一話目、犯罪歴は遺伝するらしい。
「あのテロリスト、遠井斜平の息子なんだってなお前」
「ぇはん」
目の前の脂ぎった少年の自信満々な口から一体何がとび出すのかと身構えていたら、容赦ないカミングアウトが炸裂して俺は思わず赤い箱になりかけた。
しかしまさか入学から早一週間、高校デビューがこんな形でこんなデブに粉砕されるとは。
わざわざ地元と迫害を離れて遠くの高校に入った努力が台無しである。
周りではこのアブラギッシュ君が集めたギャラリーが騒然としている。
人を集めて俺を晒し者にする事で新しいクラスの団結力をより強固な者にしようという彼の粋な計らいが実を結びつつある雰囲気、それが俺の皮膚をチクチク蝕む。
「一体何の事かさっぱりだゼェ」
とりあえず大げさに肩をすくめてアメリカンに嫌疑を否定してみた。
が、おそらく無駄。明らかに小心者なアブラギ君は完璧な証拠も無しにこんな事を言い出さないだろう。
何しろ彼はこれからの高校生活を賭してこの告発を行っているわけだし。
ようは異端分子を祭り上げて同級生に一目置かれるか、それとも空回って一線引かれるか。
どっちにしろ俺には人を貶めてまで皆の注目を集めたがる彼の必死さが理解できない。
…………否が応でも注目された少年時代を送ったからかもしれないが。
で、案の定彼は手に持っていたファイルを一度ギャラリーに掲げてから俺の目の前に無造作を装って投げ捨てた。
「これを見てもまだそう言えんのか殺人鬼」
そう言って唇を吊り上げる彼の決め顔は、餌に食いつき釣り人に吊り上げられそうなフグを連想させた。
自信満々に提出された証拠資料を吟味、というほど中身は無かったが眺めて見ると……何と、まぁ。
「これ、警察の内部資料じゃなイデスカー」
「ふん、身内にそう言う事に顔が利く人がいてね」
辺りを見回し強調するようにそんな事を口にするアブラギ、過剰に口角のつりあがる気味悪い笑い方。
しかし、彼は虎の威を借る狐という言葉を知らないらしい。
つーかこんな奴に威を貸す国家権力だから色々問題が起きるんだと再認識させられた。
ともかく、だ。
「まぁ、残念ながらというか不可抗力というか俺は斜平の息子だが……」
本人確認が取れてギャラリーが完全に一歩引く。
誰かこの中に人格者はいらっしゃいませんかー、と叫んでみた。心の中で。
まあいいさ。
アウェイなんて慣れている。
むしろこのアウェイな雰囲気が俺のホームみたいなものだし。
というわけで俺は絶対に譲れないキーワードの撤回を求めた。
「……しかし厳然たる事実として俺は殺人鬼じゃねえ。撤回しろアブラギッシュ君」
あ、思わず言っちゃった。
不名誉なあだ名を付けられた彼は相当に沸点が低いらしくみるみる顔が赤くなっていく。
ついでに心の傷口からゼリー状の『痛み』が溢れ出す。どうやら彼のトラウマを引っかいたようだ。
ふむ、どうやら中学時代の思い出が、彼にこんな行動を取らせているらしい。
そうまでしてクラスでの人権を欲しがる彼がどんな3年間を送ってきたか容易に想像がついた。
しかし孤独が嫌だ、苛めも嫌だと贅沢な奴だ。二者択一が出来ないのだろうか。
「だ、黙れ! 殺人鬼! 親が人殺しならお前も人殺しに決まってるだろ!」
……激昂した彼の持論によれば犯罪歴は遺伝するらしい。
その持論を見事証明し殺人者遺伝子を発見したら魔女狩りのような事態が発生しそうで少し寒気がした。
いやいや、じゃなくて。
「告発ついでに濡れ衣着せたいなら証拠もってこいよアブラギ君」
「は、はぁ!? お前みたいな奴をほっといたらそのうち人を殺すに決まってんだろ馬鹿が」
イラッ。
「お前を最初の一人にしてやろうか……と、うわ」
あまりのクラスメイトの引きように俺もちょっと引いた。
身内の不祥事を使った自虐ネタを披露するには心の距離が何光年か遠かったらしい。
というか、アブラギ君は気づいていないのだろうか。
クラスメイトが冷えた目で取り巻いているのは、俺だけじゃなく汗だくになって叫んでいる彼込みだということに。
残念ながら彼の立ち位置は彼が思い描いていたような『犯罪者予備軍を摘発した英雄』じゃなくて『犯罪者予備軍の神経を逆なでするヒステリックデブ』となる模様。
「はぁぁ!? 何言ってんだよ、そんなの、そんなこと言われたってどうも思わねぇよ! つーかそっちこそ撤回しろ! 俺のことなんつったぁ!」
ただでさえ危険人物との交流で温まっていた彼の心は心無い一言で完全にオーバーヒートしたみたいで。
どろどろと、心の傷口から赤黒い粘液が流れ出す。
俺にしか見えないらしいそれはゆっくりと彼の理性を包み込み、染めていく。
「謝れって! なぁ、聞いてるのかおい!」
校舎中に響き渡りそうな彼の怒号。
それと共に彼は先ほどのファイルが置かれた俺の机を持ちあ、げ、て?
