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第十七話「ベルベット・アンダーワールド」

「……」


 ライチ達がミヤコ島の地下施設に侵入してから二十分が経つ頃、エムジーは計器類に囲まれた輸送機のコクピットシートに深く身を沈めながら、ただ目の前にある無線機をじっと見つめていた。


「……」


 呼吸も瞬きもせずに、ただじっと見つめていた。本音を言えば今にでも眼前のレシーバーをひったくってライチ達に連絡を入れたかったのであるが、向こうが今どのような状況にあるのか判らなかったので下手に連絡を入れる訳にはいかなったのだ。


「……はあ」


 思わずエムジーがため息を吐く。自分から動く事も出来ず、向こうからの連絡を待つしか無いもどかしさと己の無力感に挟まれ、エムジーは今酷くアンニュイな気分になっていたのだ。ため息の一つくらい漏らしても当然である。

 しかし、もしここで自分が下手に動けばどうなるか、判らないエムジーでは無かった。どこかに伏兵がいるかもしれない。たまらなくなって出て行った隙を突いて、この輸送機を奪取するかもしれない。いなくなった隙に輸送機に爆弾を仕掛け、帰ってきたライチ達を収容して離陸した瞬間に爆破するのかもしれない。もしくは輸送機を破壊してこちらをこの島に釘付けにしてくるのかもしれない。最悪のケースはいくらでも想定出来た。

 それ以外にもエムジーの電子頭脳は自分が消えた後の敵の襲撃パターンとその結果を、そして自分がここに留まっていた際に生じうる襲撃パターンと結果および撃退方法を何万通りにも及んで予測していった。それらはあればあったで役に立つに違いないのだろうが、この時エムジーはそうやってフル回転する頭脳をどこか他人事のように見つめながら、そんな妄想を豊かに出来るよう構築された自分の脳とその創造主に僅かながら嫌悪を覚えた。全部が全部起きうる訳ではないし、それにコンピュータが弾き出した予測の中にはかなり酷い物も含まれていたからだ。何をどうすれば、サトウキビの皮が原因で三人が破滅するような結果が出てくるのだろうか? 笑うしか無かった。

 だが全ての可能性がゼロと言う訳ではない。そしてそのようなケースが発生した際に備えるために自分は今ここにいるのだと、目を閉じ逸る気持ちを抑えつけようと必死に自分に言い聞かせていた。


「――」


 口を小さく開閉させ、ぼそぼそと呟くように自らに暗示を掛けていく。大丈夫。みんなは大丈夫。

 みんな。

 無線機が鳴った。

 突然の事に驚いたエムジーが勢いよく舌を噛んだ。


「か――ッ!」


 アンドロイドが舌を持っているのは発声を人間に近づけるためであり、味覚を知るためでは無い。なのになんでここにまで神経が張り巡らされているのか――。

 腕を寸断されるがごとき不意の激痛に苛まれたエムジーは、今は亡き自分の創造主を更に激しく憎悪した。


「――ッ! ――ッ!」


 口を開けて舌を突きだし、シートの上で声にならない叫びを上げて悶絶していたエムジーだったが、なおも鳴り響く無線信号を告げるアラームを前にして彼女は取るべき行動を取った。


