第一話「赤の星より」
そこは広大な閉鎖空間だった。
高さ十メートル。横幅二十メートル。長さ七十メートル。角張った作りで天井には白色灯が規則的に並べられ、それが人間のために作られた物でない事は、それ自体の広さやその中に点在している運搬用大型クレーンなどから容易に想像できた。
そして無機質な灰色一色で染め上げられたその空間の上部、下方を見下ろすようにして作られた、出っ張りのように突き出した通信室が存在した。
「電池装填完了。バッテリー残量九十八パーセント。各部動力伝達機関異常なし」
「よし、問題はないな。関節は?」
「各関節部分、異常なし。金属疲労、及び過剰摩擦も見られません」
「そうか。それは一安心だ」
その通信室――こちらは清潔な印象の強い白で統一されていた――の中に二人の男がいた。
一人は手前に座って前のモニターとにらめっこしていた痩せ型の若いオペレーター。もう一人はその背後で腕を組んで立っていた大柄な髭面の男。
その二人は揃って水色を基調としたカッチリと形の整った服に身を包み、そして髭男の胸には身分証明書がつけられてあった。
第三火星防衛軍特殊部隊「ローリエリーフ」副参謀シド・ブラックペッパー。
髭の男の身分証明書にはそう書かれていた。
「コンテナ降ろせ。各員に武器装備をさせろ」
「了解。重装一式コンテナ、降下させます」
「弾薬もありったけだ」
「特殊弾装填型の予備弾倉ですね? お待ちを」
彼らの下方、天井のライトに照らされた地に向かって、長方形の黒いコンテナを横につり下げた十五のクレーンが降ろされていく。やがてクレーンは途中で動きを止め、そしてその位置に固定されたコンテナの上部が重苦しい音と共に開かれていく。
「武器は? 何も問題は?」
天井から垂れ下がった黄色いクレーンの一つを見つめながらシドが尋ねる。クレーンの代わりにモニターに目をやりながら、部下がそれに答える。
「バズーカ砲。火炎放射器。ドラムマガジン式のグレネードランチャー。全て問題ありません。装弾も完了しており、劣化も見られません」
「そうか。久しぶりに使うからどこかしら故障しているんではないかと思っていたんだが……」
「整備の連中が頑張ってくれましたからね」
「万事順調と言う訳か」
シドがそう呟く一方で、彼らの足下では、ガシャリガシャリと中身の詰まった金属物を揺らすような小気味良い音が聞こえてきていた。
人が銃を掴む音。
下から響くその音を耳にしながら、シドとオペレーターはまるで今から戦争を始めるかのような高揚状態の中で、着々と作業を進めていった。
「おはようございます。午前六時四十五分をお知らせします。おはようございます……」
薄暗い部屋の中、壁に埋め込まれたデジタル時計が無機質な電子音声を用いて、嫌に礼儀正しいアラーム音を鳴り響かせる。
「おはようございます。約束の時間です。早く起きて下さい」
アラームは尚も自己主張を続けている。そんな壁時計の真下に縦に据えられたベッドの上、真ん中を膨らませた毛布がもぞもぞと蠢動した。
アラームの主張は続く。
「ただいま、午前六時四十六分となりました。一分オーバーです。早く起きて下さい」
「……」
「起きて下さい。約束の場所に間に合わなくなってしまいます。ライチ・ライフィールド、起きて下さい」
例え誰から呼ばれたにしろ、自分の名前を――しかもフルネームで呼ばれれば、誰だって少なからず反応してしまう物である。
それ故に、それまで毛布にくるまってささやかな抵抗をしていたライチ・ライフィールドが眠っていた意識を引きずり出され、嫌々ながらその毛布の中から這い出して来たのも当然の成り行きであった。
「……ッ」
ライチが起床すると同時に、窓のカーテンが自動で一気に開かれ室内の照明が一斉に点灯する。その突然の光の襲来にライチが顔をしかめ、やがて億劫そうな口調で言った。
「……おはよう」
「おはようございます、ライチ。とりあえず顔が酷いので、まずは身だしなみを整えてきてください」
室内の電子機器の制御を一手に担うコンピュータAIが指摘する通り、天井に設置されたカメラのレンズに映る彼の顔は、とても酷い物であった。
