第百九話「サウス・ポール・ジャパン」
ティータイムとは人類が発明した最も偉大で優美なものだ。
清潔な白で統一された中央司令室の一角にて白塗りの丸テーブルを配置し同じ色の椅子に背を預け、傍らに控える専属メイドアンドロイドのモンブランが淹れた紅茶をお気に入りのカップで楽しみながら、オルカは目を閉じてそう考えた。
「……」
目を閉じ、カップから湯気と共に立ち上る香りを楽しみながらオルカが黙考を続ける。ここにクッキーがあればもっと素晴らしかったのだが、無い物ねだりをしても仕方なかったので黙っている事にした。
「アフリカ大陸南部に着弾、これで三発目です」
どこからか女性の緊迫した声が聞こえてくるが、オルカは気にせず紅茶入りのカップに口を付ける。わずかにこめかみがひくついたが、彼女はそれを意識して無視した。
「どこから飛んできた?」
「地球衛星軌道上の衛星からです。最初の攻撃を行った物と同一の物です」
「アメリカを消し飛ばしてくれた奴か……」
オルカの耳に、今度は男の声が入ってきた。オートミールの声だ。最初に聞いた女の声とは違ってその男の声はそれまで何度も聞いた物であったから、目を開けて確認せずとも声の主が彼だと言うことがわかった。
それと同時に、そのオートミールの言葉が引き金となってオルカの瞼の裏にかつて自分が見た光景、アメリカ脱出の際に自身の船のモニター越しに見た光景がありありと浮かんできた。
「……」
それは全く突然に、何の前触れもなく起きた。ニューヨーク上空から球体が煙の尾を引きながら落下していき、地上に激突した瞬間目を焼かんばかりの閃光がモニターを埋め尽くした。モニターに焼き付いた光はやがて徐々に薄まっていき、そしてその光のカーテンが消え去った時には、そこにはかろうじて残っていた建物が全て薙ぎ払われ更地と化した荒野と、天高くそびえる巨大なキノコ雲が映されていた。
「……ッ」
その時の景色を思い出し、オルカが目を閉じたまま一瞬顔をしかめ、周りに聞こえない程度の音量で舌打ちをする。その様子にモンブランは気づかなかったが、この時の彼女は代わりに、前方に立つオートミールの顔を不安げな面もちで見つめていた。
オルカと同じ光景を思い出していた彼の顔もまた、オルカと同じように険しいものとなっていたからだ。
「見境無しだな」
「まさか、火星の人達は本当に地球を滅ぼそうとしているんでしょうか?」
オートミールとは別の男の声が聞こえてくる。すると最初に声を出した女がそれを聞いて「そんな……」と愕然とした声を出すが、オートミールはさして動転した風も見せない声を出す。
「正確には地球ではなく、地球に住んでる者達だ。地球そのものを破壊しようとは考えていないだろう」
「なぜ?」
「地球は貴重な資源だからだ」
実験場として。それを聞いた件の二人が納得したようできなかったような曖昧な返事を返す。そしてその二人が再び前にあるレーダー類に顔を向け直した時、すっかりいつもの澄まし顔に戻ったオルカが両目を開け、紅茶を喉に流してからオートミールに尋ねた。
「四発目が来ると思うかい?」
「来るだろうな。確実に」
「ここに落ちてくる可能性は?」
「無いとは言えない。だがもし来たとしても問題は無いだろう」
なぜ? と目線で訴えてくるオルカと先の男女オペレーターの三人に対し、オートミールが答える。
「ここにはバリアが張ってあるからな」
「バリアか。確かにそんな物もあったね」
思い出したように呟いたオルカが、カップの紅茶を飲み干した後で再び声を出した。
「それにしても、バリアといい施設内の設備の質といい、なんで南極シェルターはこんなに豪華なんだろうね」
「それは……」
オルカの疑問を受け、オートミールが口を閉ざして考え込む。暫く考え込んだ後、顔を上げて言った。
「作った人間が心配性・・というか、凝り性だからだろうな」
「凝り性ね」