「ふぁ、ふぁい。エムジーでう。なにか?」


 未だ冷めやらぬ痛みに苦しみながら、エムジーがレシーバーを取って応答する。返事は無い。


「もひもひ? いたずらでんわ?」


 理不尽な痛みをひしひしと感じていたエムジーがその怒りをぶつけるかのように荒い語調で続けた。


「も、もしもし? ねえ、ちょっと?」


 なおも沈黙。誰からの通信かも判らずにエムジーが顔をしかめる。そしてレシーバーから口を離してそれを視界に納め、首を捻った瞬間。


「わっはっはー!」


 またも不意打ち。音波でコクピットが振動する程の少女の大音声がその空間に炸裂し、エムジーはレシーバーを取り落として耳を塞いだ。


「マレット三姉妹が次女、スバシリ! タグボートに乗って今ここに見参! どうだ、味方の援軍だぞー!? ありがたいだろー!? 敬えー! 敬えー!」

「あのー、スバシリ様―? もう少し音量を抑えた方がよろしいのではー?」

「フハハハハハッ! ヒーローという物は、常に初見のインパクトが大事なのだ! これくらいしないと印象に残らず、風化してしまうのだよ!」

「こ、この――」


 しかめっ面で息も絶え絶えに言葉を呟きながら、エムジーはこの時、自分の耳に『鼓膜』なんて物を装着させた創造主を更に更に憎悪した。

 脳内のコンピュータは完全に沈黙していた。





 青空の会は一枚岩では無い。それは今回のタイワンとカゴシマの争いから見ても判る事であり、そしてそれは世界中に存在する全ての支部に言える事であった。そして組織間の対立はもとよりその組織の一つ一つを取ってみても、決して内部統制が取れている訳では無かった。

 もちろん、上層部に絶対の忠誠を誓っている者も存在している。『にっくき火星人を一人残らず排斥して地球を自らの物とする』と言う『青空の会』共通の思想の下、上層幹部の手足となり積極的に任務を遂行する者達も大勢いた。だが同時に、そんな排斥思想で身も心もガチガチに固まりきった幹部や部下連中に対して悪感情を抱き、距離を置いている者も多く存在していた。

 そういった者達は決まって、そんな復讐の鬼と化した者達に対して面従腹背の姿勢を貫いていた。受けた指令はこなすが必要以上に入れ込む事はせず、やるだけやってさっさと帰る。私情を挟まず、あくまで『仕事』として淡々とこなしていく。

 むろん彼らとて、本当はこんな後ろめたい事はしたく無かった。だが彼らの生活する家はそこ以外になく、そして件の鬼共がその家を統治している以上、その鬼の命令に対して嫌でも従わなければならなかったのだ。家を追われて野垂れ死ぬくらいなら、心を殺して彼らのご機嫌取りをした方がマシである。そして上層部もまた自らの治める組織内において、彼ら『異なる思想の持ち主』が一定数存在している事を把握していたが、全て黙認していた。

 彼らはよほど無茶な事で無い限り、こちらの出す要求を額面通りにこなしてくる。自分達の考えに全く理解を示さないと言う点において大きな不満はあったが、それでも自分達の立ち位置を知っているからか仕事だけはしっかりこなしてくれるので、『同胞』では無く単なる作戦実行要員として見れば優秀な戦力とカウントする事が出来たからだ。上層部が彼らに対して見て見ぬふりをしていたのは、それ以前に人員を切り捨てる事が自分の首を絞める事にも繋がるからでもあったが。

 だがこれらはまだ大人しい方である。中にはもっと大胆に、『任務をこなしてくるから代わりに報酬を寄越せ』と、人員不足と作戦遂行を盾にして見返りを求めてくる者達もいた。当然青空の会の思想には欠片もなびこうとしない。

 そして報酬の件だが、彼らは地球に文明があった時代に流通していた貨幣の類などでは納得しなかった。当たり前である。今のご時世では、そんな物はただの紙切れでしかなかったからだ。

 代わりに彼らが要求してくるのは水や食料や衣服、大きな物では土地や家と言った、いわゆる実用的な物であった。しかし手持ちの資産には限界がある。だが彼らは素知らぬ顔でそれらを求めてくる。中にはそれを承知で、自分のサディスティックな満足感を満たすためにわざと詰め寄ってきたりもする。そんな奴に限って腕が立つから始末に負えない。面白くない。

