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灰色の景色、贋作のワルツ(後編①)

 私ーー佐藤ナナは、コンクリートの地面に叩きつけられ、激しく咽せ返る。涙で霞む視界を必死に拭うと、そこに「彼」が立っていた。


「……あ、あ……」


 私が恋い焦がれ、憧れ、その姿になりたいと切望したその人。


 煤けた銀の甲冑を纏い、周囲の気温を急上昇させるほどの熾烈な熱量を放つ本物の騎士――魔導騎士ゴエティア。


 その右手に握られているのは、私がホームセンターの木材で真似た玩具とは次元の違う、本物の『魔導剣レメゲトン』。黒鉄の刀身に刻まれた紅蓮の魔力線が、まるで心臓の鼓動に合わせるようにドクン、ドクンと明滅している。それは、戦うための道具というより、一つの意思を持った生き物のようだった。


「……愚かなり、ゴエティア! そのような矮小な女を守りながら、この私に勝てると踏んだか!」


 体勢を立て直したフォラスが、憤怒の咆哮を上げる。


 彼が腕を掲げると、虚空から無数の漆黒の刃が魔法によって出現した。一本一本が殺意を研ぎ澄ませた矢となって、一斉にこちらへと牙を剥く。さらにフォラスは両手に禍々しい紫の魔法剣を形成し、轟音と共に地を蹴った。


 死の雨が降る。


 私は反射的に身体を丸め、目を逸らそうとした。


 けれど、私の目の前に立つ騎士は、微動だにしなかった。


「……シッ!」


 兜の奥から、鋭い呼気が漏れる。


 ゴエティアは焦ることなく、流れるような円の動作でレメゲトンを振るった。


 飛来する漆黒の刃を、一つ、また一つと、吸い付くような精度で叩き落としていく。金属音が火花と共に爆ぜ、衝撃波が私の頬を撫でる。


 驚くべきは、その位置だった。


 彼は、私の前から一歩も退かない。私とフォラスの直線上から微塵も動かず、まるで巨大な防波堤のように、飛散する破片の一つさえ私に届かせないのだ。


(守って……くれてる……?)


 震えていた私の心に、これまで感じたことのない熱い何かが込み上げてきた。


 私は戦いの素人だ。剣技の優劣なんて分からない。


 でも、その一振りの凄まじさは理解できた。レメゲトンが空を斬るたびに、周囲の空気が重低音を響かせて震える。その一撃一撃が、山の如き質量と、稲妻の如き鋭さを同時に宿している。


 それは力任せの破壊ではない。極限まで練り上げられた「技術」と、不退転の「意志」が結実した、芸術的な暴力だった。


「ぬ、ぬぅっ……! なぜだ、なぜ当たらん! なぜ届かぬッ!」


 フォラスの剣戟が、次第に焦りに染まっていく。


 放たれる魔法剣の連撃はすべて、レメゲトンの重厚な刀身によって霧散させられ、逆にフォラスの方が、ゴエティアの放つ圧倒的な重圧にじりじりと押し下げられていく。


「これで……最後だぁぁぁ!」


 フォラスが狂ったように叫び、自身の全魔力を注ぎ込んだ巨大な紫の魔弾を放った。広場全体が不気味な光に飲み込まれ、大地が悲鳴を上げる。


 けれど、ゴエティアはそれを、ただの羽虫を払うかのように横一文字に切り裂いた。


 紫の光が塵となって霧散する中、ゴエティアがゆっくりとレメゲトンを上段に構える。


 その瞬間、世界から一切の音が消えた。


 レメゲトンの刀身から、天を貫くほどの「灰の炎」が立ち昇る。


 それは穢れを焼き尽くす救済の炎であり、同時に、逆らう者すべてに等しく訪れる絶対的な終焉の輝き。


「――アッシュ・トウ・アッシュ」


 地響きのような、低く冷徹な宣告。


 振り下ろされた必殺の斬撃は、空間そのものを灰へと変えながら、逃げることさえ許さぬ速度でフォラスを飲み込んだ。


 絶叫すら、許されなかった。


 魔界の将の巨躯は、灰の炎に触れた端からさらさらとした砂のような灰へと変わり、風に溶けて消えていく。


 後に残ったのは、静寂と、雪のように舞い散る灰。


 そして、戦いを終えて静かに立ち尽くす、本物の騎士の背中だけだった。


(……ああ。やっぱり、あなたは……本物の、私のヒーローだ)


 引き裂かれた装甲の隙間から、私はただ、その孤高の背中を、魂を奪われたように見つめ続けていた。


 嵐のような咆哮も、肌を焦がすような魔圧も、すべてが幻だったかのように消えていた。


 舞い散る灰の向こう側で、銀灰の騎士――ゴエティア様は、静かに魔導剣を引き寄せ、微動だにせず残心を取っていた。その凛とした立ち姿は、まるで一幅の宗教画のように神々しく、私の魂を根底から激しく揺さぶった。


「大丈夫? 怪我はない?」


 不意に、透き通るような鈴の音に似た声に意識を引き戻された。


 駆け寄ってきたのは、月明かりを紡いだような、幻想的な銀色の髪を持つ女性だった。彼女は私のボロボロになった衣装……ううん、引き裂かれ、汚された惨めな身体を気遣うように、素早く自分の上着を私に掛けてくれた。


「……あ、う……」


 声が出ない。ただ、芯まで冷え切っていた私が、彼女の肌の温もりと、遠くから近づいてくるサイレンの音で、ようやく自分が「生きている」ことを実感した。


 すぐに救急隊員たちが駆けつけ、私は担架に乗せられる。身体中が軋むように痛み、首には真っ黒な痣が残っているはずなのに、私の視線は一点から動かせなかった。


 数メートル先で、こちらを振り返ることもなく佇んでいる、背負った宿命さえも銀灰に輝く、あの人の背中。


(言わなきゃ。このまま運ばれたら、もう二度と言えなくなっちゃう……!)


 私は震える肺に力を込め、遠のきかける意識を必死に繋ぎ止めて、担架の上から声を絞り出した。


「あの……っ! 助けて、くれて……ありがとう、ございました……!」


 情けない、今にも消えてしまいそうな掠れ声だった。


 でも、その言葉に、銀灰の騎士はゆっくりとこちらを振り向いた。


「……また何かあれば、俺を呼んでくれ」


 兜の奥から響いてきたのは、想像していたよりもずっと若い青年の声だった。


 二十代前半、もしかしたら私よりも年下かもしれない。そんな風に感じるほど、瑞々しく、けれど鋼のような強固な意志を宿した響き。


「必ず、守る」


 その一言を残して、彼はふっと、光の中に溶けるようにその場から姿を消した。


 救急車の中、酸素マスクを付けられながら、私は今の言葉を何度も心の中で反芻した。


 「必ず、守る」。


 彼がどれほど若いかなんて、私には一ミリも関係なかった。


 婚約者に浮気され、捨てられ、孤独で真っ暗だった私の世界に、彼は文字通り命を懸けて踏み込み、私という存在を「守る価値がある」と証明してくれた。


(あ……ああ、そうか……)


 これまでは、ただ遠くから眺めるだけの、綺麗なコスプレの対象だった。


 でも、無様に剥き出しになった私を救い出された今、私の中に芽生えたのは、そんなファン心理なんかでは片付けられない、熱く痛烈な情熱だった。


 佐藤ナナ、27歳。


 私は、自分を救ってくれた若き銀灰の騎士に、生まれて初めての、本当の**「恋」**をした。


 救急車の天井を見つめながら、私は高鳴る胸の鼓動を、抑えることができなくなっていた。

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