第百三十三話「近況」
火星の混乱が収まったのは、アラカワがミサイルを落としてから実に八時間後の事だった。しかしこれは軍や警察が尽力したからではなく、混乱の原因の大部分を担っていた地球信奉者達が、自分達が乗っていたジャケットの電池が切れたために破壊活動を止めたからである所が大きかった。そしてそれ以降も、ジャケットに乗ってやりたい放題やっていた信奉者達の行方は掴めていなかった。
「ああ、町が……!」
「これからどうすればいいんだ……」
そして混乱が収まったとき、火星の社会システムは完全に死んでいた。アラカワの提示したブラックリストの中に記載されていた企業は、そのどれもが火星の社会に、火星の一般市民の生活に深く関わりを持っていた。株式や金融、流通にメディアに医療、家電に被服に食料品に至るまで、彼らは火星の中でも指折りの大企業であるが故にあらゆる分野で強い影響力を持っていた。政府ではなく企業が火星の経済の手綱を握っていたと言っても過言ではなかった。
そして彼ら以外の各企業もまた、その体制に依存していた。挑戦心を働かせて自分から動かずとも上の命令を聞くだけで将来安泰なのだ。やらない方がおかしかった。
なお、そこに記載されていた企業連中は皆地球で自作の兵器をテストしていたが、それはあくまで裏の顔。表向きには一部を除いて比較的クリーンな商売をしていた存在であったのだ。
「我々は、常にクリーンな製品の提供と、クリーンな会社組織の醸成を目指していきます!」
ブラックリスト入りの企業の一つが打ち出したCMの中で使われている言葉である。この企業はあらゆる種類の洗剤と目標制圧用の毒ガス兵器を取り扱っている企業であったのだが、皮肉としか言いようが無かった。
それが地球信奉者達によって根こそぎ破壊された。もとから信用は地に落ちた上に、さらには心臓部である本社ビルとそこに勤める社員までもがまとめて消えてしまった。火星の生活を支えていた者達の首が纏めて刎飛ばされたのである。それに依存していた社会はあっという間に崩壊した。
混乱が収まった後、火星の人間はすぐさま服や飲み物、食べ物を求めてそれぞれの店に駆け込んだ。
「これだ! これをくれ!」
「おい待て! それは俺が目を付けていたものだぞ! 返せ!」
「それはこっちの台詞だ! それをよこせ!」
しかし客の一人一人が大量に買い占めていくためにその場で乱闘が続発し、しかもあっという間に品不足が発生した。臨時の追加発注を頼もうにも、頼むべき上位組織は根こそぎ機能を停止していた。誰にも頼ることが出来ず、自分達でなんとかするしかなかった
だが、誰にもどうにも出来なかった。
品不足は不公平感と不満を生み、やがて各地で暴動が起こった。それらはすぐに軍隊と彼らの持ってきた残りのジャケットにより鎮圧されたが、今度はそのジャケットを整備するための資材や設備が不足し始めた。第一、その騒ぎを鎮圧する側の人間達が利用する分の食べ物や飲み物も不足していた。政府の人間達の分も同様だった。誰もが物不足に喘いでいた。
「お願いします! 市民のために頑張っている軍人さん達にお恵みを! どうかお恵みを!」
一応、備蓄されている分はある所にはあるのだが、誰もそれを輸送したがらなかった。どうルートを辿っていくのが一番有効なのか、誰にもわからなかったからだ。
何もかもが手探りの状態からの再出発となった。しかも誰もそれを率先してやりたがらないという素晴らしい状況からのスタートである。
滅びるか、生まれ変わるか。火星はその瀬戸際に立っていた。
そんな最中に、一機のシャトルが火星の宇宙港の一つに着陸した。中に入っていたのはかつて地球に社会見学に行ったきり消息を絶っていた学園の生徒と教師達。
そんな彼らを出迎えに来た両親や親戚は一人もいなかった。生徒達は訝しんだが、その理由を彼らはすぐに知る事となった。
「町が……」
「無くなってる!」
