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第百四話「バックホーム」

 そこに放置されていた地球産の物を一通り鑑賞し終えてから元の居間に戻ってきたライチ達三人は、それまで座っていたソファに再び座り直し、そこで改めてここに来るまでの話をする事になった。


「そうかそうか、そんな事があったのか」


 ライチからここに来るまでの全てのいきさつを聞き終えて、その地球好きの老人はとても楽しそうに笑い声を立てた。この時ライチは半ばやけくそになっており、自分達がこんな目に遭ったのは火星人の――老人と同じハイヤーの仕業であるとハッキリ言い切ったのだが、それに対してもこの老人は嫌な顔を見せずにただ笑うだけだった。


「なんでそんなに笑ってられるんですか?」


 愉快そうに笑う老人に対してカリンが訝しげに問いかける。ハイヤーは基本的にプライドの高い人種である。例え自分の事でなくても、自分と同じ階級の人間を貶されるとまるで自分が貶されたのと同じくらい激昂する生き物なのだ。それは同じハイヤーであり、そうした人間を身近に見てきた自分が一番良く知っていた。


「私の知ってるハイヤーの人は、あんな風に言われたら凄い怒ると思ってたんですけれど」


 だというのに、目の前の老人は自分と同じ階級の人間を――しかもロウアーの人間に非難されたにも関わらず平然と笑っている。それがカリンには理解できなかった。


「そうか。私のような人間は珍しいかね?」


 老人が笑いながらカリンに尋ねてくる。どうやら自覚があったようだ。それがカリンには逆に驚きで、何も言えずにぽかんと口を開けていると、老人がまたも笑い声をあげながら口を開いた。


「これくらい歳を取るとな、そういった物が全部どうでもいい事に見えてくるんだよ。変なプライドはどこかに置いていってしまえるんだ」

「そういう物なんですか?」

「そうだ……いや、ひょっとしたら私だけかもしれんな。他の連中は死ぬまで意固地になるかもしれん」

「どうしてそうだと?」


 ライチが尋ねる。カリンの方を見つめながら老人が答えた。

「私がこうして君達の話を笑って聞けるのは、私が他の連中と……カリン君が見てきた一般的なハイヤーとは距離を取ってきたからかもしれんな。ハイヤーの連中の中に芽生えている物の影響を受けずにここまで来れたからかもしれんな」


「どうして距離を?」

「私が地球の物をかき集めているからだよ。火星の人間にとって、地球のブツは石ころよりも価値の無い物だからな」


 そうきっぱりと言い切って、老人が再び愉快そうに笑う。その笑い声を聞いていたカリンはどこかバツの悪そうな顔をして俯いていた。老人の話を聞いて、自分もまた最近まで地球の持つ価値をその程度の物としか認識していなかった事に気づき、居心地の悪さを感じたからだ。


「どうかしたの?」

「え、ううん、なんでもない」


 その様子に気づいたライチが心配するようにカリンに声をかける。この時二人は寄り添うように隣同士に座っており、それを見た老人は、そう言えば並木道で初めて会ってから今に至るまで、この二人はずっとくっついていた事に気がついた。


「それはそうと、話は変わるんじゃが」

「なんですか?」


 カリンの手を上から包み込むように握りしめ、その顔をのぞき込むように自身の顔を近づけていたライチが、思い出したようにカリンから距離を取りつつ老人の方へ向いて答える。そのライチを見返しながら老人が言った。


「二人は随分と仲がよろしいようじゃが、あれかね? 恋人か何かなのかね?」

「――!」

 どこか力なく俯いていたカリンの顔が、茹で蛸のように一気に赤くなる。ライチの顔も同様に真っ赤になったが、それでも何とか言語機能はショートせずに済んだ。

「あう、ええと、その……はい」


 消え入りそうな声でライチが肯定する。カリンから握ってくる手の力が心なしか強くなった気がしたが、ライチはただ黙ってその手を握り返すだけだった。


「そうかそうか。やっぱりそうだったのか」


 対する老人はそんな二人の心境などお構いなしに、大口を開けて笑い声を立てる。


「いや、やっぱり青春というのは良い事だな。いや、素晴らしい。全く素晴らしいよ」

「茶化してるんですか?」

「まさか。私はいたって真面目だよ。恋は若さの特権だ」


 ジト目で言ってくるライチに老人が笑って返す。そしてなおも不機嫌そうなライチに対し、老人が陽気に笑い続けながら言った。


「そんなに不機嫌にならんでくれ。や、不快な気持ちにさせてしまったのなら謝るよ。しかし私は本気でそう考えているんだ。恋愛は素晴らしい。引け目を感じることは無い。他の人から白い目で見られるくらいイチャつくのがちょうどいいんだよ。少なくとも私はそう思う。君達もそうは思わんかね?」

