第百二十六話「終わりに向けて」
周回軌道上を回る衛星を根こそぎ叩き落とした事は、それはつまり衛星を用いた星間通信が使用不能になるという事である。地球に残っていたオートミール一行は星間通信を行う際にそれらの人工衛星を利用していなかったので特に問題は無かった。そもそも彼らはアラカワが南極入りした際に持ち込んできた時空湾曲光量子通信とかいうなんだか良くわからない技術を使っているので、特にそれらに頼る必要も無かったのである。
だが南極に連れてこられた学園の生徒達は別であった。
「そんな……」
電磁パルスによって人工衛星が落とされてから五時間後に返却された通信機を会議室の一角に全員集まってから早速使ってみた彼らは、そのうんともすんとも言わない有様を前に一様に顔面蒼白となった。それはこれが火星とこの星を繋ぐ唯一の手段であり、火星との繋がりこそが彼らの心の平穏をもたらす要素であったのだ。
ちなみに彼らは最初から地球に心を許したわけでは無かった。火星の位高きハイヤーが地球とか言う田舎の惑星に感情移入する事などありえなかった。それは生徒も教師も同じである。
それが彼らに対してなんの反応も返さない。ノイズすら聞こえてこない。完全な無音。そんな反応を前にした時、彼らはまさに生身で暗黒の宇宙に放り出されたような気分になった。
「どうして、どうして反応しないんだ」
「まさか、火星の方で何かあったんじゃ……」
「そんな! いったい何が起きたっていうの?」
この時、火星で何が起きたのかについて彼らに説明した者は一人もいなかった。それというのもこの連中の自分勝手な振る舞いによって散々迷惑を被ってきたがためであり、よって自ら進んで関わりを持とうとする者は皆無だったのだ。
なお彼らに無線機を返却したのはモロコであった。ただし彼女はこれまでの火星人達の行動もそれによってカサブランカ一行が被ってきた被害も、そして現在火星で何が起きているのかも全て把握した上で、敢えて彼らに無線機を返却したのだ。火星の現状や自分達が地球を回る人工衛星をごっそり叩き落とした事は一言も伝えずに。
「フン、中々苦しんでいるようダナ。いい気味ダ。ざまあ見ロ」
意気投合した仲間を苦しめてきた相手に対する仕返しのつもりなのだろうが、返した後でセキュリティルームに向かい、部屋ごとに設置された監視カメラを使ってその様を観察しながらそう呟いたモロコは案外いい性格をしていた。ちなみに
今この部屋には彼女以外に人の気配は無かった。
「ま、これくらいはお灸を据えてやっても罰はあたらんだろうナ。奴らはそれだけの事をしたノダ」
椅子の背もたれに深く身を預けながら、モロコが満足げに呟く。しかしこれ以降、モロコの耳に彼らの会話が届くことは無かった。通信機を囲んだ彼らが途端に顔を寄せ合って小声で話し始めたからであり、モロコもカメラ越しにその様子に気づいたのだが、その肝心の内容までは聞き取ることが出来なかった。
「エエイ、いったい何を話しているノダ。やはりカメラとマイクもしっかり直しておくべきだったカ」
今更言っても仕方ないと思いつつ、モロコが苦々しげにセキュリティ関連の不備を愚痴る。そして彼女がこの時の火星人達が何について話し合っていたのかを知るのは、それからわずか二時間後の事だった。
まるで柔らかく解れた土の上に刺さった杭を引っこ抜くかのような気軽さで周囲に群がるビルを根本からもぎ取り、いったん空中で固定し地面と水平になるよう調整してから槍を投げるような感覚で勢いよく腕を振り目標へと投げつける。
そうして周辺を更地にしつつジェイク機が投げ放った鉄骨とコンクリートの構成物を紙一重で避けながら、ライチは今の状況をどうやって打破すべきか必死に頭を巡らせていた。ちなみに彼がここに来たときにその前方に見えていた三機目のジャケットは、当人がアクションを起こすよりも前にジェイク機の投擲したビルが直撃し、そのまま豆腐をブーツで踏みつぶすかのようにあっけなく押し潰された。
その瞬間を間近で目撃していたのもあって、ライチの心中には迫ってくるビルに対して必要以上に恐怖を感じていた。いや、そもそもそれは傍目から見ても一発もらっただけで死亡確定な攻撃である。恐怖して当然のものだった。
「ふはははは! 逃げろ逃げろ!」
そんなライチの心境を知ってか知らずか、ジェイクが今まで以上に挑発的な態度でライチに舌戦を仕掛ける。だが当のライチにそれに応えるだけの余裕はなかった。
「うわっ! うわっ!」
幸いにもこれより前にジェイクが周辺に林立するビルを根こそぎ引っこ抜いて自機の周囲に浮かせたり地面にぶつけたりしていたので、ライチの機体が動き回って飛んでくるビルを避けるだけのスペースは十分確保されていた。今もあれの周囲には何十ものビルが様々な角度で傾きながらゆっくりしたスピードで周回しており、時折前に回ってきたビルの陰に隠れて機体の姿が見えなくなった。