 そう。上層部にとってこれらの『高給取り』が一番の悩みの種であったのだ。これならまだ唯々諾々とこちらの指示に従ってくれていた方が助かるという物である。

 そして今、水陸両用カスタムジャケット『メイデイ』を駆ってカゴシマからタイワンへと向かっている一人の女もまた、そんな『高給取り』の一人であった。





「交戦ポイントまであと五分。予定通りに進行中……」


 背後から光る橙色のランプの放つ光に照らされた狭苦しいコクピットの中、真っ暗な正面モニターの隅に映し出された日本周辺の地図の上を走る赤い点を眺めながら、その女が退屈そうに呟いた。瞳は赤く、鼻は低い。そして普段なら眩しい程に映えるその赤い髪と赤い唇は、今は背後からの光によって橙に染め上げられていた。

 正面モニターにその地図以外何も映っていなかったのは、潜行する際には必ず水流からカメラアイを防護するための表面装甲と同じ色をしたシャッターが下ろされ、視界が遮られるからである。

 女の乗る『メイデイ』は、背丈こそあのスキウラーと同じであったが、その形状はやはり凡百のジャケットとは全くかけ離れた姿をしていた。

 そのデザインを一言で言い表すならば、『人魚』であった。もっと泥臭く具体的な言い方をすれば、後方にスクリューを二基備えた小型の潜水艦の先端から伸びるようにして人間の上半身がくっついたような物である。

 全長十一メートル。正確には『潜水艦』が七メートルで『人間』が四メートル。全身を光沢の無いダークグレーで塗装され、潜水艦の部分は先の丸まった円筒形をしており、後方にあるスクリュー以外に余計な装飾は一切無く、それは潜水艦では無くむしろ『魚雷』と評するべき形状を持っていた。先端にくっついた人間の上半身は普通のジャケットと同じく流線型で、だがその掌には普通のジャケットには無い、菱形に開いた穴があった。頭部も途中まで滑らかな曲線を描いていたが、その中程辺りから銛のように鋭く尖った物へと変異を遂げていた。その銛の形状は、真上から見下ろすと各頂点を結ぶように内向きに弧を描くようにして膜の張られた正十字形として映るように展開されていた。カメラアイはその銛状の前方に尖った部分のすぐ真下に埋め込まれていたのだが、今は前述のシャッターによって防護されていた。

 そして『メイデイ』は今、その尖った頭部を前方に向けるようにして手を腰に当て体をまっすぐに伸ばし、後ろのスクリューをフル回転させて猛スピードで進行していた。


「あー、ヒマ」


 そのメイデイのコクピットの中で、女は操縦桿から手を離し、下向きにした指をプラプラさせて小さく首を回しながらうんざりした口調で言った。


「まったくヒマねー。ヒマで死にそうだわー」


 この女、実はここに来るまでに今と同じ台詞を何回も漏らしていた。だがそれも無理からぬ事だった。カゴシマを出発してから何十分も経つが、その間、彼女はこの狭いコクピットにすし詰めにされて身動き取れない状況のまま待機している事を強制されていたからだ。

 当然ながら暇を潰すための娯楽はこの中には存在しない。メイデイのコンピュータにもそんな物は無い。メイデイは今自動航行システムによって動いているのだが、いつ何時敵の奇襲を受けるとも限らないので不貞寝を決め込む事も許されない。更に悲惨な事に、コクピットが狭い。満足に体を伸ばす事も許されない。


「はあ……」


 訓練に訓練を重ね、精神的にタフになった正規の軍人ならば耐えられたかもしれない。だが彼女は、ジャケットを駆る以外は至って普通の地球育ちの女性なのだ。

 そして最悪な事に、彼女の戯れ言につきあうAIも存在しない。彼女の言葉は全て空しい独り言としてコクピット内に反響し、巡り巡って自らの耳に飛び込んでいくのだ。それが寂しさと羞恥を倍増させ、彼女の体と心に重くのしかかる。


