第二十九話「さらば島」
「司令。オキナワ支部担当のハナダ氏より報告が入っています」
クリーム色のカーペットが床一面に敷かれ、出入り口から見て右側の壁が全面ガラス張りなっていたとある一室。
ガラス窓を通して室内に燦々と降り注ぐ陽光を努めて無視しつつ、その部屋に入ってきた赤毛の青年がそう言いながら、目の前に据え置かれたデスクへ――そのデスクに腰掛けていた男目指して近づいていった。
「オキナワ付近で発見された『青空の会』カゴシマ支部とタイワン支部は共に壊滅。そこで開発されていたカスタムタイプのジャケットも押収したそうです」
「……色々とおだやかじゃないね」
目の前に立った青年が手にした書類に目を通し伝えてきた報告を聞き、そのデスクに腰掛けていた男はそう言って僅かに眉をひそめ、持っていたティーカップ――白磁製で、飲み口の周りに流線の絡み合う金細工を施された豪奢な物だった――を受け皿の上に置いた。
弱々しい男だった。目尻のやや垂れ下がった両目は小さく気迫に欠け、鼻も低く唇も薄い。紺のスラックスとスウェットを纏った体もまた小枝の如く細身で華奢であり、何もかもが虚弱。貧弱。人畜無害。男は青年よりも年上であったが、体つきの面ではその青年の方がずっと頼りになるくらいに見えた。
その弱い印象たるや、彼を初めて見た者が、ちょっと脅してやるだけで簡単にポッキリ折れてしまいそうなひ弱な印象を簡単に抱いてしまえるほどの物であった。
そしてそんな男が持っていたカップの中を半分ほど満たしていた琥珀色の液体からは、ほのかに鼻をつくアルコールの匂いがした。
それを嗅いで一瞬顔をしかめる部下の青年を気に留める事も無く、カップの横に置かれたポットを手に取りつつ男が言った。
「気がついたら敵方の支部に挟まれた格好になっていて、しかも向こうは特別製のジャケットを作っていた、と言う事か。オキナワの方もかなりの貧乏クジを引いたみたいだね」
「ええ。まったく。ほぼ無傷で済んだのが不思議なくらいですよ……それより司令官」
「なんだい?」
「それ紅茶じゃ無くてお酒でしょう」
「それはそうとショコラ君。プリンセスについて何か報告は無いのかな?」
「話を逸らさないでください。それと私をショコラと呼ぶのは止めてください」
書類を片手に持ったまま両の手をデスクに叩きつけ、ショコラと呼ばれた青年が憮然として返す。その不平を前にして男は平然と、なんの躊躇いも無くポットを傾け、なんの躊躇いも無くカップの中になみなみと酒を注いでいく。そしてカップの縁ギリギリまで琥珀色の酒を注ぎ終え、そこから漂ってくる刺激臭を嗅いで満足そうに目を細めつつ、男がショコラに言った。
「ああわかってるよショー・コッポラ君。ただのスキンシップだから、そんなに熱くならないでくれ」
「司令は私がその呼び方で呼ばれるのを嫌がっているのを知っているじゃ無いですか。イジメですよ」
「わかったよ。わかってる。次からは気をつける。――それで、例のプリンセスについては何か無いのかい?」
「まったく……」
カップの中身を啜り、そう親しげに問いかけてくる男にため息を返しつつ、ショコラ――ショー・コッポラは手に持っていた書類に目を戻した。
「プリンセス……レモン・マクラーレン嬢は、無事にオキナワ支部にたどり着く事が出来ました。彼女の使用した船と、彼女の付き人二人も無事です。万事なんの問題も無く、この件は解決したと言って良いでしょう」
「そうか。何事も無く終わってくれたか」
「ただ、途中でオキナワでは無くシンジュクにたどり着いてしまったというトラブルにも見舞われたそうですが……」
「でも無事だったんだろ? なら何の問題もない」
さらりと片付け、酒をあおる。そんな司令官としての責務も威厳も感じない、だらしない司令の姿を見て、ショーはこの目の前の小枝のように細い男を手折ってしまおうかと本気で思った。
「まあ、彼女はあんな島国で満足するような子ではないと思うけどね」
が、思いかけた所で司令が不意にそう呟いた。その言葉は思案に――目の前の司令を抹殺する算段の中に沈みかけていたショーの意識を鷲掴みにし、そのまま彼の視線を心の内から現実へと引き戻していった。
「それはどう言う意味でしょうか?」