その金色のショートヘアは癖だらけでボサボサであり、澄み切った水色の瞳は力なく半目に見開かれ、細く形の整った眉根もだらしなく垂れ下がっていた。
左側の壁の一部が縦にスライドし、その中から先端に鏡をくっつけたロボットアームが音もなくライチの元へと伸びていく。
「……うん、酷いね」
そこに映る自分の顔を見て改めてライチが顔をしかめる。そして鏡が元いた場所へと引っ込んでいくのと同時にライチがベッドから降り、そこで軽く背伸びをしてから自分を起こしてくれたメインAIに話しかけた。
「じゃあ僕は顔洗ってくるから、着替えとかの用意よろしく」
「かしこまりました。着替えはAパターンでよろしいでしょうか?」
「うん。それで」
「朝食はいかがしましょう?」
「トーストとコーヒー用意しといて。パンは一枚だけで」
「かしこまりました」
一通りの指示を飛ばしてから、ライチが頭を掻きながら洗面所――寝室兼居間と玄関を繋ぐ通路の間に据え付けられた浴室一体型の洗面所――に向かう。そのライチの背後ではベッドが左右に割れた真下の床の下に収納され、そして通路出入口の横にある方の壁に埋め込まれたトースターとコーヒーメーカーが自動で動き始めたのだった。
ライチは今年で十七になる。
学校には行っていなかった。
彼の生きる火星社会の中では階級制度が敷かれており、そして彼は学校に行ける程高い身分の持ち主では無かったからだ。
彼のような下層市民――火星社会では『ロウアー』と一括りに呼ばれていた――がするべき事は、上層市民――こちらは『ハイヤー』と呼ばれていた――がするように学校に入って頭脳労働をする事ではなく、工業エリアにて鉄と鉛に囲まれながら肉体労働に勤しむ事だったのだ。
「……」
だが彼は手早く着替えと朝食を済ませた後に、この件の『ハイヤー』達が通う『リーリン第三高等学園』に続く横幅の広い通学路――車が横に二台並んで走れる程度の幅があった――の上で、時折首をキョロキョロ回しながら、ただじっとそこに立ち尽くしていたのだった。
当然ながら彼は学校には通えない。そして今彼のいる所は、家から自分の『職場』へと至る道ではない。大体、自宅から職場までは歩いて二分で辿りつけてしまう。要するに、家から歩いて十分以上かかるこの場所は、普通ならばライチが関わり合いになるような所ではないのだ。
にも関わらず、彼は職場に遅刻しない程度に朝早くに起床し、パンとコーヒーを腹の中に押し込んでここに寄り道しては、毎日こうしてその場で立ち尽くしていたのだった。
なぜか? その理由は――
「ラーイチ!」
と、その時、バッグを斜めに提げた一人の少女が、ライチより左手の方向から手を振りつつ快活な声を上げてライチの方へと駆け寄ってきたのだった。
一方のライチもその少女の姿を認めるやその顔を一気に綻ばせ、そして駆け足で少女の元へと走りだしていった。
やがて互いの影が重なるくらいの位置にまで両者が近づき、そこで立ち止まってから互いに見つめ合う。
「ごめん、待った?」
そしておもむろに、茶色い髪をサイドテールに纏めたライチの肩程の上背を持った少女が上目遣いでそう言った。そしてそれに対してライチが苦笑しながらも明るい声で返す。
「まさか。僕の方はともかく、君の所はまだ寝ててもいい時間の筈なんでしょ? こっちとは違って遅刻になるまで余裕があるんだから、ちょっと遅れたくらいでそんなに気にしなくてもいいよ」
「いーやーよ。気にするなって言われても私は気にするの」
「相変わらず強情だなあ」
言うだけ言って聞く耳は持たないと言いたげにそっぽを向いた少女に、頭を掻きながらライチが言った。
「……前から聞こうと思ってたんだけどさ」
「……なによ?」
「どうしてそんなに気にするのさ?」
「……そんなの当たり前じゃない」
少女がライチの方を向き直る。
「だって……私だって、少しでも長くあなたといたいんだから……気にして当然じゃない……」
そしてそれまでの強気な態度から一転して、顔を赤らめて伏し目がちに弱々しい口調で少女が告げる。
「カリン……」
そんな彼女の愛らしい姿を目の当たりにして、ライチは「ああ、やっぱり僕はこの子が好きなんだな」と彼女の名を呟く傍ら、心の中でそう再認識するのだった。