「……あーもう、まだなの? これなら自動航行システムなんか使わないで、普通に動かしてった方がマシよ」


 そんな身を押し潰さんほどの圧迫感と退屈に耐えかねて、女が不満を露わにして文句を垂れる(これも結局は自分の所に戻っていく。だが彼女がそれに気づくのは喋り終えてからずっと後の事である)。だがメイデイで出撃する前、『自分で動かすのめんどくさい』と言う理由で目的地まで行くのに自動航行システムを使う事を決めたのは他ならぬ彼女である。自動から手動に切り替える事はいつでも出来たが、だからといって一度自分で決めた事を今になって撤回する事は、彼女の気が許さなかった。


「今更操縦するのもめんどくさいし、もうこのまま行っちゃおうかしらねえ……」


 操縦桿の頭を指で軽く叩きながら、だらけきった口調で女が言った。その姿からはやる気が微塵も感じられなかったが、それも当然であった。

 今回の任務における報酬は出来高払いとなっていたが、彼女は前金として既にカゴシマ産コシヒカリ半年分(一日一食とカウントした場合の量である)を貰っていたので、もう下手に頑張らなくてもいいやと考えていたのだ。欲の皮をつっぱねて自滅するのは面白くない。日常生活を送れるだけの物は貰っているので、それ以上高望みをするべきではない。

 とりあえずタイワンに行って、そこで適当に暴れて適当に切り上げて適当に帰る。頑張りすぎないのが長生きの秘訣である。


「身内同士だなんて、あー不毛。やりたい奴だけでやらせときゃいいのよ」


 女はさも嫌そうに顔をしかめて欠伸混じりにそう言葉を漏らしたが、その間も彼女を乗せた『メイデイ』は目的地までの道のりを邁進していた。

 だがどれだけ目的地に近づいても、彼女のモチベーションが上がる事は無かった。


「あーやべ。めんどくさ。別にぶっつぶれてもいいじゃん、減る物じゃなし」





 メイデイの女が上層部の思想と全く噛み合わない『扱い辛い人種』であるならば、件のスキウラーに乗っていた男はその真逆を行く者であった。


「救難信号……!? まさか、本部の方で何か異変が!」


 等間隔のアラーム音がスキウラーの内部から漏れ聞こえる程の音量で周囲に鳴り響いた瞬間、そのコクピット内でそれを受け取ったモブ男はそう声を漏らした。そこにそれまで足下のライチ達に向けていた侮蔑の色は無く、同じ人間が発したとは思えない程にただ先方の安否を気遣う純粋な焦りの気配に満ちていた。

 上層部の意志に共鳴し、地球奪還の悲願のために今まで活動してきた彼にとって、自らの属する支部の消失は絶対に避けるべき事であったのだ。


「レーダー範囲を拡大、アクセス、状況確認……ええい、早くしろ!」


 そしてライチ達など初めから存在していなかったかのように機体の動きを完全に止め、バッテリー内の余剰電力の全てをスキャンに移しながら、男は一心不乱に自身の足下に据え付けられていたキーボードを叩き始めた。額から汗を流し歯を食いしばるその表情に余裕の気配は欠片も無かった。

 一方でアラームが鳴り響いてからピクリとも動かなくなったスキウラーを前に、ライチ達は罠かと警戒して攻めあぐねていた。それまで中から散々聞こえてきたモブ男の罵詈雑言もぱったりとやんでいた。それが余計に周囲の沈黙を招き、薄気味悪さを煽り立てていた。

 それから暫くの間、ライチ達はそこから動かずにただ神経を張り詰め、顛末を見守った。操縦桿を握る手に力を込め、いつでも動けるよう準備はしていたが、だが何分経っても、スキウラーがその沈黙を破る事は無かった。


「……いったい何が?」

「さっきのアラームは何だ?」


 置いてけぼりにされた格好となった二人が、手持ち無沙汰気味に呟く。その言葉を前にしながら、スキウラーはなおも不気味な程の沈黙を保っていた。四本の足を大股に広げ四本の手をバラバラに構えたまま、ただじっとその場に立ち尽くしていた。


