第二十三話「後始末(2)」
「……風が呼んでるぜ」
黄色い砂が見渡す限り広がる砂浜に、一人の女性が立っていた。
黒い革製のブーツと黒いレザースーツと黒いグローブで全身を隙間無く包み込み、ややくすんだブロンドの髪を短く刈り上げ、目にかからないように前髪を撫で上げ、その上から赤いカチューシャで髪を留めていた。お陰で額が剥き出しになっていたが、黒い瞳を持ったその女自身は、その事にまるで頓着していなかった。
その女はじっと水平線まで続く大海原を見つめながら、腕を組んで不敵な笑みを浮かべていた。
「ああ、呼んでる。呼んでるぜ。あの向こうから、誰かが俺を呼んでるぜ……!」
一定のリズムで浜辺に波が押し寄せ、静かな音を立てながら両足をくるぶしの辺りまで水に浸させる。海は青々と光り輝き、同じく澄み切った青を見せる空と遠方で同化し空と陸の境界を完全に消失させる。一定のリズムでさざ波の立てる静かな水音がささくれる心を静かに癒していく。
「うずうず。うずうず……」
そんな見る者の心を和ませる幻想的な光景を前にして、だがその女性は心の内に秘めていた闘志を秒単位で燃え上がらせていった。
「――ああもう無理だ! 我慢できねえ! 俺は行くぜ! あの海の向こう、俺より強い奴に会いに行くんだぜ!」
そして痺れを切らした様に女が叫び、海の中へ猛然と分け入っていく。足にまとわりつく水を強引に蹴り上げ、白波を立てて辺りの静寂をかき乱しながら、女性は海の彼方を目指して進んでいく。
海水が腰まで迫り、足が地につかなくなる。両手を使って水をかき分けながら、不意にその女が叫んだ。
「ハピネス!」
遮る物のない海において、その声はやたら響いて聞こえた。
「来い! ハピネス! 俺の命令が聞けねえのか!」
口を大きく開き、喉を振り絞って辺り構わずわめき散らす。今や水上に出ているのは首だけとなり、完全に立ち泳ぎの体勢となっていた。
波が顔にかかり、口に水が入る。だが女は叫び続けた。
「どうしたハピネス! おいパピー! ご主人様のお呼びだぞ! おい!」
やがて休む間もなく叫ぶ女を、その周囲ごと薄暗い影が覆っていく。その影に気づいた時、女は叫ぶのを止めた。
「……へっ」
真上を見つめながら、女がにやりと笑った。
「おせえっての」
炎天下の中、一人の人間――遠目から見る大まかなシルエットの形としては、それは人間に見えた――が黙々と作業をしていた。
その人間は全身が滑らかな流線型で構成され、各部の関節部分は鈍い光沢を放つ球体がその役目を果たし、そして同じく流線型に形作られた顔の部分には、目や鼻や口といったその者の個性を特徴付ける顔のパーツが一個もついていなかった。いってしまえばのっぺらぼうである。
それの正体を知らない者からすれば、それは完全に人外の存在として恐怖の対象となるだろう。いや、例えその存在を知っていた者だとしても、その五メートルにも及ぶ巨体が眼前に迫ればその殆どが萎縮してしまうだろう。
人間の形を持ちながら人間とは限りなくかけ離れた存在。それが人型機動兵器『ジャケット』なのである。
「よし、これでラストか」
そして今、その人間離れした存在は、自分が扱うサイズにまで相似拡大されたスコップを両手で持ち、とても人間くさい作業をこなしていた。
「さて、気合いいれてかかるか」
ジャケットの内部からエコーのかかった声が聞こえてくる。
目の前の自分でかき集めた黄色い砂の山の最底部にスコップの先端を差し込み、山全てがスコップの中に収まるのを確認してからゆっくりと持ち上げる。さらさらと微量の砂がスコップの縁から漏れ落ちていくが、気にする事無く自身の腰の辺りまでそれを持ち上げていく。
