第百二十四話「上からも下からも」
火星人の中には、かつての自分たちの故郷である地球を何より大切なものと捉え、それを尊重していこうと考えている一派がいる。彼らは地球信奉者、もしくは地球至上主義者と呼ばれており、自らそれを標榜している者はロウアー及びハイヤー問わず、全火星人口の六割を占めているとされている。
しかし火星の大学で研究をしている学者一派に言わせれば、実際には表だってそのグループの構成員であると表明していない、またはそのグループの存在を嫌悪し否定している者達も、件の彼らが抱いているのと同じ気持ちを抱えているという。
「簡単に言えば、それはホームシックです。地球へのホームシックです。そしてそれは全ての火星人が等しく陥っている普遍的なものであり、その中で依存と呼べるレベルにまで地球に執着している者達が、自ら信奉者と名乗っているのです」
つまりは多かれ少なかれ、全ての火星人は地球に対して思い入れを持っているということだ。人間は遠い昔に地球を捨てたが、実際は地球を捨てきれずにいたのだ。そしてその中で地球至上主義を掲げる者達は、自分達は未だに地球を捨ててはいない、自分達の心は常に地球にあると無意識のうちに思っている。自分達は地球と一心同体であるとさえ思っている。
「彼らは常日頃から凶暴性を発揮しているわけではありません。むしろ普段は温厚ないい人が殆どでしょう。しかしいったん地球が絡むと、彼らの性格は大きく変貌を遂げてしまうのです。それだけ彼らの地球への思いは非常に強いものなのです。地球への冒涜を自分自身への、いや自分の家族や恋人へ、そして自分の信じる神への冒涜と同じものであると思ってしまう程に。地球を汚すことは彼らの心を汚す事と同じであるのです」
彼らを怒らせるようなことはしてはいけません。信奉者は火星上に六割存在しており、その全員が一斉に蜂起しようものなら、下手をすれば社会そのものが転覆するでしょう。
敬虔な地球信奉者である息子を持ち、その息子を地球絡みの話で烈火の如く怒らせた経験を持つその学者は自身の論文発表の席でそう断言した。だが彼の言葉の最後の部分だけは、他の学者や聴衆の理解を得ることは出来なかった。
地球信奉者と深い関係を持っていない彼以外の殆どの火星人は、その『過激的な思考』がどれほどのものか把握できない、または過激とは言っても草の根のデモ運動がせいぜいだろうと高を括っていた者が殆どだったからだ。
「我々は例のリストと地球攻撃を映した映像に対する説明を要求する! もし説明を拒んだ場合、こちらは実力行使も辞さない構えである!」
なのでその信奉者達がハイヤーの一部大企業主達による地球攻撃を知るや否や正規軍の倉庫を襲撃し、数に物を言わせて強奪したジャケットで件の企業の本社ビルに銃口を突きつけて情報開示を要求してきた事を知った時は、その狂信ぶりに誰もが驚き戦慄した。即席のプラカードや横断幕を掲げてただ集団で道を練り歩くだけだったデモ隊も、それをカメラに収めようと死体に沸くウジ虫の如く集まってきたマスコミ連中も、その光景を実際に前にして背筋を凍らせると共に『やり過ぎだろう』と思わずにはいられなかった。
「我々は本気だ。黙っていればそのうち丸く収まるとは思わないことだ」
呆然とする群衆を足下に置き、手にした武器――圧縮した空気の塊をぶつけて対象を破砕する衝撃咆を眼前のビルに突きつけながら、その軍用に黒く塗装されたジャケットが低い声で告げる。彼の対するビル自体はジャケットよりも巨大だったが、ジャケットの火力の前には大きさなど無意味であった。
「さあ言え! 白状しろ! さもないと私の同胞がしたのと同じ事を、私がおまえ達にもしてやるぞ!」
