第百十三話「will」
ジェイクは苛立っていた。そしてその怒りを象徴するかの如く、この時彼のいた部屋の中はまるで嵐が通り過ぎた後のような悲惨な有様を見せていた。
脚の折れた椅子や乱暴に引き裂かれた絵画、床に叩き落とされたシャンデリアとそこから散乱したガラス片、粉々に砕け散った壷の破片。切り裂かれ、傷口から綿をはみ出させたクッション。
地獄絵図だった。
「……ッ」
そして今の今まで暴れ回っていた当の本人は、それでもまだ怒りが収まっていないかのように肩を怒らせて激しく息をしていた。
「……クソッ!」
その身の内にくすぶり続ける怒りを発散するように、破壊の嵐の通り過ぎた中でまだ原型を留めていたテーブルを力任せに蹴り飛ばす。そして追い打ちをかけるかのように、倒れたテーブルの脚を何度も蹴りつけてそれをへし折る。そして折れた脚の先が遠くに転がった後も、彼はその下にある床を蹴り続けた。
そのテーブルのみならず、この部屋にある物は全て彼の物だった。誕生日プレゼントとして親から渡された物もあれば、友人にして将来の競争相手に自慢するために自分で買い集めた物もあった。言ってしまえば、この部屋もまた彼のために設えられた場所だった。
だが今の彼に、それらを破壊する事への抵抗感は皆無だった。
「クソがァ!」
それだけで留まらず、残った平板つきの部分を
も遠くへ蹴り飛ばす。そこでようやく落ち着きを取り戻せたのか、それまで激しく上下させていた肩の動きが幾分か落ち着きを取り戻した物になっていく。
「……」
彼が自分の部屋でこうして暴れ回っていたのには、れっきとした理由があった。しかしその怒りは父から出された地球での試験で結果を残せなかった事による自分の不甲斐なさから来る物でも、その結果を見た父から「とんだ期待は外れだったな」と一切の同情もなく突き放された事への逆恨みに近い怒りでもなかった。
彼は「ここで反省していろ。こちらから許すまで外には出てくるな」と父によってこの部屋に閉じこめられたこと、もっと根源的な部分を言えば、カリンを探すことが出来なくなった事に怒りを見せていたのだった。
「クソ、どうして!」
近くにあった壁に拳をぶつける。彼の中で最も優先すべき存在は姉であった。姉の安全を確保するためならば、彼は約束された地位も生まれた時から当然のように手にしていた安全な生活も、全て簡単に投げ出す事の出来るだけの覚悟を持っていた。そして彼は同時に、姉に幸せを与えてやれるのは自分だけだと自負してもいた。それは歪んだ独占欲から来る利己的な物だったが、彼はそれを自らに課せられた崇高な使命と考えていた。
「……だめだ、こんな所にいちゃだめだ」
彼の最も優先する事柄は姉の安全を確保し、自分の手で幸福を与える事である。そして彼は、それを叶えるためならばそれ以外の全てを捨てることも厭わない男である。
たとえそれが父からの信頼であったとしても。
「姉さんを探そう」
完全に冷めた頭を動かしてこの後の自分が取るべき行動を計算し、それが完了した後、彼は自室の出入口であるドアまで近づいてそのノブを掴んだ。
鍵はかかっていなかった。
「俺が姉さんを幸せにするんだ」
躊躇うことなくノブを回す。外に見張りはいなかった。好都合だった。
「僕は姉さんを守るんだ。姉さんを幸せにするんだ」
そううわごとのように呟きながら、彼は言いつけも忘れて確かな足取りで進み始めた。
どこにカリンがいるのかはわからなかった。だが彼女が最終的にどこを目指そうとしていたのかは予測がついていた。彼の足はそこへ向かっていった。
「姉さん、今行くからね。姉さん」
ジェイクの意志は鉄よりも堅かった。
同じ頃、ジーンは自分の執務室でライチ達を追っていた部下からの報告を聞き、そしてその情けない内容に幻滅していた。そして彼の目の前に立っていた三人の黒ずくめの男に「クビだ」と短くつまらなそうに告げた後、もう一度チャンスをくれるよう懇願する男達を完全に意識の外に置いて背を向け、摩天楼の世界を眼下に納めながら沈思した。
「消えたか……」
ジーンが静かに呟く。この時件の三人の男達はそれまで入り口前で控えていたジーンのボディガード達によって羽交い締めにされて外へと引きずられながらも何か言葉にならない声を出し続けていたが、その声は彼の耳には一切入らなかった。
この時の彼の意識の世界には、もう彼しか立っていなかった。
「ひょっとしたら会えるのではないかと思っていたが……」
残念そうな響きを匂わせながらジーンが続けて呟く。この時、この部屋にはもう彼しかいなかった。ジーンはそれに気づきもしなかった。
「ライチ・ライフィールド」
