第百一話「ダナ!」
「オサ! オサ!」
鬱蒼と生い茂るジメジメしたジャングルの中を一人の男が駆けていく。肌は浅黒く腰蓑だけを身につけた上半身裸のその若い男は、草花が生い茂り身の丈より高い木々が密集する緑の海の中を飛び跳ねるように駆け抜けながら、しきりに声を張り上げて叫び続けた。
「オサ! どこですか! オサ! 返事をしてください!」
男が叫び、大きく前へ跳躍しながら道無き道を走る。しかし男が右足から着地した瞬間、その足下に槍が空気を裂いて斜めに突き刺さった。
「ムウッ!」
身の危険を察知した男が地に着いたばかりの右足を深々と曲げ、そして槍を引き抜くと同時に曲げた足をバネのように伸ばして大きく後ろに飛び退いた。
ジャンプと同時に体をボールのように丸めて後ろ向きに激しく回転、それによって飛び退きの際に生じた余分なパワーを削ぎ落とし、万全の体勢で数メートル離れた地点に両足で着地する。
「ナニヤツッ!」
男が流れるような動きで槍を構え、鋭い目つきで前方を睨みつける。しかし男が自分の真上から気配を察知して顔を上げた次の瞬間、一つの小柄な影がその真上から彼の眼前にまっすぐ落下した。
「ヨウ! 相変わらずいい反応ダナ!」
男が先に感じたのと同じ気配を察したのは、その気配の主――彼の前に落ちた影が声をかけた時だった。男は影の動きにまったく反応出来なかった。
「でも獲物の察知に時間がかかるのも相変わらダナ! そんなんじゃこのジャングルでは生きていけないゾ!」
「い、いつの間に!」
驚きながら大きく後ずさる男を見てケタケタ笑いながら、その影は彼の持っていた槍をひったくった。
そこにいたのは彼と同じ浅黒い肌を持ち、胸まわりを一枚の布で覆って腰蓑を身につけただけの、露出の激しい、銀色の髪を短く刈り上げた少女だった。その背丈は男の腰ほどしか無く、手にした槍がやけに不釣り合いに見えた。だが件の男はそんな少女を前にして肩を竦ませながらその説教を粛々と聞き入れ、対する少女の方は自分よりもずっと大きな男を前に、無い胸を反らして尊大な態度をとっていた。
「ジャングルでは常に注意を怠るな! ここでは気を抜いた奴から死ぬんだからナ! ちゃんと肝を据えてかかるように! イイナ!」
「ハイッ! オサ!」
「ウムッ、よろしい! してオヌシ、このモロコ様に何用だ? オヌシは確か、今日は狩り当番ではなく通信当番であったはず。一日中我らのねぐらにいるはずなのだがナ」
「ハイッ! モロコ様の仰る通り、私は今日は通信担当であります!」
「そうであろう、そうであろう。なぜなら私は、一週間の役職の当番表を全て頭にたたき込んであるのだからナ」
そう言って自慢げに胸を反らす少女ーー自らモロコと名乗った少女を前にして、男が真面目な表情を浮かべて直立の姿勢を取る。そんな男をまっすぐ見上げながらモロコが言った。
「で、もう一度聞くが、通信当番のオヌシがなぜここに来た? 今日のオヌシはジャングルとは無縁のはずだ」
「ハイッ! 自分がモロコ様の元に向かったのは、例の準備が整った事を伝えるためであります!」
男の言葉を聞いた瞬間、モロコがその両目を輝かせた。
「おお! 出来たと申すか! 周波数がわかったのか!」
「ハイッ! 発見は困難を極めましたが、これでソウアーと自由に連絡を取る事が可能になります!」
「おお、サスガよ! サスガはこのモロコ様の部下よ! どれ、褒美としてその頬にキスしてやろう」
そういって心の底から嬉しそうな笑顔を見せたモロコだったが、いざキスしようとした所で彼女の前に絶対的な身長差が立ちはだかった。普通に立つだけではどうすることもできず、彼女は次いでつま先立ちも試みたが、肝心の唇は男の下顎をかするのが精一杯だった。
「え、ええい、オノレ……!」
しかし部下の手前、自分の背が低いからお前が屈めとは言えなかった。それは彼女の中にある、青空の会ブラジル支部の長としてのプライドが許さなかったのだ。
「ほ、褒美は帰ってからやろう。それまでお預けダ!」
「ハイッ! 了解しました!」
直立の姿勢を崩さず、男が生真面目に返事を返す。その背筋をピンと伸ばした格好が気に入らんのだと小柄なモロコは文句を言いたかったが、それは自分の負けを認める事でもあったので結局言えず終いだった。
「とにかく、一度我らのねぐらに戻るゾ! オヌシも着いてくるのだ!」
「ハイッ! オサ!」
モロコのかけ声に男が答え、彼女の後ろについて元来た道を戻っていく。モロコは件の男のように飛び跳ねはしなかったものの――出来なかったのではない。面倒くさくてしなかっただけなのだ――その足取りは力強く素早いもので、それまで縦横無尽にジャングルを駆け抜けていたはずの男はそれについて行くだけで精一杯だった。
「オオ、そうであった」
と、不意にモロコがそう言って立ち止まる。そしてつられて止まる男へ振り返り、年相応の子供のように弾けた笑顔を浮かべながらモロコが言った。