「……?」


 やがて痺れを切らしたライチ機が、慎重に一歩ずつ前へと踏み出していった。ゆっくり、ゆっくりと、できるだけ音を立てないように抜き足差し足で。無機質な黒灰色の床を銀色の足で踏みしめながら、その多腕多脚の巨人に近づいていく。


「……」


 そしてジンジャーが息をのんで見守る中、ライチが右足を前に出す。スキウラーの前足まであと体二つ分の距離まで近づく。

 地面が揺れたのはその刹那だった。


「うわっ!」

「うお……ッ!」


 突然おとずれたその地鳴りと振動に、ライチとジンジャーの機が揃って体勢を崩す。スキウラーは微動だにしないまま沈黙を貫いていた。そして思わず前のめりになったライチ機のメインカメラが、その足下の地面に横一線に裂け目が出来たのを捉えた。


「えっ?」


 ライチが正面モニターに映ったそれを見た直後、今度は腹に響く硬質の音と共に、スキウラーを中心に据えた床の一部が上へとせり上がっていった。ライチはそのせり上がっていく部分に右足を踏み入れていた。


「うわ、うわ!」


 反射的に右足を引っ込める。しかし勢い余ってライチ機がその場に尻餅をついた。バランサーを動かすヒマも無かった。

 その時、その場に倒れ込んだライチ機をカメラアイで見下ろすかのように、スキウラーが初めて体を動かした。


「悪いが、お前達と遊んでいる時間は無くなった」


 ライチ機と、それに駆け寄って起き上がらせようと手を伸ばしたジンジャー機に向けて、スキウラーのパイロットが冷ややかに――そして僅かの焦燥感を滲ませて言った。


「俺は先に抜けさせて貰う。後は好きにしろ」

「この基地を捨てるって言うのか?」

「ああ。こんな場所、すぐにでも取り返せるからな。さして重要な場所でも無いのさ」


 驚きと共に発せられたジンジャーの言葉に、男がにべもなくそう返す。床はその間もなおも上昇を続け、やがてその床を上へ上へと通すかのように、部屋の天井部分が左右に割れていった。


「ああそうとも。こんな枝葉の部署など、すぐにでも取り返せる。本丸が無事である限り、いくらでも再建のチャンスはある」

「本丸?」


 ライチが怪訝そうに呟きながらスキウラーの巨体を見上げる。この時、スキウラーの頭上にはそれが座す床よりもずっと大きい縦穴が出来上がっており、その縦穴の周囲には等間隔で接地された白色の誘導灯が煌々と瞬いていた。そしてそのせりあがる床の遙か上方には地上と地下を結ぶ四角い穴がぽっかりと開き、そこから澄んだ空気を施設内部に送り込んでいた。

 その時、せり上がる床より上方にあった、スキウラーの両側面の壁が縦に割れ、中から先端が丸まった円筒状の物体が姿を現した。その物体は全長三メートル、露わになった縦長の窪みの中に収納されており、腹の部分を窪みの奥から生えていたロボットアームで固定されていた。そして床とその部分が同じ高さになる直前にロボットアームが伸縮し、スキウラーの背中にその円筒状の物体を素早く接続していった。


「ロケットエンジン――!」


 床と壁の隙間から見えたその光景――スキウラーの背中に搭載された二基の円筒状の物体を見てジンジャーが叫ぶ。そしてそれを使ってスキウラーが何をしようとしていたのか、彼女は思いつくやいなや言葉にして外に解き放った。


