいじゃないか。僕と姉さんの仲なんだからさ」
「私はやめてって言ってるの。やっていい事と悪い事があるのくらい、わからないの?」
「それくらい知っているさ。僕は姉さんを守っている。これは決して悪い事じゃないよね」
「ただのストーカーよ」
「それもこれも全部姉さんのためを思って」
「やめて!」
嫌悪に顔を歪めたカリンがピシャリと言い放つ。それまでヘラヘラと笑っていたジェイクの顔から、まるで憑き物が落ちたかのようにその優越の色が一気に抜け落ちていく。
「どうして……」
そして空白になったその顔に、今度は困惑と悲しみの色が段々と満たされていく。
「どうして? どうして姉さんは僕の事をそんなに毛嫌いするの? 僕は姉さんの事をこんなに思っているのに、どうして?」
「……わからないの?」
「ねえ、どうして? 僕には判らないよ。なんでそんなに僕を避けるの? ねえ、どうして?」
「自分がどれだけ人に迷惑をかけているのか、わからないの?」
「ねえ、ねえ、ねえ」
カリンの言葉に聞く耳持たず、ジェイクがずかずかと絨毯を踏みしめてカリンの下へと近づいていく。
カリンが思わず後ずさる。何か未知の物に出くわしたような恐怖を感じ、顔を引きつらせる。
ジェイクは止まらない。
「僕はこんなに姉さんの事を気にしているのに。こんなに姉さんを大事に思っているのに」
「あなたのそれはただのお節介なの! わかって!」
声を張り上げる。ジェイクは止まらない。
「僕は、僕は姉さんだけが」
「聞こえなかったの!? 止まって! 止まってよ!」
「ああ、姉さん。姉さん」
「お願い、お願いだから……!」
気圧され、段々と弱々しくなっていくカリンの懇願も空しく、ジェイクが容赦なく距離を詰めていく。自分の正しさが理解されて貰えないと、今にも泣き出しそうな顔で近づいてくる。
「僕はただ、姉さんを守ろうとしているだけなんだよ?」
まるで話が通じない。こちらの意思を伝える事が出来ない。この時カリンはそう考え、まるで違う次元からやって来た宇宙人と話しているかのような錯覚を覚えた。
相手は血の繋がった弟だというのに。誰よりも近しい存在だというのに、今では誰よりも縁遠い存在に見える。その埋めようのない不気味なギャップを前に、カリンは顔を恐怖に滲ませた。
「ねえ、どうして。どうしてそんなに怖そうにしているの」
「やめて、来ないで――!」
「僕は、僕はただ姉さんを」
二つの影が重なる。
「や、やめ」
「姉さんを」
ジェイクの吐息がカリンの髪を揺らす。
手が頬を撫でる。
「ひっ」
怖い。
目に涙を溜める。カリンの表情が本気で怯えた物になる。
それも見えていない。もはや何も見えてはいなかった。
ただ『姉』だけを。そのアイコンだけを。ジェイクが真剣な眼差しを向ける。
恋は盲目。
「姉さんを愛しているだけなのに」
恍惚と、そう呟いた。
気づいた時には、カリンは家を飛び出していた。
惚けていたジェイクに平手打ちをかまし、部屋を飛び出し、怪訝な目を向ける両親を無視してリビングを突っ切り、玄関を出て必死になって走っていた。
後ろを見る余裕も無かった。まとわりつく恐怖を振り払おうと、全身にこびりついた弟の全てを拭い去ろうと、ただ前だけを見て、死にものぐるいで走り続けた。
「……は……ッ!」
どれくらい走ったかも判らなくなった時、カリンはそこで立ち止まり、膝に手を置いて体を曲げ、大きく肩で息をした。
「……ッ! ……ッ!」
ぜえ、はあ、と。肺の中に溜まったジェイクの残滓を全て吐き出すかのように、大きく体を揺らして何度も何度も息を吐く。
「はあ……っ、はあ……っ、 ……ライチ……」
そして呼吸が一段落し、他の物を考える余裕が出てきた時、カリンは殆ど無意識の内に彼の名を呼んでいた。
「ライチ……ライチ……!」
その場にうずくまり、両腕で自らを抱きしめ、ぎゅっと瞑った目に涙を溜めて。ここにいない恋人に向けて助けを請うようにカリンが呻く。
