第百三十一話「カムバック」
ライチとカリンを乗せたシャトルはそのまま順調に火星を出発し、それから二時間後に地球に着陸した。ワープ航法を何度か繰り返しての航行であり、その間のシャトル操縦は全てアラカワが遠隔操作で行った。
シャトルの着陸地点は南極施設の真上。反重力発生装置を使い、VTOLよろしく胴体着陸を行った。そして陸地と機体が接地した後、シャトルはその地面ごと地下へと降下していき、天井からドックの中へと搬入された。
「えっと……ただいま」
機体が固定され、その言葉と共にシャトルの出入り口から降り立ったライチ達を待っていたのは、そこに集まっていたスタッフ達の歓声であった。
「やったぜ! ちゃんと帰ってきた!」
「おかえりなさい!」
「凄いぜお前! よくやった!」
「お疲れさま! 本当にお疲れ!」
「ウラー! 英雄のご帰還だ!」
「拍手だ! 拍手するしかない!」
その声の矛先は主にライチに向けられていた。誰も彼もが彼を賞賛していた。なにせ彼は恋人を助けるために自ら装置に飛び込み、転送先でも必死に生き延びて恋人と共に再び地球に返ってきたのだ。それもまだ子供だというのに。凄い奴だと思われても当然である。
「あ、あはは……」
そんな自分達が姿を現すと同時に方々から一斉に沸き上がったそれを受けて、ライチと彼の後から外に出てきたカリンの二人はどう反応したらいいのか、共に出入り口付近で立ち止まりながら大いに戸惑った。
「ほらほら、いつまでもそこにいないで、降りてきなさいって」
そんな二人を見かねて、最前列にやってきたエムジーがそう声をかける。彼女の隣にはちゃっかりギムレットが立っており、そんな二人の後ろ姿を彼女達よりずっと後ろの方からベラがふてくされた表情で見つめていた。
そんなベラを尻目に、促されるままにライチが、続いてカリンがシャトルから降りて地面に立つ。二人とも着地の際に若干よろめいたが、それでも倒れることなく何とか自力で直立を保った。
「おかえりなさい。いろいろ聞きたい事とかあるんだけど、今は二人とも疲れたでしょ?」
「ぼくがお二人の部屋に案内しますね。食事とかはお部屋に持って行きますんで、それまで部屋の方でゆっくりしていてください」
「え……?」
エムジーとギムレットがそう言いながら二人に近づいてくる。そしてこの台詞を聞いて初めて、ライチ達は自分の体が見えない巨大な手によって真上から押さえつけられるような、強烈な倦怠感と疲労感を自覚した。
「疲れた……うん、そう言えばめまいが……」
今までいろんな事が起きすぎて、疲れるという感覚を持つ余裕すら無かったのだった。その間に肉体面ないし精神面で溜まっていた疲労が一気に噴きだしたのだ。
「ほ、ほら! 行きましょう! 早く休まないと」
「あ、ああ、うん、そうさせてもらうよ」
「わ、わたしも」
「疲れがどっと噴きだしてきた感じね」
そんな疲労感を自覚すると共に一気に顔色を青ざめていった二人を見て、エムジーが心配するような声で言った。そしてエムジーと同様に彼らの変化を敏感に感じ取ったギムレットが慌てながらエムジーに言った。
「ふ、二人とも大丈夫なんですか? すごい酷い顔色なんですけど」
「良いとはいえないわね。急いで部屋に案内させましょう。まずは休ませないと」
エムジーの言葉にギムレットが頷き、早足でライチに歩み寄って自分の肩を貸す。この時ライチは完全に膝が笑っており、自立するだけで精一杯だったのだ。ギムレットが支えに行っていなければ、今頃くずおれるようにしてその場に倒れていただろう。
カリンはライチより酷かった。疲労感を覚えた瞬間その場にへたり込み、その後全く動く気配が無かった。身の安全をハッキリと自覚できた途端に緊張の糸が切れて、それまでの反動から完全に放心状態となっていたのだ。
そんな彼女にエムジーが迷うことなくその肩を貸し、そして四人は居住区に繋がるエレベーターが到着する連絡通路の一つへと歩き出した。なおこの時、初めにライチ達を遠巻きに囲んでいた群衆は、皆空気を呼んで早々に退散していた。
「さ、行くわよ」
「辛かったらいつでも言ってくださいね。で、出来る範囲でならなんでもしますから」
「は、はい……」
そうして優しく言葉をかけるエムジーとギムレットに連れられて、ライチ達は二、三分もしないうちにそれぞれに割り当てられた個室に案内された。セキュリティ云々に関しては、彼らがエレベーターに乗った段階で既にアラカワがライチ達の生体情報を登録し終えていた。黒幕は忙しかった。
