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588(suite miror)fight〜日々は絵画の上のように――〜

作者: 絢香redeyes
掲載日:2026/08/17

シズンアンドヒトウム八年(はちねん)

日本(にほん) 北海道(ほっかいどう) 智恵文市(ちえぶんし)

火曜日 午前七時 晴れ

涼しい


山の斜面の墓地――もちろん日本の墓石(はかいし)だらけの――で「まずはここに来てくれてありがとう。これで他(ほか)の人に聞かれずに済む。――私の願いを叶えてほしい。死人を生き返らせてほしい」

「分かった」

「ありがとう! ――けれどその代償は? 私は何をすればいい?」

「代償はない」と、少年――十代半ばの日本人、白い肌、肩までの黒髪、緑色の目、優しげで幼い顔、小柄、細身、黒いスーツ、ピンクのネクタイ、ピンクのワイシャツ、黒いスポーツシューズ――は、同年輩(どうねんぱい)の相手――日本人、白い肌、腰までの黒髪、青い目、可憐な顔、小柄、細身、黒いジャージ、白いティーシャツ、黒いスニーカー――に言った「誰を生き返らせてほしい?」

「――おかしい。やはり何も代償がないなんて」

「怪しむ必要はない。君は君の願いに素直になればいい」

「――違う。代償がないなんておかしい。――この世界も何かおかしい」

「なら私は待っているよ。君が納得できるまで」

「……ありがとう」

気まずげに言って相手は立ち去る。

少年もしばらく待ってからそうする――数分で墓地を出ると、その顔が不意に曇る。だがそれは一瞬だった。

《今日はまだ新聞を読んでいなかったな。早く読みたいな》

と、広大な草原を前に少年は楽しい気分になる。草原、そしてそれを囲む山々――それが現在の智恵文市だ。

《早く後ろから声をかけてくれないだろうか?》

《いいえ、もちろん新聞より先に――》

「ユウクロ」

《来た》

《けれどこの声は――》

不思議に思いながら少年は振り返る「今日は君が新聞配達人か?」

「いいえ、見ての通り手ぶらじゃよ」と、老人――フランス人の男、腰まである白髪(はくはつ)、青い目、白い肌、温厚そうな顔、小柄、細身、白いスーツ、白いワイシャツ、黒いネクタイ、黒い革靴――は答えた。

「なら天使か」《元気な人だな》とユウクロは呆れながら「用件は?」

「その前に場所を変えないか? 私はこの街(まち)が嫌いだ」と、老人はさらりと言った。

「私はこの街が好きだ。ここで話して」

「なら他(ほか)を当たろう」

「さようなら、ノワール」

「さいなら」と、老人はぱっと消えた。

少年――ユウクロは前を向く。

「ユウクロ」

《今度は――》

そう、やはりスキンヘッドの白人――十代後半、黒目、真面目そうなハンサム、小柄、細身、白いスーツ、黒いワイシャツ、白いネクタイ、白い革靴――がいて「君に話を持ってきた」と、続けた「場所を変えて話そう。この街は嫌いだ。大丈夫か?」

「もちろん。誰に何を言われようと私はこの街が好きなんだから」

「ふっ、主導権を握られているのにか?」

「どこだってそうだ」と、ユウクロは呆れた顔で答えた「むしろそうじゃない所は嫌だね」

「相変わらずクソ真面目だな」と、相手は微笑して言う。

ユウクロも笑い「どうも。――どこで話す?」

「またクロセ夫人に会うことになる。中川町(なかがわちょう)で話そう」

ユウクロはふと微笑した。

「気に入らないわね、その微笑み」

ユウクロは振り返る「よく分かったな、私が笑っていることを」

「美しいからね、あのおばさん。――それにしても君もよく私だと分かったね」と、相手――ユウクロと同い年の日本人、白い肌、腰まである茶髪、赤い目、可憐な顔、小柄、細身、赤い長袖ワイシャツ、黒いアンダーシャツ、赤いロングスカート、黒い革靴――は嬉しそうに聞いた。