「言葉通りだよ。彼女、下手したらオキナワを抜け出すだろうね」
「そんな、危険です!」
マクラーレンの人間がソウアーの庇護下を離れて外に出る。その危険性を考え息をのむショーに対し、司令はどこまでもマイペースだった。低い鼻をひくつかせて元から温くなっていた酒の香りを楽しみ、何の問題も無いと言いたいかのように――もしくは何も考えていないかのように平然とした態度で言った。
「我々じゃどうしようもないよ。こっちでいくら騒いだ所で、ニューヨークからオキナワには一足飛びでは向かえない。彼女の行動を見守るしか無い」
「そんな悠長な――!」
「どうしようもないよ」
不安も危惧も感じさせる事の無い、冷淡な表情でばっさりと切り捨てる。納得のいかない様子を見せるショーを尻目に新たにポットから酒を注ぎつつ、司令が素っ気ない口調で言った。
「まあ、何か問題があったら、こっちもこっちで全力で対処する。それまでは、とりあえずは様子を見守ろう。それでいいんじゃない? ていうか、そうするしか無いよ」
「しかし、ミール司令!」
「ショコラ君。君は少し肩の力を抜いた方がいい。そんなんじゃ長生き出来ないよ?」
ソウアー最高司令官兼ソウアーニューヨーク本部代表、オートミール・オートバーン。
通称『ニューヨークの英雄』。
「うん。やはりブランデーはストレートに限る」
「まったく、この人は……」
やれば出来るのに。オートミールの下で何年も働いてきたショーは、彼がその気になればどこまでも頼りになれる存在である事を知っていた。そしてそれ故に、その非常時に見せる迅速果断な活躍と平時のこのだらしない姿とのギャップを――元々の生真面目な性格も相まって――消化しきれずに信頼と軽蔑の板挟みに遭い、その苛立ちを募らせるばかりだった。
カサブランカがオキナワを離れたのは、強奪犯がオーストラリアに向かった事を知ってから三日後の事だった。その三日間はイナの立てたスケジュールに従い、食料や水などと言った航海に必要な物資を可能な限りカサブランカに積み込んでいった。
物質見込みの指揮はエムジーが執り行った。ギュンターやヤーボもそれに付き従い、そこで搬入された物資の量や質に問題が無いか、艦橋に陣取ったマレット三姉妹が確認していった。
「……すう、すう……」
「ああもうちくしょー! ここで壁コンとかこのAIウザ過ぎなんですけどー!」
「スバシリ、ガードキャンセルは甘えです」
「溜めキャラ使ってガン待ち戦法してくる姉ちゃんには言われたくないんですけどー!」
「……むにゃ、ぐう、ぐう……」
三姉妹はしっかりと『確認作業』を行っていた。
大丈夫だ。なんの問題も無い。
その間、レモンとジンジャーは引き続き耕作作業に当たった。ジンジャーの乗るジャケットが砂を掻き分けて土を露出させ、そのむき出しの大地を濡らして種を撒き、砂の山をトラックで僻地へ運び込む。レモンはそのトラックの一台を運転していた。
「無免許運転じゃないのか?」
「ジンジャー様、細かい事はいいっこ無しですよー?」
「だいたいお前、未成年じゃ」
「いいっこ無しですよー?」
ちなみにこの時に運び出された砂は、後にクアンタの稼働実験に使われることになっていた。また、それまで風邪を引いていた正規のジャケット乗りも途中からその耕作作業に加わったため、材料として使える砂の量は加速度的に増えていった。
そしてライチは船に乗るよりも早い段階で、リリー立ち会いの下ハピネスの操縦訓練を行っていた。リリーの言う通り、ハピネスの操縦系統は従来の物に比べて複雑な所があったが、基本的な部分は一般のジャケットと同じであった。ライチは初めの方こそ――主に空中ないし水中での機動面で――どう動かして良いのか判らず少なからず戸惑いを見せたが、それでも二日も経つ頃には、ハピネスを遜色ない程度に動かすことが出来るようにはなっていた。
「うぷっ……酔う……」
「そいつは慣れるしかないな。俺も最初の方はゲロ吐きまくったし、遠慮無くぶちまけていいぜ」
「それ、女の子が言っていい台詞じゃないよ……うっぷ」
だが足のつく地面の無い場所で動き回る際に襲い来る感覚――ジャケットが激しく動く程にその体がグルグル回転し、全方位からランダム且つ予告無しに重力が降りかかるその感覚には、ライチは未だ慣れることが出来ずにいた。ちなみにこの三日間で、ライチはかなりの減量に成功していた。
