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第百二十九話「スーパーノイズ」

 それから、どれくらい経っただろうか。そんな事を考えながら、カリンは自分の両膝を抱く腕に力を込めた。自分の周りに時計が見えず、また周囲の喧噪も前と変わらずやかましいままだったので、時間の流れる感覚が麻痺してきていた。

 正直言って、ただ待つのは苦痛となっていた。精神的にもそうだし、肉体的にもそうだった。かといって他にする事も無く、それに後からこちらに来る予定の人を待っている事もあったので、結局はここでじっとしているより他になかった。


「ここの連中も諦めが悪いな」


 隣に座っていた老人が呆れたように声を出した。言うまでもなく、二人の前で押し合いへし合いしている火星人達の事を指しての発言である。そして不思議そうな表情を浮かべて自分の方へ顔を向けるカリンの視線に気づいたのか、老人が一度咳払いをしてから言った。


「さっき小耳に挟んだんだが、どうやらシャトルが乗客用の出入り口をロックしたまま開けていないらしい」

「どうして?」

「シャトルの出入り口が閉ざされたままだからだそうだ。こちらからロック解除の信号を送っても、うんともすんとも言わんらしい

「へえ……」


 老人の言葉にカリンが相槌を打つ。そしてそれからすぐにカリンが老人に向けて言った。


「どこでそんな話を?」

「さっきそこにいた男と女が、そんな内容の事を話していたのを聞いたんだ。二人ともここの制服を着ていたから、多分ここの職員だろうな」

「でもここのスタッフって、全員仕事放棄してたんじゃ?」

「職務に忠実な奴も何人かいるだろうよ。みんながみんな腐っている訳ではない。根っこは変わっていなかったが、私のいた火星もそうだった」


 感慨深げに老人が言葉を漏らす。


「そう考えてみれば、あそこに帰ってきたのもそんなに悪い事では無かったかもしれんな」

「どういう意味?」


 その台詞を耳聡く聞きつけたカリンが老人に問いかける。老人はカリンの方を向き、苦笑しながらそれに答えた。


「いやなに、少しの間火星から離れて、ちょっと遠い所で生活していた事があってね。火星に帰ってきたのはほんの数年前なんだよ」

「遠いところ? 月とか?」

「月か。ははは。まあそんな所だね」


 老人が小さく笑いながらカリンの問いかけに答える。カリンにはそれが何かを誤魔化しているような笑みにも見えたが、追求するのも面倒くさいのでそれには触れないことにした。


「まあ、なんでもいいけど」

「そうか。まあこちらとしてもあまり問いつめてくれない方が助かるんだがね」

「まあ、そうならそうでいいけど」


 そういえば、まだ名前も聞いてなかったっけ。カリンが今更のように思い出したその時、宇宙港の正面ロビーの方向から一つの影がこちらに向かって走ってきた。それは閉ざされていてなおシャトルへの搭乗を目指すその他大勢の人間からしてみればまったく気にする事のなかった存在だったが、件の二人、特にカリンにとっては決して忘れる事の出来ない存在であった。


「いた!」


 その影が声を上げながらこちらに近づいてくる。そしてそんな影の姿を認めたカリンと老人は、揃って喜びの声を上げた。


「ライチ!」

「やはり来たか!」


 そしてそう声を出しながら、二人は急いでライチの元へと駆け寄っていく。一方で先に逃がした二人と合流したライチはその顔に濃い疲れの色を見せていたが、同時にカリン達と無事に再会できた喜びを満面に表してもいた。


「よかった。ちゃんと生きてたんだね」

「それはこっちの台詞よ。バカ!」


 喜色満面の表情で言ったライチに対してそう恨めしい調子で返しながら、カリンがその胸板に顔を押しつけるように体を密着させてくる。そして突然の事に赤面し体を硬直させるライチに、畳みかけるようにカリンが言葉を放った。