「謝れって言ってるのが聞こえないのかぁぁ!!」
火事場の馬鹿力を生で見る事が出来てちょっと感動した。
あ、ていうか誰か先生呼ぶか止めるかして!?
だが、クラスメイトは好奇と恐怖とが入り混じった表情で事の顛末を注視している。
もしココで誰かが止めたら、上辺は許容しても陰で『偽善者』のレッテルを貼られるんだろうなぁ。
ようは異常者同士仲良くやれって事だ。
仕方ない。
殴られるよりは殴るほうが好きだ。
こいつは一方通行の暴力を受けてたらしいがあいにく俺はそこまで弱くはなかった、場数なら踏んでいる。
そう思って、取り返しのつかない腰を上げようとしたとき。
「止めなさい!」
威圧感を含む凛とした声が澱んでいた教室の空気を切り裂いた。
新たな空気を送り込むように颯爽と教室に入ってきたのは黒髪の美少女。
意志の強そうな眼差しでジロリと現状を睨め回し、ツカツカとアブラギ君の前に立ちはだかる。
「机をおろしなさい」
有無を言わさぬ命令口調。
日頃から人を動かすことに慣れている人間の声色に、ようやく彼は正気を取り戻した。
と、同時に火事場の馬鹿力も自然消滅。けたたましい音を立てて机が床に落ちる。
自らが立てた落下音にビクつく彼と、微動だにしない彼女。
勝利者はどちらか、誰の目にも明らかだった。
「名前は」
「は、はい?」
大げさに肩をビクつかせ(ついでに頬肉もだぶつかせ)アブラギ君は後ずさった。
しかし、距離を取る事を許さず彼女は更に詰め寄る。
「だから、名前」
「あ、胡座城修です」
アブラギ惜しかった!
少し想像力のある人間ならこのあだ名への着想は簡単だし、多分中学時代もアブラギでお馴染みだったから、あんなに反応したのだろう。
彼の告発は互いのトラウマを暴露しあう非生産的な事態に発展してしまったらしい。
これで喧嘩両成敗などとほざく名奉行がでてきたら俺は番組を終わらせてでもそいつを殴ってやろう。
「ふうん、アブラギ君ね。この事は先生にも報告しておくから。ま、入学早々怪我人が出るような事態にならなくて良かったわね。それと……」
芳香を散らしながら、急に黒髪を靡かせてこちらを振り向く彼女。
遠目から見ると美人だが近くで見るとそこに迫力が加わる近寄りがたいタイプの美人だった。
均整の取れた顔立ちと対象的な射抜くような眼差しが俺の内側をのぞき回す。
「私、二年の鈴代蓮」
「…………あぁ、俺は遠井水平、です」
初対面で互いの名前を言い合うような丁寧な人間と会ったのは初めてだったのでやや反応が遅れた。
名乗ってくれた分アブラギ君よりやや友好的に俺の名前を聞くと、彼女はニコリと微笑み、言った。
「今回はたまたま騒ぎを聞き付けてやってこれたけど、あなた、もしまた父親の事で謂れのない中傷を受けるようだったら私に相談してね」
絶対の自信と共に助力を約束してくれた。
一足遅れて教員方がやってくる。
彼女が来て、これ以上事態の発展が見込めないと見切りを付けた誰かが報告しにいったのだろう。
へたり込んでいるアブラギ君にもう敵意がない事を確認して、俺は倒れていた机を立てた。
手際よく事の顛末を先生に説明している彼女の後ろ姿を見ながら思う。
「例えるなら、捻られた雑巾から滴る汚水?」
彼女のシルエットから、ポタリ、ポタリと滴る紫の液体。
それは地面に落ちる前に霧状に広がり霧散して、彼女を淡く取り囲んでいた。
俺は経験則から彼女と言う人物を判断を試みる。
「無理して装う優等生タイプ、続けてると何処となく痛々しさがにじんでくるな」
口にした瞬間自己嫌悪で机に突っ伏した。
『痛み』というモノを見たことがあるだろうか。
二つ以上のモノが存在すれば、多かれ少なかれ生まれる負荷。不自然。
俺にとってそれは液状ににじみ出るものだったり。
棘となって突き立つものだったり。
霧散して取り巻くものだったり。
肉体的であれ、精神的であれ、そこに『痛み』が概念として存在してさえいれば。
俺は視覚を通じて認識することが出来る。
便宜上、俺はこれを『痛覚視』と名づけた。
文句のある奴は出てきて代案を提示しろ。