第百二十八話「ヘッドハント」
自分が囮になって敵の注意を引きつけるから、その隙に逃げてほしい。そうライチから告げられた時、カリンはすぐさま声を荒げてそれに反対した。
「ダメよ! ダメよそんなの!」
「か、カリン、声小さくして」
ライチにそう指摘されて、カリンがバツの悪そうな表情のまま押し黙る。この時彼らは裏返しになった車の下に隠れており、そしてそのすぐ側にはジェイクの乗るジャケットの足が見えた。下手に騒ぐ事も長く議論している余裕も無かった。
「とにかく、これが今確実にこの状況をやり過ごせる一番の方法なんだよ。誰かがあれの注意を逸らさせないと、安全に逃げることは出来ない」
「それはわかるが、その後で君はどうやって逃げる気だね。それにそもそも、あれをどうやって引きつけるつもりだ?」
老人の問いかけにライチが答える。
「ここにまだ使われてないジャケットが残ってたから、それを動かして注意を逸らすつもりです」
「で、その後は?」
「なんとかして逃げます」
「危険すぎるわ」
カリンが非難の声を上げる。だがライチの心はもう決まっていた。
「危険なのはわかってるけど、これが一番確実でもあるんだ。僕はやらせてもらうよ」
「ライチ!」
カリンがそう叫んだ時には、既にライチは車の影から這いだしていた。そしてそれと同時にカリンも老人に首根っこを捕まれた格好で、ライチと反対方向に引きずられていっていた。
カリンも今自分達に出来る最善の策がこれであるという事はわかっていた。しかし理屈と感情は別である。
「ちょっと! 離してよ! 一人で歩けるって!」
「ダメだ! ここで離したら、どうせライチの所に戻るだろうが!」
「当たり前でしょ! 下手したらライチ死ぬのよ! そんなの嫌なの!」
結局そうごねるカリンを老人が解放したのは二人が倉庫から脱出した直後の事であり、そしてその倉庫から重い物が崩れ落ちていく音が聞こえてきたのもそれとほぼ同時の事だった。
二人のもとにアラカワから次の目的地の指示が来たのもまた、まさにその時であった。
そしてそれから十分ほどの時間をかけて、今カリン達は一番近い所にある宇宙港の一つの中にいた。そこはシャトルで脱出しようと考えている人達でごった返しており、シャトルに乗り込むことはおろか道を進む事すらままならなかった。
その人波の中には本来シャトル搭乗の際の荷物点検やチケット確認をするべきスタッフ達も混じっており、そしてそれによって空になったスタッフカウンターの存在が、この施設がもうまともに機能していないのだと言うことをカリン達に言外に示していた。
「なんだこれは。これではシャトルに乗れんではないか。それにしても統制の取れん連中だな」
「……」
人の波から外れるようにして隅に腰を落ち着けつつその惨状を目の当たりにして、老人が呆れたように呟く。しかしその一方で、カリンはここに来るまでと同じように目を据わらせて、ふてくされた表情を浮かべてそっぽを向いていた。
その様子に気づいた老人が視線を彼女の方に移して言った。
「なんだ、まだあの時の事を根に持ってるのか」
「……」
カリンは答えない。目を合わせようともしない。顔色はぴくりとも変わらず、周りの喧噪も耳に入っていないようだった。そんなカリンに老人が言葉を続ける。
「大丈夫だ。彼は、ライチはあのくらいでやられたりはしない。ちゃんと生き残ってこっちに来る」
「……」
「そう信じてこちらも待とう。それが今我々に出来る最善の事だ」
カリンをなだめるように老人が告げるが、それでもカリンの表情と顔色は快方に向かうことは無かった。彼らの周囲ではなおも大勢の人がシャトルの座席を目指して我先に前へ進もうとあがいており、そこかしこで巻き起こる怒号や喧噪も日増しに大きくなっていっていた。その音の嵐の中で、かつその雑音に圧し負けないくらいしっかりした声で老人が言った。
「ライチはそもそも、私達を無事に逃がすためにあそこで囮役を買って出たんだ。だから今ここで私達があそこに戻ったら、そんなライチの気持ちを無駄にする事になる」