「声で分かる。何か用かな?」

「君に会いたくて来たんだよ」と、相手は微笑して答えた。

「その訳は?」

「君が好きだから」

「……そんな用で来ない」と、ユウクロは寂しげな顔で言い切った「君は私なくても生きていける」

「ナイン」と、相手は笑顔できっぱりと否定した「ところで君はその何も言えない雑魚に従って中川町へ行くの?」

「食べ物だ!」と、スキンヘッドの男は怒ったように言った。

「またか」と、ユウクロは呆れ顔で言った〈スキンヘッドの男に〉「今度の肥満はなんだ? また豆腐か?」

「それは調査してみないと分からない」

「そういうタイプか」

「ああ。で? 私に同行するのか?」

「うん」

「私も行くわよ。いいわよね? マーシン」

「私は構わないよ、幸せガール」

「ユウクロは?」

彼は肩をすくめ「もちろん好きにすればいいさ、アカ」

「ありがとう、ユウクロ。嬉しいわ。――それにしてもマーシン、君、今日もスキンヘッドね。やっばり暑いの?」

「もちろんだ」

「やっばり分からないわね、外(そと)から見た感じでは」

「君の心と同じだ」と、マーシンは含み笑いを浮かべて言った。

「あら、私はとても分かりやすい人間よ?」

「そうか――ユウクロ、そろそろ行こうか」

「うん」

と、三人はぱっと消えた。

次の瞬間、三人は道北の中川町――東西の山地の間(あいだ)を南北に流れる天塩川(てしおがわ)に沿ってある小さな町――の表通りの南側出入り口に現れた。

「相変わらず人も車もないわね」両側に民家――白い木造かつ屋根は青くて平ら――が立ち並ぶコンクリートの通りを眺めながらアカは言った「田舎らしいわ」

「無欲でいい」と、マーシンは言った「クロセ夫人に相応しい町だ」と、微笑して言う。

「誰か散歩しているかしら?」と、アカはユウクロに言った。

「分からない。――けれどそれはなんの問題もない。そうだろ? マーシン」

「そうだな。例外だ。――ユウクロ、来たようだぞ」と、マーシンは振り返る。

ユウクロ達もそうすると「ユウクロ、どう見える?」と、マーシンは前を向いたまま言った。

「もちろんキュートな女性よ」と、アカが不満そうに答えた「けれどユウクロ、君の方(ほう)が魅力的だわ」

「強引だね」と、ユウクロは苦笑して言った「マーシン、私にもそう見える。白い肌の日本人、髪型は茶髪のショート、体型は小柄で細身、服装は黒い長袖ワンピースに赤い革靴。そっちは?」

「同じだ。よし、狂いはないな。何が食べたい?」と、マーシンは前方の相手に聞いた。

「カレーライスだ」

《男か》

と、ユウクロは声で分かった。

「本とかで見たからか?」

「違う。無性にだ」

「なるほど、そのパターンか。私達と一緒に来てくれ。君の悩みが解決する」

「本当か!? 行くよ」

それから四人は左〈西側〉にあるコンクリートの橋を渡り、南北に通じた国道〈コンクリートで舗装された〉に出る。その向かいの細い下り道〈やはりコンクリートの道〉を進んで数分、平地となった直後、右手の大きな屋敷――横長で白い洋風の木造建築、赤い三角屋根――の前で四人は立ち止まる。

