第二十話「家に帰るまでが遠足です」
カゴシマ支部とタイワン支部のメンバーによる同士討ちが発生し、そしてそれを見るのに嫌気がさしたクチメがスリープモードに入ったその時、カサブランカ底部にある房内に閉じこもっていたその少年はおもむろに活動を開始した。
少年は別にクチメがシステムをダウンさせた事に感づいた訳ではない。少年が意を決して活動を始めた事と、クチメが自らシステムをダウンさせた事、そしてレモンのハッキングによってAIが船の支配権を得た際に、システムを統括するAIが『全員』スリープモードに入った場合は船の全システムがダウンするように書き換えられていた事が、この時において全て偶然重なっただけである。
カサブランカ強奪から今に至るまでの活動によって体内に蓄積されたデータ的過負荷――人間ならば『疲労』と形容すべき物の途轍もない圧力の前に理性が膝を折り、自分の立ち位置も件のシステム変更も忘れて『睡眠』という行為にうっかり身を任せてしまったのもそうなる要因の一つだった。
だがそれらの事象は、結果としてその少年に幸福をもたらしたのだった。
システムダウンによってロックの外れていた鉄格子を開け、無人の暗闇に包まれた通路の中を一人進んでいく。それまで船中にたむろしていたハイジャック連中は全員外に出払っていたのだが、それもまた好都合であった。通路のそこここにある見取り図に従い、少年はある一点を目指してひた進んだ。
階段を使っての上昇と下降を何度も繰り返し、迷路のような代わり映えのしない通路を何度も通り抜けた先に、彼の目指す部屋があった。部屋と言っても、そこは人間が寝起きするような清潔で狭苦しい場所ではなく、もっと広大で油と鉄にまみれた無骨な空間だった。
水密扉を開け、その先に広がる物を見る。中は真っ暗だった。当然だ。全てのシステムはダウンしているのだから。
塩の匂いの混じった、湿り気のある熱い空気が体をないで鼻をつく。だが少年はそんな不快な感覚と胸の奥から込み上がってくる失望にこらえつつ、その空間の隅に陣取って身を縮めて座り込んだ。
待っていれば、いずれチャンスはある。
奴らを打ち倒し、地球に平和を取り戻すチャンスは必ずやってくる。
そんな事を考えながら、その少年はカサブランカ後部にあるジャケット収容ハンガーの中で体を丸め、じっと時が来るのを待っていた。
「帰って来たら反省文ですね」
眼下のモニターに映されたオキナワ周辺の地図の中で、ミヤコ島を離れオキナワ本島に向かってまっすぐ動いていた赤い点を見つめながら、イナは僅かな怒りを滲ませて言った。その横で椅子に腰掛け、同じようにその地図を眺めていたハナダもまた、自身の顎を擦りながら息を吐き出す様に言った。
「実際に作戦は成功したから良かったものの……独断専行はあまり褒められた物ではないからな」
「全くその通りです。組織において相互間の意思の疎通を怠る事は、最悪、自らの破滅を招く事にも繋がります。何が起きても最善の策を取れるよう、しっかりと互いの近況を伝え合い動向を把握しておく事が寛容なのです」
帰還してくるカサブランカから『状況終了』の報を受けて机の上の機器を片付けていく周囲の部隊員達は、皆重責と緊張から解放された事で弛緩した空気を惜しげも無く纏わせていた。だがハナダとイナだけは、目の前のモニターを睨んだまま、その眉間にはっきりと皺を刻み渋面を浮かべていた。
