第百二話「ファンの一人」
「まあまあ緊張しないで。別に取って食う訳じゃ無いんだから、そこら辺で適当にくつろいでいなさい」
「はあ……」
老人の陽気な声に促され、ライチとカリンはその吊されたシャンデリアが橙の光を灯す部屋の中央に置かれたソファの上に恐る恐る腰を下ろした。そのソファは汚れ一つ無い、血のように赤く染められた代物で、座ってみるとまるで綿雲の上に腰を下ろしたかのような柔らかさだった。
「構わん、構わん。道具というのは使われてこそ輝く物だ。汚れも勲章よ」
今の汚れた自分達がこんな物に座っても良かったのか。彼らは実際に座った後でそう思ったのだが、それを聞いた老人はさらりとそう答えた後で呵々大笑してみせた。その邪念の無い、無垢な子供が見せるような老人の笑顔が、二人の肩から力を抜く切っ掛けとなった。
「それで、君たちはいったいどうしたんだね? あんな所で、そんな格好になって」
テーブルを挟むようにしてライチ達が座ったそれの反対側に置かれたソファに腰を下ろしてから老人が尋ねる。二人は顔を見合わせ、本当の事を言おうか一瞬ためらった。
「ええと、実はですね……」
ライチが口を開く。彼は嘘を吐こうと決めた。本当のことを話した所で信じてはもらえないだろうし、そもそも彼はハイヤーの人間に対して嫌悪感を抱いてもいた。これは彼だけでなくロウアー全てに言える事であり、それによって嘘を吐くことに対する罪悪感は微塵も無かった。
「ちょっと二人で散歩してたら、足を滑らせてちょっと転んでしまいまして……」
「嘘じゃな」
しかし肝心の嘘の質が低すぎた。
「ここにあるのは全て舗装された道だけじゃ。どんなに頑張って転んでも、そんなススだらけの灰だらけの格好にはならんよ」
案の定老人にそう断言され、慌てふためいたライチが額から汗を噴き出させて目を激しく泳がせる。感情を態度に現しやすいのも彼の弱点の一つだった。
「なぜ嘘をついたのかね?」
「それは……」
老人の追求にライチが一度声を出そうとして、喉から出掛かった所で口を噤む。そして暫し眉間に皺を寄せて逡巡した後、意を決して口を開いた。
「本当のことを言ってもどうせ信じない」
「ほう」
ライチの言葉を聞いた老人が片眉を吊り上げる。ライチのヤケクソめいた言葉を聞いたカリンが心配そうにライチの横顔を見つめる中、老人は怒るでも無く大きく笑いながら言った。
「それは聞いてみないとわからんだろう。何でもいいから答えてみなさい」
「それは」
「ライチ」
再び拒否しかけたライチの腕をカリンが掴む。腕から軽い振動を感じたライチが、驚いた表情を浮かべながらカリンの方へ顔を向ける。
「……」
ライチの顔を見つめながら、カリンが軽く首を横に振る。それを見たライチは肩から力を抜き、大きく息を吐いてから再び老人に向き直った。
「全部話します」
「おお、本当かね」
「ええ、話します。話しますよ」
「だからライチ、もうちょっと穏やかに……」
頬を引きつらせ額から汗を一筋流しながらライチに窘めるように声をかけるカリンだったが、その声は結局ライチには届かなかった。
「どうせなら全部話しますか?」
ライチがヤケクソ気味に出した提案を、老人は怒ることなく受け入れた。
ライチの説明は一分もかからずに終わった。全部話すと言っておきながら、彼は結局要点しか話さなかったからだ。
「ほう、つまり地球からここにやって来たと」
「ええ。自分でも何がなんだかわからないうちにここにやって来まして」
ライチが老人に与えた情報はこれだけだった。ワープ装置によってここまで来たという事さえ、ライチは彼には説明しなかった。カリンは端折りに端折りまくった彼の説明を聞く中で肝が冷える気持ちを味わった――先にライチの嘘を看破した老人の観察眼が彼女を怯えさせていた――が、同時に重要な事を何も伝えなかったライチに心の中で「良くやった」と声をかけた。
今は比較的親しげであるとはいえ、目の前の老人が自分達の味方であるとはまだ決まっていないからだ。そんな相手にこちらの情報をベラベラ提供するのは危険である。
「そうか、地球から来たのか……」
しかし老人はそんな断片的な情報だけでとても満足したみたいだった。老人は「地球から、地球から」と繰り返し小声で呟きながら視線を泳がせていたが、やがてその目をまっすぐライチへ向けて言った。
「本当に地球から来たのかね?」
「え、ええ」
「本当の本当に?」
「ええ、ええ」
鬱陶しいジジイだ。内心そう毒づきながらライチが頷くと、老人はおもむろに立ち上がってライチ達に背を向けた。