パイロットの言葉に、彼の足下に群がっていた人間達の間でざわめきが起こる。彼が脅しをかける数分前、彼と同じく信奉者であり彼がいたのとは別の倉庫でジャケットを強奪した火星人の一人が、要求を最後まで拒んだ企業の本社ビルを幹部や従業員ごと破壊していたのだ。ちなみに現時点で三つのビルや本社オフィス兼生産工場が破壊されていた。生存者はいなかった。
そしてそのニュースは既に全火星人の耳に届いており、今や彼らが本気であるという事を疑う者は殆どいなかった。狂っている。誰もがそう思った。
「……二分だ。二分で答えろ。情報を全て出すか出さないかをな。言っておくが嘘は通用しないぞ」
やがて痺れを切らしたパイロットが声を低めてそう告げた。銃口はしっかりとビルに向けて突きつけながらの最後通告。群衆もマスコミもそれぞれが本来やるべき事をほっぽりだし、固唾をのんでそれを見守っていた。
二分間、ビルはただ静かにそびえたっていた。
「それが答えか」
パイロットが残念そうに呟く。足下から複数の悲鳴が漏れる。
狂信者は躊躇わなかった。
「じゃあ死ね」
黒い無貌の巨人が引き金を引く。直後、彼の前に立つビルの上半分が粉々になり、風に吹かれる綿毛のように何百の瓦礫が後ろへ吹き飛ばされていった。
ハイヤーの市街地が大混乱に陥っていた頃、ロウアーでもそれと同じ位の混乱が巻き起こっていた。
「な、なんだ、さっきのいったいなんだってんだ?」
「お、俺に聞くなよ!」
「くそ、どうしていきなりテレビ切れるんだよ!」
しかしその混乱の性質は、ハイヤーのものとは異なっていた。アラカワが流した一連の情報はロウアーの者達が持っていたテレビにも当然流されていたが、彼らの見ていたそれは途中でいきなりブラックアウトし、それ以降テレビは沈黙を保ったままだったのだ。
理由は単純。地球信奉者の手によって発電施設が破壊されたのだ。アラカワが提供したリストの中には客層をロウアーだけに絞り、自ら生産した電気を彼らに向けて供給する事で利益を得ていた企業の名前が記載されており、その企業もまた情報開示を拒絶したためにその本社施設を兼ねた発電所が狙われたという訳である。かつてはそこ以外にも電力供給を生業とする企業はいくつか存在していたが、企業間競争と吸収合併の果てに、今はその一社がロウアーへの電力供給シェアを独占していた。
いわばそこはロウアーを流れる電気の中枢。そこが破壊されたのだ。自家発電装置のある病院などはともかく、ロウアーの一般的な電力系統は完全に死んだと言っても良かった。
「くそ、どうすりゃいいんだ。外の様子が全然わからん」
「ひょっとしたらこの停電、さっきの爆発と関係あるんじゃないか? ほら、あの変な放送流れた後に起きただろ、あれ」
「そう言われてみればそうだな。じゃあ何が起きたか行ってみるか?」
「でも爆発のあったところ、確かロウアーは半径四キロ圏内立ち入り禁止の場所のはずだぜ? 行ってもどうにもならねえだろ」
その爆発の起きた場所、件の発電施設があった場所はロウアーの居住区とハイヤーの居住区の境目に隣接したハイヤー側に存在し、そしてロウアーはハイヤーの許可なしにその居住区の中へ足を踏み入れることは許されなかったのだった。互いの階級の差を明確にし、無駄な行動を取らせないための措置である。そこで話し込んでいたロウアーの一人はそれを思いだし、他の面々に問いかけたのだった。
「じゃあその範囲ギリギリのところまで行ってみようぜ。もしかしたら何かわかるかもしれないだろ」
しかし結局は好奇心に勝てず、彼ら全員が禁足地ギリギリの所まで行って様子を探る事になった。ちなみにそれと同様の判断を下したのは彼らだけではなく、結果多くのロウアー市民達が境界線上に集結する事となった。そしてそこで彼らはジャケットに乗った信奉者達の言葉を聞いて今起きている事の真相を知り、その殆どがハイヤーの住民と同じく非常に困惑し混乱した。