「それは」
「だから動いてはいかん。ここで彼の到着を待つのだ。いいね?」
老人がカリンに告げる。そしてカリンはこの時になってようやく老人の方へ顔を向け、なおも釈然としない表情を浮かべながらも、その老人の言葉に頷いて答えた。
「この後どうすればいいの?」
「向こうからの連絡を待つしかないだろうな。こちらからは動きようがない」
「それまでずっとここにいるのかしら」
「そうなるな」
老人の返答にカリンがため息を返す。
「まあ、仕方ないか。ライチが来ないと話にならないし」
「そうだな。彼が戻ってきてから後のことを考えるとしよう」
老人がそう答えた後でその場に座り込み、カリンもその隣に腰を下ろす。それから二人は目の前で起きている喧噪をまるで別世界で起きている事のように眺めながら、ライチの帰還を待ち続けた。
同じ頃、ライチは死を覚悟していた。
彼の機体は両手を後ろに置いて上半身を支え足を前に投げ出した状態で、かつて高層ビルの壁面を構成していた巨大なコンクリート片の上に座り込んでおり、その両足の膝の関節部分からは鼠色の煙が真上に向かって噴きだしていた。ダメージモニターの中に描かれた機体図は足以外の全てが黄色く、そして両足が赤を通り越して真っ黒に染まっていた。
脚部稼働不可能。ライチの機体はこれまでずっと走りっぱなしだった。そのツケが回ってきたのだ。
「ライチ、聞こえているなら返事をしてほしい。今カリンと連れの老人は無事に宇宙港に到着した。君も急いでそこに向かってくれ。こちらで
そこから目的地までの最短ルートを表示する。頼んだぞ」
スピーカーから一定間隔でアラカワの声が聞こえてくるが、ライチはそれを呆然とした心持ちで聞いていた。動きたくても動けない。ジャケットから降りれば徒歩で行けるだろうが、それは自分の目の前で浮いているあれが許してはくれそうになかった。
そう思う傍ら、彼の両目はメインモニターに映る機体の姿とそのモニターの隅に表示されていたレーダーの間を交互に行き来していた。しかしこれは余裕の現れではない。何か別の事に集中して気を紛らわせないと、気が狂いそうになって仕方なかったのだ。
「ふん。いいざまだな」
そんな風に葛藤するパイロットを中に収めて尻餅をつくように座り込んだ機体を見下ろしながら、腕を組んだジェイク機が勝ち誇ったように言葉を放つ。この時の両者の周囲にはビルと呼べるような建物は存在しておらず、その代わりに至る所に大小様々な大きさの瓦礫の山が築かれていた。更にその瓦礫の一部は山から滑り落ちて歩道や車道をも完全に覆い隠しており、かつてその地にあった文明の光はもはやどこにも見られなかった。
「ちょっと前はここも凄い良い所だったのに、今じゃこんな有様だ」
これらは全てジェイクがもぎ取って投げ放った物が地面に激突して自壊した、あるいは投げたそれが元から建っていたビルと激突して互いに崩落した事によって生み出された物達であった。そしてこんな有様のために彼ら二機の姿を妨げる物は存在せず、遠目からでも彼らをハッキリと視認する事が出来た。
「まったく、随分とてこずらせてくれたな。お前のせいでここもすっかり廃墟となってしまった」
そんな瓦礫の地の中で、傲岸不遜な態度を少しも崩さずにジェイクが言い放つ。かつてあった摩天楼がこのような有様になったのは、元はといえばジェイクが高層ビルを片っ端から引っこ抜いてはロクに狙いも付けずに手当たり次第に投げまくっていたからなのだが、ジェイクもライチもその事に関しては何も突っ込もうとはしなかった。
ジェイクは自分が原因であるとは露ほども思っておらず、むしろ自分の攻撃を避け続けたライチの方が悪いとさえ思っている節があった。ライチの方はただ単に減らず口を叩けるだけの余裕が無かった。
「そうだ。冥土の土産にいいことを教えてやろう」
そんな中で、元から自分の脇で浮かせていたビルの一つを手も使わずに頭上に浮かばせながら、ジェイクが余裕綽々といった体で話し始める。