「ユウクロ」と、アカが呼ぶ「私達はここで待っていましょうよ」

「なして?」

「なして」とは北海道の方言で「どうして」を意味する。

「嫉妬よ。ふん」

「ふっ、分かったよ」

「ありがとう」

「ならクロセ夫人には私達二人で会うよ」と、マーシンは言って、砂利の敷地にカレーライスの相手と入っていく。

それから十数分後、マーシンは戻ってきた。

「どうだった?」と、ユウクロは聞く。

「今日も夫人は美しかった」と、相手は満足そうに笑って答えた。

「ふっ、何よりだね」

「けっ、二人共うるさいわね。ちょっとマーシン、カレーライスの奴はどうなったのよ? ちゃんと報告しなさいよ」

「この態度が答えだよ。――ユウクロ、私のところへ来ないか?」

「はぁ!? いきなり何言ってるのよ!!」

「君の気持ちは分かっている」と、ユウクロはマーシンに言う「けれど離れる気はないよ」

「……分かった」と、マーシンは呆れた様子で答えた「当分この髪型だな」

「私はいいと思うよ?」

「ふっ、ありがとう」

「ユウクロユウクロ、私のは?」と、アカは後ろを向く。

「うん、素敵だよ」

アカは振り向き「えへへ、ありがとう」

「ユウクロ、私は帰るよ」と、マーシンは呆れた様子で言った。

「もういいのか?」

「ああ。今日のクロセ夫人を見ることができたからな。十分だ」

「なら私は不十分だな。まだ付き合ってくれ」

「もちろんだ」

「私がいるじゃない! ユウクロ、私じゃ不満?」

「ユウクロ」

彼は振り返る「誰だ?」


その頃、智恵文市で。

「くどいが、本当に代償はないのか?」

「もちろん」と、ユウクロは答えた。


「私はブルー。ユウクロ、君の偽者がいる」と、若い白人男性――腰まである金髪、青い目、明るそうなハンサム、中背、細身、白いスーツ、白いワイシャツ、青いネクタイ、黒い革靴――は言った。