「あいつ、あれでタイワンまで飛ぶ気か!?」


 ライチが弾かれたようにスキウラーを見上げる。スキウラーはもはや二人では無く、その頭上にある地上への抜け道をじっと睨みつけていた。


「離陸と同時にエンジン全開。タイワンまで一気に飛ぶ。もはや一刻の猶予も無い」


 スキウラーの男がもどかしさを噛みしめながら呟く。地上まであと八十メートル。二人はなすすべ無くそれを見上げていた。

 その時、不意にライチの耳に通信を告げるアラームが響く。驚いてライチが視線を音の発信源――コクピット右側の通信機器に目をやる。

 無線装置が電波を受信。応答待ちになっていた。

 スキウラーのモブ男の元にその電波は届いていなかった。それに気づかないままに独り言を繰り返す。


「頼むぜ。俺が行く前に潰れたりすんなよな……? マジで頼むぜ……?」


 ジンジャーの所にはライチの物と同じ電波が届いていた。二人が同時に無線のスイッチを入れる。スキウラーはそれに気づかないまま上昇を続けていた。


「え?」

「は?」


 激しいノイズ混じりの声。

 無線越しに聞こえるその声を聞いて、ライチとジンジャーが同時に素っ頓狂な声を出す。その声は『何でここにいるんだ』と言う不信感でいっぱいだった。


「あと六十メートル……!」


 男が呟く。準備開始とばかりにロケットエンジンを機体と接続し、その支配権をこちらに持ってきて火を点ける。

 あと五十メートル。その時。


「――!?」


 止まった。

 僅かに振動を残して、それまで順調にせり上がっていた床がピタリと止まったのだ。それだけではない。スキウラー自体も、スキウラーの背負っていたロケットエンジンまでもが止まっていたのだ。

 男は最初何が起きたのかもわからずに呆然となり、そして事を理解した瞬間、その顔に焦燥と絶望をありありと浮かべた。


「お、おい! どうしたって言うんだ! おい! 何が起きた!」


 男が悲痛な叫び声を上げながらコクピット周りの機器をいじり回す。だがこの床はスキウラーが制御している訳ではない。


「突撃、となりのメインシステムー」


 施設中枢のコンピュータが制御を一手に引き受けていた。


「コクピットはー、ここですかー?」


 男がそう思い返すのと同時に、コクピットハッチの向こう側、金属の壁一枚隔てた場所から女の声が聞こえてきた。

 やけに間延びした、危機感の無い女の声だった。


「まことに申し訳ありませんがー。この施設のシステムは私がいただきましたー。地図も貰っておきましたので、ここに来るのも簡単でしたー」


 集音マイクが拾った、間延びした女の声がコクピット内部に響き渡る。男は初め何を言っているのか判らなかったが、女が次に発した言葉だけはしっかりと理解する事が出来た。


「それとついでにー、あなたの機体の制御系統も奪わせてもらいましたー」


 女が言葉を言い終えるよりも前に、空気の抜ける軽い音を立てながら胸部コクピットハッチが開いていく。それと並行するようにスキウラーが四本の足を伸ばし、膝裏が地面に付くようにすると同時に背中を曲げて地面とコクピットの高度差を無くしていく。

 自分は何も操作していない。男の顔が真っ青になる。


「その機体、カスタムタイプなのですねー? 従来のジャケットとはOSが違うので、ハッキングになかなか手こずりましたー」


 外の景色が露わになる。やがて顔を真っ青にした男の目の前に、一人の女が仁王立ちしていた。

 一糸まとわぬ姿で。しかし胸は半透明で腹からは何百本ものケーブルを垂れ下げ、両手で構えた銃をこちらに突きつけた状態で。


「はいー。降参してくださいねー? もう逃げ場はありませんからー」

「そうだそうだ! 投降しろー! 田舎のお母さんも泣いているぞー!」


 腹からコードを溢れさせた女の横に立つもう一人の女――そのコードの一本をこめかみに差し込んだジャージ姿の幼女が、勝ち誇ったように続けた。


「カツ丼食わせてやるぞー! 美味いカツ丼食わせてやるから大人しくしろー! わかったかこのモブ男!」

「は……」


 何がどうなってこんな事になったのか、男は訳がわからなかった。いや。


「は……は……?」


 自分が『負けた』と言う事実だけは、おぼろげながら理解していた。



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