第百三十話「ライチ」
「さてお客様、時間遡行を行う前に一つ、決めておいてもらいたい事がございます」
「決めてもらいたいこと? それはなんだね?」
「過去に向かっている間の時間でございます。向こうの世界にどれくらいの期間滞在されるのかを決めていただきたいのです」
「そうか、一応時間制限があるのか。それで、どれくらいまでいられるんだ? 二、三ヶ月くらいか?」
「滞在時間につきましては、こちらで用意した日数の中から一つ選んでいただく形になっております。一番短くて日帰りコース。一番長くて半年コースとなっております」
「二ヶ月、いや一ヶ月だけというのは出来ないのか?」
「それは大丈夫です。ちゃんと一ヶ月コースもございますよ。二ヶ月でも可能です」
「いや、一ヶ月でいい。あまり家内を待たせたくないからね」
「かしこまりました。それでは滞在期間はあ一ヶ月ということで。その方をこちらで調整しておきますので、暫くお待ちください。ああご心配なく。お時間はかかりませんから。ほんの少しだけお待ちください」
「そうか。では頼むよ」
「はい。お客様も、よい時間旅行を」
「そんな簡単に時間旅行が?」
「すごい……」
老人からの話を聞いて、ライチとカリンは揃って驚嘆の声を上げた。一方でかつて自分のいた時代の話をした老人は、先方があまりにも驚いているのを見て若干戸惑っていた。
老人の話を要約するとこのような感じである。
まず彼のいた時代の人類は、地球や火星はおろか太陽系全域にまで活動の範囲を広げており、ゆくゆくは地球の属している銀河系外への進出も視野に入れていた。そんな人類の宇宙進出を支えているのがそれより数十年前に開発された宇宙船用超長距離ワープ航法と、人類が宇宙服無しでの宇宙空間での活動を可能にしたサイボーグ技術である。ちなみに件のサイボーグ技術は、デミノイド改造の技術を強化発展させた物である。
「それで、地球はどうなってるんですか?」
「私のいた頃の地球には人は住んでないよ」
「えっ?」
老人のいた時代には、地球緑化計画は既に無くなっていた。計画の廃止が決定されたのは老人のやってきた時間から更に数十年も前の年の出来事事である。
「地球に住んでいた人達は全員宇宙に飛ばされたよ。人間もアンドロイドもAIも、全部ね」
「それじゃ、その飛ばされた人達はどこに?」
「それぞれ別々の星に送られたよ。惑星開拓者としてね。あの頃はワープ装置も量産体制が整っていて、まさに宇宙開拓時代だったからなあ」
これは先に述べたワープ航法が完成してからほんの一年後の事であると老人は付け加えた。
「じゃあその、ワープ航法が完成したのがそもそもの原因なんですか? 外宇宙に進出するから、地球には構ってられなくなったから?」
「それもある。その時の政府や企業には宇宙開拓と地球緑化の両方を並行して行うだけの資金も体力も残ってなかったんだよ。その時の火星の社会は、かつて大昔に受けた大打撃から未だ立ち直れずにいたからね。しかしそれだけが理由ではない」
「他にも理由が?」
「ああそうだ。たとえば、地球信奉者達とか」
いきなり地球信奉者の言葉が出てきてライチとカリン軽く驚く。そんな二人に老人が続けた。
「その頃の社会では、地球信奉者達が発言力を増してたんだよ。昔起きた出来事が原因でね。それで、そんな信奉者の中の一人がこう言ったんだよ。地球の再生を行うのに人の手はいらない。地球の自然再生に任せるべきである。と」
「で、それを鵜呑みにした?」
「せざるを得なかったんだ。前にも言ったけど、昔あったある出来事のせいで、政府や企業ののお偉方は誰も信奉者に指図出来なかったんだよ」
「それ、ちょっと問題あるんじゃない? 宗教家が政治に意見できるってまずいんじゃ?」
カリンが学校で習った知識を活かして老人に尋ねる。しかし老人は苦笑して首を横に振りながらそれに答えた。
「いやあ、悪いけどそういう難しい話にはついていけないんだよ。私学校行ってないから」
「え? でもあなたハイヤーなんですよね?」
「根っからのハイヤーじゃないよ。途中からハイヤーになったんだ。だから学校にも行ってないんだよ。もっとも私がハイヤーになった時には火星の状況も変わってて、誰でも学校に行けるようになってたけどね。私はもうそんな年じゃなかったから」
「途中から・・って、火星そんなに変わってるんですか?」
カリンの言葉に老人が頷いて答える。
「ああ。ここよりずっとね。階級社会が無くなって、全員が平等に暮らせるようになっているよ」
「そうなんですか・・」
「まあ正しく言えば、それまでの火星の社会システムが完全に崩壊して、火星人全員で取り組まないと生活そのものが成り立たなくなっていたからね。上だ下だと喚いていられる余裕は無かったんだよ」
「まさか、あなたはその建て直しのために?」
「そうだよ。正確に言うと、これを聞いた私の嫁がどうしても火星に戻りたいと言ったから、私もそれに付き合う事にしたんだよ」
老人が続けて放った言葉に、ライチもカリンもしきりに頷きながら聞き入っていた。そんな時、不意に老人の端末から着信音が鳴り響いた。
「おっと、失礼」
二人に断りを入れて老人が端末を取り出し、いくらか操作を行って送られてきた情報に目を通す。
「……」
液晶に目を通していく内に、老人の顔に落胆の色が見え始める。そして不思議そうにその姿を見つめる二人に向けて、老人が申し訳なさそうに言った。
「すまない。悪いけど、私は、もう行かないと」
「元の時代に?」
「ああ。本当はもっと話したい事があるんだが、残念だけどここまでだ」
本当に残念そうに呟いてから端末をしまって老人が呟く。そんな老人に向けてライチが言った。
「あ、あの。最後に一つだけ、いいですか?」
「うん? なんだね?」
「はい。その、名前を教えてほしいんですけど」
「ああ」
そう言えば、まだ自分から名乗った事は一度も無かった。そんな事を今更ながらに思いだし苦笑した後で、二人に向き直って老人が言った。
「ライチだ」
「えっ」
「ライチ・ライフィールド。今年で八十四になる」
「は?」
二人の表情が一気に凍り付く。年老いたライチが悪戯っ子のように笑いながら若いライチを見据えていった。
「頑張れよ。「ライチ君」?」
「え、ちょ、それ、えっ?」
突然の事に混乱するライチを尻目に、一人満足そうに高笑いをあげながら『ライチ』が彼らに背を向けて出入り口へと歩き出す。
「……」
衝撃のあまり、足が地面とくっついて離れなかった。若きライチとその花嫁は、そんなライチの後ろ姿をただ黙って見送ることしか出来なかった。




