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最終話「一区切り、また終わり」

 どうすればいいんだろう。

 南極施設三階にある数百人もの人員を収めることの出来る大会議室の扉の前で、ライチは仏頂面を浮かべながら思案に暮れていた。これから彼は目の前の扉を開けてそこに集まっている群衆を前にスピーチをする事になっており、そしてライチは初めてそれを聞かされてから今に至るまで、そのスピーチの席で何を言うかを全く決められずにいたのだった。


「……」


 そんな彼の横では、カリンが同じく険しい表情を浮かべて額から脂汗を流していた。彼女も同じくここでスピーチをする事になっており、そして案の定、何を言うべきか全く考えが纏まらなかったからだ。

 二人がこれから赴くのは別に堅苦しい席ではない。砕けた言い方をすれば、扉の向こうで行われているのはただの宴会である。当然彼らも最初からそれに参加しており、宴の途中でそれを中座し、こうしてスピーチ本番に備えていたのだった。





 宴が開かれるのが決まったのは、実を言うとこの日の昼過ぎの事であった。ライチ達が帰って来た後に行われた近況報告の中で、そこに出席していた者の一人が提案した事であった。

 その後、話はあっという間に合意にまで進んだ。目立った脅威も払拭され、気持ちに余裕が生まれていたからである。そして開催が決定された時には、イナが既に宴の準備の段取りを組み終えていた。後は実行するだけであった。ちなみに同じくイナが作った宴のプログラムの中には、ライチ達二人のスピーチの時間もしっかりと用意されてあった。

 全員が一致団結して事に望んだために、宴の支度はその日の夕方には既に完了していた。短期決着を迎えられた最大の功労者は会場設営を受け持ったイナと調理監督を勤めたオルカである。二人とも終始ノリノリであった。

 なおその支度にライチとカリンは参加しておらず、その代わりに別室でスピーチの内容を考えておくよう言われていた。しかし結局は何を話すかを纏められないまま時間が過ぎていき、悶々としているうちに宴の本番となってしまった訳である。

 要するにただのスピーチだからといって、無駄に肩肘を張る必要は無いわけである。





「カリン、何言うか決まった?」

「ぜ、全然。ライチは?」

「ぜんぜん」

「だよね……」


 しかし今現在、彼らは顔面蒼白の有様となっていた。この宴は彼ら二人の帰還を祝って開かれたものであり、二人がこの宴の主賓であったからだ。


「さすがにここまでしてもらって、一言二言じゃ失礼よね」

「そ、そうだね。やっぱり地球に帰ってくるまでの事を一から話した方がいいのかな?」

「長すぎても失礼じゃないかしら」

「じゃあちょうどいい長さってどれくらい?」

「それがわかってたら苦労しないわよ」


 自分達のために開いてくれた以上、中途半端は許されない。二人してクソ真面目だったのである。


「ねえ大丈夫……って、ああ、やっぱり悩んでた」


 そんな時、手に冷却水を満たした紙コップを持ったエムジーが目の前にあるドアを開けてそこにやってきた。そして揃って苦虫を噛み潰したような顔をしていた二人を見て嘆息する。


「そんなに気にしすぎなくていいって。別に高尚な物とか求めてる訳でもないんだしさ」

「そうは言うけどさ」


 その後考えすぎてひどい顔色になっていた二人をフォローしようとエムジーが声をかけるが、ライチの顔色は晴れないままだった。


「やっぱりちゃんとお礼とか言った方がいいと思うんだよ。それもただ普通にありがとうだけで済ませるんじゃなくて、もっとこう、気持ちのこもった奴じゃないと」

「気持ちねえ。わからなくもないけど、無理に考える必要も無いと思うけど?」

「それって、一言で済ませてもいいってこと?」

「いいんじゃない?」


 カリンの問いかけにエムジーがあっさり返す。予想外の返答を受けてカリンが鼻白むが、そんな彼女の様子には気にもとめずにエムジーが最初に開けてきたドアを再度開けて室内へと戻っていく。それから暫くして、今度は手でつまめる料理の盛られた皿を両手に一枚ずつ持ちながら、エムジーが再びライチ達の前に現れた。


「とりあえずさ、何か食べて落ち着きなって。焦ってもどうにもならないし」

「そ、そうだね」

「じゃあもらおうかしら」


 エムジーの提案を受けて、ライチとカリンはその顔に諦めの色を滲ませながら彼女の差し出してきた皿をそれぞれ一枚受け取り、そしてライチは握り飯、カリンはサンドイッチを一個手にとって口の中に運んだ。


