伝導少女は廃墟と空と 【序章】
この作品は、作者が誤って短編に位置付けてしまった連載小説です(苦笑)
というわけで、次以降も短編で出していきますw
続きはありますので、おねがいします(苦笑)
二千二十九年、大晦日、深夜というには若干早い時間。
日比野恭平は逃げていた。
出来すぎた悪夢だ、その『光景』を見た初めの感想はそれに尽きた。なぜ、あんなものを見てしまったのだろう、と、この時ばかりは己の趣味である『廃墟漁り』を心から悔いていた。
日比野恭平は逃走していた。
見たくもない、おおよそ普通に生きていれば見るはずもないであろう光景を見てしまったという記憶から逃げるかのように。逃れられるはずもないと知っていながらも、である。本気で逃れたいのならば、脳に電流なり薬なり適当に与えてしまえばその程度の記憶を封殺できるだろうに。
もちろん、この現状でその選択肢はあり得ないのだが。正しくは存在し得ない。アルファベットのA~Gの選択肢群の中から3を選び取るようなものだ。
それくらいにバカバカしいのだ。その選択肢も、あの光景も。
日比野恭平は、ただ思う。
あの、あの人間の、日本人のような黄色人種の肌が土気を帯びた色の皮をまとい、あの埃っぽい空気の中に無数に積み上げられていた塊や、そして棒切れ、もしくは、サッカーボールよりも少し小さい程度の、藻類のようにずるずるした綱をまとった肌色の歪な球体を。あれは、なんだったのだろうか、とは問うまでもなんでもない。
くすんだビー玉のような球体が転がり出た土色のサッカーボール大の球体の中には、『顔』と通称される面をこちらに向けていたものもあった。そのくすんで境界が曖昧になった黒目と白目が一対の『目』として恭平の目を見ていた。
人間の死体を見たことはこれまでに、一度だけあった。
具体的には思い出せないのだが、その記憶はある。目の前で交通事故が起こり、トラックに轢かれた自転車の男性の身体が肉片と血飛沫へと変換されたあの光景。
だが、あの光景はそんなに生易しいものとは掛け離れていた。
眼前の光景、漂う異様な臭気、空気として肌に触れる、異質としか表現のしようのないようなあの質感。
悪夢、そんなものでは生易しいだろう。
切断されバラバラにされ、積み上げられ腐敗した、無数の少女たちの屍類。
無数の、という表現は何も、異様過ぎる光景を見たことにより恭平の脳内が自動で光景に修正を加えたとか、そういうわけではなかった。
純粋に、手や足、胴体、頭や、そして干からびて染みついた、血の痕跡。
どれをとっても、人道的だとかそういうの以前に、やはり異様だった。数にしても、明らかに一人、二人の物ではなかっただろう。どう考えても人間の死体に換算して五十体は下らなかったのではないか、とそう思う。
それに。
それらは、泥臭い通路や埃っぽい部屋の隅などに放置されていて、白骨化しているものすら存在する始末。白骨化した死体、と言えば猟奇的な殺人などをニュースで放映する際に、アナウンスがどこか嬉々として読み上げているようにも思える殺人事件のニュースにおいてよく登場する言葉だが、実際に目にしてみれば信じがたい、我が目を疑うものだった。が、それらを見た後でも。
おおよそそれらは先ほども光景といったように、どうにも背景的だ。
それに対して。背景があるのならば当然のように、人物、注目点が付随するだろう。むしろ、背景の方が添付物だ。
それは、その部屋から延びる通路の先にある部屋の奥に放置された一つの水槽の中に浮かんでいた。
水槽、といっても、直径一メートル程度の円筒状の透明なガラスで形作られた実験用のそれで、生物が入っているのが通常の風景だろう。高さも通常の物と変わらず、三メートルぐらいか。
そう、その澄んだ空色の液体に満たされた水槽の中に、生命体がいること自体は通常の風景だったのだ。
ただ恭平が目にしたものは、兎に角普通じゃなかった、通常から掛け離れていた。絶常とでも言うのかもしれない。そんな光景、いや、人物だった。
そう、人物だったのだ。
高さ三メートル幅一メートル程度の、周囲にどこか無機的な空色の光を振り撒く円筒の世界の中で佇むその生命体は、人間の少女だった。それが、体育座りのような感じに腕で膝を抱えて、一糸纏わぬ状態で、浮かんでいた。むしろその空色の液体を纏っていた、という方が正しいのか。
