第百二十五話「アンバランスゾーン」
予想外の出来事とはいつだって起きうるものである。そもそもそれに遭遇した人間が全く予期していないタイミングで発生するからこそ、それは予想外の出来事として成立するのである。当事者があらかじめ何が発生するのかを想定できていたのなら、それはもう予想外でも何でもなくなってしまう。
これは逆に言えば、その状況下で起き得るあらゆる展開を自由に想像し想定出来るようになれれば、実際にその事態に陥っても必要以上に混乱せず冷静に対処することが可能になると言うことである。特定の分野において場数を踏んだ人間が初心者よりも強いのはこれが起因していたりする。今回の場合で言えば、ジャケットに操縦におけるライチとジェイクの差がそれに当てはまった。ライチの方が先達なのは言うまでもない。
しかし不幸なことに、ライチの目の前で起きたその『予想外の出来事』は、彼のみならず一般的な人間の想像力を遙かに越えた現象を引き起こしていた。ジャケットに関わってきた年数の差など関係なかった。
「……は?」
ライチの前の前に立っていたのは、肥満体型の原因となっていた装甲をコクピット周り以外全てパージし、骨太のフレームを外部にさらけ出したジャケットの姿。戦闘中に装甲を脱ぎ捨てる時点で予想外なのだが、実際はもっとおかしな事になっていた。
「何が起きてるんだ?」
フレームが光っていた。まるでオーラか何かを纏っているかのように、その貧相な体が青白く発光していたのだ。もちろん通常のフレームにそんな仕掛けはない。ライチも今まで見たことはない。そして更にライチの頭を混乱させたのは、あれがパージしたはずの装甲群が青白く発光し、まるで星の周りを回る衛星のようにそのフレーム体となったジャケットの周囲を低速で周回していた事だった。
「こんなの、こんなの知らない」
「知らなくて当然だろうな」
外部スピーカーのスイッチを入れたまま呟いたライチに向けて、ジェイクの嘲るような調子の声が返ってきた。
「これは俺のとっておきだ。自分で命令して自分で作った、自分で作った試作型のシステムを搭載してある。自分で指示して作ったんだぞ!」
「指示して作った? 自分で直接組み立てたんじゃないのか?」
「なんで俺がそんな事する必要がある? お前とは違う。俺はハイヤーだ。頭で考えるのが仕事だ。そして俺の生み出したアイデアを形にするのはロウアーの仕事だ。そうだろう?」
ジェイクが自慢げに話し、そして人を小馬鹿に知ったような笑い声が響きわたる。そしてあらかた笑った後でその耳障りな笑い声を引っ込め、再び嫌味な声でジェイクが言った。
「話は終わりだ。お前にはここで、このシステムの実験台となってもらう」
直後、ジェイクの機体の両足が地面から離れ、ゆっくりと宙に浮き上がった。ブースターの類を噴かしているような仕草は見られない。まるで真上からピアノ線で吊り上げているかのように、周囲の装甲ごとその骨だけになった体を空中に浮遊させていた。あまつさえ爪先を真下に向けながら両足をくっつけて両手を外側に広げ、ポーズまで作っていた。
ライチには何が起きたのかまるでわからなかった。
「何が」
「死ね!」
だがそれの正体を探ろうと頭を働かせるよりも前に、体が反射的に動いた。操縦桿を素早く操作して機体を真横の方向へ跳ばす。その直後、それまでジェイク機の周囲をゆっくり旋回していた装甲の一部が突然そのコースとスピードを変え、それまでライチ機の立っていた地点へ飛来し深々と突き刺さっていた。装甲がハッキリとした指向性を持って、弾丸のようにこちらに飛んできたのだ。
火薬でもレーザーでも無い。何かを推進剤に使った訳でもない。地面に突き刺さった装甲は発光を終えていた。訳が分からなかった。
「くそっ!」
「そうれ、まだまだ行くぞ!」
意味が分からず毒づくライチに、ジェイクが笑いながら声を返す。その直後、今度は三つの装甲が周回を止めて一旦その場で静止し、そしてライチに向けてまっすぐ飛びかかった。
