約束
かなり厳しい、かな?(現在18日)
楽しかった。
純粋にそう思える。僕はそう思いながらお姉ちゃんと陽太と山辺さんと一緒に帰っていた。
須賀さんは反対側らしく、美咲さんはショッピングモールの近くに家がある。だから、僕達は四人で帰っていた。
たくさんの様々なことがあった。だけど、いろいろと楽しいことがあった。だから、楽しかった。
「遊んでたら時間が進むのが早いよな」
陽太がそう僕達に語りかける。すでに空には月が上り、僕達を街灯と共に優しく照らしている。
「そうだね。本当に楽しかったね」
「これで星空に橋がかかっていたらな」
「どういう意味?」
相変わらず、陽太が何を言っているかわからない。
「諒も陽太君も山辺さんも楽しそうで良かった。私も参加して良かったと思えるよ」
「というか、お姉ちゃんはゲーセンで商品を取りすぎだと思うけど」
お姉ちゃんの背中のカバンの中にはゲーセンで取ったぬいぐるみ集団がはちきれんばかりに詰められている。全部一回で成功するなんて。
「いいじゃない。こっちはお金を払っているんだから」
そう言いながらお姉ちゃんは戦利品を掲げる。両手の手提げカバンに入ったちきれんばかりに詰められたぬいぐるみ集団を。
僕は小さく溜め息をついて山辺さんを見た。山辺さんはどこか寂しそうに俯いている。
「未来、どうかしたの?」
「えっ? あっ、うん。楽しかったから、これで終わりなんだなって思っていたら少し寂しくて」
そう言いながら山辺さんは確かに寂しそうに笑みを浮かべる。
「時間が無限にあったらいいのになって思うくらいに楽しかったから」
「そうなんだ。だったら、次の土曜日に遊ばない?」
「おいおい、デートの約束かよ」
「そ、そんなんじゃないよ」
そんなんじゃない、とは思うけど、どう考えてもデートの約束にしか見えないよね。
どうやって言い訳をすれば、
「うん。じゃ、どこで集合する?」
だけど、山辺さんは楽しそうに笑みを浮かべる。まるで、心の底から期待しているかのような笑み。
それに僕は一瞬だけ見惚れた。そして、すぐに考える。
同じショッピングモールという案もあるけど、ここは別の場所の方がいいかな。
「駅前はどう? ショッピングモールは今日言ったから次は隣町の方にでも」
「隣町」
その瞬間、山辺さんの顔が一瞬だけだが曇った。もしかしたら、隣町に何かあるのかもしれない。
だから、僕は首を横に振ろうとして、
「いいよ」
山辺さんが首を縦に振った。
「いいの?」
だから、僕は山辺さんに聞き返す。
「うん。私は、乗り越えないといけないから。だから、諒と一緒に隣町に行きたい」
その言葉に僕は頷く。
強い。強いな、山辺さんは。僕なんかと違って本当に強い。
僕はずっと昔を引きずっている。ずっと、ずっと昔を。いくら忘れたくても、今の僕の性格は昔のままなんだから。
山辺さんは笑みを浮かべる。浮かべて僕の手を握ってくる。
「朝の十時、でいいかな?」
「うん。いいよ」
「ありがとう」
山辺さんが優しい笑みを浮かべる。そして、僕の手を放して少し古びたアパートの敷地に入った。
築二十年といったところか。
「ここが私の住んでいる家だから」
だけど、そこは大きくなく、一世帯が住むような場所ではない。言うならば一人暮らしの人が住むような場所。
そんな大きさのアパートが山辺さんの住んでいる場所だと言う。
「未来は、一人暮らし?」
「うん。前にいたは場所はやっぱり居づらくて。でも、私はここに来て良かったと思っているから」
そう言われたなら、これ以上何も言えない。
その顔は本当に幸せそうだったから。だから、何も言えない。
「また、明日」
「うん。また、明日」
アパートのドアを閉める。
それと共に周囲に静寂が訪れた。いや、斉藤諒達と別れてからずっと静寂があったのに、私は部屋の中に入ってからそう感じるようになった。
多分、ワクワクしていたからだろう。そして、完全に一人になった瞬間に顔が真っ赤に染まるのがわかる。
私は小さく息を吐いて歩き出す。そして、部屋の明かりをつけた。
勉強机と小さなテーブルしかない殺風景な部屋。本当に殺風景な部屋。
あの後だからか必要以上に寂しく感じてしまう。