「偽者? ――教えてくれてありがとう」

「動じていないね。偽者をどうするつもり?」

「放っておくよ」

「どうして?」と、相手は驚いた様子で聞いた。

「問題ないからだ。暴力、殺人、お触り、レイプは起きないんだから」


「けれど、私はユウクロじゃない。偽者だ」と、“ユウクロ”は言った。

「偽者?」

「そう。だから君の願いは本物に叶えてもらうといい。彼はいい人間だから」

「いい人間――それは確か?」

「ああ。こんなことをしている私のこともきっと許してくれるだろう」

「――君はどうして偽者に?」

“ユウクロ”は寂しげに微笑して「さぁね」


「なるほど」と、ブルーは言った「さて、私はクロセ夫人に会いに来たんだ。美しいんでしょ? ぜひ拝見したい。会わせてもらえないだろうか?」

「駄目だ」ユウクロは断言した。

「どうして?」

「ハンサムだからだ」

「――はははっ、そっか。分かった、諦めるよ。私もその万一は好ましくない」

「ありがとう。――クロセ夫人と分かるものを探そう」と、ユウクロは微笑して言った「写真とかデータがどこかにあるはずだ」

「ああ、その手があるね」

ありがとう、一緒に探してくれるなんて、とブルーは付け加えた。

「この二人も一緒だ」

「私も?」

「付き合ってくれるんだろう? マーシン」

「そうだよ」

「私は反対よ!」

「どうして? アカ」

「君もそれ欲しいんじゃないの?」

「――なるほど、確かに私も欲しいな」

「やっばり! 反対よ!」

「しかしユウクロ、どこを探す? 邪魔者にはなりなくないぞ」

「ちょっとマーシン! 邪魔よ!」

「私もだよ、マーシン」と、ユウクロは答えた「――外で待とう。持っているのと当たるかもしれない」

「気長だな」

「君がいいなら」と、ユウクロはブルーに聞く。

「良(い)いよ、すぐに君達と別れるのは寂しい」

どこで待つ? とブルーは付け加えた。

「――迷惑を考えて、隣町の音威子府村(おといねっぷむら)に行こう」

「音威子府――無人だったっけ?」

「いいえ。けれど行ける」

「分かった、行こう」

そこにも一瞬。音威子府――そこは盆地の広大な草原。

「智恵文市と似ているね」と、ブルーはユウクロに言った。

「いい所だ、こうして待てる」と、ユウクロは仰向けに寝た。

「私をお側(そば)に!」と、アカはユウクロの答えを待たずに彼の横に寝た。

「――なんでこっちを向くの?」と、上を向いたままユウクロは聞く〈視線を感じるから分かるんだよ〉。

「君を見たいから」

「仰向けになって」

「なんの得が?」

「――マーシン、ブルーも横にならないか?」

「私はまだいい」と、マーシンは答えた「相手は直(じき)に来る。――来たぞ」

ユウクロはさっと立ち上がる。

そしてマーシンの隣で「“カレーライス”とはワンピースの色だけが違う。ピンクだ。君は?」

「私もそう見える。流行りの出方(でかた)だな」マーシンは「君の目的はなんだ?」

「何か買いたいんだ」

《男か》

と、ユウクロにそう思わせたその若い声は「なんでもいい、買わせてくれ」

「なんでも――なら情報はどうだ?」

「うん、いいよ。どんな情報だ?」

「人についてだ。どうやら下川町(しもかわちょう)に復讐者がいるようだ」

「復讐者!? それは魅力的な情報だな。よしっ、いくら払えばいい?」

「いらない。それより君はクロセ夫人の姿が分かるものを持っているか? 写真とか。あれば貸してほしい」

「いいえ、持っていない。――けれどあいつなら持っているかもしれない」

「あいつ?」

「智恵文市にいる奴だ。名前はルテ」

《知らない名前だな》

《まぁ、智恵文市は広いからな》

「ありがとう。いいお礼だ」

「こちらこそ」

と、相手はぱっと消えた。

《探しに行ったな》

「ユウクロ」と、マーシンは呼んだ「私は万一のため今の買い手の後(あと)を追う」

「うん、分かった。気をつけて」

「ありがとう」

と、マーシンもぱっと消えた。

「アカ、いつまで寝ているんだ?」と、ユウクロは言った。

アカは上を向いて「すぐに智恵文市へ?」

「そうなるよ。起きて」

「うん」

アカがそうした直後、三人は智恵文市へ。

「ユウクロ」

《この声は――》

そう、墓地で会った相手だった。

「また会ったね。何か?」

「私の願いを叶えてほしい。お願いします」と、相手は頭を下げた。