「えっ」

「アッハイ」


 最初は笑顔で話していたのが次第に真面目くさった顔になって熱弁を振るい始める老人を前に、恋人二人が圧倒されたように力なく頷く。しかし一度火が点いたエンジンは簡単には止まらない。そして彼らの目の前に老人は今や、完全に火の点いたターボエンジンと化していた。


「いいかね? 君達はもっと恋をしなさい。私と同じくらい歳をとった時に「ああ、あの時はあんな恥ずかしい事をしたんだっけ」と思い出してお互い笑い合える事のできるような、そう言った関係を築きなさい。そのためにも、今のうちから思いっきりイチャつきなさい。今遠慮をしていると後で後悔する。恥ずかしがらずにどんどん積極的に行きなさい。心の奥底まで相手にさらけ出すんだ」

「は、はあ・・」


 言いたいことはわかったが、そのテンションには正直ついていけなかった。なのでライチもカリンも熱のこもった演説をする老人にたいしてひたすら空返事を繰り返す。だが見るからにやる気のない返事をする二人の様子に気づく事もなく、完全に自分の世界に没頭した老人はその舌を動かすのを止めなかった。


「いいかね? とにかく大切なのは恥を捨てると言う事だ。躊躇いの気持ちがあってはいけない。常に相手に本心をさらけ出すんだ。それこそが、やがて夫婦として生きていく者達が、結ばれる前にしておくべき義務なのだ」

「ねえ、これいつまで続くの?」

「・・明日?」

「冗談でしょ」

「本音を隠して夫婦生活を送ろうとしたところで息苦しさを感じるだけだ。仮面夫婦など糞食らえだ。同じ屋根の下に生きる者同士、手を取り合っていかねばならんというのに。そもそも――」


 ライチ達の声すら耳に入っていない。老人の眼前には今、二階三階と続く大ホールの席を埋め尽くす何十万もの聴衆が映っていたことだろう。

 だが延々続くかに思われた老人の恋愛講義は、全く突然に終わりを迎えた。


「――ん?」


 チャイムを鳴らす音が朗々と室内に響く。それに最初に気づいたのはカリンで、そのすぐ後にライチもそれに気づいた。


「……んう、なんじゃ、せっかく人が真剣に話をしていたというのに」


 講義に熱中していた老人も一番最後にそれに気づく。しかし夢想の世界から強引に現実世界に引き戻された反動で、その顔からはひどく不機嫌そうな色が伺えた。しかしそんな彼の心情などお構いなしに、一定のテンポでチャイムが鳴らされ続ける。


「出た方がいいですよね?」

「ああ待ちなさい。私が行く。二人はちょっと、例の物置部屋に隠れてなさい」

「物置部屋?」

「地球の物を隠しているところじゃ。さ、早く」


 老人に促されるままにライチ達は席を立ち、外に物音がばれないように爪先立ちになって慎重に歩を進めながら、件の隠された物置部屋へと向かう。


「お前さんらはここにいない事にする。見つかると厄介だからね。だから今からしばらくの間、ここの壁を閉じてカギをかける。怖いとは思うが、ちょっとの間我慢してくれ。いいね?」


 二人が物置の中に入ったところで老人が彼らに向けてそう告げる。ライチとカリンは揃って首を縦に頷くが、それを見た老人がいざ壁を元に戻そうとしたところでライチが口を開いた。