「土曜日、か」
机の上にあったペンを掴んでカレンダーに丸をつける。そして、小さく息を吐く。
楽しみだ。
久しぶりの約束。あの日の光景が思い浮かぶけど、でも、私はやっぱり信じたいんだと思う。
誰かを。私を裏切った他人を。いや、裏切った他人だからこそ信じたいんだと思う。
それは、相手が斉藤諒だから。
そうに違いない。それ以外に何が言えるというのか。
私とは正反対の人物である斉藤諒。最初そのことを知った時は本当にイライラした。どうしてそこまでイライラするかわからないくらいイライラした。
私は自分しか信じていなかったから。だけど、斉藤諒は他人しか信じていなかった。私とは完全に正反対の位置にいた。
それには理由があって、未だに話されていないけど、それは私も同じ。私がこうなった理由は斉藤諒にも話していない。
もし、斉藤諒が話してくれたなら、私は自分のことを話すだろう。それほどまでに私は斉藤諒を信頼している。
斉藤諒な裏切らない。絶対に約束を忘れたりなんてしない。
だから、私はカレンダーを見ながら笑みを浮かべる。
「新しい私が始まる」
次の土曜日が勝負の時だ。その日に私は生まれ変わることが出来る。絶対に、斉藤諒と一緒に。だから、私は土曜日にちゃんと語ろう。
今までのことを。そして、私の感情を。
でも、斉藤諒ならどう回答するかは何となく予想がつく。予想がつくから私は微笑む。
「私とあなたは鏡なんだから、絶対に分かり合える。そう、信じているから」
「土曜日か」
カレンダーに丸を書き込みながら僕は小さく呟いた。
土曜日。
山辺さんとデートをする日。そのことはすでに生徒会メンバーに伝わっているのか全員からメールが飛んできていた。
様々な内容だけど、全てを端的に表した三文字はおそらく「頑張れ」だろう。
頑張るようなことはない。頑張るのは山辺さんだからだ。
隣町はおそらく山辺さんが中学生の頃に住んでいた場所。だから、山辺さんは一瞬だけ暗くなった。中学生の頃を思い出したから。
でも、山辺さんはそれを乗り越えようとしている。そういう精神は本当に凄いと思う。僕ならきっと出来ない。僕ならきっと壊れるから。
だけど、山辺さんはそれをしようとしている。そんな山辺さんのことを守りたいと思う。あの時と同じように守りたいと。
「昔に、戻っているね」
僕は苦笑する。
一番自分が嫌いだった頃の自分に戻っているのに嫌悪感がないことに思わず苦笑してしまう。
抵抗がないわけじゃない。抵抗はあるけど僕は山辺さんを守りたいと思ったから。思ったから昔みたいな表情をショッピングモールで出してしまった。
「好き、なのかな」
僕は小さく呟く。
昔と同じならそういう理論になるはずだ。守りたい人は好きという理論に。でも、それが本当に正しいのかはわからない。
自分は信じられない。だけど、他人なら信じられる。
あの日から僕はそうして生きることにした。自分を捨て、他人に同調し、他人と動き、他人の指示に従った。
それに間違いはないと僕は断言出来る。そういう生き方が一番自分自身を守れたのだと思っている。
でも、山辺さんと出会ってからは変わった。
自分というものを表に出すようにしてみた。自分で考えて自分で行動する。それは、みんなからしてみれば当たり前かもしれない。だけど、僕からしてみれば当たり前ではなく、むしろ恐怖を感じることでもあった。
怖い。自分を信じることが怖い。自分で考えて自分だけの意見を言うのが怖い。それによって誰かを傷つけることが怖い。
でも、それ以上に山辺さんを傷つけることが怖いと思えてしまう。
ショッピングモールで山辺さんを助けた時も、僕は山辺さんを傷つける相手が許せなかった。
どうしてあんなことを言うのか。どうして山辺さんを傷つけるのか。どうして山辺さんのことを分かってあげないのか。
僕は怒っていた。そして、守りたかった。山辺さんを。
「やっぱり、山辺さんの事が好きなのかな」
「演技している内はまだまだだと思うよ」
その言葉に僕は飛び上がっていた。そして、振り返る。
そこにはお姉ちゃんがいた。お姉ちゃんが笑みを浮かべて部屋の中に立っていた。
本当にいつの間にお姉ちゃんはこの部屋にいたの?