「そうだ、あれだ。あれ。グンマ」
「グンマ? グンマーがどうかしたので?」
「グンマのオサにもこのことを教えてやるノダ。グンマのオサには色々と世話になったからナ」
「確かに、無線技術やら何やらは全てあそこのオサから教わった物ですからね」
「そうだ! 受けた恩には報いねばナラヌッ! それが心ある者とケダモノを分ける指標の一つなのだッ!」
「ハイッ! ではねぐらに着き次第ただちに!」
「ウムッ! グンマのオサに伝えた後にソウアーと連絡を取るぞ! ヨイナッ!」
「ハイッ! オサ!」
「ではついてまいれ! ハッハッハッ!」
そう言って愉快そうに笑い手にした槍を頭上で振り回しながら、モロコが悠々と――しかし前と同じ速さで歩き始める。男はその歩きになんとかついていき、そうして二人はジャングルを後にした。
オートミールの元に無線を入れる十分前、『原始還元地帯ブラジル』の中での出来事である。
「ブラジルから報告とな?」
中央に尖塔が立つだけの白くだだっ広い空間の中に、そのノイズ混じりの声が朗々と響いた。尖塔の前に立つ男がそれに応える。
「はい。なんでも、ソウアーとの無線通信を可能にする周波数を発見したとの事です」
「ほう」
そこにいない者の発する、感心したような声が響く。男は自分の銀色の頭に手を当てながら、怪訝そうに言った。
「本当に繋がるのかどうか、怪しいものですが」
「それは実際にやってみなければわからないだろう」
「やる気ですか?」
「少なくとも向こうはやるだろうな」
男が悩ましげに低く呻く。ノイズ混じりの男が達観したように言った。
「あの子はそう言う子だ」
「もう少し考えて動いた方がいい気もしますがね」
「自分に素直になれるというのは一つの才能だよ」
「はあ」
よくわからないという風に男が相槌を打つ。ノイズ混じりの声は気にせずに言葉を続けた。
「とにかく、まずはモロコの方から先方に接触してくるだろう。我々が動くのはその後だ」
「向こうの出方をうかがうと?」
「ああ」
「わかりました。ではそのように」
「頼む」
それきり、声が聞こえてくることは無かった。男は声が無くなってからも暫くの間尖塔を見つめ続け、やがてそれから背を向けて部屋の外へと出て行った。
モロコがオートミールに通信を行う数分前、「金属都市グンマ」での出来事である。
「……で、君はいったい何のために我々に通信を? 我々の周波数を勝手に入手までして」
「ウムッ! 実は我らは、オヌシたちとある約束がしたくて通信をしたのだ!」
そして現在、オートミールはモロコと名乗る女と無線通信を行っていた。スピーカーから聞こえてくるモロコの底抜けに明るい声を、オートミールは怪訝そうな顔で聞いていた。
「約束? しかし君たちは青空の会だろう?」
「ウム、確かに前は、我らは青空の会の者だ。しかし青空の会はナ、実はもう存在しないノダ」
それはもう他の人から聞いた。オートミールが声にしないで突っ込む。モロコが続ける。
「それに我らも、最初からあの組織にいた訳ではないからナ。奴らの遺志を継ぐ気はさらさらない」
「……は?」
それは知らなかった。声に出さずに驚くオートミールに向けてモロコが言葉を続けてくる。
「我らは孤高な存在ダ。奴らの存在は知っていたが、奴らのくだらない目的に同調する気は無かった。だが静かに活動していた我らの所に、奴らの方から接触してきた。その時の奴らの装備は、我らに太刀打ち出来るものではなかった。だから我らは生き残るために、あいつらの組織に入ることにしたノダ……しかしあの青空の会はもう存在していない」
「……」
「それでナ、もう青空の会も無くなったから、奴らの流儀に則る必要も無いと思ってナ。それで」
「それで、どうしたいんだ?」
早く結論を知りたいオートミールが催促する。それに対して「ええい、急かすな」と苛立たしげに答えてから、モロコが言った。
「だから我らはオヌシ達と手を組みたいノダ。それも青空の会の残党としてではなく、奴らに組み込まれる前の存在……ミルホとしてナ」
「なんだって?」
聞き慣れない言葉を前にオートミールが眉をひそめる。その声を聞いたモロコが、どこか得意げな声で言った。
「ミルホ。地球に人類がいた頃から今に至るまで、ブラジル一帯の環境再生を行っていた集団の総称ダ。秘密主義の強い集まりだから、我らの存在は地球のどこの記録にも記載されていない。だから火星生まれのオヌシらが知るはずもない」
「そんなところが・・」
「フフン」
モロコが得意げに鼻で笑い、続けてオートミールに問いかける。
「で、どうする? 我らと手を組むか? 互いの目的は同じはずダガナ」
「……」
オートミールは口元に手を当てながら暫く考え込んでいた。そして黙考の末、彼はレシーバーに向けて声を発した。