「……そんなにジロジロ見ないでよ、馬鹿」
「ご、ごめん」
そしてカリンの不意打ちを受けて、ライチもまた顔を真赤にしてバツの悪い表情を浮かべながら、あさっての方向に顔を背ける。カリンもカリンで、目を伏せたまま眉間に皺を寄せ始める。
若干気まずい空気が流れ始める。だがその数秒後にはどちらからともなく笑い声を上げ始め、もう片方もまたそれに同調するようにして笑い声を上げて行く。その二つの笑いは相乗的に大きくなっていき、やがてそれまでの険悪なムードを全て押し流すかのように、二人して大笑いをし始めた。
「もう、本当にやめてよね? 実際かなり恥ずかしいんだからさ」
「ごめん、その……カリンが可愛かったから、つい」
「もう……本当に馬鹿なんだから」
そうして一通り笑いあった後、互いに言葉を交わし、笑顔を交わし合う。それは互いの通学時間と通勤時間ギリギリまで行われる、二人だけの幸せな時間。
ライチ・ライフィールドとカリン・ウィートフラワーは恋人同士だった。
だが階級の壁が二人の間に立ちはだかっていた。ロウアー出身のライチがカリンの元に行く事など言語道断だし、逆にカリンがライチの元へ行くのは、その清潔な心が汚れるとしてカリンの家族が断固反対していた。
「ごめんね。うちの家族が頭でっかちで」
「気にしてないよ。こうして君と会えるんだから、僕は全然気にしてない」
「……ありがと」
だからこうして、誰も邪魔しない早朝に二人で出会い、こっそりと二人だけの時間を過ごしていたのだ。
そう。誰にも邪魔されない。
今までは。
「ああ、姉さんやっぱりここにいたんだ」
どこか棘のある言葉が、幸せの中にいた二人を現実に引き戻した。
「ほら、そんな奴と一緒にイチャついてないで、早く学校行くよ?」
「……ジェイク」
カリンが後ろを向き、自分に声をかけてきた少年に対して恨めしそうに彼の名前を呼ぶ。そして呼ばれた少年――ジェイク・ウィートフラワーは外向きにハネた水色の短髪を弄りながら、そのカリンの恨めしげな視線を真っ直ぐ受け止めながら彼女に返した。
「なんだよ、そんな嫌そうな顔して。言っておくけど、姉さんがそうやってイチャイチャしてられるのは、僕のおかげでもあるんだからね」
「何よ、それ。どう言う意味よ」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてジェイクが言った。
「僕、見てたんだよ? 姉さんが朝早くに起きて、学校に行く前にそうやってそいつとひっそり会ってる所、いつも後ろで見てたんだからね――今日はもう我慢できなくて出てきちゃったんだけど」
「僕とカリンがこうするようになったのって、確か……」
「五ヶ月くらい前から……じゃあそれから今までずっと……」
カリンが顔を青ざめさせ、またすぐに睨みつける表情に戻ってジェイクに言った。
「ストーカーじゃない。気持ち悪い」
「何とでも言って良いよ。僕はただ、姉さんが穢されないように見守ってただけなんだから。それよりさ――」
ジェイクが一歩前に出る。
「言ったよね? 朝、姉さんのやってる事は全部見てきたって」
「……だから何?」
「それ、僕がパパとママに告げ口してもいいんだよ?」
「――ッ」
両親の存在を出され、カリンが目に見えて鼻白む。その様子を見て勝ちを確信した底意地の悪い笑みを浮かべながら、ジェイクがそのカリンの手を取って強引に引っ張っていこうとする。
相手が恋人の実の弟とは言え、自分達の時間を余所者に踏み躙られるのは我慢ならない。カリンが露骨に顔をしかめるのを見て、ライチが反射的にカリンの片方の手を握る。
「やめろッ」
ライチがジェイクを睨みつける。
「強引にするな。彼女が嫌がってる」
ジェイクがそう言ったライチを睨み返して言葉を返す。
「その手を離して下さいよ」
「何を――」
「汚れた手で姉さんに触るな」
一方的にそう吐き捨て、そして前より一層侮蔑のこもった眼差しを向ける。
ハイヤーはロウアーに対して過度の差別意識を抱いていた。政治を動かしているのは全てハイヤー達であったので、支配者意識が芽生えるのは仕方のない事であったのだが。
「鼠が姉さんに近づくな」