「バカ! 勝手にあんな事決めて! こっちがどれだけ心配したと思ってるのよ!」

「ご、ごめん」

「心配したんだから! 本当に心配したんだからね!」

「う、うん。これからは気をつけるよ」

「バカ!」


 カリンの追求を受けてライチが困惑気味に答える。しかしカリンはその謝罪の言葉を聞いた後も彼の行動を許さないかのように、ライチの胸を小さく何度も叩きながら「バカ、バカ」と繰り返し言葉として漏らした。しかし、やがてその恨み言はいつしか嗚咽へと代わり、ついには彼の胸に顔を埋め、恨み辛みも忘れて子供のように泣きじゃくった。


「良かった、良かったよう……」

「カリン?」

「いきてた、いきててよかった……!」

「……」


 カリンの言葉を聞いたライチが、黙ってその小さな体を抱きしめる。


「ごめん。心配かけさせて」

「うう、うう」

「本当にごめん」

「うううう……!」


 自分が囮を務めたから全員無事に合流できた、などと自惚れる余裕は、今のライチには無かった。今の彼は自分のせいで恋人を泣かせてしまった事だけを悔やんでおり、彼女が泣きやむのならどんな事でもしようと本気で考えていた。

 ライチは将来、尻に敷かれるタイプだった。


「ところで、君の所はあの後何があったのかね? 何事もなく無事に済んだのかね?」


 そんな二人に老人が話しかける。カリンから体を離してからライチがそれに答える。


「は、はい。一応敵は倒してきました」

「そうか。ではもうあれに追われることも無くなったのか」

「ええ。でもまあ、他にもいろいろあったんですけど……」

「他に? 何があったの?」


 言葉を濁すライチにカリンが尋ねる。それを受けたライチが言った。


「いやちょっと、地球信奉者とかいう人達と鉢合わせしちゃって」

「チキュウシンポウ? 誰それ」

「狂信者だよ。地球のことを神のように崇めている連中だ」


 ライチに代わってうんざりしたような声で老人が答える。カリンはその彼の言葉と口調からそれらがどのような性質の存在なのかを察し、そしてすぐにライチに向き直って彼に言った。


「大丈夫だったの? 何か変な事されたりしなかった?」

「ああ、うん。それは大丈夫。僕が地球から来たって言ったら、すぐに通してくれた」

「それ向こうは言われただけで信じたの?」

「何個か質問はされたけどね。日本の一番南にある県の名前を答えてみろとか、アメリカ大陸にある州の名前をを言ってみろとか」

「ケン? シュウ?」

「一つの国を構成している地域の事だよ。それらが複数集まって出来た物を国と言うんだ」


 首を傾げるカリンに老人が答える。この時代、かつての地球人にとって一般的だった知識は、火星人達にとっては銀河系の果てにある物のように縁遠い物となっていた。もはや地球の歴史や文化を専門に研究している学者か好き者でもない限り、それを知る者はいない有様であったのだ。


「私は地球に興味を持っていたからね。色々と独学で学んだんだよ」

「へえ」


 そして自分の言葉を自分でフォローするように老人が付け足し、カリンが納得したように頷く。ライチもライチで老人の趣味を改めて思い出し、確認の意味も込めて首を縦に振った。

 老人の持っていた携帯端末が音を立てて鳴り始めたのはまさにその時だった。


「どうやら、三人無事に合流できたようだな」

「なんでこっちの電話番号知ってるんだ……?」


 軽く戦慄する老人を尻目に、その老人の端末からアラカワの声が続けて響いた。


「さて、後は脱出するだけだ。火星もいい具合に混乱してきている。どさくさに紛れて逃げるにはちょうどいいタイミングだろう」

「でも、今宇宙港にいるんですけど、こことてもじゃないけどシャトルに乗れるような状況じゃありませんよ?」


 ライチがそう言いながら周辺を見渡す。シャトルを目指す人の群れは以前よりも増えていた。当然混乱の度合いも増していた。


「どこ行けばいいんですか? これからどうすればいいんですか?」

「いや、君達はそこで待機していてくれ。後は私がやる」

「やるって、どうするの?」


 カリンがアラカワに問いかける。迷いのない声でアラカワが答える。


「今から少しの間、耳を塞いでいてもらえるかな?」

「耳を?」

「ああ。でも大丈夫、すぐ終わるから」

「?」


 アラカワの言葉の真意が掴めず、三人が揃って首を傾げる。しかし他に出来ることも無いので、結局三人は彼の言うことに従うことにした。端末を床に置いて自分達もそれを囲むようにして腰を下ろし、両手を使って耳をしっかりと塞ぐ。