しかしだからといって、それが根本的な解決になる訳ではない。相手の攻撃を避ける余地が十分に生まれて、せいぜい寿命が延びただけである。
「くそ、やりたい放題やって!」
早くなんとかしなければならない。でなければ負ける。
だが何が出来る? 必死に頭を巡らせるが、それと同時に死にもの狂いで回避機動を取り続けていたのが仇となって、名案を生み出せるだけの余裕はそこには無かった。
「でも、このまま逃げ回ってるだけじゃ……!」
考えるのに集中しすぎて動きが鈍り、そのすぐ眼前にまるで杭を打ち付けるようにビルが先端から突き刺さる。その衝撃で機体が大きく後ろに吹き飛ばされ、受け身もとれずに背中から地面に激突する。その衝撃はコクピットにも伝播し、後ろから突き飛ばされ前面をベルトに締め付けられるような格好となってシートから浮き上がったライチは、一瞬自分の息が止まるのをはっきりと認識した。
「が……っ」
やるんじゃなかった。飛びかかる意識を必死に繋ぎ止めながら後悔したが遅かった。そしてなんとか上体を起こしたライチ機の前で、ジェイクは次に撃ち出すビルを既に空中で固定し、その矛先をこちらに向けていた。
「逃げられると思うか」
「くそ」
勝ち誇ったジェイクの言葉がライチの耳に響く。その間にライチは自機をなんとか立ち上がらせる事に成功したが、メインモニター横にあるダメージ観測モニターに映された自機の線図の両足は黄色に染まっていた。完全に壊れた訳ではないが、これ以上無理をすればいずれ終わる。危険信号だった。
「食らえ!」
だがジェイクは容赦しなかった。飛んでくるビルを真横に全力で走って避ける。背後から建物の崩落するやかましい音が響くが、無視して走り続ける。
案の定、最初に建物の潰れる音が響いた直後、立て続けにそれと同じ音が背後から、しかもすぐ後ろから聞こえてきた。走っていなかったらミンチになっていただろう。せめて武器があれば反撃も出来ただろうが、そんな物どこにもない。
「でもまだ! まだ走れる!」
挫けそうになる心を必死に奮い立たせつつ、ライチが走り続ける。次々撃ち出されていくにつれてジェイクの周りを周回するビルの数は減っていったが、持ち弾が減っていくと同時に周囲にまだ残っていたビル群の中から適当な物を選んで引っこ抜き、手持ちの弾に加えていく。やがて前方と左右にあるビルの殆どをもぎ取り尽くすが、すると今度は背後に残っていたビルまでももぎ取っていく。やりたい放題である。
「はははは! そうだ、逃げろ逃げろ!」
ジェイクはもはや有頂天だった。憎い相手が自分の攻撃で無様に逃げ回る。そして自分はそれを見下ろす。これが面白くなくてなんと言うのか。
「いい様だなあ! ええ!?」
「ひいっ、ひいっ」
しかし当のライチは逃げるので精一杯だった。相手の問答に付き合う暇はない。ダメージモニターに映る両足の色が黄色から赤に変わっていたが、それさえも気にしている余裕は無かった。
気を抜いたら死ぬ。さっきも死にかけた。
「くそ! くそ! くそ!」
ライチはただ悪態をつきながら、ひたすら逃げに徹するしか無かった。何らかの打開策を見つけるよりも前に死んでしまっては意味がない。
「何か、何か手を考えないと!」
背後からは次々と空気を切り裂く音とそれに続いてビルの倒壊するけたたましい音が轟き、そこから生じる空気圧や瓦礫の破片が機体の背中にぶつかり全身を小刻みに揺さぶっていく。その振動を感じる度にライチは自分の心臓を死神に鷲掴みにされたような気分になって、全身の毛穴から嫌な汗をどっと吹き出した。今すぐにでも降参したい気分だった。
いや、もうあきらめたい。いっそのこと楽になりたい。ライチの心の中では、そのような後ろめたい考えがむくむくと膨れ上がっていっていた。だがこれはある意味では正常な心の動きでもある。警察でもアスリートでも軍人でもない、人並みはずれた根性を要求するような環境に身を置いている訳もない平凡な人間が、いきなり飢えた肉食獣に何十分も追いかけ回されて正気を保っていられる可能性などゼロに等しい。途中で食われなかっただけ万々歳である。
「あ」
正面モニター左上隅に表示されていたレーダーが「それ」を捉えたのは、そんなライチの精神が参りかけたまさにその瞬間だった。索敵範囲を広げていたレーダーの左下、赤く光る複数の光点。それらはまっすぐに、こちらを目指して飛んできている。ライチの目は偶然それを視界に収め、そのままするりとその情報を脳に送った。
「まさか」
このレーダーが赤い光点として表示するのは何なのか。かつてこれと同系統の機体をいじった事のあるライチはすぐにそれを把握し、そしてそこに一縷の希望の光を見た。
「……ははっ」
厳密にいって、それは味方ではない。ひょっとしたらそれは事態をさらにややこしくする存在なのかもしれない。しかし今の状況を打破してくれる唯一の存在でもある。だったらそれに賭けてみよう。
もう追いかけっこはこりごりだった。ライチは壊れかけた心に渇を入れ、気持ちを引き締めて乗機を走らせた。