ジェイクのそれは度を越していた。
「姉さんはお前の物じゃないんだ。お前が好きにしていい物じゃない。わかったらとっととその手を離すんだよ」
「そんな事、出来るわけ無いだろ。僕達がどこで誰と会おうが、君には関係無い事だろ?」
「パパとママに言いつけるぞ!」
「お願い、手を離して」
ジェイクの言葉に合わせてカリンが言った。ライチは愕然とした。
カリンが首を動かしてライチの方を向く。目尻に涙を溜めながら、カリンが言った。
「……ごめんなさい」
「カリン?」
「父さんと母さんにこの事がバレたら、絶対にロクな事にならない。でも、私の事はどうでもいいの。別にぶたれたって構わない。でも――」
カリンがじっとライチを見つめる。
「あなたにも迷惑をかける事になる。私は、それが一番イヤ」
「カリン……」
「だから、お願い」
カリンの心からの懇願。ライチは断れなかった。
ライチの手が自然とカリンを離していく。するりと手が離れ、同時にジェイクがカリンを力任せに引き寄せる。
「ふん。鼠が」
それがライチが自分に屈したからだと勘違いしたジェイクが、勝ち誇った顔で居丈高に言ってのける。そしてすぐに猫なで声に変わり、カリンを更に自分の元へ引き寄せつつ彼女に言った。
「さあ、姉さん。一緒に学校に行こうね」
「……」
カリンは黙って頷いた。状況の悪化を防ぐために、それしか出来なかった。
「カリン……」
そしてライチもまた、その寂しげなカリンの背中を呆然と見つめる事しか出来なかった。
その背中が見えなくなるまで、己の無力を呪い続けた。
そのオペレーターは慣れた手つきで手元のコンソールに指を走らせ、コンソール上部にあるモニター画面の表示を注視しながら現在の状況を伝えていく。
「全兵装装備完了。フライトユニット接続完了。電池との同調……完了」
「足のロックを外せ」
「了解。全てのロックを解除――副参謀、全『ジャケット』発進準備完了しました」
「うむ」
そしてこちらを振り返ってそう告げてくるオペレーターに、シドが生まれつきの険しい顔で小さく頷く。そしてオペレーターの真横に立ち、前方に据え付けられた防弾耐爆機能を持つガラス窓の向こう、三列縦隊で直立している十五体の『それ』を見下ろしながら、しみじみとした口調で言った。
「まさか、戦時中の道具をこんな目的で使うことになろうとはな……」
ジャケット。
丸みを帯びた流線型のフォルムと同じく緩やかな曲線で構成されたのっぺらぼうの顔を持つ、全長五メートルの有人型人型機動兵器。全体的に角張らず滑らかな印象を持っていたのは、全ての関節部分に球体関節を採用し、動きやすさを重視した煽りを受けたためである。なお、関節部分に防護用の装甲はついていない。
そんなジャケットはかつて何十年と地球規模で起きた――そして地球を人の住めない星へと変えて行った――世界大戦に於いて主戦力として活躍し、兵士も民間人も、老若男女問わず、多くの命を殺していった。地球上の文明を破壊し、ただでさえひっ迫していた地球環境を更に追い詰め、手にした銃で眼下の人間を真っ赤な挽肉に変えて行った。
今日において、ジャケットは『人類の歴史上で最も多くの人命を奪った存在』として、多くの火星に住む者たちに認知されていたのだ。
その一方で、その後ジャケットは宇宙進出に際し、人類同士の戦争根絶を象徴するために全ての兵装をオミットされ、万能作業用具――所謂『重機』の一ジャンルとして生まれ変わったと言う、兵器としては前代未聞の経歴を持つロボットでもあったのだ。
かつて銃を持ったその手で、今は自分が扱えるまでに相似拡大された溶接バーナーやハンマーを振ってあらゆる開発活動に勤しんでいる。かつての万能破壊兵器が、今や創造のために汗水たらしてあらゆる場所で働いている。
「時代は変わるものだ」
子供の頃に学んだ『ジャケット』の歩んだ数奇な歴史を端的に思い出しながら、シドがその自慢の顎髭をさすって感慨深く呟いた。
「――副参謀、なにか?」
「いや、なんでもない」
そして怪訝な表情を見せるオペレーターにそう言って頭を振ってから、シドはモニター横にあるレシーバーマイクを手に取ってそれに向けて言葉を放って言った。