「いつからいたの?」
「土曜日か、から」
つまりはほとんど最初から。
僕は小さく溜め息をついてベッドの上に座り込んだ。
「せめて、ノックくらいして欲しいな」
「だって、諒のことが心配だったから。家に帰ってからずっとニヤニヤしていたし、何というか、気持ち悪くて」
実の弟にそんなことを言う姉がいただなんて。
「浮かれてるね。でも、まだ山辺さんと呼ぶのはダメだと思うな」
「どうして?」
「諒は女心が分かっていないから。女の子はね、四六時中大好きな人から名前を呼んで欲しいと思っているの。だから、諒は未だに心の中でも山辺さんと呼んでいるよね?」
僕は頷いた。
確かにそうだ。山辺さんとは恋人でも何でもない。いや、友達だけど、ただそれだけだ。それだけだから、僕は心の中では山辺さんと呼んでいる。
本当に好きなら、未来、というべきかな。でも、それはそれで恥ずかしいな。頑張ってみないと。
「諒はまだまだ若いから悩めばいいと思うよ。悩んで、悩んで悩んで悩んで悩んで悩んで悩んで、悩み尽くして答えを見つければいい。諒がそう思ったことなら、私は全力で背中を押すから」
「ありがとう、お姉ちゃん。でも、僕はどうすればいいか未だに怖いところがあるから。自分で決めていいのか、他人に意見を求めなくていいのか。そこが、怖い」
「誰だって同じじゃないかな」
そう言ってお姉ちゃんは微笑んだ。
「何かを決めるということは自分自身に責任を負うということだから。諒が他人しか信じなくなった理由は私が一番理解しているつもり。そうなったのは仕方ないし、そうなってしまった理由も仕方ない。だけど、諒はずっと自分自身で決めているんだよ」
「僕が?」
心当たりは全くない。全くないどころか考えたことすらない。
僕は他人の言葉や文字を無条件で信じることを決めたのだから。
「そこが私からの問題。答えは諒の中にあるから言わないでおくから」
「学問より難しい問題が来たかも」
「そうかもね。諒は真っ直ぐだよ。だから、真っ直ぐ自分の道を歩んで。それが私との約束」
お姉ちゃんが小指を差し出してくる。僕はそれに小指を絡めた。
真っ直ぐ、自分の道を歩く。
山辺さん、未来とこれからどうなるかわからない。でも、後悔だけはしたくない。だから、土曜日、未来と語ろう。僕の中にあるこの思いを。
「土曜日、頑張って」
「ありがとう、お姉ちゃん」
約束の日。
空には漆黒の雲が広がり、空を見上げた私は小さく溜め息をつく。今にも雨が降りだしそうな空に溜め息をつくことしか出来ない。
約束した日から私はずっとこの日を心待ちにしていた。本当はクラスメートから親睦を深めたいからパーティーをしたいと申し出があったけど、私は理由をちゃんと話して断った。
斉藤諒と一緒に隣町に行くから別の日にして欲しいと言って。
その時の須賀実穂の顔は傑作だったし、斉藤諒の固まった顔には思わず笑みが浮かんでしまった。
結局はこの日の夜にパーティーをして、私達はそれまで遊ぶということに決定したのだ。
不安が無いと言えば嘘になる。むしろ、不安しか無いと言えば嘘にはならない。誰かを信じるということはそれほどにまで怖かったものだから。
だけど、私は自分でもこう思う。
「落ち着きなさいよ、私のバカ」
現在の時刻は9時。ここから駅前まで徒歩10分。集合の時間は10時。
どう考えても早すぎる。だけど、不安なのだ。また、同じようなことが繰り返されることになるのは。
「大丈夫。きっと、大丈夫。大丈夫だから。大丈夫だから。だから、行こう」
私はそう呟いて一歩を踏み出した。
「少しは落ち着いたら?」
お姉ちゃんの呆れたような声。その声に僕はガチガチになった体でぎこちなく振り向いて上手く作れない笑みで言葉を返す。
「だ、だだ、大丈夫、だよ。こ、これ、くらい」
僕は緊張で全く舌が回らないと感じながらも言い切った。
お姉ちゃんは呆れたように溜め息をつく。
「それと、今何時か分かっている?」
「9時だけど」
ここから駅前まで徒歩10分。普通に歩いても十分に間に合う時間帯だ。
「未来ならきっと、もう着いていると思うから。僕も早く行かないと」
「そっか。じゃ、頑張ってね」
僕はお姉ちゃんの声に見送られて玄関のドアを開ける。そこに広がっているのは空一面に広がる曇天。
運が悪いことに今日は昼前から雨が降るらしい。だから、あらかじめ買っていた大きめの傘を持って外出する。
今日の予定は決まっている。未来と合流したらまずは隣町まで電車で移動。その後に隣町にある映画館に行って映画を見た後に昼ご飯。昼ご飯を食べたらウィンドウショッピングを含めていろいろなところを回り、戻って来る。それから未来の親睦パーティーに参加する。
予定としてはバッチリ。後は何もないことを祈るだけ。
僕は道を歩き、角を曲がる。そこには、一人の女の子がいた。
ショッピングモールで未来と言い争いをしていた女の子が。
「遅かったじゃないの」
「君は」
僕は背後を確認する。いつの間にか後ろに所謂不良のカテゴリーに属する人達がいた。
前にもいる。数は合計10くらいか。
「あの女にもう一度絶望を与えたいのよ。だから、ちょっとだけ拘束させてくれない?」
本来ならこの話の間にクラス風景が入る予定でしたが諦めました。また、後日談の一環で書く可能性はあります。