「パパは!? ママはどこにいるの!? ねえ!」
その後彼らがどうなったのか、誰も知らなかった。
同じ頃、地球も火星と同様に深刻な状況に置かれていた。
「当分の間は南極にこもるしか無いだろうな」
会議室の一つ、その中央に置かれたテーブルの上に映された世界地図を見下ろしながら、オートミールが重々しく呟いた。彼と同様にそのテーブルを囲んでいた面々――イナとアロワナ、オルカにギムレットである――とその後ろで立っていたそれ以外の者達もまた、それを黙って聞いていた。
ちなみにここにはソウアー本部のスタッフ達やシドの部隊員も混じっており、ライチとカリンも寝ぼけ眼をこすりながらこの場に参加していた。
「見ての通り、今の地球の状況は最悪だ。まともに立ち入れる場所は殆ど無いと言っていい」
オートミールが地図を見たまま続ける。そこにある世界地図は、表示された陸地の大半が真っ赤に染まっていた。攻撃を受け、不毛の地と化した場所である。
火星からのミサイル攻撃によって北米大陸は壊滅。おまけにそのミサイルは南米大陸やオセアニア一帯にも飛来しており、それによって巻き上がった炎はその地帯においてこれまでソウアーがやってきた事を完全に無に帰した。
「くそ、こっちが今まで必死になってやってきた事、全部フイにしおった。もうホンマに頭に来るでホンマ」
それまで植物の種の保存と運搬を請け負い、各地に種を蒔いて植物の生育を見守っていたアカシアが怒りに満ちた声を漏らす。これまでの自分のしてきた事を全てぶち壊されたのだ。怒らない方がおかしかった。同じ任務を請けていたアロワナもまた、黙ったまま握りしめた拳を小刻みに震わせていた。
おまけに北米に落ちた物の中には核ミサイルも含まれており、おかげでその辺りに立ち入る事はこの後数百年は不可能と思われた。
「青空の会の連中も各地に分散したままだ。どこにどれだけ潜んでいるのか見当もつかん」
首魁の突然の解散宣言によって統制を失った青空の会の者達も、彼らにとっては陸地の汚染と同様に問題であった。むしろ組織が空中分解したことでその活動がゲリラ的な物へと変わり、より一層性質の悪い物へと変わっていくだろうと、オートミールは持論を展開した。
「しかし、そちらの方は特に問題無いとは思うゾ。青空の会の中でも過激な連中は揃って欧州に集まっていたし、そいつらもソウアー本部の襲撃に失敗してまとめて捕まったのダロウ? あれ以上おかしな事をする奴らもそうはいないだろうナ」
その言葉に元青空の会のモロコが反論する。彼女曰く、青空の会に属する連中の大半は上からの命令が無いとまともに動けない腰抜けである。火星人への嫉妬心や復讐心を持ち続ける者はいるだろうが、自分から行動を起こせるだけの気概の持ち主はそうはいないだろう。
「なぜそう言い切れる?」
「もし青空の会のメンバー全員が欧州の連中のような精神の持ち主だったならば、ソウアーの本部は世界中から袋叩きにあっていただろうナ。今こうして南極にいたりする事も出来なかっただろうヨ」
それは一理あった。その気になればあの時、欧州支部と世界各地の支部が連携して、本部に同時攻撃を仕掛ける事だって出来たはずである。だが実際にはそうしなかった。
「それもそうだな」
「そうであろう? だからこちらの方はそれほど警戒しなくても良いと思うゾ」
「放射能による土壌汚染の方も、ひょっとしたらどうにかなるかもしれんぞ」
そしてモロコの言葉に続いて、後ろに控えていたパインが言った。オートミールがそちらの方を向いて彼女に尋ねる。
「そうなのか? 何か解決策があるのかね?」
「ああ。オキナワで作られていたあれを使えばどうにかなると思ってな」
「……ああ、あれか」
パインの言葉を聞いて、思い出したようにオートミールが答える。事情を知らないギムレットが彼に言った。
「あの、何の事なんですか?」
「クアンタだよ」
「くあ?」