「作戦時間に変更はない。作戦内容も変更はしない。全て予定通りに、迅速かつ正確に行なってくれ」
「了解」
「以降、本作戦のコードネームを『フラワー』とする。各員、気を引き締めてかかるように」
「了解」
シドの言葉に対して、十五人十五色の人間の肯定の声が一斉に返ってくる。それに対して、表情を変えないままにシドが頷く。
「隊長、質問が」
と、件の了解の言葉に続くように、一人の人間の声がシドの元へと渡ってきた。
女の声だった。
まだ時間には余裕がある。シドはそれを聞く事にした。
「なんだ、何が聞きたい?」
「ジャケットの事について、要望が一つ」
「要望?」
訝しむように聞き返すシドに「はい」と答えてから、その女が言葉を続けた。
「『フランツ』が使いたいのですが」
「……なに?」
「今回我々にあてがわれたのは『マリア』でした。しかし私は『マリア』みたいな貧弱な物ではなく、もっと頑丈で安定性の高い物が使いたいのですが」
「だから、『フランツ』をよこせと?」
「はい」
そんな女の言葉に対して、シドが少しの間、額に指を押し当てて考えこむ。そして指を離して顔を上げ、再びマイクを近づけてシドが言った。
「……計画書は読んだはずだ。今回の作戦は空中から行う手筈になっている。『アワジ』ならともかく、『フランツ』みたいな鈍重なブツで空が飛び回れるわけ無いだろう」
「そこは何とか、気合でカバーします」
「気合でどうにかなるものでもないだろう。嫌なのか? 『マリア』を使うのはそんなに嫌なのか?」
「嫌です。『フランツ』が使いたいです」
「この女……」
自分の意見をハッキリと臆面もなく言ってのけるその女に対して、シドが憎々しげに顔をしかめる。そして人手不足だからとは言え、考えなしに『傭兵』を雇うべきでは無かったと心から悔やんだ。
「お願いです。なんなら自分のガレージから『フランツ』引っ張ってきてもいいので、使わせて下さいお願いします」
「……」
傭兵――この平和な時勢では『派遣社員』と形容すべきか――というのは基本的に雇い主に対しての『躊躇い』と言う物を持っていない。正規の人員と違い、自分の仕える上司の恐ろしさを知らないからだ。
「……ふん」
ならば、その恐怖を言う物を一から教えてやればいい。それも傭兵にしか効かない、そして傭兵には確実に効果を発揮する手を使ってだ。
不機嫌さを隠すように冷静な口調でシドが言う。
「雇われ。お前の名前を教えろ」
臆する事なく女が言葉を返す。
「ジンジャー・バーリィ」
「ジンジャーか。よしわかった。ではジンジャー、そんなに使いたければ使うがいい」
「え、いいんですか?」
「ああ。ただし」
怖いもの知らずのジンジャーにシドが止めを刺す。
「お前報酬ゼロな」
「え」
「お前報酬ゼロな」
マイクの向こうが痛々しいほどに沈黙する。そして数秒の後に、ジンジャーの言葉がマイクから響く。
「ごめんなさい」
「よろしい」
ジンジャーが折れたのは当然の帰結だ。これであいつもでしゃばる事は無くなるだろう。
そう考え、そしてすぐに気分を変え、シドが全員に聞こえるように声を大きくして言った。
「諸君、作戦時間まであと少しだ。各員、最終チェックを済ませておくように」
「了解」
その見事にハモった肯定の返事を受けて、満足そうにシドが頷く。
そしてその時、横にいたオペレーターがシドの方を向いて静かに言った。
「副参謀、時間です」
正午。
昼休みの時間と言う事もあって、ロウアー労働者用の共同食堂は人でごった返していた。
カウンターの前に一列に並び、反対側にいる調理用ロボットがレンジで暖めた合成食料を皿に盛りつけて労働者の持つトレイの上に置いていく。料理を受け取った労働者はそのまま背後にあるテーブルの一つに腰を下ろし、そこで昼食をいただく。
その人の流れの中にライチがいた。
「はあ……」
共同食堂はロウアーの人間を分散させて効率を上げるために複数存在しており、ライチはその中の二十七番目の食堂の中で昼食をとっていたのだった。
「はあ……」
そこには老若男女問わず、様々な人間が一緒くたになって昼食を食べていた。ライチと同年代の人間もいればずっと年上の人もいるし、彼より年下の人もいる。シワだらけで明らかに介護が必要な人間もその中にちらほら混じっている。