こうして、それぞれがそれぞれの三日間を過ごし、その日々はあっという間に過ぎ去っていったのだった。
ちなみにお別れパーティみたいな物は無かった。いつもと同じように寝て、同じように起きて、去り際に少しばかりの挨拶を済ませて船に乗った。
そんな贅沢をするだけの物資は無いよ。
「さらばオキナワ、か」
「こうしてみると、感慨深いものがあるね」
四日後、カサブランカの甲板上にて。
離れ行くオキナワの岸辺を横並びになって見つめつつ、ジンジャーとライチがしみじみと呟いた。
「改めて考えてみると、あそこには随分長いこといたような気がするなあ……」
「まあ色々ありすぎて、思い出話には事欠かないな」
「年取ったら笑い話の種にも出来そうだよね」
「おいおい、今からじいさんになった時の事考えてんのか? いくらなんでも気い早すぎんだろ?」
苦笑しながら言ったライチにそう返しながら、リリーが二人の後ろから気怠そうな足取りで近づいてきた。
「お前まだ二十歳にもなってないんだろ? もう少し最近の事考えたらどうだよ? 老けるぞ?」
「何をどうしたらそんな結果に行き着くんだよ」
「でもそんな気がするだろ?」
リリーが目を細めて笑う。理由も根拠も無い言い分だったが、ライチにはその言葉が何となく理解出来た。
「――それもそうだね。今日の事とか考えてた方がいいかも」
「そう言うこと。何十年も先の事とかウジウジ考えてたらハゲるぜ? 細かい事抜きで、今のこと考えようぜ」
「まあそれも一理あるな。『コトワザ』とか言う大昔の格言みたいな奴にも、似たような意味の言葉があったし。リリーの言う事は、昔からある考え方の一つなんだろう」
ジンジャーがそう言い、ライチが感心したように彼女の方を見て尋ねる。
「そう言うのって昔からあったんだ。なんていうの、それ?」
「ああ。確か、『来年のことを言えば』……」
「鬼が笑う」
ジンジャーに続けるようにリリーが言った。「よく知ってるな」とリリーが苦笑交じりに言い、「お前の妹に聞いたんだよ」とジンジャーが返す。
「あいつ――レモンは本当に何でも知ってるんだな。同じ仕事をしてた時にいくらか話をしたんだが、まったく驚きだよ」
「そりゃもう。あいつはガキの時から好奇心旺盛でな。六歳くらいの時にはもう蔵書室に籠もって、一日中本を読みあさってたくらいなんだぜ?」
「あの子、かなりの好奇心の塊だったんだ」
「筋金入りって奴さ」
ライチの台詞にリリーがニヤリと笑って返す。不敵だが、妹を褒められて心底嬉しい事を如実に伝えて来る嫌味の無い笑みだった。
「レモンの知識量には俺も驚かされたぜ。俺がレモンに教えて貰う事も何回もあったしな」
「アメリカを飛び出したのも、その好奇心が理由なのか?」
「ああ。本の知識だけじゃ満足出来なくなってな。いてもたってもいられなくなって、自分で外の世界を見て回りたいって言ってきたんだ」
当然、周囲は大反対だ。リリーが昔を懐かしむように、顔を上げ澄み切った青い空に目をやりながら言った。
「もうその時の地球の情勢は、ご先祖様がアンドロイドと交渉してた頃とは大きく変わってたんだ。青空の何とか言う連中は昔よりもその勢力範囲を広げていて、迂闊にソウアーの勢力圏内をうろつき歩けるような時代じゃなくなってたのさ。普通の火星人はもとより、『あの』マクラーレンの末裔が海外旅行するなんざ言語道断だ」
「殺されるから?」
「働かされて犯されて殺されるからだ」
ジンジャーの台詞にリリーが合わせる。その淡々とした口調にジンジャーは思わず鼻白むが、気にする事無くリリーが続けた。
「搾りカスになるまで……『使い物』にならなくなるまで使い切る。人間は労働力になるし、性欲処理の玩具にもなるし、食料にもなる。資源の有効活用だ」
「酷い……」
「だから猛反対した。親父は頑固なレモンを是が非でも……ぶん殴ってまで止めようとした」
リリーが目を閉じる。瞼の裏にその時の情景が浮かび上がってくる。
クリーム色の絨毯が敷かれ、その上にソファと丸テーブルが置かれた一室。その部屋の中に重い打撃音が響いた。