「分かった。生き返らせてほしい相手の名前は? あと、どこにいてほしいかを」

ユウクロは知った。

その瞬間ユウクロは「叶えたよ」

「えっ!? もう?」

「ああ。美深町(びふかちょう)の指定場所へ行って確かめるといい」

「分かった。ありがとう」

と、相手は消えた。

「すごいな、君はそんなことができるのか」ブルーは感心する。

「そうでしょ! ユウクロはすごいのよ! ――ユウクロ、今度はどっちの……?」

「右目だ」

「右目がどうかしたの?」と、ブルーはユウクロに聞く。

「しばらく見えなくなった」

「――代償か。偉いな、君は」

「くすぐったいよ」

「おっと、これは失礼」

「一方で不満もあるわ」と、アカはブルーに言う「みんなに優しいのよ」

「――ふっ、なるほど。なら私はお邪魔だね」

「まさか」

呆れ顔を浮かべていたユウクロはふっと笑う。

「ユウクロ」

《えっ? この声は――》

そう、ユウクロの背後には、今さっき彼に願いを叶えてもらった相手がいた。

「どうして私の前に……?」と、ユウクロは不思議だ「――何かこちらに問題があったのか」と、気づく「やっと再会できた相手ともう離れるなんてそうに違いない」

「違う。……願ったけど、仲はあまり……」

「なるほど」ユウクロは納得した「私に何か用?」

「うん。――君に会いに来た」と、相手は緊張した様子で言った。

「私に?」

「うん。君といたい――いいかな?」

「うん、良いよ」

「ありがとう!」

「よくないわ!」と、アカは叫び、二人の間(あいだ)に入る「ユウクロは私のものよ!」と、訪れた相手に言った。

《おいおい……》

「……ユウクロ、私は帰る……」と、相手は寂しげに言った。

「ええそうしなさい。――けれどちょっと待って。君、ルテって人知らない? この街にいるようなんだけど」

「それは私の親族だ」

《えっ!?》

「本当? どこにいるの? 教えてよ」

「教えなくていいよ」と、ユウクロはアカの隣に行って言った「このまま帰って」

「ユウクロ、なんでよ?」と、アカは聞く。

「私がしたことの見返りみたくなるからだ。私はこの人に何も求めたくない」

「――私はシズコ。ユウクロ、やっばり私は君といたい」と、訪れた相手は微笑して言う「頼む」

「うん、良いよ」

「――ありがとう」

「ちょっとユウクロ!」

「アカ、冷静になって」と、ユウクロは寂しげな表情で言った。

「――分かったわよ。だからその先は言わないで」と、アカは不満そうに言った。

「ありがとう」と、ユウクロはやはり寂しげに言った。

「ユウクロ、ルテの所に案内する」と、シズコは言った。

「それは……」

「大丈夫、私はそんなふうに思っていないから」

「――ありがとう」

「ユウクロ、悪いけど私は帰るよ」と、ブルーは言った。

「帰る? どうして?」

「暑くなってきたからね。早めの対処は大切だよ」

《暑い?》

「――分かった。早く避難を」

「ありがとう」と、ブルーは消えた。

「シズコ、君は暑さを感じるの?」と、アカは聞いた。

「感じない。ユウクロは?」

「私も同じだ。私達三人は――」

「そうじゃない」

と、背後からの声が遮る。

ユウクロは振り返る「どういう意味だ? ノワール」

「その子が暑さを感じないのは、その熱の本体だからだ」

「私が本体……? 一体どういうこと……?」

「それよりユウクロ、シズンアンドヒトウムのアンチがいるぞ」

《アンチ――そこまでして……》

呆れ顔のユウクロは「――元気だな、ノワール。その理由はやはり?」

「もちろんそうじゃよ。マーシンがいないとさらにそう思うよ」

「彼がいる時には言うなよ」と、ユウクロは顔を顰(しか)めて言った。

「ふっ、彼には優しいな。分かったよ。君で満足するさ、ふっ」

「他(ほか)に用件は?」

「ない」

と、相手は消えた。

「ユウクロ、まずはどっちを片付けるの?」と、アカは聞いた。

「暑さだ。マーシンやブルーと会えないからね」

「――まぁ、そうよね」と、アカは不満そうだ。

「ユウクロ、私をどうするつもり……?」と、シズコは不安げな表情で聞く。

「クロセ夫人に会わせる。大丈夫、何も怖いことはないから」

「――それで解決するの?」

「うん、クロセ夫人は美しいから」

「――どうして暑くなるの?」

「――簡単に言えば、鏡のように写し出すから暑くなる。――この草原もその一例だ」

