第百話「頭が腹痛」
特殊偏光フィルターによって有害な放射線を抑制された太陽光によって照らされ、樹木が植わり綺麗に舗装された並木道を、ライチとカリンの二人は並んで歩いていた。
道の途中に立てられていた時計は午前五時を指していた。自分達以外に道を行く者はいない。そんな無人の道をしっかりと手を繋ぎ、肩が触れあうほどに寄り添いながら。
その光景は一見すれば、恋人がとても仲睦まじく散策しているようにも見えた。しかしその『恋人』のように見えた二人の顔は、実際は肉食獣と相対したかのように強ばり青ざめていた。
「……」
「……」
二人の間に会話はない。手を繋ぐだけで目を合わせようともしない。しかしだからといって、二人は別に不仲な訳でもない。ただ自分たちの置かれた状況についていけず、イチャつく暇も無かったのだ。
無理もない。ここは火星であって、二人は少し前まで地球にいたのだ。おまけに自分達が乗っていたワープ装置は、二人がそこから降りた直後に小さな破裂音を出して全身から煙を吐き始めた。ライチが調べるまでもなく、使い物にならないのは明らかだった。ちなみに彼らがいた部屋は装置の吐き出す煙であっという間に充満し、そのために彼らは追われるようにしてそこを出て行き、今に至る。
「……ねえ」
「……うん?」
暫く歩いたところでカリンが隣のライチに声をかける。どちらの声も力なく、疲れ切っていた。
「私達、どうしてここにいるのかな・・?」
「どうしてって」
「だって私達、ちょっと前まで地球にいたんだよ? なのに今は・・」
そこで言葉を切り、歩きながら周囲を見渡して言葉を続ける。
「ハイヤー専用の散歩用道路を歩いている」
「うん」
カリンが立ち止まり、つられてライチも立ち止まる。そしてライチの方を見つめながらカリンが不安げに言った。
「何があったの?」
「何って」
「あの時よ。あの時、私達に何があったの?」
カリンからの問いかけにライチが黙り込む。カリンに説明すべき事柄を頭の中で纏めていたためだ。そして暫く黙った後、ライチがゆっくりと口を開いた。
「自分でもよくわからないから、上手く説明できないんだけど、それでもいいかな?」
「ええ。ライチの知ってる限りの情報でいいから、教えてほしいの」
「わかった。じゃあ……」
そうして二人は再び散歩道を歩き始め、その中でライチはカリンにあの装置の説明を始めた。
「そんな物があったなんて……」
「僕も話に聞いただけなんだけどね。直接見たのは初めてだったよ」
並木道の脇にあったベンチに二人並んで座りながらカリンとライチが言葉を交わす。ライチの説明はここを見つけて座る少し前に終わっており、聞き終えたカリンはその話のあまりのトンデモさ加減を前に、ベンチに座って暫くの間放心していた程だった。
「今の火星では再現出来ない技術、オーバーテクノロジー……」
「昔の地球は、それはもう凄い技術力だったらしいからね。ジャケットを作ったのも昔の地球人だし、火星を人間が住める環境に作り替えたのも地球人なんだから」
「今まで意識してなかったけど、地球って凄い星だったのね」
ライチの言葉にカリンが感心したように呟き、自分の天上に広がるフィルターをじっと見あげた。この時カリンは直射日光を裸眼で見ていたにも関わらずなんの問題も無かったのだが、それもまたこのフィルターのおかげであった。当然カリンもその事に気づいており、そして顔を元の位置に戻して一度ため息を挟んでから言葉を続けた。
「なんか嫌だな」
「えっ?」
「自分が嫌になったの。地球がそんなに凄い星だって知らないで、今まで馬鹿にしてきたんだから」
「正確には地球そのものじゃなくて地球に住んでた人が凄かったんだけどね」
「言葉のあやよ言葉のあや。ライチは細かい所を気にしすぎ」
「ごめん、性分でさ」
カリンの言葉にライチが返し、そのまま二人して笑い声をあげる。二人で笑いあったこの瞬間だけ、ライチ達は今の自分達が置かれた状況を忘れることが出来た。
だがその幸せな時間も長くは続かなかった。
「おんや?」
不意に近くからしわがれた声が聞こえ、二人が同時に引きつったように笑い声を止める。そして声のした所へ目を向けると、そこには腰を曲げて片手で持った杖で体を支えた一人の老いた男がいた。
「あんたたち、随分楽しそうじゃのう。いやあ、青春ってのはいいもんじゃのう」
そう言った老人が愉快そうに笑う。しかしそれを聞いていたライチとカリンは顔を引きつらせたまま少しも笑おうとしなかった。
老人の冷やかしにドン引きしたからではない。彼の服装がとてもしっかりとしていて、見るからに高級そうな装いをしていたからだ。
「うん? そういえばあんたら、随分汚れた格好しとるのう。まるで灰やらススやら被ってきたみたいじゃ」
老人の言葉に、二人が驚いたように全身に目を走らせる。二人の体は彼の言うとおり、確かにこの清浄な所には場違いな程に汚れきっていた。
少し前まで砂だらけ瓦礫だらけの場所にいたのだ。汚れているのも当然だった。カリンの着ていた制服――かつては上流階級にふさわしいよう完璧に仕立てられた制服も今は至る所がボロボロに擦り切れかつての面影は全く無く、元からロウアーにいたライチに至ってはただでさえボロボロだった服が更に酷いことになっていた。
「なんじゃ? 暖炉の灰でもかぶったか? それとも……」