「あ、あの」

「ん? どうした?」

「今チャイム押してるのって誰なんですか?」

「税金回収人じゃよ。安否確認も含めたな」

「税金?」

「ハイヤーにも納税の義務があるんじゃよ。決して安くはない代物がな」


 ロウアーにはそんな物無かった。心の中でそう思いながらも状況を理解したライチが「じゃあお願いします」と言って一歩身を引く。それを見た老人もまた一歩後ずさり、そして老人が退がると同時に左右に割れていた壁が再び中央めがけてスライドしていく。やがて左右から迫るそれらは中央で隙間無くぴったりと噛み合い、一つの完全な壁が出現する。


「大丈夫かしら」


 申し訳程度に明かりのついたガラクタまみれの部屋の中、そのガラクタの一つに腰を下ろし、声を殺してカリンが言った。そのカリンの隣に腰を下ろしてライチが答える。


「大丈夫だよ。きっと上手く行く――」


 そこまで言ったところで首を横に振り、ライチが続けた。


「僕がなんとかする」


 迷いのない、力強い言葉。その言葉を聞いただけで、カリンはこの薄暗い部屋に入ってから自身の心の奥で泡立つように肥大化していった恐怖の感情に打ち勝てるだけの勇気を手に入れる事ができた。


「ライチ」


 それだけ言って、カリンがライチの手を握る。自分は結局ライチに頼りっぱなしだ、そう思いながらも、カリンはライチの傍に入れることはとても幸せな事なのだと思わずにはいられなかった。





 壁が再び開かれたのはカリンがライチの事を頼もしく思った、まさにその時だった。壁の中央に蛇がくねるかのように直角に幾度も折れ曲がった割れ目が生まれ、それを境目にして壁が左右にスライドし割り開かれていく。時間にして五分も経っていなかった。


「大丈夫かね?」


 老人が気遣う言葉を投げかけ、二人も頷いてそれに答える。


「税金の人はもう帰ったんですか?」


 一歩前に出てカリンが尋ねる。その声は以前のものよりも明るく軽やかな調子を帯びていたが、老人の顔色は優れなかった。健康を害したのではなく、何か深刻な悩み事を抱えているかのようだった。


「どうかしたんですか?」


 態度の変化に気づいたライチが問いかける。カリンもまた同様にその老人の異変に気づき、真昼の太陽を黒雲が遮るかのごとくその表情を不安げなものにしていく。


「あいつら、税金取りじゃなかったよ」


 と、顔色の優れない老人がようやくと言った感じで口を開く。その言葉を聞いて眉をひそめる二人に対し、老人が言葉を続けた。


「君達を探していた」


 空気が凍り付く。

 カリンの口から小さな悲鳴が漏れる。


「――!」


 そんな口に手を押し当ててよろめくカリンをかばうようにして彼女の前に立ちながら、ライチが非難する口調で老人に言った。


「まさか、ばらしたんですか?」

「馬鹿なこと言うな。私はそこまで外道じゃない」


 声を荒げて老人が言い返し、それと同時にその老人がライチ達の許へ歩み寄っていく。そしてライチの前に立ち、真剣な眼差しで彼を見つめながら老人が言った。


「神に誓って、私は奴らに君達の情報を漏らしたりはしていない。だがのんびりもできない。君達がここにいると言う事はいずればれるだろう」

「じゃあどうすれば?」

「逃げるんだ」


 老人がライチの両肩にそれぞれ手を載せる。


「なんとかして地球に帰るんだ。さっき私のところにやって来た連中はどうみてもカタギじゃなかった。懐にサブマシンガン隠していたからな」

「服越しに見つけたんですか?」

「奴らの方からちらつかせてきたんだ。脅しだよ。とにかく、奴らは敵に回していい部類の連中でもないし、そして今の火星は君達がいられるような所でもない」

「どうして?」

「訪問に来た二人組のうちの一人が、私の目の前で通信機を使ってずっと仲間と連絡を取り合っていたからだよ。私ともう一人の男が話し合っている間中ずっと、頻繁に周波数を変えながらな。おそらくは奴らの仲間が火星中にいるんだろう。これでは遅かれ早かれ見つかってしまう」


 老人の言葉にライチが黙って頷く。カリンもつられて小さく頷く。


「地球だ。地球に帰るんだ」


 老人はそんな二人の顔を交互に見ながら、その言葉を繰り返した。

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