そして腕が腰の辺りまで持ち上がったと同時に、流れる様な動作で上半身をねじって背後に砂を飛ばす。砂の山が空中で形を崩して質量のある黄色い雲へと変じ、更にその形をばらけさせながら地上へと落ちていく。
砂の落下先には、それと同じ砂で作られた小山があった。それは大の大人二人を縦に並べたのと同じくらいの高さを持った山で、そしてその山の周囲には、干涸らびて縦横にヒビの走った茶色い地面が姿を現していた。見ればその山の周囲のみならず、砂を飛ばしたジャケットが立っている場所の周りもまた、砂が完全に取り除かれて茶色く乾いた大地を天に曝していた。
周りを黄色く塗りつぶされた中にあって砂山を中心とした四キロ四方の大地だけが、そこだけ綺麗に切り取られたかの如く茶色い領域と化していたのだ。
「ジンジャー・バーリィ。ご苦労だった。今からそこに柵を立てる。後始末を済ませた後に退去してくれ」
そんなジャケットの活躍を遠巻きに見ていたソウアーの隊員の一人が拡声器越しに言った。その声と同時に彼の周りにいた隊員達が一斉に動き出し、ある者は高さ三メートルほどの半透明なプラスチック製の板を積んだトラックの荷台に乗り込み、またある者は隊員達の乗った者よりも一回り大きなトラックの運転席に乗り込み、次々と砂山を目指して一直線に走っていく。
そのジャケットもまた、片手に持ったスコップを肩に担いで砂山の方へと向かっていく。そして一足先に砂山の元に後ろ向きで到着していたトラック達の荷台に、スコップを持ち直してその砂を運び入れていく。トラックの荷台はすぐに砂で満杯になるが、それと同時にジャケットは次のトラックに目標を定めて砂を入れていく。そしてそのトラックとジャケットより遙か遠い所では、風雨などによる周囲からの砂の侵入を防ぐプラスチック板の設置が急ピッチで行われていた。
「これで何度目の往復になる?」
せわしなくスコップを動かしながら、そのジャケットを駆るジンジャーが目の前にあるトラック群の中の一台だけに向けて回線を開いて言った。対してそのトラックに乗っていた運転手は窓を閉め切ったままハンドルの横についているレシーバーを使い、緊張感のない声でそれに答えた。
「さあ。十三回くらい数えて、後はもう止めたわ」
「そんなに数えてたのか?」
「だって他にすることないんだもん。しょうがないじゃん」
不満げに言ったその運転手に、小さく笑いながらジンジャーが返す。
「だから言ったろう。お前もジャケットに乗った方がいいんじゃないかって。そっちの方が退屈せずに済みそうだと思うんだがな?」
「うーん、そうねえ……」
ジンジャーの声を受けて、その運転手が小さく唸る。
「めんどくさいからいい」
そして何の躊躇いも無しに放たれたその言葉を聞いて、ジンジャーはその運転手――モブリスのものぐさ加減を改めて認識したのだった。
ジャケットを使用し、砂の除去作業に協力せよ。
それが反省文を書き終え、しっかりと睡眠を取り終えたジンジャーに対して課せられた任務であった。どうやら風邪を引いた正規パイロットはまだ回復していないらしかった。
元々ヒマだったし、ライチと違ってしっかりと英気を養えたので、ジンジャーとしてもその提案を退けるつもりはなかった。二つ返事でその依頼を受け入れた。その時ジンジャーは、自分が直接肉体労働をする訳でもないし、ずっと楽な仕事だろうと高をくくっていた。
だが実際に仕事を始めて数時間後、それは勘違いも甚だしかった事をジンジャーは理解した。
ジャケットに乗っているのだから肉体的な疲労は当然無い。むしろ問題は同じ作業を延々と――それこそもう朝七時から正午までぶっ続けで――繰り返すことに対する精神的な疲労である。