「ライチ、ああ、ライチ……!」
助けて欲しい。
ここから連れ出して欲しい。
あいつのいない所まで連れて行って欲しい。
「ライチ!」
この世で最も愛おしい者に向けて放たれたカリンの思いは、ただ空しく夜空の闇に吸い込まれていった。
「で、こんな時間に私達を呼びつけたのは、いったいどんな理由からなのかな?」
午前零時三十分。カサブランカが出港した後のソウアーオキナワ支部。その中にある今は無人と化した食堂に、パイン・ジュールの苛立ち混じりの声が響いた。
「まさか今から我々だけで宴会をする訳でもあるまい。もしくは、あの船の無事を祈っての飲み会か。まあ、どちらでもいいが」
「私もそういうのは別にいいかな。ていうか、本当に眠いんですけど」
パインの横に座っていたモブリスが、さも眠そうに目を擦りながらそう訴えてくる。そんな二人を前に、彼女らとテーブルを挟んで向き合うように座ったハナダが済まなそうに言った。
「うむ。俺としても、こんな夜遅くに君たちを起こしたのは済まないと思っている。二人とも明日も仕事があるのは承知しているしな」
「だったら寝させてよ。健康を維持するためには、適度な運動と睡眠が肝なんだからさ」
「健康に気を遣っている訳ではないが、寝させて欲しいと言うのは私も同じだ。用があるなら手早く済ませて欲しい」
モブリスとパインが口を尖らせる。それに対して一度咳払いをした後、どこか気まずいように目を泳がせながらハナダが言った。
「……緊急事態が起きた」
「緊急事態?」
「なんだ?」
「レモン・マクラーレンが逃げた」
「え?」
一瞬、二人は何を言っているのか判らずにきょとんとした。彼女たちは青空の会の思想とは最もかけ離れた位置にいたために、その名を出されても、どうリアクションしていいか判らなかったのだ。
「え? 誰?」
「いや、誰だそれは。聞いた事無いぞ」
「や、おい、本当に聞いた事無いのか。二人とも青空の会の人間だろう」
「無い」
「殆ど外様だったからねえ」
平然と返す二人に、ハナダが呆れたように言葉を漏らす。そんな彼の態度を見て「知らんもんは知らん」と言わんばかりに顔をしかめるモブリスとパインだったが、やがてその表情のままパインがハナダに言った。
「それで? そのレモンがいったいどうしたって言うんだ?」
「あ? ああ。そうだな。まずはここに呼んだ用件だけ伝えておこうか」
ハナダが姿勢を正し、二人に向き直る。自然と二人も背筋を伸ばし、ハナダに向き直る。
「二人を呼んだのは、ある事を頼みたいからだ」
「頼み?」
「ああ」
ハナダが頷く。パインが目線で先を促す。
「レモン・マクラーレン。彼女が何をしたのか、さっき聞いたな?」
「ああ」
「ここから逃げ出した奴でしょ。それがどうかしたの?」
「彼女を連れ戻して欲しい」
「そう言うこと」
そう漏らし、モブリスが背もたれにもたれかかる。パインがハナダに言った。
「その理由は?」
「危険だからだ」
「どうして?」
「簡単に言えば、ソウアーを作ったのはマクラーレンの一族だからだ」
「ホームを土足で荒らされたってわけ」
天井に目を向けながらモブリスがぼやく。頭の回転が速くて助かる。
「そりゃあ、青空の会の連中はいい顔しないでしょうよ」
「お前だってその一人だろうが。嫌な顔したらどうだ」
「私は家と服と食べ物さえくれればどこにでもつく主義なんで」
「現金な奴だ」
開き直るモブリスに対してハナダが苦々しく返す。そんなハナダにパインが尋ねた。
「お前が私達に何をやらせたいのかは判った。だがもう一つ質問がある」
「なんだ?」
「なぜ私達なんだ?」
「他に回す仕事が無いからだ」
臆面も無くハナダが言い切る。これにはパインとモブリスは苦笑いを浮かべるしか無かった。
やがて笑みを消し、ハナダを睨みつつパインが言った。
「上辺はいい。本音を言え。正規の人員をオキナワの外に出して浪費させたくないんだろ?」
「それもある」