「俺の機体のこの能力。この機体に搭載されている力の事だ」
「……なんで? どうして急に?」
ジェイクの言葉にライチが答える。この時のライチの意識は目の前の敵機ではなくレーダーに向けられていたのだが、そんな事など露知らずにジェイクが得意げに話し始めた。
「だから言っただろう。冥土の土産だ。お前も本当は俺の機体の能力が知りたいんじゃないのか? こんな見たことも聞いたこともない凄い能力、本当は知りたいと思ってるんじゃないのか?」
ああ、自慢したいのか。レーダー上で明滅しながらこちらに接近してくる光点の群れに注意を向けながら、ライチは相手の押しつけがましい言葉を聞いてそう思った。
ジェイクは最初、あの機体を自分で作ったと言った。だから自分で作った物を誰かに見せびらかしたくてたまらなかったのだろう。その気持ちはわからなくはない。だからといってこんな状況でやってもらわれても困るしかないのだが。
「どうせこの後お前は死ぬんだ。だから最後に、この機体の力を教えて遣ろうと思ってな。いいか、一度しか言わないからよく聞けよ」
ジェイク機が右手を前に突き出して人差し指をまっすぐこちらに向ける。
その直後、ライチ機のコクピット内で警報音が鳴り響いた。
「こいつの機体に積まれているのは、ずばり脳波増幅装置。搭乗者の脳を刺激し、その脳の中に隠されている秘密の能力を解放させる装置なんだよ。俺がアイデアを出したんだぜ! 俺が!」
こちらに接近してくる四つの光点の内の一つが、こちらに向けて何かを撃ち出してきたのだった。レーダー上では光点の群れはジェイク機の真後ろから迫ってきており、それらの内の一つが放った何かは青い点となって、こちらに高速で迫ってきていた。これもまたジェイク機との衝突コースを取っていた。
奴は気づいてないのか?
きっと気づいてないのだろう。ジャケットに乗り始めたばかりのズブの初心者は、モニターに映る物体ばかりに気を取られてレーダーにまで注意を向けないものだ。
昔の自分がそうだった。そしてよく怒られた。怒られた分、今ではしっかり注意を向けられるようになっている。
「脳の中のいったい何が解放されると思う? 何が出来ると思う? それはつまり、超能力だよ!
」
奴に注意してくれるようなのはいなかったのか? いや、いたらあんな性格にはなっていなかっただろう。だからある意味では、あれも結構可哀想な奴なのもしれない。
ライチがそう考えていたその時、レーダーに映る青い点がジェイク機と重なった。
「脳波を増幅させて、超能力を使えるようにしたんだよ! サイコキネシスだ! 脳波を飛ばすだけで物体を浮かばせたり、槍投げのように飛ばしたりも」
ジェイクがそこまで言った次の瞬間、彼の機体の首が斜め上にすっ飛んだ。
まるでシャンパンの栓を開けるように、それはもう気持ちいいくらいスッパリ刎ね飛んだ。
「……え?」
突然の出来事にライチが言葉を失う。そんな彼の眼前で、全身から輝きを失った機体がまっすぐ瓦礫だらけの地上に落下する。
その後を追うようにして頭上に浮かばせていたビルも落下し、墜落の衝撃で崩壊していくと共にジェイクの機体を真上から押し潰す。激突の衝撃で引きちぎれた右腕が、乾いた音を立てながらライチ機の足下に転がってくる。
その惨状を前に、ライチは首が飛ぶ少し前、何かが回転するような軽く鋭い音が聞こえたことを思い出した。
「生存者がいるぞ」
「こいつは誰だ。敵か?」
しかし思い出すと同時に、動けない彼を囲むように新たに四機のジャケットが姿を現した。そのどれもが、今ライチが乗っているのと同じ色で塗装されていた。
「まさか、こいつが同士をやったのか?」
「しかし、見る限り虫の息だぞ。それに我々が奪ったのと同じ機体を使っている」
「相互通信をせず単独で動いていたとでも言うのか?」
外の会話がスピーカーを通してライチの耳に入る。その剣呑な雰囲気の会話を聞きながら、ライチは再び死を覚悟した。