「四発目を確認……こちらに落ちてきます!」
オルカの反芻を遮るように男が叫び、さらにその男の言葉を強引に塞ぐように衝撃が司令室を激しく揺さぶる。
「うおっ」
「きゃあ!」
「おっと」
思わずオルカの手から空のカップがこぼれ落ちそうになるが、オルカは焦ることなく手から放れて宙に浮かんだそれを両手で挟み込むようにしっかりとキャッチする。そして彼女がカップを再び手の中に納める頃には、その司令室を襲っていた震動もすっかり収まっていた。
「被害は?」
「先程の衝撃で地下二回の配水管の一部が破損。それ以外に目立った被害はなしです」
「管に穴でも開いたのかい?」
「ちょっとひん曲がっただけです」
オートミールの部下の女が被害箇所を映したモニターを見ながら、オルカからの質問に答える。そしてオルカが納得したように頷くのを見た後、意識を再びオートミールの方へ向けて言った。
「修理用ドロイドを向かわせます。よろしいですか?」
「ああ。頼む」
オートミールが短く答え、それを聞き届けた女がキーボードを打ち込み始める。その姿をある程度見届けてからオートミールがオルカに言った。
「見ての通り、頑丈だ」
「うん。シェルターはこれくらいでないとね」
「製作者の杞憂で終わらなかった訳だ」
オートミールが返し、二人で軽く笑い合う。その間にも五発目が再び南極めがけて落ちてきたが、上空三百メートル地点で見えない半球形の何かに阻まれてその場で爆発、衝撃の余波を地上に伝えるだけに留まった。しかしその揺れだけでも、慣れない地下で慣れない生活をする者にとっては十分な精神的脅威であった。
「大丈夫だ」
そんな先と同じ揺れを再び感じたオートミールは、震動によって萎縮しかけていた部下達を元気づけるためにわざと大声を出して言った。
「さっきも確認しただろう。ここには落ちない。ここは暫く安全だ。今の内に羽を休めておくのもいいだろう」
「モンブラン、おかわり」
「……もうやってたか」
しかし残念ながらどこまでも空気を読まずマイペースなオルカの行動が、この時司令室に漂っていた無用な緊張感を一番強く和らげたのだった。
「サウナとは不思議な所ダナ!」
同じ頃、平坦な裸体にバスタオルを一枚巻いただけの格好となっていたモロコがだだっ広い脱衣場で叫んでいた。初めて体験した物のあまりの心地よさに、精神が酷く高揚していたのだった。
そしてその横には同じく裸の体にバスタオル一枚だけの姿となったレモンがおり、両手を上げてそのしなやかな、しかしモロコ同様に貧相な肉体を思いっきり真上に伸ばしていた。
二人は緊張とは無縁だった。
「ううーん……っと、そうですねー。確かにあそこに入っていると、体がほぐれてくるような感じがしますねー」
そしてそう答えながら、今度は体を左右に伸ばす。レモンの表情は非常にリラックスした物だったが、彼女の腹はタオル越しにわかるほど激しく赤く明滅していた。
「それにしても、お前大丈夫か? サウナ入った時から腹がずっと光りっぱなしだったゾ」
「これは大丈夫ですよー。いつもの事ですからー」
「なんだ、いつもの事ナノカ。でもそれ、見るからに危険そうなんダガ。暴走とかはしないノカ?」
「暴走ですかー?」
モロコの言葉を受けて、うーん、とレモンが考え込む。それから暫くして、レモンが口を開いた。
「確かにまあ、レッドゾーンを突破したら危険名状態にはなりますねー」
「どうなるんダ?」
「爆発します」
「そうか、そうか。爆発するノカ。それは気をつけないと駄目ダナ」
「ですねー」
のんきに言い放ったモロコに向けて同じくのんきにレモンが返し、その後二人して平和そうに笑い合う。その時、彼女らの前方にあった出入口の戸が横に開き、そこから彼女らの良く知る二人の女性が姿を現した。
「二人とも、もう上がったのか」
「ちょうどいいタイミングだぜ。次俺らが入るけどいいか?」