そんな彼らが地球から来た事など露知らず、老人がのんびりした声で持論を展開していく。しかしこの時、ライチとカリンはこの無害そうな老人に対して身の危険を感じていた。その理由はただひとつ、自分達がここに――ハイヤーのいるべき場所に似つかわしくない格好をしていたからだ。
「あ、まずい」
「これ完全にロウアーの格好じゃん。」
カリンとライチが小声で言い合う。老人には聞こえていないようだった。
もしロウアーだと思われればそこで終わりだ。このハイヤーの地にロウアーの居場所は無い。その場で捕まって不法侵入の罪で収容所に連行されるか、警察ではなくハイヤー本人に捕まり、その家の所で奴隷のように扱われるだろう。地球から来たと言っても信じてはもらえまい。
「それとも……ううん……」
言うなれば、この目の前で何かを思いだそうと煩悶している老人が早とちりをするだけで、二人の命運が簡単に決まってしまうのだ。二人は目の前の男が服の汚れを気にした段階でそれに気づき、そしてカリンは縋るようにライチの手を握る力を更に強め、ライチはここから逃げ出す算段を頭の中で必死に組み立てていた。
いろんな意味で、ここに長居は無用だ。
「おお、そうか」
だがライチのそれは無駄な足掻きだった。
「あんたら、ロウアーじゃろ?」
そう断言してから、ひっひっひっ、と愉快そうに老人が笑う。その声を聞いた二人は周りの音が段々と聞こえなくなり、目の前が真っ暗になっていくのを感じた。
青空の会襲撃が一段落ついた後、オートミールは事後処理に忙殺されていた。唯一無傷だったドックの中に臨時の司令室を作り、そこでシドと共に損害及び負傷人数の確認や、瓦礫撤去作業の総指揮にあたっていた。負傷人数の確認には先の戦闘によって精神的ストレスを負った者のケアも含まれていた。
やるべき事は大量にあって、まともに動かせる人員は足りなかった。おかげでわざわざ海の向こうからやってきた『カサブランカ連合』のクルー達にも手伝ってもらう羽目になったのだが、それは彼らにとっては僥倖とも言えた。
ライチが消えた。その実感を、仕事に追われている間は薄める事が出来たからだ。
「司令、通信です」
急造のデスク――なるべく平らな瓦礫を組み合わせただけの粗末極まりない物――の前にあぐらをかいていたオートミールの前に彼の部下の一人がやってくる。オートミールはそれを聞いた後、その部下と共にシドの部隊が持ってきた輸送シップの中へと入っていった。この時彼らの手元に唯一残っていた無線機器がこのシップに積まれている物であり、これは機体内部の壁と一体化していたために外に引っ張り出す事が出来なかった。
「誰からだ? もしかして火星から?」
「いえ、そうではありません。逆探知したところ、発信元は地球からのようです」
部下の答えにオートミールが軽く肩を落とす。その通信に一縷の望みをかけていたのだが、無駄に終わってしまったようだ。
「では誰から?」
「わかりません。こちらが何度問いかけても名乗ろうとせず、ひたすら司令を出せと繰り返すだけでして」
「私を?」
オートミールが眉をひそめる。部下も困ったような表情を浮かべ、彼に向けて「ええ、あなたを呼んでいます」と返した。
「いったい誰なんだ。特に恨みを買った覚えはないんだが」
「そういうのって知らない所で意外と溜まってる物だったりしますよ」
「そういう物なのか。釈然としないな・・おっと」
そんなやり取りを繰り返しているうちに、二人は件の輸送シップの後部ハッチの前まで辿り着いた。軽い坂道になっている開口部を渡り、奥にある階段を使って上階の通信室へ向かう。
「まったく不便だな」
「文句言わないでください」
オートミールの言い分に部下が口を尖らせる中、二人が通信室の扉の前に立つ。部下がドアを開けてオートミールが中にはいると、そこにいたもう一人の部下が直立の姿勢で敬礼した。
「ご苦労様です!」
「うん。それで、通信は」
「こちらであります!」
適当に返したオートミールに向かって、その敬礼した部下は力強く答えた。その元気の良さに頼もしさと鬱陶しさを半分ずつ覚えながらオートミールが席に着き、通信装置のレシーバーを受け取る。
「あーあー、テステス。まだそっちにいるかね?」
「おう、いるぞ!」
こっちもやけに若々しく元気な声だった。デジャヴを覚えながらオートミールが言った。
「待たせてすまない。私が」
「お前がオートミールか! ソウアーの総司令官の!」
「……ああ、そうだ」
おまけにこいつは人の話を聞かないようだ。軽い頭痛を覚えて眉間を指で揉んでから、オートミールが改めて声をかける。
「で、君は誰だ? 私になんの用なんだ?」
「おお! そういえばまだ名乗ってなかったな! 本題に入る前に自己紹介させてくれ! いいか!?」
「どうぞご自由に」
「おっし!」
投げやりに返されたオートミールの言葉に対しても、向こうの声はテンションを少しも変えなかった。相手が誰であれ、この通信を取るんじゃなかった。オートミールはこの底なしに明るい通話相手を前に心底後悔したが、次いで向こうからもたらされた言葉が彼の懊悩を吹き飛ばした。
「おれ、モロコ! ブラジルの支部の一つで長やってる!」
「……支部?」
「おう! 支部! 青空の会の長の一人だ! 今日はソウアーに用事があって通信した! ちょっとでいいから話しようぜ!」
オートミールの頭痛の種が増えた瞬間だった。