砂をスコップで掬って一カ所に固める。辺りの砂が無くなったら別の場所に行ってそれを繰り返す。巻き添えを食いたくないので、それまで『砂かき』をしていた人間の隊員は一人も応援に来ない。ジャケットの操縦者も他にいないので一人孤独な戦いを強いられる。ルーチンワークほど恐ろしい物は無いと、この時ジンジャーは痛いほどに認識したのだった。
「これ、まだ午後もあるんだよな」
仕事が一段落済んだ後の中休み時。食堂でサンマの網焼きを食べていたジンジャーが疲れを隠さずに漏らした。
「やっぱりこういうのは、軽い気持ちで受けるモノじゃないな。この後も五時間ほどぶっ続けで作業だぞ? まったく嫌になってくる」
「まあまあ。今回は貧乏くじを引いたと思って、あきらめて完遂してしまいましょう。その方が気が楽ですよー」
そんなジンジャーの愚痴を聞きながら、テーブルを挟んで反対側に座ったレモンが間延びした声で言った。その手元には白いストローの刺さった、黄色く塗られた大きめの紙カップが置かれていた。
「それに、ほら。毎日やることでもなし。今日だけやると考えて集中した方がいいと思いますよー?」
「ううむ……やっぱりそうなのか……」
「そうですよー。そうした方が諸々の負担も軽くなって良い感じになりますよー?」
カップを両手で握り、上半身を左右に揺らしながらレモンがゆっくりと言う。その動作に何の意味があるのか判らなかったが、とりあえずジンジャーはそのレモンの助言に従うことにした。
「そうか。じゃあ次からはそうしてみるとしよう。色々すまなかったな」
「いえいえー。お役に立てて何よりですー」
満面の笑みでレモンが返す。そしてそれを聞いたジンジャーは、それまで手つかずだったサンマに再び手を伸ばした。
「うん。やっぱり天然モノはいいな。合成食料とは段違いだ」
「そうですねー。やっぱり天然モノはいいですよねー」
レモンもそう返しながらストローに口をつけて中の物を飲み込んでいく。体の殆どを機械に変えた『デミノイド』のレモンは、いったい何を飲んでいるのだろうか。ジンジャーがそう疑問に思ったその時。
「邪魔するよー!」
「……邪魔するよ……」
レモンを両横から挟み込む様にして、スバシリとクチメがその二人の場に入り込んできた。そして思索を邪魔され不機嫌そうな顔を浮かべていたジンジャーの姿を認めて、スバシリが大きな目を不思議そうにぱちくりさせて尋ねた。
「あれ? ジンジャーなんかご機嫌ななめ? なによ、どうしたのよ?」
「別に。なんでもない」
「うっそだー! その顔絶対なんか隠してるってー! 素直に全部ゲロっちゃいなよー!」
「……今、食事中……」
クチメがスバシリの大声にかき消されかねないほどの小さい声で注意を促す。だがそれはスバシリにはしっかりと届いたらしく、少しバツの悪い顔を浮かべて引き下がった。
「……それで、どうかしたの……?」
が、やはりクチメも気になる様で、上目遣いで躊躇いがちにこちらを見ながらそう尋ねてきた。するとその追及に――というかその目つきを前に、ジンジャーは呆気なく折れた。
「ああ、まあ……じつはな」
「え!? なにそれ!? アタシの時はスルーしといてクチメの時には反応すんの!? なにそれ不公平じゃないのそれ!?」
「うるさい。それ以上騒いだら何も喋らんぞ」
ジンジャーが疲れた声で静かに告げる。その言葉を受けて場が一気に静まりかえる。
「いや、そんなに聞きたいのか? まあ、別に話してもいいが……」
若干呆れながらも、ジンジャーは事のあらましを簡単に説明した。
「……頑張れとしか言いようがない……」
「ご愁傷様ー!」
それに対する二人の回答も簡単な物であった。ジンジャーが渋い顔を見せる。
「……呆気ないにもほどがないか?」