その一方、入室した二人はまず揃ってバスルームに向かいシャワーを浴びた。そして汚れを落として着替えも済ませた二人は食事もせぬままにベッドに倒れ込み、夢の世界へと真っ逆様に落ちていった。
「ライチ、開けるわよ?」
そんなライチの様子に最初に気づいたのは、彼が寝ている所へ食事を運んできたエムジーだった。文字通りの意味での顔パスで個室のロックを解除し室内に入り、そしてベッドの上で死んだように眠るライチを見てエムジーは少し驚いてから仕方なさそうに苦笑した。そして起こすのも可哀想だと思い、結局はベッドの反対側にあるテーブルの上に食事と書き置きを置いてから静かに退散したのだった。
「無理しないでね」
エムジーは部屋を出ていく間際にそう言ってから通路へ出て行った。その言葉がライチの意識に届くことは無かった。
「火星は予想よりも酷い事になっているな」
同じ頃、一人で司令室にいたアラカワは正面の大型モニターに映される光景をロボットアームの先につけられたカメラを使って見ながら、満足げにそう呟いた。そして別のアームの先にあるスピーカーを自身の背後に向け、後ろの自動ドアを開けて新たに入ってきた存在に対して言葉を放った。
「それで、君はここに何の用で来たのかね? 特に何かしている訳ではないのだが」
「……」
二人目の存在――イナはそれに答えず、黙ってアラカワの隣へと歩いていった。彼女の視界にもモニターに映される映像の群れ――火星のあらゆる場所で現在進行形で発生している暴動群を一つの画面内で分割して放映している様――が映っていたが、彼女はそれに意識を向けることなく、アラカワの隣に到着した所で静かに口を開いた。
「先程、グンマやその他の地域の現存するデータベースを確認してきました。これからこの地球で生きていく上で、何か有用な情報がないかと思いまして」
「そうかね。それで、何か見つかったかね」
「はい。いくつか興味深い情報が見つかりました。それでその中にある一つの情報について、真偽のほどをあなたに直接確認したく、こうして参った次第です」
二人の眼前では火星各所で起きている暴動の様子が、一分一秒たりとも逃すことなく、全てリアルタイムで映されていた。それらのモニターからはそれぞれ人間の怒号やわめき声、爆発音や建物が崩れる音がてんでばらばらにまき散らされ、火星の混沌とした状況をその狭い司令室の中に再現しているようであった。
火星企業代表による地球攻撃の暴露とその報復とも取れる火星本土へのミサイル着弾。この一連の流れから始まった混乱はやがて、この期に及んで真実を明かそうとしない企業や政府への憤慨、そして暴動へと発展し、今やロウアーもハイヤーも関係なく、人間全てが理性の箍を外され暴れ回っていた。
「データベースの中に、あなたの名前を発見しました」
そのモニターの一つに映る、手にした鉄パイプで高級車をメッタ打ちにしている男の姿を見つめながら、イナが静かに続けた。
「しかしあなたの名前のすぐ横に、少し不可解な言葉が並んでいました。あだ名と言いますか、異名と言いますか、とにかくおおよそ、人間には名付けられないような言葉です」
「それはあれだよ。当時の人間が私に名付けたキャッチコピーさ。私の特徴を一言で言い表した、素晴らしい名だ」
「そうですか」
車がいきなり爆発し、男がその爆炎に巻き込まれる。そこで言葉を切り、再びイナが言った。
「ではあなたは人間ではないと」
「そうだ。今も昔も、私は人間ではない。最初からこの姿だ」
「……人類裁断機」
イナがアラカワの『キャッチコピー』を呟く。アラカワはぴくりとも動かない。
「あの情報は本当だったのですね。あなたがあのアラカワだと?」
「ああ」
「当時の人間が開発した、人間を裁く自律思考コンピュータ。新世紀の裁判官」
「そうだ。それが私だ」
「日本にある荒川沿いの工場で作られたから、アラカワ、ですか」
「そうだ。しかし、君はそれを知ってどうするつもりかね?」
アラカワがイナに向き直る。イナもまたアラカワに向き直り、口元にわずかに笑みを浮かべながら言った。
「ただの好奇心ですよ」
モニターの向こうでビルが音を立てて崩れていく。ビルを取り囲んでいた群衆が両手を挙げて狂喜する。
アラカワとイナは同時に笑みをこぼした。