前を見れば、壁に据え付けられ赤々と火をたたえる暖炉を背にして、恰幅の良い禿頭の父が拳を震わせて立っていた。その父の横には青ざめた顔で前方を見る痩せぎすの母の姿があり、そして父の前には、髪を振り乱し、右頬に赤々とアザを残して仰向けに痛ましく倒れ込んだレモンの姿があった。
父はレモンを睨みつけ、レモンもまた父の目を睨み返していた――リリーの初めて見る表情だった。お互い頑固者だっただけに、自分の考えを意地でも曲げようとはしなかった。
父の考えとレモンの考えは、どっちも正しい。だからどっちの味方にもなれずに、リリーはただレモンを挟むようにして父の正面に立ち尽くしていた……。
「普通の人間でさえそうなるのに、そこにマクラーレンの名前が加われば、待遇はますます悪化する。親父はそれを、何度も何度もレモンに言って聞かせた。でもレモンは折れなかった」
「父親の言い分も間違っちゃいないな。ほんの一部だが、私達もシンジュクであいつらのやってる事を見てきたし」
「でも、結局レモンはそのシンジュクに来た。何をどうしたの?」
そっと目を開け、ライチの問いかけにリリーが答える。
「デミノイドになった」
「は?」
「デミノイドになったんだよ。家族に内緒でな。どこでどうなったかは知らんが、とにかくあいつはデミノイドになった。それでそうなった後で、あいつは親父の目の前に四千万クレジットを叩きつけた。『私はこれであなたから自分の人生を買う』って言ってな」
「滅茶苦茶だよ」
うんざりしたようにジンジャーが言った。そして続けざまに「人生そんなに安くていいのか?」とも言った。ケラケラ笑いながらリリーが返す。
「まあ、あの時のあいつの目的は、金うんぬんじゃなくて『覚悟』を見せる事だったからな」
「覚悟?」
「ああ。『覚悟』だ。自分はここまで本気だぞって言う覚悟だな」
「かっこいい……いや、これちょっとかっこいいって言って良いのか? 捨て鉢にも見えるけど」
「半分やけくそだったのは確かだな」
ライチの呟きにリリーが答える。そこで無言で先を促すジンジャーの視線に気づき、リリーが言った。
「でも、それが決め手になった。親父はレモンの要求を呑んだ」
「覚悟を見て取ったから?」
「勝手に体をいじくった娘に幻滅したからだよ。どこへでも行っちまえって、忌々しげに呟いてたっけ」
やりすぎだ、馬鹿野郎め。怒りではなく、苦笑いを顔に出しながらリリーが言った。
「で、その後あいつは家を追い出されて、その足でソウアーのニューヨーク本部に向かった。家から歩いて片道五分のところにあるな」
「船を手に入れるために?」
「ああ。でも当たり前の話だが、船をくれとせがむレモンの要求を前に、その『本部司令』は首を横に振った。いくらマクラーレンでも――いや、マクラーレンの人間だからこそ、なんの技術も知識も無しに外の世界にほっぽり出す訳にはいかねえ。本部司令はそう言って、レモンの頼みを一蹴したんだ」
「まあ、当然だな。それで、レモンは折れたのか?」
「まさか。レモンは諦めるどころか、往生際悪くこう言ったんだ」
「『なら、あなたの下で働かせてください。技術も知識もそこで盗みますから』、と」
リリーが、そしてライチとジンジャーが咄嗟に後ろを振り向く。顔に驚愕の表情を貼り付け、なんの前触れも無く声の聞こえたその方向に視線を向ける。
「お前――」
「え、どうして、え?」
その方向、そこに立つ声の主の姿を認めたジンジャーが唖然とし、ライチが大いに困惑する。その姿を見たリリーは一瞬その目を大きく見開いたが、その後一つため息を吐き、疲れた口調で――しかしニヤリと笑いながら言葉を放った。
「……密航は犯罪だぜ?」
「あらあら? この船に乗るのに券が必要とは聞いていないのですが、規則が変わったのでしょうかー?」
風が凪ぎ、黄色いワンピースの裾がふわりと揺れる。その風のように覇気の無い、のんびりした声が周囲に朗々と響く。
「やっぱり、外の旅をオキナワだけで済ますのは勿体ないと思いましてー。外に出たからには他の世界も見て回りたいと思ったらいてもたってもいられなくなって、ついて来ちゃいましたー」
「……やれやれ」
諦めたようにそれぞれ苦笑を漏らす三人を前にして、レモン・マクラーレンは満面の笑みを浮かべて片手を挙げて言った。
「今後ともよろしくお願いしまーす♪」