レモン達がスバシリを伴って無断でミヤコ島に侵入した事。そこでレモン達が基地を乗っ取り、先に侵入していたライチ達と共同で砲台を占拠してカゴシマ基地にミサイルを撃ち込む作戦を立案した事。それら全てをオキナワにいたハナダ達が知ったのは、全ての準備を終え、ミヤコ島から今まさにミサイルが放たれようとしていたその時であった。
「ていう訳だからさー、今からミサイルがそっちに何発か飛んでくるかもしれないんだけど、それ全部無視してくんない? オキナワには落ちないでカゴシマに落ちるようにセットし直しておいたから」
「ま、待ちなさい!」
いきなり通信回線を開かれていきなりそんな事を言われたのだ。驚かない訳がなかった。ハナダもそこにいた部隊員も揃って唖然としていた。同じようにハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を受け、そしていち早く立ち直ったイナが、スバシリの声を伝えるそのデスクに埋め込まれたスピーカーに憤然と噛みついた。
「いきなりそのような事を言われても困ります! せめてそこで何があったか、詳しい説明を」
「悪いけどそんな暇無いの! 今ジンジャーがタイワンで時間稼ぎしてるから、早くしないとそっちがどんどんヤバい事になるんだよ! いいね!? 伝えたからね!? あと五分でぶっ放すからね!?」
イナの言葉を遮って言いたいだけ言って、無線は一方的に切られた。イナは伝えられた文言の内容以上に、その死に物狂いな口調から感じ取れる、今まで自分が見た事の無いそのスバシリの必死な姿に驚愕していた。なんだ、やれば出来るのか。
だがそんな驚愕と感慨に浸るのも一瞬の事。イナはすぐに意識を脳内に引き戻し、ハナダに迎撃システムの停止を求めた。
「罠という可能性は?」
「それはありえません。スバシリは人間に後れを取るようなヘマは絶対にしない子です」
ハナダの疑問をイナはそう一蹴した。ハナダもまた、その時のイナの真剣な面持ちを前に腹を括り、部下に向けてシステムを停止するよう命令した。
「いいんですか!?」
「ああ、やれ。責任は私が持つ」
果たして、その五分後に数十発のミサイルがスバシリの宣言通りにミヤコ島から放たれた。迎撃システムは発射直前にスイッチを切られていた。そしてその空を往くミサイルの群れはそのままオキナワを素通りしていき、同じく宣言通りにカゴシマに着弾していったのだった。
ハナダとイナ、そして全隊員がその様子をレーダーを通して見終えた時、会議室に歓声は上がらなかった。ただ一つの事柄が自分達の意識の外で呆気なく終わった事に対する、やるせなさにも似た虚しさがそこに満ちていた。
その空気の中、イナだけが不満そうに顔をしかめていた。
「まったく、あの子の奔放さには呆れて物も言えません。ミス・レモンと行動を共にしていたのも、恐らくはスバシリが彼女を引き連れて出て行ったか、抜け出したレモンと鉢合わせして、そのまま面白がって報告もせずについて行ったかのどちらかでしょう」
「君たちは確か三姉妹だったな。それは三つで一つのAIを構成していると言う事でいいのか?」
そのハナダの問いかけに、それまでこぼしていた愚痴を引っ込め澄まし顔でイナが答えた。
