空港で生まれた少年
少年は、その年代の少年がTVに向ける情熱と同程度に彼の顔を無表情に凝視していた。
少し首のだれた白いTシャツに、ジーンズ生地の半ズボンという五歳にしてはやや無個性な服装。
だがその白に散らばる赤がその少年の非凡を浮き立たせていた。
彼は困ったような表情に義務感を糊付けして顔を引き締め、強張った笑顔を向ける。
「さて、これは確認の為だからもう一度聞くよ? 君の名前は?」
少年は眼球のみを必死に動かし記憶を探る。
やがて一度瞬き、再び彼を見つめる。
「覚えてない」
何度も聞いた返答。
彼は少し手帳にペンを走らせ、質問を投げかける。
「君のお父さんとお母さんは何処に行ったの?」
記憶を探るその間。
少年は痛みをこらえるように顔をしかめた。
だかそれも気づかないほどの一瞬、彼の顔からは再び表情が途絶える。
「お父さんもお母さんも知らない」
「最後に覚えてるのは?」
「空港のオバ……親切なお姉さんが僕に声を掛けてきた」
考えるべくも無く即答。
「それで?」
「親切なお姉さんとしばらく話して、ここに来て、今親切な警察のお兄さんと話してる」
またも即答。
当然だろう、それが彼の記憶の全てなのだから。
「そう、か。それじゃあ、今から説明する事を覚えておいてね。君は今記憶喪失に……ああっと」
記憶喪失という言葉を幼い彼にも理解できるように言葉を噛み砕こうとする。
眉を寄せて天井を仰ぐ彼を、少年は凝視する。警察官が笑顔で口を開く。
「君は今、今まで覚えていた事を全て忘れちゃう病気にかかったんだ。だから、お医者さんに行って治してもらわなきゃならない。それと、君のお父さんとお母さんを今探している。見つかるまではここにいなきゃならない。分かった?」
少年は眉を寄せて天井を仰ぐ、考えていると相手に伝えるにはこうするものだと警察官から教わったから。
そして、少年は一択の問いに答える。
「分かった」
よかった、と彼が言ったそのとき、ノックの音が室内の空気を揺らす。
「すこし行ってくるね」
腰を浮かせて、彼が扉の方へ振り向こうとしたそのとき。
少年が初めて自発的に口を開いた。相手を安心させるための笑顔を無表情に上塗りして。
「お兄さんは優しいね。でも、僕にはそんな必要は無いから」
「どういう意味だい?」
彼は立ち上がった姿勢から、視線を少年の高さに合わせて尋ねた。
「お兄さんは僕のために心を痛めてくれているけど、僕ならなんの心配も要らないから」
やけに大人びた少年のそれを、不安な子供のつよがりだと思って、警察官としての笑顔で彼は言った。
「大丈夫、どうしてそう思うんだい?」
すると、少年は急に笑顔を拭い去り自分のこめかみに人差し指をつきたてる。
「だって、お兄さんのココ。真っ赤に光ってるんだもん」
少年の最後のそれを、戯言と聞き流して部屋をでた彼にさきほどノックをした彼の部下が話しかけてきた。
「で、どうでした少年の様子は」
「う~ん、最後の方は何を言ってるのか不明瞭だったが。まぁ、急な記憶喪失でショックを受けているんだろう。何しろ、空港にいた以前の記憶がすっかり無いらしいからな」
それを聞いた歳若い部下は少し首を傾げると、目の前の羽虫を払うように手を振った。
「そうじゃなくて、少年の記憶喪失は本当なのかどうかって事です」
「どういうことだ。嘘をいっているようには見えなかったが」
「それが少し厄介な事になりましてね。空港でアナウンスをかけても保護者が出てこないし、聞き込みしても進展無しってんで空港の関係者が監視カメラの映像を調べたんですが、あの少年が今日のANA239に乗りこむ映像が出てきたらしいんですよ」
やや過剰に口角を吊り上げる特徴的な笑い顔でそんな事を言う不真面目な部下を一度小突いてから、ようやく記憶が追いつく。
「……おい、ANA239って言ったら」
「その通り、更に面白いのが、その少年と一緒に映っていた保護者らしき人物って言うのがね……」
張り裂けんばかりに口角を吊り上げた部下が、忍び笑いと共にその人物の名を口にした。