「あ、おいしい」

「うん」


 口にした直後、そのあまりの美味しさに二人が驚きの声をあげ、その様子を見てエムジーも嬉しそうに表情を緩める。

 彼女の後ろにあった出入り口のドアがわずかに開かれ、その隙間からイナが顔を覗かせてきたのはその時であった。


「お二人とも、そろそろ時間です」


 それはライチ達にとっては死刑宣告と同じ響きを持っていた。そしてイナがゆっくりとドアを開けていく一方、それを聞いた二人の顔が一気に真っ青になっていく様を見て、エムジーは心から同情しながら言葉を投げかけた。


「気にしすぎ。気負いすぎたらダメよ」

「……」


 ライチがそれに無言で頷き、ライチとカリンが揃って断頭台に向かう囚人のように重い足取りで開け放たれたドアの向こうへと歩いていく。言葉を返す余裕も無かった。





「……」


 カリンと一緒にドアを越えて室内に入った瞬間、何百もの視線が一斉に全身に突き刺さる。それだけでライチは逃げ出したくなった。ライチのいる場所はそれ以外の面々が立っている所よりも一段高くなっており、中央に自分の腰と同じくらいの高さを持った箱型の机が置かれていた。おまけに彼らのいた段は上からのスポットライトを受けて周囲よりも目立っており、嫌でも周囲の目をひいてしまっていた。


「……ッ」


 周囲から浴びせられる興味の視線を受け止めながら、ライチがその机の所へ歩いていく。この時ライチは無意識のうちにカリンの手を繋いでおり、彼と同じくバツの悪さを味わっていたカリンはそのライチの手を力強く握り返した。その光景は周囲の面々にもバッチリ見えており、それが二人に向けられる好奇の視線をより一層強めている原因でもあったのだが、二人がそれに気づくことは無かった。


「あ、あー……」


 やがてライチが机の前に立つ。そしてそこに置かれたマイクのスイッチを入れ、空いた方の手で頬をかきながら声を漏らす。もう片方の手はカリンの手を握ったままだった。

 自分の前面に視線が突き刺さる。心臓を鷲掴みにされたような感覚を味わい息が詰まったが、それでもライチは意を決して喉の奥から言葉を吐き出した。


「え、えーと、みなさん」


 頭の中が真っ白になる。文章として纏めきれずにあったとはいえそれなりに考えていた文言の群れが一瞬で吹き飛ぶ。もうどうしようもなかったので、ライチは瞬時に脳裏に閃いた言葉を次々と口から吐き出すことにした。


「今日はぼ、僕達のためにこんな素晴らしい催しを開いてくれて、ほ、本当にありがとうございます」


 誰も何もいわない。ただ黙ってライチの次の言葉を待っていた。当のライチはそこで一度言葉を切り、生唾を飲み込んでから再び口を開いた。


「ここ、これから僕で、じゃなくて、二人でここの地球で頑張っていこうと思います。カリンと二人で、ここで。ですのでこれからもどうかよ、よろしくお願いします」


 そこまで言い終えてからライチが一歩下がり、深々と頭を下げる。言うまでもなくこの時も最初から最後まで手を繋ぎっぱなしだったので。カリンもライチに引っ張られるような形で後ろに下がり、そして彼が頭を下げたのを見て自分も慌てて頭を下げた。


「……」


 周囲はなおも沈黙を保っていた。背筋が凍るほどの冷たい静寂が辺りを包む。しかし不安を覚えてライチとカリンが恐る恐る頭を上げたその時、眼前に広がる集団のどこからか手を叩く音が聞こえてきた。


「え?」


 突然の事にライチが呆気にとられていると、それに続くようにして至る所で手が叩かれていく。一つ、二つと、やがて散発的に起きていたその波はあっという間に聴衆隅から隅まで広がっていき、ついには万雷の拍手となって決して狭くはない会場をその音で埋め尽くした。


「いいぞー! いいぞー!」

「よくやったー! 頑張ったー!

「今日のMVPはお前だー!」

「ええ、と……」


 その歓声も混じった喝采の嵐を受けて呆然とするライチにとカリンの元に出入り口付近で待機していたイナが近づき、二人の間に近づいて互いの肩に手を起きながら言った。


「みんなお二人の事を祝福しているんですよ」

「え、でも、内容すごい変だったんだけど」

「変ではありませんよ。伝えたいことだけを簡潔にまとめられていて、とてもよかったですよ。長々と話を続けられてもあれですし」「そうかな?」

「姫を助けるナイトは多くを語らないものです」


 そう言いながらイナが柔らかい笑みを浮かべる。それにつられてライチとカリンも緊張で硬直した表情をいくらか和らげる。


「はいはーい! それはそうとしつもーん!」


 しかしその時、壇上のすぐ手前の位置にいたスバシリが手を挙げながら大声で話しかけてきた。その声を聞いてそちらの方を向いた三人にスバシリが目を輝かせながら言った。


「あのさあ、ライチとカリンってつきあってるんでしょ?」

「ええっ?」

「どうなの?」

「そ、それはまあ、つきあってると言ったらそうだけど……」


 そう恥ずかしそうに答えるライチに、スバシリが期待に満ちた視線をぶつけながら言った。


「だよねー! じゃあもうキスとかもしたのかな?」

「ええっ!?」

「どうなのー? したのー? アタシ前から来れ聞こうと思っててさー。この辺どうなのよ?」


 スバシリの放った爆弾をどう処理していいかわからず、ライチが再度顔をこわばらせる。この時カリンもカリンでライチと同じく顔を真っ赤にしており、そしてイナは今までの流れを無視して個人的な質問をいきなりぶつけてきたスバシリを睨みつけていた。