「いえ、わたくし達はそれぞれが独立した思考を持つAIとして開発されました。わたくし達は全員で一つの問いを出すのではなく、互いに意見を交わし合い、その中から最善の策を選択し、それを人間達からの問いかけに対する『マレット』の導き出した最も良い案として提示する。個々人の思考や行動パターンに差異が見られるのは、そうした議論を行う際により柔軟で活発な意見交換を可能とするためです。わたくし達は同一の存在ではありませんが、ある意味では三つで一つの存在と言えるのです」
「三姉妹というよりも、三位一体に近い訳か」
イナの言葉にハナダが理解したように頷き、片手で顎を包むように擦る。この時隊員は全ての機材と共に全員室外へと立ち去っており、ほぼ無人と化したその空間には赤い光点の動くモニターを見つめるイナとハナダだけがぽつりと取り残されていた。
「……気づけば我々だけになってしまったな」
がらんどうの空間に、その声は良く響いた。その残響とそれを聞いて顔を上げた際に視界に入った光景から、「今ここには自分達以外は人っ子一人いない」と言う事を今になって認識し、「いつ消えたのか」と内心驚きの念を持ちながら続けた。
「さて、そろそろ我々も撤収するとするか。岸辺に行って、賞賛と説教を同時にする準備をせねばな」
「飴と鞭は両者の比率を上手く保つ事が肝要です。全く骨が折れる作業ですわ――」
その部屋に残った唯一残った機材――眼下のデスクにモニターを挟み込むようにして嵌め込まれたスピーカーからけたたましく通信を告げるピープ音が鳴り響いたのは、イナがそう言いかけたその時だった。
驚くよりも体が動いた。ハナダは浮かしかけていた体を一気にまっすぐ伸ばし、直立の姿勢のままモニターの右隅に表示された発信者の名前と周波数を確認する。
カサブランカ。
その文字だけを読み取った直後、ハナダは反射的にモニター下のキーを叩いて回線を開いていた。イナが割り込む隙も無い、一瞬の出来事であった。
「こちら本部。どうした!?」
その威厳と迫力に満ちた声は、開けっ放しのドアから外に丸聞こえであった。何事かとそこを通りかかった隊員の何名かが立ち止まって不安そうにドアの外から見守る中、ハナダは眉間に皺を寄せ、ノイズばかりが返ってくる事に対する苛立ちを見せながら再度言葉を放った。
「おい! 聞こえているか! いたら返事しろ! こちらソウアー本部!」
ノイズ。ノイズ。ノイズの嵐。
ハナダは歯噛みした。横に立つイナは不安そうにモニターを見つめていた。赤い点はオキナワより南西二十キロの地点で止まっていた。
「おい! どうした! おい!」
「……大丈夫、聞こえてる……」
ノイズが一瞬にして消え去り、『明瞭な』やる気のない声が聞こえてきた。二人は凶器を振り回す殺人鬼から逃げおおせた人間の如く、深い安堵と解放のため息をついた。
「いったいどうしたんだ。さっきまでノイズばかりで、何の応答もなかった。何が起きたって言うんだ?」
「……ごめんなさい。通信を開いたはいいんだけど、その後でちょっと事態が深刻化して、それの対処に追われていたの……」
無気力で平坦な声が響くその後ろで、爆発音と金属の軋む鈍い音、そして水の中に勢いよく飛び込んだ時に出るような爆裂音がはっきりと聞こえてきた。
「クチメ、簡潔に説明して」
イナが言った。
「今そこでは、何が起きているの? 簡潔に、わかりやすく説明してちょうだい」
再びの水の爆裂音。それが止んだ後、無線の向こうでクチメが答えた。
「……乗っ取られたの……」
「何を? 誰に?」
全速前進! とにかく吹っ切るぞ! 奴のガス欠を狙うんだ!