「名寄市(なよろし)の『フォルサ信金』もそうだよね」と、アカはユウクロに言った。

「そうだね」

「――この草原は誰の?」と、シズコはユウクロに聞いた。

「ユウクロ」

背後からの声――振り返り、ユウクロは驚いた。

自分がいるからだ。

「ユウクロ!?」と、アカもそれに驚く。

しかしユウクロはすぐに冷静になって「どうして私の偽者に?」

「すみません、偽者になって。それを謝りたくて来ました。すみませんでした」と、相手は深々と頭を下げた。ユウクロは誠意を感じた。

「――頭を上げて。許します」

「――ありがとうございます」

「帰っていいよ」

「はい。すみませんでした」

と、相手は消えた。

「アカさん」と、シズコが呼ぶ。

「アカでいいわよ。何かしら?」

「――君も私と同じ理由でクロセ夫人に会った?」と、シズコは恐る恐る聞いた。

「いいえ」

「――ユウクロ、私、クロセ夫人に会いたくない」

「えっ? どうして?」

「怖いから……駄目……?」

「――良いよ」と、ユウクロは微笑して答えた「君なら」

「ありがとう」と、シズコはほっとして言った。

「マーシンとブルーはどうするの?」と、アカは不満そうな顔でユウクロに聞いた。

「マーシンなら分かってくれる。ブルーはその居場所を訪れたらいい」

「分かってくれる――まぁそうね」と、アカはなお不満そうな顔で言った「――さて、シズコの件がそうならアンチの方(ほう)を片付ける?」

「そうだね」

「ユウクロ、シズンアンドヒトウムのアンチって?」と、シズコが聞く。

「シズンアンドヒトウムにないものを取り戻そうとしている人達よ」と、アカが答えた。

「何がないの?」

「ヒグマと冬。まったく理解できないわ。どちらもなくてまったくいいじゃない」

「アカ、シズコ、アンチを待とう」と、ユウクロはその場に仰向けに寝る。

「そうね」「うん」

と、アカとシズコはユウクロの脇に寝る。

そこでそうやって留まって三日後。

午前十時頃〈天気は晴れ〉、

「ユウクロ」

呼ばれ、彼は目を開ける。逆さまのマーシンの顔を見て彼は「――どうしてここに? 暑くないのか?」

「暑いさ。けれど我慢できなくなってね」

「それは微妙だね」と、ユウクロは困ったように微笑して言い、立ち上がり「用件は?」

「私のいない間(あいだ)に天使は来たか?」

「いいえ。だからこの三日間三人で寝そべってばかりいたよ」

そっちは? とユウクロは付け加えた。

「私の方も来てないよ」

「そうか、お互い平和でいいな」

「ああ、何よりだ」

ユウクロは、背後の溜息を聞いた。彼は振り返る「――ノワール?」

「ユウクロ、君はやはり物足りない」と、相手はさらりと言った。

ユウクロは寂しげな表情を浮かべて「――ふっ、理性的でよかったよ。用件は?」

「私は泥棒の使いじゃ」

「泥棒?」

「アカを見ろ」

《いない!?》

「アカをどうした?」

「盗まれた」

「堕ちたな、ノワール。泥棒はどこにいる? 早く吐け、この強欲野郎!!」

「ふっ、それにしては君じゃない大地だな。――そうだ、この大地は暑いがそれは誰が原因だ?」

「シズコだろ?」

「他(ほか)には?」

「何?」

「ふっ、やはり君はその程度――マーシン、君は分かるか?」

「いいえ……」

「ふっ、君達は、だったな」

「ノワール……早く言え」と、ユウクロは静かに言う「借り云々なんて言わせないぜ」

「さいなら」

と、ノワールはぱっと消えた。

《くっ!》

「いい機会だな、ユウクロ」と、マーシンが言う。

「いい機会?」

「ああ、アカと離れたかったんだろう?」

「――ちょっと違うな。こんな形は望んでいない。アカもな」

「ならどうする? どうやって泥棒の居場所を見つける?」

「――いいえ、相手が来るのを待とう。――もしかしたら自力で帰ってくるかもしれない」

「それはないな」

「どうして?」

「君が助けてくれるのを期待しているだろう、きっと」

「ふっ、そうだな。――シズコも一緒に待つ?」

「うん、もちろん」

「ありがとう」

「場所を変えたいな」と、マーシンはユウクロに言う。

「もちろんだよ。――札幌(さっぽろ)へ行こう」

ここで読者の諸君に言っておくことがある。札幌の街は読者の知っているそれと変わりないということを。道央(どうおう)にある、北海道の都会だということを。しかし違いはある。人の姿がないということだ。