「クアンタだ。オキナワで実地試験も兼ねて保管されていた物で、簡単に言えば特定の物質をナノレベルにまで分解する事が出来る代物だ」
「分解……」
そこまでオートミールの説明を聞いたギムレットが得心したように顔を上げた。
「それを使って放射能を分解するって事ですか?」
「百パーセント確実に出来るとは限らないがね。少なくともやってみる価値はあると思う」
「その通り。まずは試してみないとわからないよね。それはそうと司令官、少し提案があるんだが」
オートミールに同意を示した後、オルカがそう言って彼の顔を見た。オートミールが向き直って彼女に尋ね返す。
「なんだね? 言ってみてくれ」
「せっかくライチとカリンが火星から帰ってきたんだ。そのお祝いの席を設けてもいいんじゃないかな? 今までの活動に一区切りつけると言うか、ここから新しいスタートを切るきっかけの意味も込めてさ」
「お祝いか……」
「あ、それアタシも賛成!」
オルカの意見を聞いて考え込むオートミールの耳に、スバシリの快活な声が響く。
「パーティしようよパーティ! 暗い話題ばっかじゃ息つまるって! 今まで頑張りっぱなしだったし、アタシはパーティしたいなー!」
「……私も賛成……」
「そうですね。とても良い事だと思います。ぜひやりましょう」
更にスバシリにあわせるように、クチメとイナも同意の声を上げる。さすがは姉妹、その連携は見事な物だった。
「いいねそれ。楽しそう!」
「気分転換も大事ですよねー」
「俺も賛成だ! 大騒ぎしようぜ!」
周囲からも次々と賛成の声が挙がる。スタッフの中にもやる気満々な者達がいたようで、声を張り上げてやろうやろうとはやし立てる。テーブルを囲んでいた面々はその声を受けて一様に呆れ苦笑していたが、方々で上がる賛同の声を不愉快と思う者は一人もいなかった。
「まあいいんじゃないかな」
「ボクは言い出しっぺだし、喜んでやらせてもらうよ」
「わたくしも右に同じです。会場設営の件はお任せください」
「……」
そう言いながら、周囲の面々が期待に満ちた目でオートミールを見つめる。そしてここまで来て話を不意にするほど、オートミールは馬鹿な人間ではなかった。
「わかった。やろう」
オートミールの声が室内に響き、同時に歓声がわき起こる。そして周囲が嬉しそうにはしゃぐ中で状況を飲み込めずその場に立ち尽くしていたライチとカリンの元にリリーが駆け寄り、満面の笑みを浮かべながら二人に言った。
「聞いたか? パーティやるってよ! 主役はお前らだからな!」
「え、どうして?」
「さっきの話聞いてなかったのか? お前らが無事に帰ってきたのを祝うためだよ! そうだよな?」
「ええ。それがメインになりますね。それとお二人には何かスピーチのような物もやってもらおうと思っておりますので、短い言葉でも構いませんので何か考えておいてくださいね」
リリーの言葉に同意した後で、イナがライチ達にさりげなく無理難題をおしつけてくる。抗議の声をあげようとするも、イナもリリーも既に群衆の中に紛れ込んでしまっていた。
「よし、そうと決まればまずはご飯とお酒の用意ね! どうしようかしら?」
「食材の方はわたくし達の戦艦にいくらか備蓄がございますから、それをいくらか使ってはいかがでしょうか? しばらくはここを離れられませんから、使っても大丈夫でしょう」
「じゃあボクが調理が得意な人を何人か集めてこよう。集めた食材はボクの方に回してくれ」
「配膳は私に任せてください! 私オーストラリアでウェイトレスやってました!」
「ホール会場的な物はないのかな? せっかくだからできるだけ広い所でやりたいが」
「じゃあ私がそれ探してくる。ギムも一緒に行く?」
「は、はい! 一緒に行きましょう!」
しかも周りではトントン拍子に話が進んでしまっている。もう止める事も出来ず、ライチとカリンは心の中で思いっきり頭を抱えた。