「はあ……」
そんな人間の坩堝の中で、ライチは一人誰よりも暗い顔をしながら溜め息を吐いていた。
「はあ……」
あれから失意のまま職場へと向かったライチは、そこでタイムカードを切り午前の部の仕事に従事し、それを一旦切り上げて食堂に向かい、そこで今こうして料理を受け取って席について昼食をとっているまでの間、この様に海よりも深い溜息を吐き続けていたのだった。
「おいおい、どうしたライチ? そんな溜め息吐いてると、幸運が逃げちまうぞ?」
「もう十分逃げてますよ……はあ……」
「おいおい……」
そしてそんなライチを見兼ねて工場長――ライチの上司にあたる禿頭の男――が自分の分を載せたトレーを持って彼の横に座り、こうして声を掛けてきたのだが、
「……はあ……」
ライチの病状は一向に改善しなかった。
「こりゃダメだ。重傷だな」
「そうなんです……もう今日一日は立ち直れそうにありません……はあ……」
「おいおい。マジで大丈夫か……? 俺で良ければ話し聞くぜ?」
「いいんですか?」
「ああ。こう言うのは、誰かに話した方がすっきりするって言うしな。どうだ? 話してみるか?」
「ううん……」
そうして暫く迷った後、結局ライチはこれまでの顛末を全て話す事にした。
簡潔に纏められたその話は数分で終わった。
「と言う事なんです」
「ああ、そういう事だったのか」
配給された『ハンバーグ』――と名付けられた焦げ茶色の直方体状の固形物――をフォークで切り分け口に運びながら、今度は話を聞き終えた工場長が唸り声を上げた。そして『キャベツ』と名付けられた緑色の円形の食料をフォークで突きながら尚も暗い顔をしているライチに向かって、工場長が芯の通った声で言った。
「よし、こう言う時は何か他の事を考えて気分転換するのが一番だな」
だが工場長は細かく物を考えるのが苦手だった。そして陰鬱の極みにあったライチの肩を強く叩き、突然の事に驚いているライチに向けて工場長ガ言った。
「ライチ、ジャケットの製造過程及び基本モデルを言ってみろ」
「え、いきなり何ですか?」
「いいから。言ってみろ。ジャケットは俺達の専門分野だろうが」
「は、はあ。わかりました」
力なくそう頷いてからライチが脳内に意識を向ける。そして仕事をする中で頭に染み付いた記憶を引っ張りだし、工場長の目の前で流暢に話し始める。
人型機動兵器『ジャケット』の整備及びパーツ開発。それがライチが物心ついた時からこの場所で従事していた『仕事』だった。
ジャケットを作る際には以下の過程を踏む必要がある。
まずは人間で言う所の『骨格』にあたる、『モデル』と呼ばれている基本フレームを用意する。そしてそのモデルの中に『内臓』とも言うべき動力増幅機関を搭載し、最後にその上から『皮膚』となる外部装甲を装着していく。外部装甲の制約としては、球体関節の可動範囲を妨げてはいけない、空気抵抗を抑えるために流線型にしなければならない、等が存在している。
ちなみにジャケットは体内にエンジンやジェネレーターを搭載していない。背中のバックパックの中に専用の充電池を二本装填し、そこからエネルギーを得て動くのだ。
そしてジャケットの要となるモデルには、全部で三つのパターンが存在している。
日本人技術者の淡路英夫が開発した、機動力と防御力の両立を目指したバランス型の『アワジモデル』。
ドイツ人のフランツ・ミューラーが開発した、フレームの強度を増やす事で大量かつ強固な外部装甲の装着を可能とした代わりに、肉厚なフレームによって機動力が殺され、更に自重の影響から最も背が低くなった『フランツモデル』。
そしてアメリカ人のマリア・ホワイトが作製した、モデルの中では一番背が高く細身で、フランツモデルとは対照的にフレームの重量を極限まで削ぎ落とし、防御を犠牲にして機動力に特化した『マリアモデル』の三つだ。