空気を裂きながら、青白く光る三つの鉄の塊が迫る。相変わらず原理がわからなかったが、避けられないスピードではなかった。
「このおっ!」
ライチが吼え、機体が大きく後ろに飛び退く。直後、そのすぐ目の前の足下に三つの塊が突き刺さり、やがて光を失っていく。地面に着地したライチ機は、しかし休む間もなく今度は左に飛び跳ねる。その右肩を掠めるようにして一際大きな装甲が斜めに飛来し、後方の地面に激突して隕石がクレーターを作るかのようにそこら一帯のコンクリートを吹き飛ばす。
「すばしっこい奴め」
「どうした? それで終わりか?」
得体の知れない攻撃だが、避けられない訳ではない。それを知ったライチが強気に出るが、ジェイクはその挑発を受けてなお態度を変えなかった。今もなお自分が優位に立っているという余裕の現れであった。
「ふん。いきがっていられるのも今の内だ」
「なんだと?」
「俺の攻撃はこれだけだと思ったら大間違いだ」
そう言った瞬間、ジェイク機の周囲を飛び回っていた残りの装甲が全て光を失い、周回するを止めてその場で落下した。重い物が衝突する硬質な音が周囲に響き渡る中、ライチは目の前で浮かぶ相手の姿に注目していた。次はどんな手で来るのか全く予測できず、先制して動く事が出来なかったのだ。
だが次の瞬間、ライチは自分から動かなかった事を後悔した。
「これならどうだ!」
ジェイク機が右手を高々と掲げる。その瞬間、ライチ機の足下が大きく揺れ、次いで強烈な日差しが突然機体の真横から降り注ぎ、それによって一瞬視界が遮られる。まるで閉め切ったカーテンを一気に開いて日光を浴びるような感覚だった。なぜそのような感覚に陥ったのか、顔を真横に向けたライチはすぐにわかった。
「なにが――」
その視界の先、そこあるはずの壁が無くなっていた。正確には壁がーー壁と天井、倉庫そのものが丸ごと宙に浮いていた。それもジェイク機よりも遙か上方に。
「潰れろォォォォ!」
ジェイクが叫ぶ。ライチ機はそれよりも前に走り出していた。
ジェイクが右手を振り下ろすのと、ライチ機が倉庫のあった場所から飛び出したのは、ほぼ同時だった。
これまで脅した企業は全部で八つ。そのうち口を割ったのは一つだけ。
「クソが」
最後に脅迫したビルを倒壊させた後、それから背を向けるようにして立つジャケットに乗っていた地球信奉者の男は、これまでの自分の戦果を思い返して苦々しく毒づいた。
「強情な連中だ。黙っていれば助かるとでも思ってるのか」
彼らは決して虐殺をしに来ている訳ではない。彼らが企業を破壊しているのは、こちらの提示した要求を向こうが破ったからだ。こちらは本気で「正確な情報を寄越さなければ潰す」と言っているのに、脅された側は「まさか本当に殺しに来たりはしないだろう」と銃口を向けられてなお高を括っていた。それがいけないのだ。
我々は決して嘘をつかない。平気で嘘をつく奴らとは違うのだ。
「こちらテラー1。繰り返す、こちらテラー1。こちらの担当する企業は全て回った。他の所はどうか。オーバー」
そしてため息をついた男の耳に、スピーカーを通じて別の地点で活動をしていたメンバーから連絡が入る。ちなみにこの時点で、男も既に自分の受け持っただけの企業は既に回り終えていた。
「こちらテラー3。こちら」
しかしその男が応答しかけたその時、彼の目の前でそれが起きた。
「どうした。テラー3? どうした?」
テラー3と名乗った男がそれ以降何も言わなくなったのを怪訝に思った仲間のジャケット乗りが彼に問いかける。しかし当のテラー3は正面に見える光景を前に口を大きく開けたまま硬直し、その同胞の声に気づくことも無かった。
「はははははっ! 死ね! 死ねぇ!」
「ひいいいっ!」
この時テラー3の目に映った光景は、こちらに向かって両腕を勢いよく振りながら走ってくる黒塗りの軍用ジャケットと、その後ろから青白く光る高層ビルを地面と水平に浮かばせ、自身も光りつつ空高く浮遊しながらそれを追いかけるフレーム体のジャケットの姿だった。