「ああ、やっぱり私らって使い捨てなのね」
「それ『も』あると言っただろう。他に回す仕事が無いのも事実なんだ。余っている労働力を腐らせておくのは勿体ない事この上ない」
直前に拗ねるように言ったモブリスに合わせるように、『も』の部分を強調させつつハナダが二人に言って聞かせた。そしてその後でハナダはモブリスの方を見つつ、わざとらしく重々しい口調で続けた。
「それに、俺は何もただで仕事をしろと言っている訳では無い。もしこの任務を完遂して戻ってきた時には、通常労働分とは別口で報酬も用意しておくつもりだ」
「報酬? マジで?」
目を輝かせてモブリスが身を乗り出す。
「え? いいの? 貰っちゃっていいの? マジでいいの?」
「ああ。量に限りはあるがな」
「いや、貰えるんなら文句は言わないよ。本当に貰えるんだね? ね?」
「働いてくれればな」
「やる! 私やります! 具体的に言うと白米が欲しいです! 白米!」
ちょろい。
予想通りに動いてくれたモブリスを見てこみ上げて来る笑みを噛み殺していると、今度はパインがハナダに尋ねた。
「本当にくれてやるというのか?」
「お前達は正規の隊員ではないからな」
当然と言いたげにハナダが頷く。だがパインはまだ納得出来ずにハナダに食い下がった。
「こっちは捕虜なんだぞ? お前は捕虜に金を払うというのか?」
「俺はお前達に命令しているんじゃ無い。『仕事してくれ』と頼んでいるんだ。仕事に対して賃金を払うのは当然だろう」
「いや、……お前、変人だな」
一瞬言葉に詰まり、その後パインが呆れたように言った。だがその口の端は愉快そうに吊り上がっていた。
「だが嫌いじゃ無い」
「褒め言葉か?」
「そのつもりだ」
「それは助かる」
「じゃあなに、パインも仕事するっていうの?」
モブリスが他二人に尋ねる。そう言うことだ、とパインが返すと、モブリスは途端に不安そうな顔を見せた。
「まさか成功報酬、二人で折半とかじゃないよね?」
「そこまでケチじゃない。二人の分はちゃんと払う」
ハナダが再び咳払いをする。そして改めて二人を見やりながら言った。
「それで、やるか? 強制はしないが」
その三日後、オキナワ支部の領内にある砂浜の一つに、一隻の艦船が停泊した。ニューヨークから遙々運び込まれてきたそれは、カサブランカと同じ形をしていた。
元から物資を積んで来たらしく、今そこで行われていたのは艦載してきた機体や船体の調整だけであった。
「大盤振る舞いね」
そんな数名の隊員が散り散りに作業する様子を遠目に眺めながら、モブリスが感心したように呟く。横に並んで立っていたパインが頷いて返す。
「それだけあの脱走者が大切だと言う事だろう。確かレモンと言ったか」
「あれが一緒についてくるくらいに?」
モブリスが戦艦の手前に並んで立っていた二体の白銀色の巨人に目をやりながら言った。パインが再度頷く。
「らしいな。どれだけ大事なのかは私にもわからんが」
「判らないのは私も同じよ。まあ仕事だからやるだけだけど――」
「パインとモブリスと言うのは、君達かい?」
その時、巨人の一体が首を回し、のっぺらぼうの顔を二人に向けながらそう言ってきた。突然の事に周囲で作業していた隊員達は驚いていたが、名指しで呼ばれた二人はそれ以上に驚いていた。
「ええ?」
「なんだ、なんだ、いったい」
モブリスが思わず後ずさり、パインが怯えを悟らせまいと顔を無理にしかめる。そんな二人をじっと見つめながら、その『四本腕の』巨人は流ちょうな言葉遣いで喋り続けた。
「やあ、驚かせてしまったか。ボクは今日から、君達と一緒に任務にあたる事になった者だ。一つ挨拶をしようと思ってね」
「……女?」
「女で悪かったかい?」
こちらの会話が聞こえていたのか、パインが口をつぐむ。
眼前の二人と周囲のギャラリーのざわめきが消えた頃を見計らって、その巨人が女性の声で言った。
「ボクはオルカ。今後ともよろしく」