ジャケットの開発者達はそのモデルの中から一つを選び取り、そしてその既存モデルのコンセプトに合った通りに装甲を貼り付けていくのだ。『フランツモデル』ならばメタボ体型と揶揄される程に重装甲化を施してダルマのような形にしたり、『マリアモデル』なら逆に痩せ型を通り越して華奢と呼ばれるまでに軽量特化の装甲を被せていく。極限にまで速さに特化したマリアモデルの装甲など、もはや『防御する』ためではなくフレームを『隠す』ために付けられていると言われる程に薄く、装甲としては本末転倒な代物であった。
勿論モデルのタイプを無視して装甲を好きなように装着していく事も出来るが、そんな事をするくらいならその目的に合ったモデルを新しく用意した方が手っ取り早い。
文字通り、モデルとはジャケットの基礎基本であり、そしてそのジャケットの方向性を位置づける最も重要な部位であるのだ。
そこまで一息に言い終えて、ライチが深呼吸をして息を整える。そしてそれを最後まで見届けた後、工場長がライチに言った。
「どうだ。落ち着いたか?」
その言葉を受けて、ライチが小さく笑いながら返した。
「はい、なんとか」
「そうか。そいつは良かった」
まだ若干わだかまりは残っていたが、それでも気分転換にはなれた。カリンに比べれば遠く及ばないが、それでもライチは長い間面倒を見てきたジャケット達に愛着を抱いており、そして自分の仕事に誇りを持ってもいた。
ロウアーは決して奴隷ではない。彼らは作業を効率化させるために火星政府が民間人をそれぞれ頭脳労働と肉体労働をする人に振り分けた際にそこに配属されただけであり、決して悲惨な境遇にいる訳ではなかったのだ。
「まあ、思いつめる気持ちもわかるが、あまり考えすぎるなよ。お前はたまたま悪い奴に出くわしただけなんだ。ハイヤーの全員がああだって訳じゃないんだからな」
「はい」
「わかったか? わかったらもっと大きな声で返事をするんだ」
「はい!」
「よろしい」
ライチの声を聞いて、満足そうに工場長が頷く。そして切った『ハンバーグ』を口に入れてよく咀嚼し飲み込んだ後、おもむろに工場長がライチに言った。
「ああ、それと後で通達しておく事なんだがな」
「はい。なんでしょうか?」
「今日の仕事は午前で終わり。午後の仕事は無しだ」
「え、無しなんですか?」
「ああ」
突然の事に呆気に取られるライチの横で、そう言ってのけた工場長は平然とコップに入った水――水素と酸素を化合させて生み出した合成品である――を一気に飲み干し、その後でライチに言った。
「お前、今日が何の日か忘れたのか?」
「今日って何か特別な日でしたっけ?」
「馬鹿、特別も何も、今日は一年に二回だけ行われる、超貴重な一日だろうが」
そこまで言われて、ライチが思い出したようにはっと顔を上げる。それを見て「気づいたか」とニヤニヤしながら工場長が返し、そしてそのままライチに向けて言った。
「思い出しただろ? 今日はあの日だ」
「ああ、そう言えばそうでしたね」
「そうだよ、あの日だ」
クリスマスプレゼントを待ちわびる子供のように瞳を輝かせて工場長が言った。
「緑の日だ」
オペレーターの声が静かに、だが何よりも明朗にシドの耳に響く。
シドがオペレーターを見返して頷く。オペレーターがそれを受けて、コンソール脇にある赤く点滅するボタンを押しこむ。
警報が鳴り響き、空間上部の天井が金属の軋む音を立てながら左右に割り開かれていく。
天から太陽の光が降り注ぎ、そこに立ちすくむ巨人の姿を白日の下に晒す。
真っ青で痩せぎすの体躯。小枝かと思ってしまう程に細く長い四肢。
装甲を捨て、機動性を重視したジャケット『マリアモデル』だ。
「さて、年に二回のお祭りの日だ」
マイクを握る手に力を込め、眼下の機体群に目をやりながらシドが言葉を放つ。
「コードネーム『フラワー』開始――行ってこい!」
その言葉を皮切りに、ジャケットが一瞬だけ膝を曲げ踏ん張った姿勢を取り、そこから地面を蹴りあげて垂直にジャンプをする。
足が地面を離れる刹那、背中に搭載されたフライトユニットの真ん中にあるメインブースターを点火させ、空間内部を煙で満杯にしながら一気に外へと飛び出していく。
十五の巨人が、一斉に外へと放たれる。
そして上昇の頂点でフライトユニット左右に付けられていた四枚二組のウイングを展開させ、空中でターンを行い編隊を組みながら目的地へ真っ直ぐ向かっていった。