「スバシリ! 今はそんな下世話な話をする場ではないでしょう! 自重なさい!」

「いいじゃん別にー。本当の気持ちとか知りたかったんだからさー」


 しかしイナの追求を受けてもなお、スバシリは平然とそれを受け流していた。その一方でライチは直立のままバツの悪そうに頭をかき、カリンは顔を俯かせながら周りに聞こえない程度の小声で何事かを呟いていた。


「ライチ」


 そして不意にカリンが恋人の名を呼ぶ。名前を呼ばれてそちらの方を向いたライチにカリンが続ける。


「そう言えば私達、まだキスとかしてなかったよね」

「え? そ、そうだね。どうしたのいきなり?」


 突然の言葉に驚くライチに真面目な表情を浮かべながらカリンが続ける。


「色々酷い目にあってきたし、でもそれも全部乗り越えてきた。ライチと一緒だから頑張れた」

「うん」

「二人で頑張った度に、私はライチが好きなんだって思った。ライチと離れたくないって思った」

「うん」

「だから、そろそろ潮時だと思ったの」

「……うん?」


 カリンが不思議がるライチの元へ進み、互いの距離を詰める。そして二人の鼻先がくっつくほどに距離を詰め、驚くライチの頬を両手で優しく包み込む。


「私の全部をあげたい」

「か」





 口を開きかけたライチの唇を、カリンの柔らかいそれが塞いだ。





「!」


 恋人の顔を至近距離で見つめながら、ライチが目を白黒させる。カリンの突然の行動にライチだけでなく、イナもスバシリも、周囲でその光景を目の当たりにしていた面々も同様に驚きの表情を見せる。


「んっ……」


 そして当のカリンは、周りに自分たち以外誰もいないかのようにライチとのキスに没頭していた。頬を挟む手に力を込め、目を閉じてお互いの唇を重ね続ける。

 

「ぷは……っ」

 

 しかしやがて息が出来なくなったのか自分から唇を離し、手と体も離して距離を置き、肩を激しく上下させながら貪欲に空気を貪った。


「カリン……」


 カリンと同様に激しく呼吸を繰り返していたライチが呆然と呟く。その声を聞いたカリンは息を整えた後、一気に恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にして目をそらしながら言った。


「で、できるうちに、全部あげようと思った」

「どういう意味?」

「いつ、何が起きるかわからないでしょ? だから手遅れになる前に、自分の気持ちを全部、あなたに教えておきたかった」


 そこまで言ってからカリン再びライチに近づく。今度はライチも不必要に警戒する事もせず、カリンが近づいてくるのをじっと待っていた。

 そのライチの体を、カリンがそっと抱きしめた。暖かく柔らかい感触を全身に感じ、石鹸の甘い香りが鼻孔をくすぐった。


「私は、いつまでもあなたと一緒にいる。死ぬまで一緒。ずっとあなたの隣にいたい」


 囁くようにカリンが言葉を紡ぐ。


「好きです。これから先、ずっとあなただけを愛します」

「!」


 カリンの体は震えていた。何かに怯えているようだった。そんなカリンの怯えを和らげてあげるかのように、ライチが彼女の細い体を抱きしめ返す。


「僕も、カリンだけを愛します」

「……はい……!」


 ライチの言葉を受け、カリンが目尻に涙をためて頷く。そしてどちらからともなく、お互いの体を抱きしめあう。


「……」


 その直後、周囲から一斉に拍手がわき起こった。二人のスタートを祝うかのように暖かい拍手が鳴り響き、室内に暖かな雰囲気をもたらした。イナに至っては号泣しながら手を強く叩いていた。


「カリン」

「なあに?」


 その祝福の中、ライチは言いようもない程の幸せを感じていた。勇気と元気が体の内から滲み出て、なんでも出来るという自信がわき起こってくる。


「これから、頑張ろうね」

「うん!」





 問題はまだまだ山積みで、前途は決して明るくはない。

 それでも、皆と一緒なら。この人と一緒なら。どんな世界でも歩いていける。

 そう胸の内で思いながら、ライチ・ライフィールドはこの荒廃した星の上で新たな一歩を踏みだそうとしていた。

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