「え?」
「あ」
突然の事にきょとんとするライチとは対照的に、カリンはその老人の背中を見て嫌な予感を覚えた。
「あの人、まさか」
「カリン?」
隣に座るカリンの様子に気づいたライチが心配するように声をかける。そのライチに向かってカリンが逼迫した声で言った。
「あの人を止めて」
「どうして」
「警察に通報しようとしてる」
それを聞いたライチの顔が一気に青ざめる。もしあの老人が自分達の事を警察に通報したらどうなるか。それがわからない程二人は鈍感ではなかった。
「まずい……!」
「ちょ、ちょっと……!」
しかしそう考え、老人を制止しようと二人がソファから腰を浮かしかけたその時、彼らは思わずその動きを止めた。件の老人は電話ではなく、クリーム色に染められた壁へ向かって歩いていた。そこには壁掛け式の電話も埋め込み式の通信機も無かった。ただ飾り気のない壁がそびえ立っているだけだった。
「確か、ここか……」
警戒する二人を尻目に、老人がのんびりした声を出しながら壁の一部に開いた手を押し当てる。そして老人が手にほんの少し力を込めた次の瞬間、その一部が奥にへこみ、彼の前の壁が左右に割れるようにして開かれ、奥に広がる空間を露わにした。
「な……!」
「なにこれ!」
ライチが中腰の姿勢のまま唖然とした表情を浮かべ、カリンが本気で驚き立ち上がる。その声に気づいた老人が肩越しに振り返り二人に言った。
「ほれ、こっちに来てみなさい。凄い物があるから」
「?」
老人の言葉の意味がわからず、二人が互いの顔を見合わせる。しかしそこでじっとしていても仕方無かったし、それに彼の言う「凄い物」にも興味があったので、結局彼らは老人の元へ近づいていった。
「これを見なさい」
自分の横に少年少女二人が立ったのを確認した老人が、目の前に広がる空間へ向けて手を伸ばして見せる。その伸ばされた手の先に見える物ーー壁に隠された部屋の中を見て、ライチとカリンはあんぐりと口を開けた。
「……」
その明かりの無く、だだっ広く薄暗い部屋の中、朽ち果ててボロボロになった何十何百もの道具が、文字通り足の踏み場も無いほど雑多に置かれ積み重ねられていた。そして彼らを一番驚かせたのはそこにあるガラクタの量ではなく、そこにある物の全てがかつて彼らが地球で見てきた物であったと言う事だった。
「通信機に、荷車に、クワにスコップにホースに、バケツまである」
「なにかしら。あそこにひっくり返ってるの、ついさっきまで私達が乗ってきたのに似てるわよね。ワープ装置とかいうやつだっけ?」
「そうだね。サイズは小さいけど、たぶんそうだ。それにかなり壊れてる」
「あの装置の下に転がってるのも見た事あるわ。確か、あさる……」
「アサルトライフルだ。昔の地球で使われてた銃だ」
「そう。それ。それにあの隅っこにあるのって、鉄骨だよね? どうやってここに運んできたのかしら……」
やがて自分達の知る物を見つけるやいなや、二人が揃って声を上げてそこにある物の名前を列挙していく。目の前にいきなり現れた衝撃の光景を前にして心の奥からわき上がる興奮を抑えきれず、言葉にして体の外に発散させていったのだった。
そんな興奮した声を上げる二人を微笑ましげに見つめてから、老人がその部屋の中に入りつつ言葉を発した。
「どうだね、凄いだろう? 全て私が地球からコツコツ集めて来た物なんだ。私の宝物なんだよ」
「うん、本当に凄い・・こんなに集めたなんて……」
「でも、どうしてこんなに沢山?」
ライチの質問に対し、老人は朗らかな笑みを浮かべて答えた。
「私、地球のファンなんだよ。正確には地球で作られた物のファンかな」
「ファン?」
「ああ。上手くは言えないんだが、なんかこう、地球で作られた物にロマンを感じるんだよ。懐かしいというか、昔の息吹を感じるというか・・まあ私は地球で生まれた訳ではないんだがね」
「だから集めてると?」
「ああ。目の前にそれがあったらつい手に入れたくなってしまうんだよ。何が何でもね。衝動買いというのに近いかな」
「どうやって地球から物を取り寄せてるんだ……?」
ライチの呟きを老人は聞き取る事が出来なかった。彼の疑問に答えることはせずに老人が言った。
「だから、私は君達に興味があるんだ。地球からやってきたって言う君達にね」
「……」
老人が無邪気な子供のように顔を輝かせて二人に尋ねる。
「だからもっと教えてくれないかね? 君達が地球で何を経験してきたのかを」