ジンジャーとリリーの言葉に、バスタオル姿の二人が同時に頷く。
「ええー。かまいませんよー?」
「ウム。構わんゾ。しかしお主らが来たという事は、次は我らの番という事ダナ?」
「そういう事になる。頼めるか?」
「ウム。任せておくが良いゾ」
そう答えるや否や、モロコとレモンが大急ぎで脱衣かごの前に駆け寄って服を着替え始める。その二人と対照的に、ジンジャーとリリーは風呂に入るべく自分の服を脱ぎ始めた。
かつて崩壊前の地球に生活していた欧米の人間達は、基本的にバスタブなどを使って一人で入浴していた。浴槽に湯を張ってそこに浸かるということもせず、シャワーだけで済ませてもいた。火星やカサブランカなどで主流となっていた入浴スタイルもそれと同じであり、これはそうした設備を最初に整えた人間が件の欧米人の遠い子孫だったからである。
しかし今現在ジンジャー達が使用しているような、大人数が同時に使う事を前提にして作られた浴場――大衆浴場と呼ばれるような入浴施設は日本などごく一部の国でしか行われていなかった文化であり、カサブランカにもソウアーにも無かったものだった。
「なんだか、自分の体見られるのって恥ずかしいな」
「おおう……この開放感なんか嫌だな」
よって、なみなみと白色の湯の張られた浴槽の中に初めて横並びに浸かった二人は、リラックスとは無縁のガチガチに緊張した状態になっていた。その浴場内を照らす橙色の柔らかい光も、開放感のある空間も、彼女たちの精神を救うには至らなかった。
「この入浴スタイル作った奴っていったい何考えてたんだろうな」
「見当もつかねえよ」
なんとか緊張を解こうと、二人して軽口をたたき合う。しかしその体は身じろぎ一つしなかった。
「このタイプのお風呂は日本人が作った物だそうですよ」
するとそんな声と共に、新たにイナが浴場の中へ入ってくる。モロコとレモンに比べてふくよかな肢体を持った彼女は軽やかな動作で浴槽へ近づき、先に湯船に浸かっていた二人よりもずっと自然な動作でジンジャーを挟むようにして彼女の横に身を沈めた。
「日本ではこのスタイルが大昔からの伝統だったそうです。昔ながらの文化と言うわけですね」
「その日本人って奴はこんな無駄に広い風呂場に昔から入ってたってのか?」
「昔の日本人は裸のつきあいという物を重視していたんですよ。ちなみに裸のつきあいとは権謀術数抜きに本音で語り合おうという物です」
「裸のね」
イナの言葉にそう返したリリーが視線を動かし、隣にいるジンジャーへ目を向ける。しかしその視界に彼女の肩が映った途端、すぐさま顔を真っ赤にして目を背けた。
「馬鹿じゃねえの?」
「慣れろといって慣れるものではないな」
「まあ、これは日本人が特異だったとしか」
恥ずかしさを隠すように毒づくリリーにジンジャーが答え、イナが苦笑して返す。そしてその場の空気を変えようと、イナが続けて言った。
「とにかく、このタイプの浴場は日本人が発想して日本人が作った物なんです」
「でもよ、なんでここにこんな物があるんだ? これ日本のものなんだろ? ここ南極だぜ?」
シドの輸送シップに乗って爆弾の落とされようとするアメリカから命からがら逃げ出し、長い海上航行の果てに真っ白に塗りつぶされた南極大陸を眼下に納めるまでの一連の光景を脳裏で再生しながらリリーが言った。それに対してイナが短く答える。
「それは簡単ですよ。この施設を作ったのが日本人だからです」
「なんだって?」
「ここの施設全部日本人が作ったんです」
データベースの中にそうありました。湯気で貼り付いた前髪をかき分けることも忘れて唖然とする二人を前にイナが続ける。
「正確にはグンマの人間が作ったそうですよ。だからあのアラカワなる人物もここの存在を知っていたようですね」
同時刻、そのグンマ人であるアラカワが南極基地にやって来たのだが、それを入浴中の三人が知るのは、当分先の事であった。