「……だってそれ以外に言い様ないし。代わりに働くとかもできないし……」
「ですよねー」
「それよりさー! ライチどうしたのよライチ! ねえどこ行ったわけ?」
「さらりと話をすり替えるな!」
スバシリの言葉に合わせてジンジャーが叫ぶが時既に遅し。
「おそらく、ライチ様はまだ自室にて寝ておられるのではないかと思われますがー」
「……かなり遅くまで頑張ってたみたいだから……」
「なーんだ。つまんないの! もう起きてるのかと思ってたんだけどなー!」
「……仕方ない。今日はゆっくり休ませる日……」
「うーん、それもそうかも……しかたないなあ……」
「ですねー。ところで、ジンジャー様。落ち込んでらっしゃいますが、どうかしたのですか?」
「……」
自分を置いて勝手に話が進行している事にジンジャーはすっかり嫌気がさしていたのだが、それを口にする気概もなくなっていた。
「あらあら、随分とおつかれのようですねー。こんな時はサトウキビをかじって、糖分を摂取した方がよろしいですよー?」
「……忠告感謝する」
「でもさーでもさー! ひょっとしたらもうライチの奴とっくに起きててさー! 浜辺とかほっつき歩いてるんじゃないのー?」
「……さすがに、そこまで短時間で回復はしないと思う……」
すでに自分の事を忘れてライチの話題に没頭していたAI二人の会話を耳に入れながら、ジンジャーはサトウキビをもらいに食堂のカウンターへと向かっていった。
「ていうか、あれ丸ごと一本もらえるのっておかしくないか?」
「加工するのが面倒くさいそうですよー?」
「ああ、そう言うこと」
背中から聞こえてきたレモンの言葉を受けて、ジンジャーは納得した様に頷いた。
その一方で、スバシリの予想は当たっていた。
午後二時頃。午前中を全て睡眠に当てたことで体力と気力を回復したライチは、そのまま個室を出て支部近くにある砂浜を散歩していた。
まったく、するべき仕事がないと言うのは素晴らしい。開放感がたまらない。毎日それではさすがに危ういが、今のように時々においてそんな日を満喫することが出来るのと言うのは最高である。
「……ん?」
ライチがそれを見つけたのは、そう考えていたまさにその時であった。前方の浜辺に、何か大きな物が流れ着いていたのだ。
目をこらしてよく見てみる。だが自分とその物との間はそれなりに離れていたので、いまいちその物体の詳細な輪郭がつかめない。ここからでは平べったい巨大なナマコの様な、ただの黒い塊にしか見えない。
故にライチは眉間に皺を寄せながら、一歩ずつ慎重に足を踏み出してそれの元へと近づいていった。ゆっくりと、しかし確実に距離を詰める。そうすることで眼前の物体の輪郭がより精細で複雑な、滑らかな曲線で構成された物へと変わっていく。
「……え?」
漂着物より三メートル地点。完全に実体を露わにした輪郭からその物体の正体を理解したライチが足を止める。
「――ちょ、ちょっと、大丈夫!?」
そしてなりふり構わず、その物体の元へと走って行く。寝起きの体を労る余地のまるでない、全力疾走である。
物体に近寄るやすぐにその手前で腰を下ろし、両手を地面と物体の隙間に入れてそれを抱き起こす。
「ねえ、平気!? 生きてる!? 生きてたら返事して!」
必死にそう叫びながら、ライチはその物体の形を上から下まで舐める様に見つめた。
海水に濡れた黒いブーツ。黒いスーツ。黒いグローブ。
ざっくばらんに切られた黒髪と額のカチューシャ。
「ねえ! ねえってば! ……ああ、もう。とりあえず、基地に運ばなくちゃ!」
漂着物――肌が青ざめ、眠った様に目を閉じる一人の女性を抱きかかえながら、ライチは己の平穏が終わりを告げた事を悟った。