しかし晒し上げられた企業達にとっては災難なことに、過激な地球信奉者はロウアーの中にもいた。彼らは面識は無いが同じ志を持つ信奉者の言を聞くや否や不信や怒りの念を隠すことなく全身に漲らせ、感情のままにその境界線を踏み越えていった。
「俺達の知らない所でそんな事が起きてたのか!」
「ハイヤーの成金どもめ、いったいどういうつもりだ!」
「こうなったら直接問いただすぞ! 進め!」
その後彼らは市街地に乗り込み、そこで初めから暴れていたハイヤーの信奉者達と合流して更に大規模かつ過激な情報開示運動を行っていった。だがその一方で、残った者達の殆どは無関心を決め込んだ。
彼らにとってそれはまさに、テレビで戦争の中継映像を見るようなものだった。それが起きた現場も原因も自分たちとは距離がありすぎて、おまけに自分達が被った被害は電気が止まっただけ。命に関わる直接的な危機に遭遇した訳でもないので、まったく現実味を感じなかったのだ。
「まあ、きっとなんとかなるだろ」
「俺達が騒いでもどうにもなんないしな」
「ああ。ハイヤーの連中は俺達の話なんざ聞こうともしないし」
「底辺だしね」
彼らは生産するだけの存在。疑問を持ってはいけない存在。
階級社会によってそう定義された存在。
それ故に、彼らは物事を深刻に考える事を放棄していた。
当然ながら、ジーンがトップに立つ企業の本社ビルも信奉者達の標的となった。そしてそれは現在、瓦礫の山となって彼の目の前に存在していた。
「……」
奪われたジャケットがやったのではない。そのビルの中で働いていた社員の一人が敬虔な地球信奉者だったのだ。平時の彼は温厚で純朴な人間で、自分の勤め先が地球に対して非道な行いをしているとは夢にも思っていなかった。
しかしそれが幻想であると知るや否や、彼の心の中にある何かが弾けた。アラカワからのメッセージを聞いた彼は目から光をなくし、自分のデスクにあったハサミを懐に隠し、社長室に向かった。話の真偽を問いただすためである。
社長はいなかった。彼は逃げたのだと結論づけた。卑怯な男、自分の行いを自覚しながら贖罪をしようとしない最低な男。彼は社長を軽蔑し、そして自分の働いていたこの企業を侮蔑し、さらにはそんな外道な企業で何も知らずに働いていた自分自身を痛罵した。
そして彼は迷いのない足取りで階段を使い、携帯端末でビルの地図を確認しながら地下へと向かった。エレベーターは質問やクレームの対応に追われる社員達でごった返しており、まともに使える状況ではなかった。そして彼は地下一階、普通の社員ならまず立ち入らない場所へと降り立った。
そこは自家発電装置と自家浄水装置の置かれたエリアだった。ここに人が来るのは非常時とメンテナンスの時だけであり、今は無人だった。鍵も社員証を識別装置にかざせば簡単に開くタイプだった。
彼は迷わず発電装置へ向かった。彼は発電装置の電源を入れ、そして間髪を入れずに出力をレッドゾーンにまで一気に引き上げた
目覚めたばかりで寝ぼけ眼の人間の顔に氷水をぶちまけるようなものである。いきなり過負荷をかけられた発電装置はエネルギーのコントロールを上手く行えず、このままでは危険であるとすぐに警報を鳴らした。彼はそれを無視した。
三十秒後、彼の眼前で装置が爆発した。その爆発は周囲の地盤を吹き飛ばし、そして土台を潰されたビルは両隣の建物を巻き添えにしながら形を崩し、真下に向かって沈んでいった。
あっという間だった。逃げる暇も無かった。
「……」
そして一瞬で全てを無くした男は、呆然と突っ立ったまま、力のない目でその瓦礫の山を見つめていた。