ぽつりとジーンが呟く。まだ直接会ったわけではないが、その名前を持つ人物こそ、ジーンが今一番会いたいと願っていた人物であった。
娘が惚れ込み、その後も娘との関係を破綻させる事もせずに保ち続ける事の出来た存在。互いの間にある身分差を物ともせず、物怖じする事なく娘とつきあい続けた男。
とても興味深い。ジーンの意識の世界に新しい住人が一人増えていた。だが直接見た訳ではないので、その姿は真っ黒な影となっていた。
「いや、待て。確か、MBNにいたと言っていたような……」
と、そこでようやく件の男達の事を思いだし、ジーンが小さな声で呟いた。しかし彼が男達の事を思い出したのは彼らがもたらした情報のついでであり、そして思い出した数秒後には彼らの存在は既に脳内になく、ただその情報だけが脳の皺の一つして刻み込まれていた。
「……」
MBNにいる。その情報を手にしたジーンが無言で電話を取り、慣れた手つきで番号を押す。そして幾らかの無言の後に相手からの反応を受け取った後、ジーンはその話し相手に一つの命令を下した。
「すぐに用意しろ。わかったな?」
そして命令を伝え終えた後、そう釘を刺してからジーンは静かに受話器を置いた。その目には自分がライバル企業を相手に大勝負を仕掛ける時のような、並々ならぬ決意と覚悟の炎が静かに燃えていた。
絶対にそれを成し遂げる。ジーンの意志は鉄のように堅かった。
「着弾。十発目です」
「場所は?」
「ロシア北東部。無人地帯です」
「わかった」
部下からの報告を電話越しに受け取ってその受話器を置いてから、オートミールは身の内に溜まる不安を取り除くかのように大きくため息をついた。ため息をつかずにいられなかった。
衛星軌道上に存在するミサイル衛星からの無差別攻撃はまだ続いていた。正確には最初に乗っ取った衛星の弾が尽きたらその衛星へのクラッキングをすぐさま中止し、そのまま次の攻撃衛星を乗っ取って攻撃を途切れないようにしていたのだ。どうやらこの攻撃を仕掛けている連中は、是が非でも地球にいる生命を根絶やしにしたいようだった。
「まだ続いているようなのかね」
と、息を吐くオートミールに向けて彼の正面から声がかかる。グンマの長であるアラカワの声だった。
オートミールはその声をしっかりと聞いていたが、それでも顔を上げてその声の主を直視したくなかった。
「ああ。爆撃はまだ続いている。旧時代の人間はいったいいくつ衛星を打ち上げたんだか」
「私の計算によれば、衛星軌道上には約八十万の人工衛星が浮遊している事になる。そしてそのうちの三割が機能を完全に停止している」
「残り七割はまだ動くと?」
「そうだ。信号を与えてやればね」
正面からかかるアラカワの声にオートミールは思わず生唾を飲み込んで額から脂汗を流したが、それでも顔を上げようとはしなかった。彼はテーブルを挟んで自分の前に存在するあの火星人モドキのことがどうにも苦手だった。
性格的にそりが合わないからではない。見た目が気持ち悪くて直視したくなかったのだ。その姿を初めて見たとき、オートミールはまるで剥き出しにされた背骨を舌で舐め回されるような筆舌に尽くしがたい生理的嫌悪感を覚えてしまい、それ以来アラカワの姿をまともに見る事が出来ずにいたのだった。
「あれの攻撃は無差別だ。実際に南極にも何発か落ちてきている。こちらは今のところバリアで防げているが、そのバリアも永遠に張れる訳じゃない」
「そうだ。今はなんとかなっているが、なんとかなっている今の内に対策を立てなければ、いずれこちらが滅ぼされてしまう」
「同感だ」
アラカワの言葉にそう答えた後、オートミールが顔を上げないまま彼に言った。
「ところで、なにか打開策でもないのか?」
「打開策か」
「ああ。こちらでもこれから検討していくつもりだが、何かあるなら参考のために聞いてみたいんだ」
オートミールの問いかけに、アラカワが口を閉ざす。そしてそれから暫く経った後、アラカワが再び言葉を投げた。
「実はもう実行している」
「えっ」
「最初にライチ君達とコンタクトを取ったときに、ちょっとね」
「それは……!」
その思わせぶりな言葉を聞いたオートミールが、つい反射的に顔を上げてしまう。
「……どういう……」
そして顔を上げた直後、その視界に入った透明な脳味噌の化け物を前にして、やるんじゃなかったと彼は心の底から後悔した。
「まあ、そのうち向こうから連絡が来る。こちらの作戦についてはその時に説明するから、それまで待っていてくれ」
己の脳をフリーズさせたオートミールに対し、アラカワは愉快そうな口調で言った。
その声は軽くて楽しげだったが、その底にある意志は鋼鉄のように堅かった。