その円筒は下の方に行くと無数のケーブルの延びる機械的な装置にそのまま嵌め込まれているようで、貼ってあったプレートが空色の薄明りを浴びて恭平に見せた文字は『アイ』の文字だった。
つまりその円筒の世界に佇む実験動物少女は、アイという名前なのだろうか。
そしてその実験動物、アイは、恭平の出現に気付いてか気付かずか、顔を上げる。絶望的なまでに無機的に美しい少女だった。
年齢は十六歳ぐらいだろうか、かわいらしさの中に氷のような、致命的な美しさを持つ。だが、それらはすべて作り物ででもあるかのように無機的だった。瞳はビー玉のように、髪はケイ素系化合物のように、唇は食紅を塗り込んだビニールのように、肌は極寒の中に作り上げられた氷のように、兎に角恭平はその実験動物から人間を感じられなかった。まるで、「ガラスと水晶とビニールと氷と、あと薬品で作りました」と説明されれば納得できてしまうぐらいに。
冬という季節もまた悪い、肌を切るような冷たさがその少女を見てさらに増したかのようだった。恭平は、ただ喉がカラカラなのを知覚していた。目の奥がツンと痛んだ。
初めに目と目が合った。
恭平のは、鏡を覗いて確認した限りでは、通常の日本人には少し珍しいブラウンの瞳だ。
対してその、顔立ちはいかにも日本人に思えない、と言える少女の瞳の色は、どこまでも無機的なグリーンだった。ブラウンとグリーンが、スカイブルーを間に挟んで見つめ合う。少女の瞳の色は、スカイブルーにも全く影響されないような、強いグリーンに見えた。少なくとも、空色を通してグリーンに見えたわけではないように。
目が合って、しばらくの間は動けずにいた。動こうにも、その視線と自分の視線が合っているだけで、まるでそれに自分の全てが吸い込まれたかのように他のことに考えが及ばない。どうすれば動けるのか、それすら怪しかった。一体感よりも恐怖感、不安感が強く感じられたのは不思議なことだった。
彼女は一糸纏わぬ、高校生男児にはどうにも誘惑的な姿である。そのはずなのだが不思議なことに、空色の液体にたゆたっているためか、陶磁器のように見える素肌が喚起させたのは蠱惑よりも恐怖だった。
次に、見るからに言葉を発しそうにもない少女の口が、声も発さないのに小さく動いた。
初め恭平は、それが何を発音しているか解れなかった。だが、二回目の時に理解した。
『ヒビノキョウヘイ……』その唇は間違いなくそう、音もなく発音した。
どこか無機質な声が脳内に聞こえたぐらいだった。
そしてそれが限界だった。
お気に入りの廃墟漁り専用リュックを背に暴れさせながら踵を返し、恭平はその日見た光景と事態から、全力で逃走を開始した。
二千三十年を迎えようかとする大晦日、日比野恭平の運命は明らかに方向性を見失ってその歯車を稼働させたのだった。どうしてこんなことに、なんて呟いても、己の過去の行いは修正できない。
それが唯一わかっていることだった。
恭平はもちろん見ていなかったが、少女の無機物的な唇の端は、さも愉快そうに持ち上げられていた。
恭平は、住宅街の一角を走っていた。
逃げ込む先は、自宅以外にないだろう。
物理的に何かに追われているわけではない。心理的な恐怖、抽象的な記憶に追われている気がしているだけだ。そのために恭平は、なにもあの屍体たちが再び生命を宿して追いかけて来ているわけでもないのに、あの無機質な実験動物が水槽を破壊して追いかけて来ているわけでもないのに、全力も全力、情けないほどに息を切らして走って逃げているのであった。
持ち前の童顔を、呼吸器を襲う苦痛から歪め、汗腺から吹き出すじっとりとした液体に濡らして、日比野恭平という十六歳の、どこにでもいない、廃墟漁りが趣味の少年は『逃げて』いた。
逃げる、などという本能的習性が機能したのはいつ以来だろう。ここまで本能的な逃走など、恭平は物心ついた頃から記憶になかった。
結果的にはそれが正解だったりするのだが、そんなことは恭平は愚か、地球上の誰にも知る由はなかった。
その背で暴れるリュックの中、ガラクタの数々を紹介しよう。
と、その前に恭平はついに自宅に辿り着き、ドアを本人認識で第一ロック解除、パスワードで第二ロック解除、の末に自宅の一階の中央に位置する部屋、居間へと転がり込むかのように飛び込んだ。