それら雑多な、焦りに満ちた幾重もの叫び声をバックにしながら、自分だけはそれらとは別の世界にいるかのような冷静な口調でクチメが言った。
「……タイワンで接収した水陸両用カスタムジャケット『メイデイ』を、脱獄囚に奪われたの……」
人間の上半身だけを水上に露出させて頭部を正面に突き立て、メイデイがカサブランカの横っ腹目掛けて全速力で突撃する。銛状に尖った先端と表面装甲がぶつかり合い、その衝撃でカサブランカの巨体が大きく左右に揺れる。
メイデイは衝突と同時に素早く後退し、揺れるカサブランカの巨体が生み出す波に囚われないように距離を取って円を描くようにその周囲を遊泳し、虎視眈々と再びの突撃の機会を伺っていた。
そんな鹵獲したジャケットの強奪と襲撃と言う非常事態を前に、艦橋ではタイワンやミヤコ島から引き上げてきた少数のクルー達が集結し、そこで叫び声を上げ続けていた。
「くそ! 今度は右舷にぶつかった!」
「損傷は!?」
「まだ大丈夫! 装甲に穴は開いてないし、中身にも影響は来てない!」
「だが、奴は同じ所を重点的に狙ってきている! いつまで持つかわからんぞ!」
「再度接近! 右側面!」
「掴まれ!」
再びの衝撃。右に水の壁が見えたのも一瞬。すぐに爆発音に似た音が側面から響き、直後に床が、艦橋が、船そのものが水の壁から遠ざかっていくように大きく左に傾く。中で指示を飛ばしていた者達は一様に間近の物に捕まり、落下しまいと懸命に堪える。
その傾斜運動自体は緩慢で、カサブランカ自身も垂直になるほどに揺れる事はなかった。やがて鋭角ギリギリの位置まで傾いた所で動きを止め、今度は元いた位置に戻ろうと大きく右にその身を揺らす。
だが質量が質量だった。水上に露出した戦艦下部が再び水の中へと沈み込むと共に、金属の軋む悲鳴にも似た音が高々と響き渡った。
カサブランカの巨体が、勢い余って大きく右に沈み込む。金属の次は水の音だった。飛び込み台から水に飛び込んだ瞬間の音を繋ぎ合わせて連続再生したような、やかましくどこか涼しげな音。甲板の上に海水が上陸し、艦橋の周囲に貼られた窓ガラスにも飛沫がかかる。そうしてぶち当たった水が透明な筋を引いて垂れ下がっていくガラス越しに、艦橋と同じ高さにまで白い水柱が吹き上がり、瞬時に上から崩れ落ちていくように柱が消えていくのがはっきりと見えた。
「エムジー! メイデイの残りの稼働時間はどれくらいなの!?」
小刻みな揺れを中央テーブルの出入り口に近い方の縁にしがみついて耐えながら、ライチが前方の窓ガラスの近くにいたエムジーに向けて叫ぶ。その声を受けたエムジーが自ら掴んでいた目の前の装置を慌ただしく操作し、肩越しに振り返ってそこに出た結果を叫んで伝えた。
「あと十八分! 十八分もある!」
「じゅうはちい!?」
「だが、それで止まるんだろ!? ならそれまで耐えられればこっちの勝ちだ!」
右隅で結果を聞いて愕然とするヤーボを黙らせるように、テーブルの右側にしがみついていたジンジャーが言い放つ。左の窓ガラス前にある器機に掴まっていたレモンが、それを受けて良く通る声で答えた。
「つまり、どっちが先に音を上げるか、勝負と言う事ですねー。カサブランカが参るのが先か、あのジャケットが止まるのが先か」
その口調はこの状況にあってなおのんびりとしていた。
「うーん、ゾクゾクしますねー。アメリカにいた頃には感じる事の出来ない感覚ですー。やはり旅という物はしてみる物ですねー」
「いえーい! チキンレースだー! わはははははっ!」
スバシリは既に義体を捨て、データ体となって艦橋の中を泳ぎ回っていた。彼女は同じくデータ体となってテーブルの上で布団を敷いて寝息を立てていたクチメと共同で、人の手を回す余裕のないカサブランカ艦内の動力炉や排水機構のコントロールを行っているらしいが、とてもそんな風には見えなかった。
「どっちに賭ける? どっちに賭ける? アタシは共倒れになる方にはらたいらさん三千点!」
「……むにゃ……もうおなかいっぱい……」
「あいつらはちゃんと仕事してるのか!?」
「知らないよ! 本人に聞いてくんない!?」
カサブランカの体が大きく右に傾いたのは、ジンジャーの悲壮な叫びにライチが苛立ちながらそう返したまさにその時だった。
ちなみにこの時、ギュンターは酷すぎる船の揺れに酔って一足先にドロップアウトし、元メイデイのパイロットは電子ロックを掛けられた空の個室の中に押し込められていた。