「アラカワとか言ったか? こっちは準備できたぞ」


 そして全員が耳を塞いだのを見て、老人がアラカワに告げる。端末からアラカワの声が返ってくる。


「よし。では今から一度通信を切る。全部終わった後で私の方から再度そちらに通信を送るから、それを受信したら耳を塞ぐのをやめてくれて構わないぞ」


 アラカワがそう言った直後、端末からの通信が途絶える。そして次の瞬間、彼らの周りで猿のように両手を振り上げながら喚き立てていた火星人連中がいきなり口を開けたまま声を発するのを止め、次いで石像のように体の動きも止め、最後に糸が切れた人形のように次々とその場に倒れていった。


「……!」


 その光景を見ていたライチが息をのむ。一瞬の出来事だった。何が起きたのかもわからなかった。気がつけばそこで意識を保っていたのは耳を塞いでいた三人だけだった。

 死屍累々。惨憺たる有様だった。


「よし、終わった。皆耳を塞がなくてもいいぞ」


 完全な静寂が訪れた中で端末に通信が入り、アラカワの声が聞こえてくる。言われた通りに耳から手を離した三人は、それまでとは打って変わって静まりかえった辺りの様子を見て背筋に寒気が走るのを覚えた。

 ここはこんなに穏やかな場所だったのだろうか? それは恐怖にもにた違和感だった。


「……何をしたんだ?」


 三人が真っ先に頭に思い浮かべた疑問を老人が口にする。アラカワが何でもないことのようにそれに答える。


「超音波で脳を揺さぶったんだよ」

「揺さぶる?」

「人の耳では聞き取ることの出来ない音の波だよ。そこらへんにスピーカーがあるだろ? それを統括する音響システムを乗っ取って、そこからさっき言った超音波を流して連中の意識を奪った。言っておくけど死んでないよ」

「随分強引な事するんですね」

「こうでもしないと連中は黙らないだろう?」


 決めつけるように言ったアラカワに対して、三人は乾いた笑い声を返すしかなかった。実際その通りだったからだ。


「さあ、これで道は出来た。あとはシャトルに乗って脱出するだけだ」

「でも、僕たちシャトル操縦できませんよ?」

「それも心配ない。私の方で遠隔操縦する。シャトルの出入口を封鎖していたのも私だからね」

「もうなんでもありね」


 カリンが苦笑混じりに言葉を放ち、ライチもそれに苦笑で答える。そんな二人にアラカワが言った。


「さあ乗るんだ。脱出のチャンスは今を置いて他に無いぞ」


 それは当然だ。表情を引き締めた二人がシャトルへ向けて通路を走り出す。しかしいざ走ろうとしたところで、ライチが老人の方を向いて言った。


「あなたはどうするんですか?」

「私か? 私はここに残るよ」

「え?」


 意外な返答を聞いてカリンが呆気にとられたような声を出す。


「地球好きなんでしょ? だったら私達と一緒に」

「それはもちろん、地球は好きだよ。でもそうも言ってられないんだよ。約束があるからね」

「約束?」


 ライチがオウム返しに答える。一度ゆっくり頷いてから老人が言った。


「ああ。約束だ。せっかくだからその約束の事も含めて、私の事でちょっと君達に話しておきたい事があるんだが、時間は大丈夫かな?」


 突然の申し出に戸惑う二人だったが、結局は二人ともそれを頷いて同意した。アラカワもそれを黙認した。


「そうか。済まないな。さて、では何から話そうか……」


 物音一つしなくなった室内で、老人の間延びした声が響く。そして暫くの沈黙の後、再び老人が口を開いた。


「最初に言っておくと、私はこの時代の人間ではない。未来からやってきたのだ」

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