動悸も収まらない中、とりあえずキッチンでコップ一杯に水を並々と注ぎ、それを思い切り一気に飲み干した。それでも乾きは収まらず、もう一杯飲んだところで、いくら飲んでも無駄か、という結論に至る。
そして、今まで律儀にその背で保護していた物々をダイニングデスクの上へ、さながら品評会でも行っているかのように並べ、電灯の明かりに晒していく。
懐中電灯。これは、常用の、生活用品店などで安く買える量産品の懐中電灯だ。メイド・イン・コリア。財布。幾年か前に海外に単身赴任の父親が送ってきた、外国ブランドの財布。父は現在、行方不明だ。携帯電話。高校合格を機に購入した、黒一色の通常の携帯電話だ。近年の技術の飛躍的進歩で、小型。
そしてここからが、今回の収穫だった。
数冊の、判読不明な言語で書かれたノートの束。探索中にも少しだけ解読に努めたところ、ノートの中には数種類の言語が乱雑に書き連ねられていて、フランス語とドイツ語、英語だけはギリギリ判別できたのだ。そして、その中に書かれていた一つの英文が、一際強く恭平の目を強く引いた。
そしてその英文とは『SUPERCONDUCTEDCONECTERPLAN』
どういう意味かの解読を試みたいところではあったが、残念ながら恭平に英語の学はあまりなかった。彼の得意科目は理系である。
せいぜい、その同じページに赤文字で『S.C.C.P』と書かれてあったために、どこで区切るのかがわかった程度であった。
そしてその英文が書かれていたページに挟まれていた大容量情報収容小型メモリ、HCMM。六百テラバイトもの可能収容容量を持つものである。二十年も前ならば考えられなかっただろう。
「…………………………」
それを指先に摘まみ恭平は、怪訝な面持で凝視する。描かれているロゴはアトニー社のロゴ。アトニー社とは、近年急速に成長してきた電子情報産業の企業である。電子業界の中で、情報収容メモリの収容量可能容量に革命を起こした。近年、よく製品ロゴを見ることになった『新世代』の企業の一社だ。
それの中にある情報をサルベージするのは自室のコンピュータを立ち上げてからだ。あの古めかしい機体の独特の起動音は、恭平をいい具合に電子の世界へと連れてゆく。古めかしいとは、外見的にも機体的にもである。
趣味の廃墟漁りで手に入れた、まだまだ使えそうなコンピュータのパーツをより集めて組んでみれば、現在最先端の商品として売り出されている『アリー』にも引けず劣らずな素晴らしい性能の物ができてしまった。
どこかの廃墟に捨てられていた『全くよくわからないCPU』がこの古めかしいコンピュータの内部で最先端の技術にも負けない技術力を見せているのだ。なんとも心躍る事実である。
現在のコンピューターはすでにディスプレイを必要としないタイプのものすら存在する。そんな技術革新の真っ只中で、恭平はなぜかモニターとにらみ合いを続ける形式のそれが非常に気に入ったのである。
と、それはまぁさておき閑話休題。
とにもかくにも、そのノートを見て得られる情報よりも、HCMMの中からデータを引き出した方がさまざまな情報を得られるだろう、と恭平は推察する。おそらく研究に用いられていたものだ、さぞかし重厚なセキュリティシステムが仕掛けられているだろう。それを小手先の技術で一つ一つ解体していくところを想像する恭平の童顔には快悦の表情がいっそ不気味なぐらいに浮かんだ。
日比野恭平の数少ない趣味は廃墟漁りとコンピュータ関連のことが主であった。
とにもかくにも、まずはこのHCMMを自作のコンピュータ『ハイキョ』でスキャン、解析に掛けた後にセキュリティホールを突破して内部の情報を垣間見ないことには始まらない。恐怖や異観を感じた光景ではあったが、人並み以上、などという言葉すら絶するほどに好奇心旺盛な恭平である。そもそも好奇心が渦巻きすぎていなければ廃墟漁りなどという特殊な趣味が彼の中に生まれるはずがないのだ。あの研究がどんなものだったのかには非常に興味がある。それに。
それに。
――――あの少女のことが、わかるかもしれない。
おぼろなあをに漂う彼女は何者なのか。端的に突き詰めれば気がかりなのはここであった。
というわけで恭平はリビングを出てシンと冷えた廊下へ、そして階段を上る。
恭平は失念していた。
『好奇心は猫をも殺す』という言葉を。