そんな都会――その東区の町中〈高い建物はあまりない。そういうのは中央区にあるんだよね〉にある小高い山〈表面が芝生の〉の平らな頂上にユウクロ達は現れる。

と、そこに滞在して二週間後の午前九時頃〈天気は晴れ〉、

「ユウクロ!」

不意に怒ったような声で呼ばれ、彼はびっくりして振り返る。

アカがいて「なして助けに来ないのよ! 楽しみに待ってたのに! 君に会いたくてもう我慢できなくて来てしまったわ! もう!」

ユウクロは微笑み「私も会いたかったよ。無事?」

「ええ、無事よ」と、アカは嬉しそうに笑って答える「そっちはどうなの? 私がいない間(あいだ)に色々あったんでしょ?」

「うん。けれど見ての通り無事だよ、三人共」

「そう、よかったわ。――ねぇ、私がいない間(あいだ)にコウノトリ見た?」

「コウノトリ? いいえ」

「私は見たわ」

「へぇ、ラッキーだね。どこで見たの?」

「智恵文市よ。――ねぇ、これから智恵文市へ行かない? コウノトリまだ見ることができるかも」

「マーシン、どうする?」

「――とりあえず行ってみよう」

「そうだね」

で、行った。

「暑いな」と、マーシンは平気そうな顔で言った。

「誰のせいだと思う?」

と、ユウクロの背後から声。ユウクロが振り返ると、

「もちろん君ではない」と、ノワールは彼に言った「さっきコウノトリの話をしていたな? コウノトリは赤ちゃんを運んで来る。ゆえに人はセックスをしない。それはおかしいことだ。そうだろう? ユウクロ」

「それがなんだ?」

「この暑さは、それがしたいという欲求の証なんじゃ」

「誰の証だ? 言って。クロセ夫人に会わせたい」

「おかしいのはそれだけじゃない」と、ノワールは無視して言った「この世界は色々おかしい。だから復讐者は動く、この世界を正すために」

「何?」

「君もその対象じゃ、ユウクロ」

「――物足りないからか? そしてまた借りを作っているのか、ノワール。呆れるよ」

「君はこの世界を変えることはない」と、ノワールはさらりと言った「そういう点からも君は物足りないのう」

「それでいい。私はこの世界が好きだから」と、ユウクロは断言した「この不完全な世界が。私は不完全だ。なんだってそうだ。だから私はこの世界がいいんだ」

「私もよ」と、アカはノワールに言う「だからこの世界をどうにかなんてさせないわよ、ノワール」

「ふっ、アカ、君もこの暑さを感じない。それはユウクロのそれしか感じたくないからだ」と、ノワールはユウクロを指差す「だがユウクロは暑くさせない。そしてユウクロは君と離れたがっている。この世界は他人に触ることもできない。そんな世界でもいいのか? 君は」

アカは微笑する「ユウクロ、君は私と離れたいの?」

「……ああ」

「いい表情ね、ユウクロ。ノワール、私はこの世界がいいわ。私はユウクロに会って幸せになっている。これからもきっと幸せよ。ユウクロと一緒ならね」

ユウクロははっとした。

《君はそこまで――》

「ふっ、楽しみじゃな、これからが」

「ノワール」と、マーシンが呼ぶ「君もいずれクロセ夫人に会う。楽しみにしていろ」

老人ははっとした「……それはどうかな?」と、焦りの顔で言った。

と、老人は消えた。

「アカ」

「何? ユウクロ」

ユウクロは笑顔を浮かべる。「ありがとう。私も君に出会えて幸せだよ」


一方、中川町の国道を歩く独りは、その脇道の入り口で立ち止まった。

「君」

独りは振り返る。

車道の向かいに同じ姿をしたのが一人。その流行りの格好をしたのは続けて「どこへ?」

「クロセ夫人を殺しに」と、独りはさらりと答えた「そうすれば“牛”が現れる。智恵文市の草原に」と、笑顔で言った。

「君を止める」と、相手は落ち着いた様子で言った「もっとも君を止めるのは私じゃない。後ろを」

独りは振り返る――下り坂の途中〈独りから少し離れた所〉に四人の若者がいた。こちらを見ている。

「ユウクロか。復讐者を相手していればいいのに」と、独りは呆れて言い、振り返り「なして止める? クロセ夫人も私の――」

「君は不完全だ、君すら」と、相手は答える「もちろんユウクロ達も。けれど彼らは君とは違う。彼らは君を止める!!」


〈了〉

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